8. 選ばれた婚約者候補
パーティ会場の中央付近、伯爵家上位層で固まっている集団の元へ近づく。標的は、その中の一人だ。
顔の造作は整っているが、茶髪で茶色の目。身長も高めだが、体型は普通。フローラと同い年であり、事前情報の中では、婚約者はいなかった。
そして何より……。
「ぎゃああああああああ」
突然の地鳴らしと汚い叫び声。音の聞こえる方を見れば、汗だくの豚が全速力でこちらへ向かってきている。後ろには怒った様子の大型犬がいた。
贅肉の質量によって増す速度。そしてそれを追いかけるべくより獰猛になる犬。
「ちょ、たすけ、助けてぇぇ!」
「……は?」
フローラの優秀な頭脳はすぐに回転した。考えられる中で一番可能性の高いものだと、トイレの帰りに警備犬のしっぽでも踏み、怒らせたのだろう。
そして今ここに、これを止められる者はいない。鍛え上げた護衛ですら、この速度の異母姉を止めようとすれば吹っ飛ばされる。
……何より不味いのは異母姉が自分の元に向かってきていることだった。そもそも、この速さでは護衛を呼ぶ時間すらない。間一髪で避けないと、死だ。
「っ!」
異母姉の汗が、フローラの顔に飛び散るか否か、そのくらいの距離感で、銀髪の何者かが目の前に現れた。その人は迷わずテーブルをひっくり返して盾にし、異母姉の動きを止めた。テーブルは大破した。異母姉は反動で後ろに転がり、犬は潰される危険を察知して逃げた。
「……あ、ありがとう、ございます」
予想もしなかった展開に、フローラは目を丸くした。人に演技していない表情を見せるのは久々だった。
振り返ったその男性は、ブワッと頬を赤く染め、羞恥から口元を覆う。筋肉と行動が見合っていない。先ほどと同一人物とは思えないほどに狼狽していた。
「あ、いや、お……ごごご……ば……うう!!」
もはや人の言葉すら喋れていなかった。そのこともまた恥ずかしいのか、目が潤み始めている。
作っていない状態でこの反応だ。もしいつも通りの笑顔を作っていたら、どうなるのだろうか。フローラはとても興味が湧いた。遊んでみたくてたまらなかった。
しかし銀髪のその人は、フローラの安全を確認すると逃げるように去り、王女様の前で膝をついた。
「異音がしましたので、襲撃かと思い……パーティーを荒らしてしまい申し訳ございません」
「……いいえ、あのままでは人的被害が出ていたでしょう。それに比べれば、テーブルなど安い物」
ヒソヒソと聞こえてくる声から察するに、銀髪のその人は、あの辺境伯令息のようだった。
「このお詫びは必ず」
辺境伯令息は、険しい顔で去っていく。その顔を見て、どこかの令嬢が泣き出した。
辺境伯領は、異民族の襲撃の絶えない雪国で、血塗れた悪魔の地とされている。そんな疎まれ者の彼らは滅多に領地を離れない。今日は防衛の件でたまたま王城を訪れていたらしい。
……つまり、運がよかった。
「お姉様、大丈夫ですか? お怪我は?」
しかし惚けてもいられない。フローラはサッと立ち上がり、蛙のようにひっくり返った異母姉のところへ行く。肉布団のおかげで怪我ひとつないようだ。手当のためとはいえ、脂汗だらけの体になんて触りたくなかったから、本当によかった。
「これは私の失態です。そこの貴方、犬を捕まえなさい。貴方はこの者を医務室へ連れて行って」
王女様の毅然とした対応により混乱は長引かず、パーティーは再開された。フローラも一応医務室まで着いて行き、ついでに見てもらったが何もなかった。怪我もしていないのに騒ぎ立てる異母姉を置いて、フローラは会場へ戻る。
あの辺境伯令息のおかげで、フローラは自分の選択の正しさを確信した。
「美しい人だわ……確か、旦那様がお亡くなりになったのだったかしら」
機会を見計らい、側へ寄り、ある一人の女性を見て、独り言をつぶやくフローラ。
隣の彼は、ウィリアム・フォード伯爵令息。
今回のパーティーで唯一、フローラを一度も見つめなかった人である。




