53. 汚物の処理はお早めに
少しずつ、少しずつ。フローラは女神のような立ち振る舞いから、ただの少女に戻していった。ふとした時の表情から、何かに喜ぶ時、食事中にフォークを落とすなど。人である要素を見せていった。神ではなく、感情があり、人らしくミスをすることもあるのだと。
「ドリス、牢屋の門番を気絶させておいてくれる?」
「かしこまりました」
そして神か人かが最大限に曖昧になったところで、フローラは学園にいた頃のような地味な少女となった。気配など悟らせない。ただそこに存在するだけ。
フローラは誰にも見られずに牢屋へと向かった。やはりドリスは優秀で、何も言っていないのに鍵まで開けてあった。
コツコツと、石造りの牢屋に足音が響く。
「まあ……随分と健康的になられましたね」
フローラは檻の外から微笑む。痩せこけた子爵は、それでもフローラを睨みつけた。
「なんの用だ。お前みたいな小娘に話すことなぞないぞ!」
よく吠える駄犬だ。檻があれば安全だと油断しきっている。一番楽だったのがハニートラップだっただけだというのに。喉元過ぎれば熱さ忘れる、とはこのことなのだろう。
「……これに見覚えはない?」
フローラは目の前で紙の束を見せつける。子爵の脱税や横領の証拠が記されたものだ。子爵の目の色が変わったのを確認すると、フローラはくるりと手首を返し、一枚ずつ捲りながら読み上げる。
施した工作が全て暴かれていること、この罪状に反逆までも加われば死罪は免れられないこと。
「素直に吐けば、少しばかり手を加えてあげるわ。死罪にはならない程度にね」
最後に、フローラは甘く囁いた。子爵は慌てふためき、混乱している。だから、気づかなかった。誘拐犯だった異民族は、重要な証人となりうるというのに。
「……どうやって異民族と交流したの?」
「奴は大陸との混血で大陸の言語が使える。わからないだろうが、これは教養で……」
雪国、それも田舎では教育は誰しもが受けられるものではない。基本的に稼ぎ手である男児が優遇され、特に貴族であればより高度な教育を受ける。小娘であるフローラは下に見られていた。
この期に及んで喚く子爵の姿に、フローラはくすりと笑う。
「ああ、なるほど。良い情報をありがとう」
……だが、忘れてはならない。ガヴァネスの矜持を傷つけたほどに、フローラは優秀だった。文字を持たない異民族の言葉は流石にわからなかったが、基本的に何語でも読み書きができた。発音などに自信はないが、それでも通じはする。そもそも、中央寄りの伯爵家。辺境の、領地も持っていないような子爵とは格が違う。
「もう貴方に用はないわ」
フローラは牢屋の松明で紙束を燃やす。石造の床には灰だけが残った。
「フロスト家の紋章は本物だったけれど……貴方も短絡的ね」
あのただの同衾事件の際、アーサーをよく観察していると指にシグネットリングを嵌めていることに気づいた。封蝋の最後などに押すことで簡単に紋章を表せるものだ。フローラは勝手に卒倒するアーサーから拝借し、ジョシュアに作らせた精巧な表紙のみに押した。つまり、表紙以外は白紙も同然。証拠など何も書かれていない。
「ごきげんよう。……いいえ、さようなら」
証拠の束なんていらない。読み上げた内容だってそれらしい出鱈目。全て異民族に聞き出せばいい話だ。証拠はその後に家捜しするだけ。
フローラはもう振り返らず、嫋やかに牢屋を去った。護衛が起きた時には、何も変わっていなかった。ドリスから居眠りを指摘され、彼らは夢と勘違いした。
後日、子爵は処刑された。
フローラは異民族との対話を重ね、なぜ襲撃してくるのか、何を求めているのかを聞き出した。数年後にはアーサーの仕事はグッと減っていることだろう。
「あ、フローラ様! インクのいらないペン、完成しましたよ!!」
……そしてまた、もう一つの計画も順調に進んでいた。




