46. 隠された蜘蛛の巣
その日はアーサーは山賊の討伐……遠征に出掛けていた。誘拐犯こと異民族から聞き出した情報を元に、奴らの油断している冬が最適な機会だと結論付けたらしい。
「ドリス、貴女なら子爵を拘束するくらい朝飯前よね?」
「はい。……どのような拘束をご所望でしょうか」
髪型を選ぶ時のように軽い会話。フローラはくすりと笑った。
「そうねぇ……」
今度はフローラが子爵を呼び出すことにした。今回の遠征は山賊に悟られぬよう極秘で行っている。子爵でさえ計画を知らない。だから、最初からアーサーがいない時に呼び出し、陥れる計画なのだと、ドリス以外に誰も知らない。
訪れた子爵はとても警戒していた。証拠は残していない。しかし、勘の鋭いアーサーのことだ。この間の件が自分によるものなのかと、尋問されるかもしれないと思っていた。
「この間、次は我が家にいらっしゃってくださいとお話ししましたよね。旦那様にお伝えしたら是非、と仰っていたのだけれど……急にお仕事が入ってしまわれて」
それ故に、フローラのみと分かり、あからさまに気が緩んだ。辺境伯邸は冬でも暖かく、フローラは薄着なほどだった。しかし気遣いから、紅茶には酒漬けの氷砂糖が入っており、子爵の気分はとてもよかった。
少々子供っぽくはあるが、見目麗しい若い女と二人きり。仕事の話というのも軽いものであり、自分が誘拐事件の黒幕だと気づきもしない無知な小娘は、少し内政や歴史について教えるだけで驚き、尊敬する。
「素晴らしいですわ。アーサー様は他のことにかかりきりで……私、お話し相手が欲しかったの」
馬鹿な子爵は、フローラの色香に大きな蜘蛛の巣が隠れていることに気づかなかった。
最初はただの小娘だと思っていたはずだ。小さく華奢で幼子のような。なのにどうしてか、今では美しき人妻に見える。結われた亜麻色の髪が少し乱れ、薄い服の隙間からは白い肌が見える。桃色の瞳はとろりと歪み、自分を映して離さない。欲求不満で若い体を持て余す、そんな、蠱惑的な……。
「キャーーーーーー!!」
子爵がフローラに触れたところで、叫び声と共にメイドに拘束される。元軍人であるドリスにとって、気配を消すのは赤子の手を捻るより簡単なことだった。触れていた証拠の残る体勢だ。冤罪でもなんでもない。子爵はなんの言い逃れもできなかった。
驚きを隠せない子爵に、フローラは囁く。
「私、既婚者なの」
そこで子爵は我に返った。自分は先制攻撃をしたはずだった。
これ以上、あの冷血伯の小僧に大きい顔をされていてはたまったものじゃない。あの顔に悪評だ。嫁なぞ来ないと思っていたのに。後継などできて仕舞えば、政権交代の機会すらない。
いや、物好きな者などそうそういないのだからと、異民族を使って小娘を殺そうとしていた。しかし、運悪く辺境伯の邪魔が入ってしまった。なのにどうしてか、今や小娘に嵌められ、窮地に陥っている。
「安心してちょうだい。ただ、牢屋で判決を待っていてもらうだけよ。工作なんて出来ないところでね」
子爵はそこで初めて、邪魔が入ったのではなく、狙う相手を間違えたのだと知った。
「脱税も横領も、反逆罪も……積み重なれば死罪よね」
フローラにかかれば、叩かなくても埃は見つかる。挨拶に回る前の下調べの時点で、帳簿の改竄などには気づいていた。ただ、それだけでは潰すに事足りなかっただけだ。
フローラの邪悪な笑みに、子爵は気を失った。衛兵は子爵を牢へ連れて行った。特に貞操観念の強い雪国において、辺境伯の妻を襲うなど、あってはならないことだ。
「気色悪かったわ……。ドリス、バスタブにお湯を張ってくれるかしら?」
「かしこまりました」
「早くこの酷い臭いを落とさないと、情報を吐かせる前にアーサー様が殺してしまうわ」
フローラは、アーサーがどれだけ重いのか、全く気づいていなかった。これで実家を潰すのに集中できるだろうと、仕事が減ってよかっただろうとまで思っていた。




