32. 新たな犠牲者
「お気になさらず。こちらこそ、勝手に入ってしまって申し訳ないです」
フローラは思い出した。あの時、ただ感謝しただけで酷く狼狽していた彼を見て、遊んでみたくてたまらなくなったことを。
あの時は少しあどけなさの残る顔だったが、この強面に変わった今、どんな風になるのだろうか。フローラは好奇心と期待の混ざる……悪戯っ子のような気分だった。
「素敵なお宅ですね」
「は?」
屋敷には仕留めた獲物の剥製や敷物が山ほどあり、敵将の装飾品や猟奇的な絵画もたくさん飾られていた。恐ろしき当主と一見ホラーハウスにも思える屋敷に、フローラは歓喜した。
まるで虹を見た時の子供のように目を輝かせたものだから、辺境伯は逆に目が点になった。
「君は……一体なんなんだ。怖くないのか」
フローラに常識は通用しない。スプラッタ如き生ぬるい。辺境伯領よりもフローラの趣味嗜好の方が恐ろしい。
辺境伯が顔に似合わず優しいことばかり言うから、フローラは内心笑っていた。
「ええ、あまり。フロスト領は防衛の要なのですから、血は当たり前でしょうし、守っていただいている証拠です」
正論だ。が、人の忌避感や恐怖というのは理屈じゃない。しかしフローラには通用しない。
フローラに微笑まれ、女性慣れしていない辺境伯はしどろもどろになる。ほんわかした顔の裏に、少々いけない方向の笑顔があることに気づかずに。
「この絵画も……きっと武功を現したものなのでしょう?」
調度品の一つ、特にえげつなくグロテスクな絵画の縁を、フローラはうっとりと、ため息を吐きながら摩る。白い雪景色には血飛沫がよく似合う。コレクションに加えたいほどに美しい一品だ。これが毎日見られるだけでも、この家に嫁いだ価値がある。
「ヒッ……」
毎日見ているはずの辺境伯は絵を見て驚き、目をギュッと閉じた。震える手を握って誤魔化し、そして何事もなかったかのように咳払いをする。絵画から視線をずらしながら。
本当に自然で、絵画に見惚れている状況において、普通の人は気づかないだろう。
「もしかして、こういったものが苦手なのですか?」
しかし、フローラは目ざとかった。感情と体の動きのコントロールに長け、観察眼の鋭い彼女が気付けないほどではなかった。
フローラは辺境伯の手を取り、このままでは血が滲みそうなほど強く握り締められた手をゆっくりと開く。
「そ、その、何を……」
「私は、大好きなんです」
「っう゛!」
決まった。
首を少し傾げたことにより髪はふわりと揺れる。手からは気遣いと体温が伝わり、上目遣いで満面の笑み。絵画のこととはいえ、ストレートな愛情表現。これぞ、オーバーキルだ。
辺境伯は胸を押さえて倒れ込みそうになる。しかしこのままではフローラを押し潰してしまうため、ギリギリのところで耐えた。
「どうかなさいましたか?」
何も知らない風に見せかけた追撃だ。まだ玄関から一歩も動いていないのに。
「い、いや、長旅で疲れただろう。そろそろ後処理も終わって、メイド長達の手も空く。ひとまず応接間まで案内しよう」
小声で早口で、顔は真っ赤。辺境伯は明らかに致命傷だった。返り血まみれの剣を鞘に納め、フローラがどうにかギリギリ持っていたトランクを軽々と持つ。一家の主人……いや辺境伯に使用人のようなことをさせてしまっていたが、指摘したら焦って落としそうだったため、フローラは黙っていた。
「ありがとうございます」
こういう相手には、感謝……謝る形よりも素直に感情を伝えた方がいい。身長に見合った歩幅の辺境伯に、フローラはてちてち着いていく。途中で辺境伯がそれに気づき、フローラの歩幅に合わせたものだから、大男がちまちまと歩く奇怪な光景が出来上がった。
「その、卿のことはなんとお呼びすればよろしいでしょうか? 旦那様? それとも、アーサー様?」
「グハッ!」
襲撃で相手から擦り傷もつけられなかった無敗の名将が、名前を呼ばれただけで吐血する。
フローラはとても楽しかった。押したり触ったりすると音の鳴るおもちゃ……というのは誰もが好きである。
「あ……その……」




