31. 血塗られた悪魔の地へ
辺境伯領までの道のりは長く、しかしケチな伯爵は最低限……いやギリギリ足りないような金しか渡さなかった。御者やメイドは貧しい生活を覚悟したが、フローラは道ゆく場所でそのちっぽけな路銀を元に賭けをした。
「その……初めてなのですが、私も交ぜてくださいませんか?」
美貌により思考を低下させ、弱いフリで油断させ、跳ね上がったところで一気に畳み掛ける。そして翌朝には既に街を出ている。訴えることはできず、また報復もできない。合法なのに詐欺師顔負けの手口だった。
路銀を入れた袋はたった数日でパンパンに膨れ上がり、フローラは笑顔で毎日ご馳走を買い与えた。ボロボロだった馬車は新しいものとなった。喜ぶはずの御者とメイドは恐怖で震えていた。
「フローラ様、もうすぐ辺境伯領が見えますよ」
「まぁ……。確かに、少し涼しくなってきたわ」
旅の間に季節は秋に移り変わり始め、辺境伯領の山々はもう白く、雪を被っていた。辺境伯領は大きな外壁に囲まれており、門はとても厳重だった。
「何者だ!」
門番に証明書を見せ、辺境伯領内に入る。そこには雪国の景色が広がっていた。まだ雪は降っていないものの、高床式の家の屋根は傾斜が大きく、二重窓や伝統的な模様が美しかった。フローラは一つ一つに目を輝かせ、自分の中の知識と照合していた。
「フローラ様、あれが辺境伯邸です」
丘の上には要塞のような邸宅があった。またもや門番に証明書を見せ、フローラは辺境伯邸の中へ入る。正面玄関の前で降りたが、チャイムを鳴らしても誰も出てこない。少し待った後、フローラは路銀の入った袋を御者とメイドに全て渡した。
「貴方達はもう帰っていいわ。ここまでご苦労様」
「し、しかし!」
「ここにいても、何もすることはないでしょう? その路銀では足りない?」
ほんわかと、しかし圧を浴びせられ、御者とメイドは首を横に振ることしかできなくなった。今までの旅で散々恐ろしい姿を見てきたのだ。逆らえばどうなるかわからないことくらい、わかる。
「気をつけてね」
ニコニコと手を振るフローラと対照的に、御者とメイドは逃げるように帰っていった。それを確認し、フローラはトランクを持って、もう一度チャイムを鳴らす。誰も出てこないことを確認し、玄関のドアを開けた。
「失礼いたします……」
中は静まり返っており、使用人の一人も見つけられない。このまま勝手に入ってくつろいでいてもいいが、それでは使用人からの印象が悪いだろう。さて、どうしようかと考えていると、フローラの背後から、人の足音が聞こえる。足音からして、かなり大柄な男性だ。それは、つまり。
「お初にお目にかかります。不束者ではございますが、末長くよろしくお願いいたします」
亜麻色の髪はたなびき、ドレスがふわりと舞う。フローラは後ろを振り返り、深々とカーテシーをした。
「……誰だ」
低く響く声と共に、フローラは顔を上げる。
野生の獣のように鋭く、氷のように冷たい瞳の大男が、そこに立っていた。フロスト領の雪と同じ色をした銀髪は掻き上げられ、頬の傷がよく見える。
「失礼いたしました。私はフローラと申します。貴方様の妻として、この地へやって参りました」
彼は、フローラが見上げなければならないほど大きく体格がよかった。何より、手に持つ剣には返り血がべっとりとついていた。
「……出迎えが無く、すまない。先ほど襲撃があったものでな」
開けられたままの正面玄関から奥から馬に乗った騎士や兵士が血みどろになって帰還してくるのが見える。外にいたらしき使用人達は慣れたようにお湯や布、包帯を持ち、一斉に出迎えた。
「まぁ……」
大抵の令嬢ならここで失神するほどの恐ろしさだった。
しかしフローラの脳裏に浮かんだのは、あのガーデンパーティーの日、突進してきた豚から身を挺して守ってくれた、銀髪の男性のことだった。




