2. 彼女には野心がわからない
「ヒッ! こんなところで何をしているの!」
走ってきたフローラの母が口元を覆う。メイドはシャベルを持ったまま突っ立っていることしかできない。
「お花を摘んでいたら、亡くなっていて……埋葬しようかと」
フローラはサッと邪念を置いて、いかにも優しい子のように顔を伏せた。
「っ! 穢れるからやめなさい。放っておいたって自然の摂理でしょ」
母は血だまりを見て眉を寄せ、フローラの手を引く。フローラは誰にも顔が見えない角度で口を尖らせた。本当はちゃんと埋めて、毎日同じ時間に観察したかった。このままでは他の野生動物が食べたり、虫が集ってきてしまうだろう。
「新しく服を仕立てるからいらっしゃい!」
フローラの母は見栄っ張りで、自分が傷つけたことを知られたくない、その分良い生地を買って周りの鼻を明かしたい、という理由からせっせとフローラのドレスを手作りしていた。
少しでも下手くそに思われたら庶民のプライドが傷つくらしく、おかげで今まで一度も手作りだとバレたことはないレベルだった。話は盛りに盛られ、伯爵の寵愛を受けたフローラはオートクチュールの品を身につけている、ということになっている。
「あの女のお茶会に招待されたのよ」
あの女、というのは第二夫人のことだった。
有名な商会の末娘で、伯爵に一目惚れし、金に物を言わせて無理やり妻になった女だった。わがままで傲慢で、自分に似た娘の自慢がとにかく大好きだった。
「第一夫人は不参加らしいけれど……私は意地でも誘いに乗るわよ」
第一夫人は元から伯爵の婚約者だった子爵家の長女で、貴族らしい矜持と冷徹さを持ち合わせていた。自分の息子である長男が伯爵家を継ぐことだけを願っている、軽蔑の眼差し以外はそこまで害のない人である。
「開催は三日後。だからそんな森になんている時間は貴女にはないの!」
母の剣幕に、フローラはニコリと笑って頷いた。
「ええ、お母様との時間の方が大事ですから」
実際は全く真逆なことを思っていた。採寸が終わっても、イメージのためなのだと何時間も立たせられ、トルソー代わりにされ、少しでもよろけると叩かれる時間を、とてつもなく無駄だと思っていた。
「フン。あんただって、こんなボロ屋嫌でしょ」
確かに別邸は古かった。ムカデは出るし、隙間風はうるさいし、ハクビシンの足音は一晩中響き渡る。しかしフローラはこの家で生まれ育ったのだ。ムカデはトングで捕まえて直火で焼くし、隙間風は環境音だし、ハクビシン如きで安眠は阻害されない。
「見てなさいよあの女ァ!」
フローラの母は、元高級娼婦なだけあって、頭は悪くなかった。フローラの少しおかしな所に薄々気づいている唯一の人でもあった。野心家で努力家で策略家だった。
けれど、フローラにはその野心がわからなかった。プロ顔負けの洋裁の腕で王都でのし上がった方がよっぽどいい暮らしをしていただろうに、と齢七歳にして冷めた目で見ていた。
「家に上がる前に、靴の泥を落として!」
フローラは考えた。そろそろ、この不毛な時間を終わりにしたいと。森は楽しいが、もうそろそろこの別邸には読む本がなくなる。つまり、ここにいるメリットもない。
母の望み通り、第二夫人を蹴落として、本邸に上がれば、母は鬼畜洋裁師ではなくなるのではないだろうか。アホな女の争いも少しは落ち着くのではないか。
「はい、お母様。わかりました」
フローラは鈴の音のように明るい声でそう言った。