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第七話 王の到着、影の公開実験

 夜明け前の山道は、闇と朝靄が溶け合う藍色の深さで満ちていた。白馬に跨った近衛師団長ユリウスは、その闇の底に残る不穏な気配を振り返りもせず、長い一夜を走り抜けた斥候隊を率いて王の行幸本隊へ戻った。王旗のたなびく列を前に並ぶと、ユリウスは馬を下り、息を整えて報告を終える。

「影属性魔法を操る刺客が道を封鎖しようとしましたが、残党は散発的。行軍続行に支障はありません」

 国王ラファエルは兜の顎紐を外し、酷薄な冷気を胸に吸い込んだ。その瞳には、一夜の間に起きた暗闇のざわめきなど取るに足らぬと映っている。

「影を恐怖と結びつける者ほど、影に飲み込まれるものだ。真偽は目で確かめる」

 王がたった一言だけで出した進軍続行の命に、兵たちは背筋を伸ばす。鬨の声ではなく、静かな決意の重みが行幸隊を包む。夜目にも白い王馬が再び歩み出すと、長い隊列は紫に染まり始めた空へ向かって進みだした。


 * * *


 その頃、グレイムーン盆地の広場は紫光と歌声の渦中にあった。影ランタンは一晩でさらに二列増え、舗装路の亀裂と欠けた石畳を淡く覆う。瘴気病から立ち上がった子どもたちは白マントを翻しながら高音のハミングで喉を温め、鍛冶工房の太鼓が低くテンポを刻む。紫光が息づくたび、村は廃坑の煤の匂いを捨て、新しい呼吸をしているようだった。

 リディアは診療所裏の木箱群を確認し、蓋に封蝋を押した。第二バッチ二百本の影ポーションが琥珀紫の輝きを宿して詰まっている。伯父ガレス伯が傍らで見守り、人の良い皺をくしゃりと寄せた。

「まさかこの目で、影が病を癒し、村を照らす光になる日が来ようとは」

「始まりに過ぎません。今日は王都も影を受け入れる一日になります」

 リディアが笑みと共に言い切ると、侍女ミーナが駆け寄り、夜通し書き込んだシフト表を差し出した。

「影ランタン係、合唱係、警戒班——全班配置完了しました!」

 疲れの痕跡を残すその目も、影光を映して瑞々しく輝く。リディアは肩を叩き、影幕で覆った舗装路をもう一度見渡した。


 * * *


 迎賓準備の合間を縫い、リディアとロキは再び坑道へ降りた。青銀魔鋼の扉に向け、ミーナの母の形見から抽出した影素で鍛えた細長い〈影鍵β〉を挿し込むためである。鍵が影晶スロットに触れると、扉の双翼影鳥が仄かに発光し、金属内で心臓めいた脈動が起きる。わずかな回転の後、扉は開かず、代わりに隣壁の岩肌が霜のように白く剥がれ、暗い金属光沢を露わにした。浮き上がるのは王国全土を走る蜘蛛糸状の管路図——影王朝時代の魔力網である。

 リディアは光盤で座標コードを複写しながら呟く。

「地下網に魔力を乗せれば、王都も辺境も一本の影脈で繋がる。……ゆえに封印されたのね」

 ロキは剣の柄に手を置き、扉の脈動を見つめた。「それならなおさら今は開けぬ方がいい。王が来てから報告を」

 鍵を抜き、扉の光が沈まると、地下の闇は再び硬質の静寂へ閉じた。


 * * *


 午前、丘の彼方に純白の旗列が現れた。角笛は吹かれず、太鼓が代わりに呼吸のリズムを打つ。影ランタンがいっせいに灯り、紫光が坂道を帯に変えて王馬を迎える。子どもたちの歌声が緊張の空気を突き破るように朗らかに響き、瘴気病を脱した人々は拍手で声を預ける。

 ラファエルは馬を降り、紫光が映る石畳をゆっくり踏む。その瞳に恐れはなく、温かさすら宿る。

「これが影の灯火……悪ではなく、人を癒す炎だ」

 リディアは礼服の裾を捌き、深く頭を垂れる。

「ようこそグレイムーンへ。影がもたらした癒やしと復興の証を、どうか御覧ください」

 王は微笑みで応じたが、直後、灰外套を纏う宰相代理官ジャラルが一歩前へ出た。

「陛下、影ポーションの危険性に関する報告がございます。人体崩壊を招く毒性が——」

 長い巻紙を掲げる手が震え、声は広場に波紋を投げた。ユリウスは即座に歩み寄り、巻紙をひったくると二重の筆跡を指で示す。

「書き換え跡だ。正本はどこに消えた?」

 会衆のざわめきが高まりかけたところで、ラファエルは手を挙げ、静かに言った。

「疑いは、その場で晴らす。公開実験を行おう」


 * * *


 臨時舞台へ運ばれたのは、瘴気病で苦しむ三人の患者。若き農夫、駆け込み鉱夫の壮年男、そして高熱と咳で意識を失った老女。王立医務官が診療水晶を翳し、可視化された数値はすべて赤域を示す。

 リディアは深紫の瓶を掲げ、短く説明した。

「影素が瘴気マナを捕捉し吸収します。副作用は軽度の倦怠のみ」

 ラファエルは手袋を外し、最初の瓶を農夫へ投与した。液体が喉を潤すと同時に、青年の肩が大きく上下し、止まらなかった咳がぴたりと止む。診療水晶の体温が四十度から三十七度台に落ち、血中瘴気濃度が緑色へ降下する。

 歓声が漏れはじめる中、二人目、三人目へと瓶が渡る。壮年男は肩で息をし、老女は震える手で王の袖をつまみ涙を滲ませた。

「陛下……呼吸が、楽に……」

 医務官は数値を確認し、声を張る。

「副作用なし! 影ポーションは安全です」


 * * *


 喝采を切り裂くかのように、灰外套の代理官ジャラルが影毒《虚影水銀》の小瓶を木箱へ滑り込ませようとした。瞬時、ミーナが飛び込み瓶を払う。無色毒液が石畳を焦がして紫煙を上げ、ロキが影鎖で腕を絡め取る。

「何を——!」

「虚影水銀だな」ユリウスが剣先を突きつけると、代理官は蒼白の顔でイグランの指示を吐いた。

 ラファエルは静かに怒気を漂わせた。「王都へ護送し、真偽を明らかにせよ。――宰相も呼ぶ」

 広場を包んだのは熱狂ではなく、澄んだ確信。影は毒ではない。光と共に人を守るものだと。


 * * *


 夕刻、公爵館の応接室。紫光の影ランタンが双翼影鳥の影を壁に踊らせる。ラファエル、リディア、ロキ、ユリウスが円卓で向き合った。

「影ポーションを王立研究所の新支部で量産しよう。領民優先で配給し、余剰を王都へ運ぶ」

 リディアは真っ直ぐ返す。「遺構調査の現地責任を私にください。影の危険も可能性も熟知する者が必要です」

「同意する。さらに宰相派の腐敗調査に協力してくれ」

「政治闘争でなく真実の回復なら」

 握手がかわされた瞬間、王の懐中印章が紫白の光を放ち、ミーナのペンダントが同じ色で震えた。双翼影鳥が呼応し、坑道深部の魔鋼扉が白紫に瞬いた。その脈動は地下網を渡り、遠く北方の廃都市でも同型扉を呼び覚ます。


 * * *


 はるか彼方、朽ちた塔の屋上。黒衣の男ノクスが月を背に立ち、共鳴する影波に唇を吊り上げた。

「影の王が目覚める……だが真の玉座は我が手に」

 闇は静かに蠢く。だがグレイムーンの紫光は揺らがない。老女は影ランタンの下で孫の手を握り、王は影を恐れぬ眼差しで夜を見上げた。

 影と光の境界は、今まさに塗り替わろうとしている。リディアは胸もとで影結晶の鼓動を感じつつ、王都の深い闇へ剣を向ける覚悟を固めた。影はもはや恐怖ではない。希望を照らす鏡だ。

宣伝:工場自動化に関するポッドキャスト番組をやっています。

高橋クリスのFA_RADIO

https://open.spotify.com/episode/5o8r4G8G8wM49y0aqmWGJs?si=MwS0LJLESEW2K52_rUwNnQ

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