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第五話 盗賊夜襲と影ポーション量産計画


 夕闇が谷筋に沈む頃、ブラックレーン駅の灯火は水面に浮く水草のように頼りなかった。

 修繕を終えた《ステン=ライン号》は休止炉の余熱を吐き出しながら留置線で眠り、列車長と機関士は資材積み替えのため臨時キャンプを駅脇広場に設営していた。空気は薄く、夏だというのに一息ごとに白い霧がこぼれる。旅人は荷馬車を囲むように焚き火を焚き、盗賊〈ダスターファング〉の噂が闇より濃い不安を醸し出している。


 リディア=アルセインは広場の外れ、岩壁際に三角形の影を重ねて結界を張っていた。地にチョークで描いた魔導陣――光を遮り熱を呑む〈影幕〉。小さな火花が線を辿り、床へ落ちると黒布のような膜が広がる。空気の揺らぎが変わり、外界の風音が急に遠くなる。


「これで少なくとも矢や火炎瓶は防げるはず」

 隣で練炭を運んでいた侍女ミーナが目を丸くした。「あの薄い膜が壁になるんですか?」

「影は質量じゃなく属性で守るの。悪意や殺意の流れを止める。明かりも遮るから騒ぎになりにくいわ」


 リディアは焚き火の光を浴びる人々を見回した。乗客はまだ列車の遅延で疲れが残り、盗賊の噂で憔悴している。母親シェナに抱かれている瘴気病の少女レオナは、昼に影ポーションを飲んだおかげで熱が引いたものの顔色は青く、早く薬を量産しないと旅は続けられない。商人ルーカスは資材を守るため剣を腰にぶら下げ、不安げに夜空を見上げている。


「姫様」

 護衛騎士ロキが焚き火を跨いで近づいた。剣の鍔に影の残光を纏い、鉄の匂いが冷える夜気に溶けていく。

「周囲十町を偵察したが、尾根の向こうに人数三十ほどの騎馬の轍。黒旗の紋章、噂通り〈ダスターファング〉だ」


「奇襲は避けられないわね」リディアは頷き、腰の薬草袋を撫でた。「影結界を張り終えたら、夜警班を作りましょう。ミーナ、乗客代表数名を呼んできて。あなたが副官よ」

「わ、私がですか?」

「指示をまとめる人が必要。あなたは細部を見るのが得意でしょう?」


 ミーナは躊躇したがリディアの眼差しに押され、胸に手を置いた。「はいっ、がんばります!」


* * *


 夜半、狭い谷間に狼の遠吠えが三度響き、焚き火の炎先が揺れた。背後の木立にぱちぱちと火矢の火種が散る。続いて闇を裂く馬蹄、そして空を覆う弓矢の雨。


「来たぞ! 皆、影幕の内側に!」

 ロキの叫びと共に、リディアの影結界がうっすら紫光を走らせた。矢羽根が結界に触れた瞬間、鋭い音を立てず輪郭を歪めたまま黒へ沈み込む。驚愕した乗客たちが歓声とも悲鳴ともつかぬ声を上げる。中空で影の幕が波打ち、火矢の炎が闇に吸い取られた。


「影が……矢を喰った!?」

「守られてる!」


 だが矢雨が止むと同時に、黒旗を掲げた騎馬が突進してくる。黒いマントに牙の紋章。盗賊団〈ダスターファング〉。リディアは息を吸い、地を踏む。「ロキ、あなたは右側面を!」

「了解」


 ロキが《影剣技・月輪双閃》を放つ。身体を軸に回転すると、影が剣筋を円弧に描き伸びる。闇の帯は躍る馬の脚を撫でただけで力を抜き、騎乗の盗賊たちのバランスを崩した。ロキは跳躍して一人の盗賊の腕を肘打ちし、鞍から叩き落す。剣を抜いた盗賊が振るい下ろす刃を影剣で受け止め、柄頭でこめかみを叩き気絶させる。


 左側、リディアは腕を広げ影鎖を幾条も伸ばした。鎖は蛇のように弧を描き、弓兵の腕に巻き付く。瞬時に縮むと弓ごと肩を締めつけ、呻き声とともに弦がからんと落ちる。次いでリディアが足元を踏むと、地面から黒い煙が立ち込め、盗賊たちの視界を遮った。


「影霧……! 後ろが見えねぇ!」

「魔女だ!」


 混乱の中、ロキは跳ね馬から飛び降りた盗賊長ヴァイスと向かい合う。ヴァイスは片刃の大刀を振り、火打石で火花を散らした。飛び火が影霧を赤く染める。


「公爵令嬢を守る近衛くずれか。賞金は二倍つくぜ!」

「口より腕で語れ」ロキは低く答える。


 剣と大刀がぶつかる音は刃同士の悲鳴のように甲高い。数合でヴァイスは肩で息をし始め、ロキは一歩も下がらぬまま剣を逆手に取る。影が刃を包み、黒い刃は一筋の月光を吸い込む。


「――月光影霧・斬霞」


 その声と共に、ロキの剣が横一文字に薙いだ。空気が震え、砂塵が二つに割れる。ヴァイスは切られたのではなく衝撃で吹き飛び、背中から地面に叩きつけられ剣を落とした。鎧は無傷だが、衝撃波が呼吸を奪い、目を白黒させている。ロキは剣先をヴァイスの喉元へ止めた。


「戦意喪失と判断する」

「クッ……殺せ!」


「殺さないわ」

 リディアが影鎖を収めながら歩み寄る。「あなたにはしてもらうことがあるもの」


* * *


 盗賊団は完全に制圧された。ロープで繋がれた盗賊たちを焼けた松明の周りに座らせ、リディアは早速尋問を始める。


「あなたたちは物資目当て? それとも別の指示?」

 盗賊たちは互いの顔を見合い、ヴァイスが舌打ちして答えた。「背後に貴族なんかいねぇ。ただ、王都の闇市から『影ポーションの原料を運べば高額』と連絡が来てた。薬草料亭《白銀の薔薇》の使用人が間に立った」


「白銀の薔薇……宰相派の秘密倉庫の噂があった場所ね」

 ロキが低く唸る。リディアは首を傾けた。「影ポーションはまだ正式発表前。私たちを狙わせるためだったのね」


 尋問中、盗賊団の数名が激しい咳を漏らした。瘴気班が首筋に浮かび、苦悶で額に汗をにじませている。リディアはそっと近寄り、脈を取り、肺音を影視する。


「瘴気病の末期……熱が四十度を超えてるわ」


「ふざけるな、偽聖女の毒手で何を――」

 罵倒を遮るように、リディアはポーチから薄紫の薬瓶を取り出す。影ポーション《試作01》だ。瓶を盗賊の唇へあてがうと、半ば意識が飛んだ男でも本能で嚥下する。影が喉を伝い体内へ入ると、皮膚を這う瘴気班が薄れ、呼吸が落ち着き始める。周囲の盗賊たちが息を呑み、ミーナが潤んだ目で微笑む。


「十五秒……二十秒……」

 リディアが脈を測り続けると、男の瞳に焦点が戻り、うめき声を上げて身体を起こした。「痛みが……消えた?」

「熱も平熱まで下がってるわね」リディアは小声で呟き立ち上がる。「これが影ポーションの効果。瘴気病を一時的に沈め、解熱と呼吸を助ける」


 盗賊たちは顔を見合わせ、やがて誰からともなく土下座した。「す、すまねえ! 俺たちゃ金で動いたが、悪党になりたくて盗賊やってるわけじゃねえ!」

 ヴァイスが歯噛みしつつ頭を下げた。「仲間を救えるなら、アンタに従う……」


 リディアは頷き、ロキに視線を送る。「じゃあ契約書を作りましょう。三つの条件――」


1. **被害補償**:列車への損傷、人々の財産被害を盗賊団の預金と労務で賠償。

2. **山道の安全確保**:盗賊団は解散し、“護衛隊”として駅‐領都間の警備に従事。

3. **鉱山開発労働**:グレイムーン領の鉱山復興に参加し、賃金と影ポーション供給を受ける。


「守れなければ影結界で身動きを奪うわよ?」


 盗賊たちは大急ぎで首を縦に振った。


* * *


 夜明け。影結界が消え、うっすらとした山霧が新しい陽を喰むころ、リディア一行は盗賊あらため臨時護衛隊を前衛に山道を進んだ。急峻な尾根を越えると開けた盆地――そこがグレイムーン領だった。


 だが景色は無惨だった。錆びた鉱山トロッコ、朽ち木の支柱、崩れかけた煉瓦精錬炉。集落の石壁は黒く煤け、井戸は枯れ、子どもたちの姿さえ見えない。


「……ひどい」ミーナが口を覆う。

 そこへ馬を駆る白髪交じりの中年が現れた。伯爵家の紋章旗を掲げ、疲れ切った表情の男――叔父、ガレス伯だ。


「リディア! 遠路を……。いや、正直、来てくれるとは思わなかった」

「伯父上、まずは現状を拝見させてください。今日から領地改革を始めます」


 リディアの言葉にガレス伯は戸惑ったが、視線が影ポーションの木箱と整列した元盗賊たちを見て、半ば呆然と笑った。「……ずいぶんと変わった援軍を連れてきたな」


* * *


 炭坑脇の平坦地にテント型ラボが組まれた。元盗賊は木を切り出し、ルーカスは商会から届いた道具を開梱し、ミーナは村の子どもたちに影幕を教える。ロキは坑口に立って護衛と指揮を兼ね、作業は迅速に進んだ。


 リディアは影マナ炉【試作α】の設計図を地面に広げる。列車で使った初号機を三倍規模にし、蒸気抽出と同時に影ポーションの蒸留ラインを併設する計画だ。炉心コアには列車炉から回収した影結晶の改良版を使用する。


「今日中に外殻を組み、明朝点火、明晩に第一バッチ百本を出す。影触媒は黒鉄塩、薬草は夜咲きローゼル、精製水は湧水の蒸留で――」

 リディアが早口で指示を飛ばすと、盗賊改め作業隊は驚きながらも従った。意外にも彼らは鉱山の地理に詳しく、坑内の亜鉛脈を案内し、影結界工事でも腕を発揮する。闇の民が闇の炉を作る――そんな諧謔がミーナの頭をよぎったが、昼には炉心基座が完成し、夕方には外殻が立ち上がった。


* * *


 王都では、新聞新人セリオが地下印刷室で《速報同人紙・真実版》を刷り上げていた。「偽聖女列車救助・盗賊改心・影医療――国境の英雄現る」と大見出し。小さな石版印刷機からホカホカの紙面が出てくる。仲間の記者が地下SNSクリスタルへ転写する度、都市の裏通りでは水晶を透かして真実記事を読む若者が増え、噂はSNSの海を一気に駆けた。


 宰相イグランは執務室で報告書を握り潰し、秘書官に叫ぶ。「検閲を強化しろ! 地下紙を全て没収! 違反者は鞭打ちだ!」

 しかし秘書官は青ざめて震えるばかり。「は……はっ。しかし地下紙は魔道コピーで街路に散布され、追っても追いつかず……」

「無能め!」


* * *


 グレイムーン鉱山テントの夜。影マナ炉【試作α】が組み上がり、リディアは炉心を固定した真夜中点検で最後の符号を刻む。触媒ルーン石――黒曜ルーンに魔力を注ぐと、ほのかな赤光が走り、影結晶が反応して紫光を放つ。しかし次の瞬間、低い唸り音。炉心温度計の針が想定より急上昇した。


「待って。計算値より高すぎる……」

 ルーン石と影結晶の相性が悪い。魔力循環が偏り、炉心に熱が集まり過ぎ。リディアは制御レバーを下げるが、冷却パイプはまだ未接続の部分がある。


 轟――

 坑道側壁が震え、天井の岩盤が崩れ落ちた。ロキが瞬時に影剣を振り、落石を弾き散らしリディアを抱えて後方へ飛び退く。粉塵の中、荒い呼吸。リディアの瞳が瓦礫の奥で微かに輝く光を捉える。


 崩落した岩の中に、青銀の金属が埋まった巨大な扉が露出していた。紋章は見たことのない双翼の影鳥。扉の中央に影結晶と似た鉱物が嵌め込まれ、かすかに闇色の光を揺らしている。


「……古代魔鋼の扉? こんな深さに遺構が?」

 リディアは息を呑む。ロキは剣を構えたまま扉を見つめ、目元を引き締めた。

「姫。影が呼んでいる。扉の奥に何か……強い何かが」


 坑内に再び静寂が満ちた。影マナ炉は異音を止め、紫光を収めて鎮まった。リディアは扉へ一歩近づき、指先を伸ばす。

 ――影と古代の声が脳裏をかすめる。

 やがて闇の奥で、何かが目を覚ましたように低い鼓動が響いた。


 影は光を呑むだけの闇ではない。影は未来を映す鏡だ。

 リディアは震える息を押さえ、扉の紋章を撫でる。その金属は胸の鼓動のように暖かかった。

宣伝:工場自動化に関するポッドキャスト番組をやっています。

高橋クリスのFA_RADIO

https://open.spotify.com/episode/5o8r4G8G8wM49y0aqmWGJs?si=MwS0LJLESEW2K52_rUwNnQ

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