第四話 欠陥列車と影マナ炉の試運転
蒼灰の山霧をまとった山間駅《ハーゼン終点》は、夜明け前から妙な熱気に包まれていた。
王都発の旧式魔導列車《ステン=ライン号》が停車すると聞き、谷筋の町から薬草商や旅芸人、鉱石ブローカーまでが詰めかけたのだ。木造ホームは身動きの取れないほど混み合い、待合室の薪ストーブには列ができ、売店のパンは日の出を待たずに売り切れた。
列車の到着を告げる汽笛が長く尾を引く。レールが震え、赤銅色の車体がゆっくり滑り込んだ。蒸気と魔導マナの混ざった煙が煙突から噴き出し、うっすら紫の残光を帯びる。魔導炉の調子が悪いと張り紙に書いてあった通り、煙は普段の列車より濃く、耳障りな金属音が車輪から続く。
「やはり……炉心にヒビが走っているわね」
ホームの端で影視を終えたリディア=アルセインが小さく呟く。
護衛騎士ロキは眉をひそめた。「昨日見たひび割れ、補修された気配は?」
「ないわ。むしろ拡大している。あと二時間も走れば炉心結晶が崩壊する」
リディアはチョークで地面に小さな魔導式を書きながら、隣の侍女ミーナに切符を手渡した。「とにかく乗り込みましょう。観測できる場所を確保する」
木造切符窓口の前では老駅員が眠そうに頬杖を突き、《減速運行 事故補償一部免責》と書かれた札を掲げていた。旅人たちは眉を寄せながらも、代替手段の乏しい山路では列車に頼るしかない。苦情と溜息が交錯する空気の中、リディアたちは三等車最後尾に並ぶ。
* * *
四人用コンパートメントのドアが軋み、中へ入ると、すでに二人組が座っていた。
一人は淡い茶髪の商人風青年。胸に〈アルベール総合商会〉のブローチをつけ、足元に木箱を三つ積んでいる。
もう一人は痩せた少女とその母親。少女は目元に青い影を落とし、咳込むたびに胸を押さえる。席に座ることすらつらいのか、母親が膝を貸して寄りかからせていた。
「失礼いたします。同室、ご一緒しても?」
リディアが問いかけ、母親が慌てて立ち上がる。「もちろんです。どうぞ、どうぞ」
ロキが荷棚に鞄を上げ、ミーナが少女の頭に落ちないようクッションをはめ込む。
商人青年が口火を切った。「アルベール商会のルーカスと申します。そちらは王都のご出身?」
「ええ。公爵領へ向かうところで」
リディアが簡潔に答えると、青年は小さく耳を傾ける。「辺境は物騒です。噂ですが盗賊団が南へ移動中とか。山道に囮を置いて列車襲いを狙っていると」
母親が怯えた目を向けた。「盗賊……」
娘の少女が咳き込み、手首をさする。触れられた皮膚は灰紫色で、シミのような瘴気班が広がる――辺境で流行中の瘴気病の症状だ。ルーカスが木箱の一つをとんとん叩いた。「薬草なら多少あるんですが、煎じただけじゃ効かない」
リディアは箱を見た。蓋の隙間から黒鉄塩の粉末袋が覗く。影触媒として使える物質だ。
「よく見ると、珍しい薬草も入っていますね。瘴気病……高熱や咳が常の症状ですか?」
「ええ、娘のレオナが三日前から熱を下げられず。王都の医師は、『聖水か高級ポーションでないと治らない』と言われて……」
リディアは頷き、少女の額へ手を当てた。熱い。瘴気マナが肺を蝕んでいる。白い指先に影が集まり、黒い小花が散るように熱を吸収した。レオナの呼吸がわずかに楽になったのを見届け、リディアは影を収める。母親が目を丸くした。
「どうか……助けておくれください」
「列車が落ち着いたら、薬を作ります。少し休んでいて」
少女の頬に浮いた汗を拭き、リディアは貫くような咳を耳に刻んだ。
* * *
列車が発車すると、車掌のマナ拡声器が軋む声で車内放送を流した。
『諸君! 本列車は炉心の微細調整により減速運行となります。到着は予定より三時刻遅延見込み――ご理解を』
乗客から不満が湧き、通路を巡回する若い車掌が謝罪して回る。リディアは杖に似た影視棒を取り出し、車掌に声をかけた。「炉心の出力制御値を拝見できますか?」
「専門家の方ですか?」
「少々、魔導科学を」
車掌は眉を寄せたが、背後でロキの影がゆらりと動くのを見ると頷いた。「保守主任に尋ねてみましょう。しかし点検口は許可が――」
その瞬間、遠くエンジン部から高い金属鳴きが響き、車体がぐらりと揺れた。車掌が悲鳴を漏らし、通路で揺さぶられた旅人たちの荷物が頭上棚から落下する。リディアはミーナを抱き寄せ、影の薄幕を張って荷物を逸らす。
通路の向こうで扉が開き、金縁帽の列車長が顔を出した。「緊急減速! 機関室で炉心がオーバーヒート中だ!」
リディアはロキに目配せして駆け出す。
機関室前の保守責任者は額に火灯色の汗を浮かべ、魔導計器の針が振り切れた文字盤を叩く。「冷却パイプが詰まった! 炉心温度が七百度を超えた!」
「金属結晶が崩れれば爆散です。点検口を開けます」
「無理だ! 素人が触れば――」
言い終える前に、ロキが影剣で留め具を切り落とした。点検口が跳ね上がり、灼熱の空気が吹き出す。赤黒い結晶炉心。その表面に蜘蛛の巣状のヒビが走り、焦げた魔石の破片が舞っている。
リディアはチョークを握り、鉄床の上に魔導陣を書き始めた。円の中へ黒鉄塩を振り、ルーカスに頼んで持って来させた薬草《夜咲きローゼル》を影マナで粉砕、粉末にする。
「夜咲きローゼルの陰属性素子と黒鉄塩の冷却触媒を融合――」
リディアの呪文が響き、粉末が闇の光を帯びる。影の粒子が渦を巻き、直径三十センチの球へ凝縮。拳大の影結晶が形成される。
保守員が目を剥く。「黒魔導……」
「違うわ。影は熱を“飲みこむ”。影マナ炉の応用版よ」
リディアは影結晶を炉心底部のヒビへ押し当てる。黒い光が炉心全体へ走り、一瞬だけ赤熱の光が暗転。温度計の針が弾かれたように落ち、警告灯が黄色に戻る。
「影結晶が熱を吸収しているうちに、冷却パイプを洗浄して。ロキ!」
ロキが影剣をパイプ接続部に突き立て、管内のスラッジ汚泥を削り取る。影が流体のように侵入し、詰まりを飲み込む。保守員が慌てて冷却水弁を全開にすると、再び温度計が白域へ戻った。
列車が揺れを止め、悲鳴が安堵の溜息に変わる。
* * *
客室に戻ると、少女レオナが汗と咳でぐったりしていた。リディアはさきほど残った夜咲きローゼル粉を影マナで精製し、短時間抽出の小瓶を作る。深紫の液体が琥珀のように揺れる。
「まだ試作品だけど、瘴気の熱消化に効くわ。飲ませて」
母親がおそるおそる瓶を少女の口へ傾ける。レオナは苦い顔をしながら液を飲み下し、数秒後、荒い呼吸が落ち着いた。胸の上下が小さくなり、咳が止まる。母親が泣き声を上げて抱きしめた。
商人ルーカスが目を輝かせた。「その薬を正式に仕入れたい! アルベール商会が保証します!」
「量産設備が整えばお話しましょう。原料と流通路の確保が先です」
そこへ列車長が胸に飾りを付けた証明書を差し出す。「弊社規定により、緊急時救助で最大功績を挙げた方を《臨時整備主任》と認定し全車両出入りを許可いたします。今後の保守もお任せしたい」
リディアは証明書を受け取り、列車長に礼を言う。「では、炉心の影結晶は三時間ごとに温度計測を。完全停止時に影掃除で安定化させます」
列車長は深々と頭を下げ、保守員たちは敬礼した。
* * *
そのころ王都新聞社では、若い記者セリオが電信を読み取り、目を見開いていた。
「偽聖女が列車を救った? 影魔導で事故を防ぎ、難治病の少女を治療……」
編集長が眉をひそめる。「そんな美談、書けるわけがない。宰相府から『偽聖女の呪詛』で統一だ」
セリオは反発した。「現場からの速報が真実です! 書かなきゃ記者じゃありません!」
背後で扉が開き、宰相イグランの秘書官が冷たい声で言う。「不都合な真実は“国家安寧”のために伏せる――貴方たちも理解しているはずだ」
フロアに重い沈黙が落ちる。だがセリオの拳は震え、タイプライターの上でキーを打つ指が止まらない。
* * *
夕刻、ステン=ライン号は標高一千メートルの谷間駅に滑り込んだ。ドアが開くと、冷たい山風が峡谷から吹き上がる。遠く岩肌が薄紅に染まり、影が野営地のように伸びる。その向こうに見える荒れた道路――荷車の轍と、黒旗を掲げた馬上の一団の影。
「盗賊団……噂は本当だったか」
ロキが目を細める。
リディアは影視を拡張し、盗賊の数と装備を計算した。「三十名ほど。灰鼠色の紋章、きっと〈ダスターファング〉ね。列車が狙われる前に対策を」
「姫の旅は波乱続きだ」ロキが苦笑し、剣を握る。
「影は試練を食べて成長するのよ」
リディアはマントを翻し、列車から降り立った。足元で影が揺れ、新しい戦場を待ち構えるように形を変える。辺境グレイムーンまでは、まだ一日。夜の帳が下りれば、この山は盗賊の牙に覆われるだろう――だがその夜の闇さえ、影の聖女には味方に過ぎなかった。
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