老人の元勇者は肉野菜炒めがたべたいようです
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霞む視界で迎える朝。小鳥の囀りや、街の中を行き交う人々の声に対して、活気があり穏やかだと思えるようになってから数十年が経った。
あの頃は、この活気ですら恨めしく思った事も多い。まだまだ子供だったのだろう。
腰痛に眉を顰めながらも、重たい腰を起こす。
「イテテテテ」
何とも情けない声を出すと、扉の向こうから声が聞こえた。
「あらら? ファレル。稀代の勇者様も歳には勝てないみたいね。そんなしわくちゃになっちゃって」
扉の先に立っていたのは、フードを深々と被った一人の少女であり、魔王討伐に協力してくれた魔王の血族──ペテル=アルカナだった。
「それが人間というものさ。君はあの日から全く変わってないみたいだけど」
「当たり前じゃない。私達は魔族よ? 人よりも長命なの。に、しても暑いわね」
フードを脱げばこめかみからねじれ伸びた二本の角が露わになる。ペテルは紫紺の瞳でファレルを写すと、平然とした様子でベットの端に座った。
目で追っていたファレルは、彼女が座るのを見てからゆっくりと口を開く。
「長かった。長く険しく辛く──それでも楽しかった」
「そう。それはいい事じゃない。悔いが無いって素晴らしい事よ」
思いを馳せる傍らで発せられるペテルの声音は、平坦で情緒が見受けられない。だけれど、今のファレルにとっては彼女の返しがとても心地がよかった。
人里離れた森の中、たった一人で井戸を掘り、木材を運び基礎を造り柱を立て梁を組み、家を一から造ってからと言うもの誰一人とも接してこなかったのだ。
誰かに命じられた訳でも無く、これがファレルの。史上最強の勇者と謳われ称賛されたアルカイル=ファレルの選択。
「この歳になって、君にも会えて良かったよ」
「そう」
「で、あと何時間ぐらい余裕はあるのかな?」
「四時間程って所かしら」
ファレルは「そうかい」と、頷くとやせ細った足で立ち上がると、壁を支えに外に向かう。震えた腕に痛みを覚えながら、顔を歪め必死の思いで扉を開けた。
「自給自足が聞いて呆れるわよね、本当に」
ペテルの呆れ声にファレルは言い返す言葉もない。歳のせいか、最近は農作業すら手付かずで、畑は無造作に散らかっている。野生の動物を追い払う気力もないので、ここ最近は大した物を食べてすらなかった。
「歳には勝てないね。ははは」
「子供の一人でも作っておけば良かったじゃない」
ペテルの正論にファレルは優しく首を左右に振るう。
「僕はね、沢山の命を奪ってきたんだ」
「そんなのお互い様じゃないの。別に私はファレルの事を恨んでなんかいないわ」
「ははは。ありがとうね、ペテル。でも良いんだ。大いなる力には災いが宿る」
魔王を倒し、城下街・ラフタで凱旋をした後に王からは幾つもの見合い話を出された。皆が魔王を倒しても尚、ファレルを求めて止まなかったのだ。
魔王を倒した勇者の血を求めて。しかし、ファレルは全てを断り、反感を買いつつ今ここに居る。
「僕が結婚し子を作ればきっと、その子供は王の側近になる。力が力を利用し、また生まれる欲望と怨嗟。俺の血が争いの種になる可能性だってあるんだ」
一人は寂しいし辛い。けれどこれは意地だ。勇者とし産まれ、沢山の命を奪い掴み取った平穏。自分の弱さで、世界が間違った方向に進まない為にも。
「相変わらず頑固ね。まあいいわ、なんか食べたいモノあるのかしら」
「それじゃあ、肉野菜炒めなんかできるかね?」
「いいわよ」と、承諾するとペテルはファレルの頭に手を乗せた。
「メラルーア」
記憶を辿る魔法を唱え数分。ペテルの口から漏れたのは、ため息だった。
「はあ……分かったわ。これを作ればいいのね」
「作り方は」
と言っても、ファレルにはあの味の出し方が分からない。だから、ペテルの味付けで構わないと言うつもりだったのだが、
「必要ないわ」
そう言うと、ペテルはスイカ程度の亜空間を作ると手を伸ばして野菜と肉、香辛料を取り出す。
「で、何処で作ればいいのかしら?」
「ここで頼めるかね?」
「分かったわ」
追加でフライパンや包丁を取りだし、ペテルは調理にはいる。その間、ファレルは空を見上げ思い耽ていた。仲間と喧嘩したこと。笑いあった事。ギャンブルで負けて野宿したこと。死にそうになりながら、ドラゴンから逃げ回ったこと。
色々な事があった。それこそ、一度の人生じゃ体験しきれないようなことばかり。本当に楽しくてかけがえのないもの。こんな風に考えるのもきっと、ペテルが来たからなのだろう。
「はい、出来たわ」と、皿に盛り付けたペテルが単調に言葉を発したのは数十分後の事。
鼻から抜ける香辛料と野菜の焼けた香ばしい香りが、あの日を鮮明に思い浮かばせる。
「食べていいのかい?」
「いいわ。味は保証するもの」
「自信満々だね。では、頂きます」
箸で野菜と肉を挟み、そのまま口へ運ぶ。口の中に広がる野菜の甘みと、肉の旨みが更なる食欲を駆り立てる。久しく感じてなかった食への執着。
この味は正に、あの肉野菜炒め。確か、味付けを聞いて作ってくれと頼んだっけか。聖女・ナルリルは嫌な顔をしながらも覚え、よく作ってくれた。
ああ、そうか。そう言う事だったんだ。
「ご馳走様でした」
「味はどうだったのかしら?」
「保証通り、あの日──仲間達と旅立つ前夜に食べた肉野菜炒めそのものの味だったよ」
「そう」
「あの日はね、気合い入れて皆で装備とか揃えたせいで、金欠になってしまってね。旅立ちぐらい、贅沢な食べ物食べようって皆で話してたんだけど、結局一番安い料理になってしまったんだよ」
今でもあの風景が鮮明に思い出せるほど、ファレルにとって大事な記憶だった。
「本当、計画性がないのね」
「ははは、確かに。君は食べなくていいのかい?」
「必要ないわ。で、次は何かしたい事、あるのかしら? 時間の許す限りは、介護をしてあげるわ。おじいちゃん」
「ははは。まさか君におじいちゃんと言われる日がくるとはね。だが、もう満足さ。ベットに行って少し眠るよ」
「……そう」
少し寂しげな表情を浮かべるペテルにファレルは笑顔で答える。
「ありがとうね」
ファレルがベットで横にさせると、ペテルは椅子をベットの横に置いて言う。
「寝るまでは居てあげるわ」
「そうかそうか。君はあの日のまま、変わらず優しいね」
優しいとかではなく、これは約束だった。ペテルとファレル達が交わした約束。平和に対する誓い。それをただ単に果たしにきたに過ぎない。
穏やかな表情を浮かべ眠りにつくファレルをペテルは見守り続けた。寝てからも、帰ることなくその傍らで時間一杯、彼を。
「……ファレル」
小さく零れた声がペテルの口から漏れたのは四時間過ぎての事だった。ペテルはゆっくりと、胸に耳を当てると静かに鼻を啜り立ち上がる。
「…………」
再び外に出るとペテルは穴を掘る。彼等は一番傷ついていたのかもしれない。罪のない魔族と分かりながらも、人間の為だと刃を振るってきた。
街の救助が遅ければ、護ってる筈の民に恨まれ蔑まれ。
逃げ場なんかなく、前に──人々が作り上げたレールを歩むしか道はなく。
それでも、ファレル達は誰一人恨むこと無く世界の為に戦ってきた。終わっても尚、自分達で十字架を背負い込み続けてまで。
世界が作りあげた勇者を、ペテルはだからこそ一番の被害者だと思っていた。でも、そんな事を言ってもファレル達は笑うのだろう。
笑いながら、自分達よりも他者を思いやるのだろう。
「本当に馬鹿でお人好しなんだから」
抱き抱え、亜空間より取り出した棺へファレルを。一生懸命摘んだ花と共に。
「そしてこれは」
亜空間から取り出したのは、一冊の教典に短剣、傷のついた兜。昔一緒に旅をした仲間達が愛用していたもの。
土を被せながら思う。彼らの優しさを。そして本当の旅の終わりを。そして、死神の目を持つペテルは一人でこの世界を歩む。
ファレル達が作り上げた平和な時代を見守る為に。約束を守る為に
最後まで本当にありがとうございます