第1章(5) 無事なのかヤバいのか、どっちなんだよ
獣人の都フォルトは、昼と夜、二つの顔を持っている。
大勢の人が行き交う活気ある昼間は、オレ達人間の町と変わらない光景だけど、夜行性の獣人が活動する夜中は、わずかな灯りの中に静かな動きが息づいている。フクロウの家族が木の上の家で食事をしていたり、散歩をする黒猫の眼だけが光っていたり。もちろん、彼ら向けの店もいくつかやっている。でも獣人は火を嫌うから、明かりは最小限の炎しかない。昼と比べたら光も音も人口も多くはないけど、オレ達には見えない彼らの生活は、闇の中で確かに存在していた。
そんなわけで、夜道を灯りを持って歩いていくオレ達は、かなり目立った。夜目が利かないのに夜動くのは、自然界では危険というより無謀だろう。
「さぁ、どうぞ」
灯りを持たずにまっすぐ進んでいった占い師は、王宮のとなりの質素な小屋にオレ達を招き入れた。ここまでの道中、名前もどこへ行くのかも何も話さないから、オレ達も聞くに聞けないままついていくしかなかった。まぁ、このメンツだったら、多少の危険は大丈夫だろうと思っていたけど。
「申し遅れました。わたしの名前はコト、この王都で占い師をしています」
初めてフードを取った顔は透明かと思うくらい白くて、目を閉じていた。あぁ、だから暗闇でも平気だったのか……。
「そういえば、聞いたことがある。幻の獣種白ヘビは、未来を見通すことができると」
「未来と言っても近い将来だけですよ、ボールド殿」
「俺を知っているのか?」
「みなさん、存じ上げています。すべてではありませんが」
すべてではない、って言ったとき、後ろにいたオレとシオンの方を見た気がした。もしかしたら獣人以外は専門外なのかもしれないし、目を閉じているんだから思い過ごしだったかな。
「へっ、占いなんて、うさんくせぇ。だいたい、そんなのでなんでもわかるんだったら、伝説の至宝でも見つけてみろってんだ」
勝手にイスに座って、リトルが挑発するように吐き捨てた。それを聞いても、コトの柔らかい表情は動かなかった。
「“蒼穹の涙”は神が作られたもの、わたしの力などでは視ることも及びません」
「ほらみろ。やっぱりわからないじゃねぇか」
「ですが、その存在はすでに世に現れています。そしてもうすぐ、それによる影響が出るでしょう」
静かな話し方なのに説得力があって、みんな押し黙ってしまった。コトの力が本物で、直接視ることはできなくても、まわりの変化は感じられるっていうなら、少なくとも“蒼穹の涙”は実在しているっていうことなのか。歴史上に何度も登場して、あらゆる種族がそれを手にするために争ってきて、それなのに誰もはっきりとした正体を知らない伝説の至宝……。
「それよりも、今はお友達を助けなければなりません」
いつの間にか机の上に置いた水晶玉に手をかざして、コトが思案の沈黙を破った。彼(彼女?)は何もしていないのに、神秘的な雰囲気と穏やかなのに力のある言葉のせいなんだろうか、どうも夢と現実がわからなくなるような錯覚を感じる。
「助ける……ってことは、やっぱりカームは誘拐事件に巻き込まれているのか?」
「そうです。彼を含めて何十人もの獣人、そして人間が、暗い地下室に閉じ込められています」
「やはり、人間も……?」
「どこだ? カームはどこにいる? あいつは無事なんだろうな!?」
さっきまで疑って警戒していたリトルが、イスを蹴ってコトに詰め寄った。机の水晶玉まで割りそうな勢いだったから、ボールドさんがあわてて止めた。
「落ちつけ、リトル。これからそいつを教えてもらうんだろう」
「放してくれ、ボー兄。ダチが危ないメに遭ってるって時に、落ちついてなんかいられるかよ!」
「あなたの友を思う気持ちは、種族や地域に縛られない、新しい時代を拓く礎となるでしょう」
「ワケのわからねぇこと言ってないで、さっさとカームの居場所を教えやがれ!」
ますます怒ったリトルが力任せにイスを叩き壊しても、コトはのんきなことを言って涼しい顔をしている。今のこの状態じゃ、リトルが怒るのも無理はないか。穏やかさもここまでくれば、場の空気を読むなんてこともあったもんじゃない。
「焦らなくても、彼らはもうしばらくは無事です。中にはいずれ解放される者もいますが……しかしあなたの友達には、危険が迫っているようです」
「無事なのかヤバいのか、どっちなんだよ」
そろそろサンも、イライラしてきたみたいだ。まぁ占いなんてものは、当たっていてもいなくても、はっきり具体的に言わないで曖昧に表現するものだ。
「すでに解放された子供もいるらしいが、犯人の目的は何なんだ?」
「人の心を読むことまではできないので、それはわかりません。ただ、今ならあなた達は友達を助けることができます。そして、その先にある大きな悲劇も」
大きな悲劇……? それが何かを訊く前に、コトが淡く光る水晶玉をのぞき込むようにして話を続けた。
「彼らは崖の上にある白い建物の地下にいます。その下に森が広がっているので、遠くではないですが、この国でもありません」
「そいつはもしかして、あの施設跡じゃないのか?」
「よし、そこへ行ってみるぞ!」
リトルとサンは、言うが早いか、すぐに飛び出していった。ボールドさんはやれやれと肩をすくめて、コトに礼を言ってから出ていった。
「……あなたは、なんのために現界へ?」
最後に行こうとしたオレ達を、コトが呼び止めた。オレが何かと思ってふり返ったら、シオンが険しい顔で足を止めた。
「あなたの後ろにある、大きな尊い光の意志なのですか?」
「……なんのことか、わからんな。わしはただの、しがない妖精だ」
なんだかピリピリする空気の中で一人わからないオレは、シオンの後ろをふり返ったけど、ろうそくのかすかな光しかなかった。
「フィリガー殿」
「え?」
「境界を超えて他種族とのつながりを持つあなたは、他の誰にもない可能性を秘めています。だからこそ、あなた達の未来を視てみたくなりました」
あー、やっぱり変装しているの、バレてたのか。
「ですが、あなたの未来は、なぜかわたしにも視えません。こんなことは初めてです……もしも、あなたがシオン殿と出会ったことに意味があるなら、彼が導いてくれるのかもしれません」
いきなり話を振られて、なんて答えたらいいのかわなからなかった。シオンが導く? こないだ森で迷ったときには、なんの役にも立たなかったぞ。
「おい、フィリガー! 何しているんだ、急げ!」
「あ、いま行く!」
コトは黙ってうなずいてオレ達を見送った。予言めいた不思議な言葉の意味はわからなかったけど、せめてお先真っ暗って意味じゃないことを願うよ。
ガティスの街の近くにあった例の施設跡が怪しいってことで、オレ達はすぐにそこへ向かった。獣人は走るのが早いから、オレだけついていくのに必死だ。ボールドさんの変装帽子では外見や匂いが変わるだけで、中身までは変わらないらしい。オレが転がりそうになりながら、とにかく遅れないように一心不乱に走っている横で、シオンは意外にもすばしっこい……というより、飛んでるんじゃないかと思うくらい軽々と進んでいた。
「ここだな」
森を抜けて、人間の目につかないように町を通らずに崖ぞいに迂回して、ようやく白い館の前まで来た。王都から夜どおしぶっ通しの全力疾走で、着いたときにはオレはもう息も絶え絶えでへたばりそうだった。それなのに、リトルが確認するまでもなく、やっぱり待ち構えていた守衛の覆面黒服たちが、さっそく剣を抜きつらねてくれた。
「二十人か。ずいぶん援軍を呼んできたようだな」
俊足のボールドさんにとっては、ほとんど歩いたのと変わらない速度だったらしい。息ひとつ乱すことなく、上着に隠したサバイバルナイフを取り出した。サンは鋭い爪と牙、リトルは鋼鉄の蹄がついた拳が武器だから、構えただけで戦闘準備万端だ。もちろんシオンは、しっかり後ろにさがっている。
「『無音のフィル』には気を付けろ。獣人どもは生きたまま捕らえるんだ」
光栄にも一番警戒されているオレが、じつは一番……というか一人で死にそうになっている。でもわざわざご指名してくれるっていうから、仕方なく刀の鞘をはらった。
「いくぞ!」
誰の合図だったのか、みんないっせいに飛び出した。つっ立ったままのオレ一人にご丁寧にも七人も殺到してきたけど、この際少しでも動かなくていいなら相手をしてやろう。
数歩前に出ただけで、まず一人目の一撃を受け止めて、二人目を引きつけてからはじき飛ばしたら、そいつごと後ろに倒れた。それにつまずきかけた別のヤツを突きで吹っ飛ばして、前のめりの体勢のまま右から来たヤツを横なぎに払った。
「まずは半分」
戦場じゃ大勢に囲まれることなんてザラだし、疲れていようとケガをしようと待ってはくれない。でもそういうときの戦い方なんていくらでもあるし、オレはそんな状況をいくつも切り抜けてきた。自慢じゃないけど、オレを数で潰すつもりなら、せめて百人は用意してもらわないと無理だよ。
「くそっ、こいつら……!」
どうやらこの覆面黒服たち、特に今回の人数をまとめているヤツは、中途半端に戦い慣れしているらしい。一人に三,四人(オレだけ特別サービスの七人)で多方向から同時に攻めるっていうのは、確かに常套手段だ。一人ひとりの動きや剣術も、一般的な傭兵としては充分に及第点だろう。
でもそれは、相手との力の差が少ないときに有効な作戦であって、個人の力なんてあくまで人間同士の中での強さだ。獣人相手に剣だけで挑もうなんてナメてかかるようじゃ、先の戦争でも前線には出ていなかったことはすぐにわかる。そしてもう一つ、彼らの力を甘く見すぎたな。
「どけぇーッ!」
スジ金入りの元軍人と、王族に次ぐ上位の肉食獣と、それをあっさり負かした腕っぷしの羊なんて、気の毒だけど相手が悪すぎた。人数が多いぶん、かえってボールドさんの俊足に翻弄されて、その隙にサンが牙を剥いて片っ端から飛びかかる。リトルの暴れっぷりは凄まじいもんで、一人を徹底的にぶっ飛ばしては、次を求めて突っ込んいく。……もしかして、足を狙って動きを止めているだけのオレが一番良心的かもしれない。敵もそう思ったのか、ますますこっちに標的を変えるヤツが出てきたみたいで、四人倒したのに、いつの間にか六人も増えている。
「あー、もう面倒くさいから、まとめて来てくれ」
あの三人みたいに派手に動きまわるほど、オレは元気じゃないんだよ。さらに体力を使わないで一気に相手をできる戦法に切り替えて刀の刃を返した。
「おい、さっさと突破するんだから、手加減なんかするなよ!」
「オレはいつでも本気でやってるって」
……全力でもないけど。
「オレ達をナメるな!」
リトルが余計なことを言うから、敵まで怒ったじゃないか。こうなったら早く終わらせないと、どっちからもブーイングがきてしまう。
仕方なく予定を変更して、こっちから仕掛けた。目前でしゃがんで、視界から消えたオレを見つける前に足元から斬り上げる。その立ち上がった勢いでとなりのヤツに振り下ろして、後ろと右から迫ってきた剣を転がってよけた。そこを狙ってきたヤツと打ち合いながら少しずつ後ろにさがって、さっきの二人が来たのを確認してから跳躍した。
「後ろだ!」
他の誰かが叫んだ時には、三人とも後頭部をやられて意識がなかっただろうな。これであと何人だっけ? 調子にのって跳んだりなんかしたから、もう足がつりそうだ。
「刃を返して斬りこまないことで、次への動作をすばやくして、数の差を殺す戦法か」
オレの一撃をすんでのところで受け止めた男が、初めてまともにしゃべった。たぶんこいつがこの中の隊長なんだろう。
「しかもこいつの弱点である威力の低下は、確実に急所を撃つことで補っている」
「よく見ているな」
「実際に見るのは初めてだが、『無音のフィル』の戦い方は少佐から聞いている」
少佐? それがこの事件の黒幕なのか? オレを知って……まさか。
「貴様はオレ達と同じ、いわばこちら側の人間だろう。なぜ獣人どもに交じって邪魔をするのだ!?」
「オレは、あいつらの友達なんだ。それにいきなりケンカ売ってきたのは、そもそもそっちじゃないか」
「ここに近づく者を撃退するのが、オレ達の仕事だ」
「オレ達も、ここにいるはずの知り合いを見つけるまでは退けないな」
お互いに、話し合いで解決するなんて初めから思っていない。拮抗していた刃をはじいて、次にぶつかったときには、男は折れた剣とともに地面に倒れた。
「これで全部か?」
オレが刀を収めたころには、向こうも終わっていた。細かい傷はあっても、みんな元気みたいだ。獣人たちを相手にした黒服たちは、たぶん生きているだろうけど、ほとんどが血まみれの哀れな格好で転がっている。
「何をぐずぐずしておるのだ。早く行くぞ」
ずっと隠れていたはずのシオンは、オレ達がドンパチやっている間に落とし穴や吹き矢の罠を解除して、もう門をくぐっていた。無事だったから別にいいけどさぁ、なんか気が抜けるのはきっとオレだけじゃないはずだ。
「……急ぐか」
サンがつぶやいた横で、リトルがあくびをして、ボールドさんは肩をすくめた。カームには申し訳ないけど、この時だけは、全然急ぐ気にならなかった。