第1章(4) ようこそ、俺たちの都へ
ガティスの街に戻ったオレ達は、二階が旅籠になっている料理屋に入った。ここの卵ご飯はこの辺でちょっと名の知れた一品で、オレも戦争中にこの街に立ち寄った時、よく食べていた。
「俺はベジタリアンだから、サラダだけでいい」
できるだけ人の少ない奥のテーブルに座って、ウェイトレスがいなくなってからも、男は帽子をとらなかった。といっても、別に目深にかぶって怪しく顔を隠しているわけじゃないし、二メートルを越えそうな長身もめずらしいだけで、あり得ないサイズでもない。
「自己紹介が遅れたな。俺はボールド、馬の獣人だ」
最後の言葉こそ声をひそめて言ったけど、あとはしゃべり方といい態度といい、まったく普通にしていた。むしろ、戦争が終わった反動で無気力になって酔いつぶれているあそこのおっさん達より、ずっと人間らしい。
「お前さんはフィリガー=フェルセンだろう?」
「リトルあたりの知り合いか?」
「それもあるが、俺はこう見えて元軍人でな。動く隙を与えずに敵を沈黙させる『無音のフィル』の名は、戦争に出ていたら知らない者はいない」
どこにいても、いつまでたってもついてまわるこの汚名を、敵だったはずのボールドさんは恨みも嫌悪もなく言った。
「まぁ、あの事件で戦場から消えたお前さんなら、昔の話をされてもうれしくないだろうから、これ以上はやめよう」
「……あんた、何者だ?」
「今は情報屋をやっている。俺は脚と耳がいいからな」
なるほど。オレも戦場じゃ、力押しの肉食獣より、こういう手合いの方が苦労したのを覚えているよ。
「しかし、そっちのチビは……この俺も見たことのない人種だな」
情報通のボールドさんをもうならせるシオンの正体は、オレも知りたい。
「それはそうであろう。わしは人間ではない、妖精だ。覚えておけ、馬よ」
「ほう、これが妖精ってヤツか。なんだ? 後ろにチャックでもついているのか?」
「わしは着ぐるみではない!」
「ハッハッハ! 元気なチビだな」
おぉ、あのシオンのドツキをかわした! ……というか、あまりに背が高くて届かなかったというべきか。シオンを子ども扱いして笑うボールドさんを、オレはつい尊敬のまなざしで見てしまった。オレも十年後には、こんなカッコいいダンディなおじさんになりたいなぁ。……うーん、でもそれまでシオンにいじられるのは、やっぱり勘弁してほしい。
「それでボールドさん、あんたもリトルから頼まれたのか?」
「本来なら依頼人については明かせないんだが、お前さんも同じ依頼みたいだからいいか。……そうだ、あいつの仲間のカームがここ数日姿を見せなくなって、連絡もつかないらしい」
肉こそ食べないものの、ボールドさんは真っ昼間からビールをジョッキで飲み干した。
「リトルはぶっきらぼうに見えて、仲間のことを誰よりも考えている。いや、失うのを恐れているのかもしれないな」
「あやつの生まれと、関係があるのか?」
「おう、ちっこいの、いいところをついてるな」
「わしの名はシオンだ!」
「あいつは知ってのとおり、山羊と羊のハーフだ。だがお前さんら人間には想像できないくらい、俺たち獣人の間じゃ、違う獣種間での子供っていうのは禁忌なんだよ。忌み子、呪われた存在、悪魔……結婚まではまだ黙認されても、その子供となると、そりゃひどい迫害を受けるものだ」
「何がそんなにいけないんだ?」
「階級さ。肉食獣の頂点に立つライオン一族をはじめ、熊、虎、狼なんかが上流階級で、キツネや猫なんかになると、ほとんど草食獣と違いはない。今じゃ戦争の前に比べたら階級もゆるくなったもんだが、それでもハーフはやはり白眼視されることが多いな」
あぁ、だからリトルは一人で町から離れて住んでいるのか。差別が激しい中でも、それを気にしない一部の変わり者がサンであり、カームであり、このボールドさんであった、と。……もしかして、オレも?
「お前さんも、人間の中じゃ、かなり変わり者だって言われないか?」
「お主、よくわかっておるではないか」
「……」
シオンの即答にも反論したいところなのに、もうどうでもいいと思ってしまうのは、断じて認めているわけじゃないぞ。けっして面倒だからというわけでもなく……そう、強いて言えば、話をこじらせたくないという大人の判断なんだ。うん。
「おっと、話を元に戻すが、とにかく俺はリトルの酒飲み仲間として、調査に協力してやっているってわけだ」
「オレも友人として、頼まれたからには放っておけないな」
ふわふわ卵のオムレツをほお張りながら、オレもうなずいた。窓を破壊してまで依頼を持ってきた忠実な白カラスは、サンの使いだったらしい。さっきのボールドさんの話でいけば、サンは人間でいう貴族クラスの階級みたいだけど、あの性格で、あの同居人からの扱いじゃ、むしろ気の毒にしか見えない。
「そっちは何かわかったのかい?」
「具体的なことは何も。ただ、あの施設跡に獣人が出入りしていて、人間も絡んでいるみたいだってことはわかった。それにカームが関係しているのかは、まだわからないけど」
「俺とは逆の線だな。こっちはカームを探しているうちに、人間の行方不明者も何人かいることがわかって、そこから追っているうちにあの建物に行き着いたんだ」
「人間も行方不明に?」
わからないな。人間が獣人を捕らえているとばかり思っていたけど、逆に獣人が誘拐しているのか? いや、それならカームとは別の事件ってことになるし……。
「一度リトル達と合流して、向こうの情報と照らし合わせた方がいいな。あいつらはこっちに出てくるわけにはいかないから、森の中を探しているはずだ」
どんなにケンカが強くても、上流階級でも、違う種族の町に行くのは、戦争が終わって六年がたった今でも自殺行為だろう。オレが個人的にリトル達に会うだけで、当の本人たちからまで『変わり者』って言われるくらいなんだから。
「ところで、ずっと気になっておったのだが、ボールドとやら、お主はよく人間の町に来られたの。まったく馬にも、獣人にさえ見えぬが」
オレも不思議に思っていたことをシオンが訊くと、ボールドさんはニヤリと笑った。
「へへ、ちょっとした商売道具を使っているのさ」
「……あ、もしかして、これがあの変装術なのか?」
ボールドさんは、自分の正体を名乗ったときより慎重にうなずいた。
なんでもスパイ用に考え出されたっていうこの変装術は、人間に化けるなら外見を、獣人に化けるなら匂いを変える擬似魔法で、さすがに水の中で暮らす水人には対応できないらしい。開発された直後に戦争が終わったから、利用されることもないまま下火になったって聞いていたけど、今ごろこんなところで使ってるヤツがいたなんてな。
「ほう、現界でも魔法を使うのか」
「特殊な鉱石から取り出したエネルギーを、特定の物質を媒介にして発現させる擬似魔法だよ。鉱石の数が少ないし加工もむずかしいから、実用的じゃないけどな」
「ちなみに俺の媒介は、この帽子だ」
てっきり耳でも隠しているのかと思っていた緑のハンチング帽が、変装のタネだったとはなぁ。疑似魔法はオレも初めて見た。
「さて、お前さんらは、これからどうするんだ?」 「あの施設跡と黒服のヤツらが怪しいとは思うんだけど、とりあえず手がかりなしで行き詰まったな」
「だったら俺と一緒に来るか? 王都でリトル達と落ち合う予定なんだが」
「王都って、獣人の? それは、いくらなんでも……」
「俺は森に戻ったら、もうこの帽子は必要ない」
ボールドさんは帽子のふちをちょっと持ち上げて、馬のように豪快に笑った。
大陸各地の森に住む獣人たちの王都フォルトは、大森林の真ん中にある。地図の上ではどのあたりなのかわかっていても、実際には獣人の鋭い嗅覚と方向感覚がないと生きては帰れない、深くて複雑な森だ。
「ようこそ、俺たちの都へ」
今は長いポニーテールに小さい耳のボールドさんが、たぶんここ数百年の中で唯一の人間客だろうオレを案内して、小声で歓迎してくれた。
「だ、大丈夫かな?」
オレは帽子からはみ出たウサギ耳をさわりながらドキドキだった。自分じゃわからないけど、匂いもしっかり兎になっているらしい。
「なーに、どこからどう見ても立派な獣人だ!」
「ふむ、なかなか似合っておるぞ」
どんっと背中を叩いて笑うボールドさんの横で、シオンはいつものままだった。こいつの匂いは複雑で、不思議に思うヤツはいても、まず人間とは思われないから、変装しなくてもいいんだとか。
「チビは見た目も、ちょうど犬の子供に似ているしな」
「わしを犬っころと一緒にするな!」
そうそう、犬はもっとかわいいって。
「っ痛ー……!」
う、兎になっても立場は同じなのか……。
「しかし、さすがは王都といったところかのう」
帽子の上から頭を押さえるオレを無視して、シオンは何事もなかったように感心していた。
それも無理はないか。『緑の地』を意味する獣人の都フォルトは、さっきの地方都市ガティスなんか比べ物にならないくらい、壮大で立派なところだ。獣人は機械を使わないけど、人間の何倍もある力でくりぬいたでっかい一枚岩の家なんていうのもあるし、先が見えないくらい高い尖塔は鳥か猿が作ったのかな。町の中を流れる川には橋がほとんどないのには参ったけど(ほとんどの獣種はこれくらいは跳び越えるらしい)、渡し舟も風情があっていい。にぎやかな店や行き交う人で溢れていても、自然の中にそのまま生きている調和は、まさに森の都の名のとおりだった。
「正直、獣人の文化がここまですごいとは思わなかったよ」
「まぁな。人間とは方向性が違うから、どっちがいいってわけでもないが」
人間も獣人も水人も、お互いに交流をもって理解し合えたら、もっと発展できるのにな。みんな、今もまだ他種族を疑い、恐れて、信用できないでいる。まだ戦争の傷痕を引きずっているんだ。
「そういえば、オレ達は“蒼穹の涙”はこの王都にあると思っていたんだけど」
「いいや、あの至宝は水人が隠していたんだろう?」
「やっぱり、誰も知らないんだな」
どこにあるのか、どんなものなのかもはっきりわからないまま、戦争は規模も地域も拡大する一方で、何百年も続いたころには当初の目的を忘れているヤツまでいたくらいだ。どんな願いも叶える、無限の可能性を持つという“蒼穹の涙”は、今もどこか人目につかないところに隠されているんだろうか。
「もし誰かが持っているなら、戦争ももっと早くに終わらせてくれたらよかったのにな」
「あの、四年前の妖精エリンのようにか?」
大昔の大戦を終わらせた英雄の話は、伝説の至宝とともに、それこそ種族を超えて語られている。あの時も“蒼穹の涙”を巡って種族間で大戦争になったけど、たった一人の妖精が戦いを収めたことで有名だ。六年前のオレ達の戦争は、戦災やら自然災害やらで、結局は戦争を続けることさえできない状態になってしまった。
「ん? シオン、気分が悪いのか?」
「……いや、なんでもない」
オレ達が話しているのを後ろで黙って聞いていたシオンは、眉間にシワ寄せていた。腹でも痛いんじゃないのかな。
「で、ボールドさん、リトル達はどこにいるんだ?」
「昨日のうちに知らせを出しておいたから、先に来て待っているはずだ」
あの白カラスを使って連絡した待ち合わせ場所は、町はずれの公園だった。てっきり酒場かと思っていたけど、犬の子供役のシオンを連れていくわけにもいかないし、リトルがあまり人目の多いところに出ないですむようにっていう、ボールドさんの配慮だった。
「ボー兄!」
夕方の公園には、ネズミとリスの子供たちが走りまわっている他は、みんな帰り始めていて、ベンチにいたリトルとサンはすぐに見つかった。
「待たせたな。連絡したとおり、お前らの知り合いだっていう二人を連れてきたぞ」
「うわぁ、うまそうな兎……」
「く、喰うなよ!」
よだれを飲み込むサンを警戒しながら、オレはボールドさんの影に隠れるようにベンチに座った。もしかして、ここへ来るまでにも視線を感じた気がしたのも、肉食獣人からの熱いラブコールだったんだろうか。ボールドさんみたいに大柄で脚が速いと平気なんだろうけど、小型の草食獣は日常生活からして大変だ。オレ、人間の中じゃ長身な方だし、激戦も生き抜いてきたのに、今はリアルに命の危機を感じるよ。
「フィリガー、手伝ってもらってすまないな」
「いや、オレもまだ手がかりらしい手がかりはつかめていないんだ」
オレが調べた例の施設跡と黒覆面の集団の話をして、ボールドさんもそこに行き当たった一連の誘拐事件の説明をした。
「こっちでも、カームの他にも、行方不明になった獣人が何人もいたぞ」
「東の村じゃ、数日前に誘拐されたっていう猫のガキが帰ってきたんだけど、人間にさらわれたって話していたぜ」
サンはおとといからこの王都で、リトルはいくつかの村をまわって調べた結果を報告した。やっぱり、人間が獣人を誘拐しているっていう線は間違いなさそうだ。
「それにしても、その子供はどうやって助かったんだ?」
「ずっとうす暗い部屋で人間に殴られていたけど、あるとき突然、外に放り出されたそうだ。しばらく目隠しをして運ばれたから、かなり遠いところってことだけで、場所はわからなかった」
「クサいな、その話」
身代金なんかの利用価値がなかった、標的が変わった、あるいは何かの目的でわざと逃がした? もし、そうだとしたら……。
「馬、金をよこせ」
せっかく核心を突く推理ができそうだったのに、さっきから姿が見えないと思っていたシオンが、戻ってくるなりボールドさんにたかった。
「どうしたチビ、腹へったのか?」
「わしを子供扱いするな!」 どんなに怒っても、ボールドさんには届かない。「あやつが占いをすると言うのだ。おもしろそうだから、占い料よこせ」
オレ達が真面目な話をしているって時に、こいつは辻占なんかをのぞいていたのか。しかも悪びれるどころか横柄な態度で金をせびって、まったく、なんてタチの悪い子供なんだ。
「占い料はいりません」
いつの間にか、オレ達の誰も気づかないうちに、すぐ背後に占い師が立っていた。淡い紫のローブには見たことのない模様だか記号だかがぎっしり描かれている。薄い布で顔を隠しているから表情はわからないけど、神秘的っていうより不気味っていうのが第一印象だ。
「お前、誰だ……?」
「わたしは見てのとおり、占い師です。とても興味深い運命をお持ちの方々……ささやかながら、お力になってさしあげましょう」
男か女かもわからない声は、小さくささやいているだけなのに、なぜか有無を言わさない力があった。返事を待たずにきびすを返して歩きだしたけど、オレ達は顔を見合わせながらも何も言えずに、さっさと付いていったシオンを追いかけるように後に従った。