第1章(3) ……昔の話はやめてくれ
今日は朝から釣りの準備をしていた。竿はちょっと長めのよくしなる竹で、糸は頑丈な強力タコ糸、そしてなんと言っても革靴も縫えるデカ太い針! これで今度こそ昼ごはんを釣り上げてやるぞ。
「たまに思うのだが、お主、狙ってボケておるのではないのか?」
オレの自信満々とっておきの道具をしげしげと眺めながら、シオンはなぜかあきれた顔だった。
「これのどこがボケだよ。こないだよりバージョンアップしたんだぞ」
「……お主、方向音痴なだけでなく、釣りもド素人なのだな」
「釣りと方向音痴は関係ないだろ」
言い返してみたものの、おととい森で危うく遭難しそうになったのは事実だ。さんざんシオンにドツきまわされながら、どうにか森を抜けた時には、もう朝も間近だった。獣人みたいな方向感覚があるはずもなく、ましてシオンに期待しようなんて甘い希望も捨てて、よく生きて帰ってこられたもんだよ。
「フィリガー、鳥が来ておるぞ。窓を開けろと言っておる」
「そりゃ鳥もいるさ。オレは鳥より魚を釣りに行ってくるからな」
「開けぬならこちらから開ける、と」
「わかった、わかった。明日は焼き鳥にしてやるから」――パリーンッ!
いきなりかん高い音が耳に飛び込んできた。びっくりしてふり返ったら、窓ガラスが粉々に吹っ飛んでいた。
「な、なんだ!? 強盗か? 敵襲か?」
「だから、鳥だと言っておるだろう」
シオンの肩には、確かにカラスを白くしたみたいな鳥が止まっていた。翼を広げて威嚇しながら、恐ろしくこっちをにらんでいる。
「あー……やっぱり明日は焼き豚がいい、かな」
ちっこい妖精もどきだけでなく、鳥にまで屈したオレは、最近ヒトとしての誇りも威厳もなくしている気がする。
「豚はどうでもいいが、伝言があるそうだ」
「誰から? ……っていうか、お前、鳥の言葉がわかるのかよ」
「この前の獣人からのようだな。『カームが帰ってこない。人間に捕まった可能性があるから調べてほしい。オレ達は森を探してみる。』……だそうだ」
「カームって、確か鳥の獣人って言っていたよな」
あの時、出かけているとかでいなかったヤツだ。リトルの友人が行方不明っていうのは放っておけないな。何より、人間に捕まっていたりなんかしたら、また戦争になりかねない。それだけは絶対に阻止しないと。
「よし、オレは調べに行くから、お前はここで待って……」
「わしがいないと、リトル達と連絡がとれんぞ」
「……それもそうだな」
こいつを町に連れていくのは厄介な気がするけど、この際仕方がない。シオンが鳥と話せなかったら、どうするつもりだったんだ? という疑問は、この件が片付いたら、またゆっくりリトルの家でお茶をしながら聞いてやろう。
せっかく用意したばかりの釣竿の代わりに、愛用の刀を鞘ごとつかんで、久しぶりに街へと向かった。
丘の下にある田舎町からもう少し足を伸ばして、この地域で一番大きな街ガティスにやって来た。さすがに大陸中央の大都会にはかなわないけど、情報を集めるにはここで充分だ。
「どこからこれほど人間がわいて出てくるのだ? ほう、これはまた大きな家だな。でっかい巨人が住んでおるのか?」
「あんまり騒ぐなって……!」
シオンはキョロキョロと大はしゃぎだった。肩にはあの白いカラスを乗せて、目立つことこの上ない。まさか妖精だなんて誰も思わないだろうけど、オレとどういう組み合わせと思われてるのか、人の目が気になって仕方がない。
「あれは時計塔だよ。昔は物見櫓だったのを、最近になって改装したんだな」
「ここも戦争があったのか。今はごく平和に見えるが」
「激戦の地域はこのガティスの街が最南端だな。街はずれの要塞が食い止めていたんだ」
獣人の猛攻を――ってことはあえて言わなかった。今はそれをくり返さないためにも、やらなければならないことがある。
「ところで調べるといって、具体的にはどうするのだ?」
「その道の知り合いに聞いてみるのさ」
まさか、また昔の連中の世話になるなんてな。でも、世間から離れていたオレには、すぐに人を探す手立てが他にない。
「いらっしゃ……うわぉ、フィルじゃないか!」
裏通りにある場末の酒場に入るなり、カウンターで暇そうにタバコを吸っていたマスターが叫んだ。
「ずいぶん久しぶりだな。十年ぶりくらいだっけ?」
「六年だよ」
最後に見た時よりさらに髪が薄くなったマスターは、久しぶりでも相変わらず陽気に話しかけてきた。他に客がいなかったからいいものの、オレの本音としては、昔の知り合いに会ってもいい思いはしない。
「お前さんがここへ来るってことは、また戦争が始まるのかい?」
「人を疫病神みたいに言わないでくれ。今日はただの人探しだ」
こう見えて、マスターはこの地域をまとめる情報屋だ。六年たっても同じように酒場があったから、戦争が終わってからもまだ裏の仕事が続いていると踏んで正解だった。
「人、って言っても、ちょっとワケありなんだけど」 マスターの反応を観察しながら、声をひそめた。「じつは、獣人を探しているんだ」
「やっぱり戦争だな!」
「しっ……!」
この寂れた店を見る限り、酒場として繁盛しているとは思えない。マスターとは古い仲だし、戦争があった方が儲かる裏の事情はわかっていても、こればっかりは賛成できない。
「詳しくは言えないけど、知り合いが獣人を探しているっていうんで、オレは協力しているだけなんだ」
「おーけー、大丈夫だって。腐っても情報屋、客の事情にとやかく口を出したりはしないさ」
彼の場合、口は堅くても好奇心で首を突っ込んでくることがあるから、うまくごまかして丸め込むに限る。この業界の人間のくせに、知り合いの言うことは結構簡単に信じるところがあるから、それでも信憑性の高い情報をどうやって仕入れてくるのか、昔から不思議だ。
「獣人ねぇ……そのテの情報はなくもないんだが、昨日仕入れたばかりっていうのと、ちぃっとデマくさいっていうので、裏はとっていないんだ」
「なんでもいいんだ、とりあえず教えてくれ」
「そこまで言うなら構わんが、確証はないぞ」
マスターはタバコを置いて、本職の顔に戻った。
「街の北門を出て、街道を右に折れた先に、大きな廃屋があるのは知っているか?」
「あぁ、聞いたことがある。獣人や水人を収容していた施設だっけ」
「そうだ。戦争が終わってからは、軍も放置したままだった。……ところが、だ。数日前から、そこに出入りしているらしい人影が目撃されているんだ」
「じゃぁ、またあそこに獣人を閉じ込めているのか?」
「いいや、単純にそうとも言えない。いかにも軍人らしい人間がいたっていう目撃情報の他に、獣人が出てきたところを見たっていう話もある」
「つまり……?」
「つまり、目撃者が旅人とモウロクじいさんと子供ってことで、どれも出どこからして胡散臭いってことだ」
うーん、確かに……これはちょっと鵜呑みにはできない情報だな。場所的には充分クサいところだけど、いったいどの種族が何をしているのか、さっぱりわからない。
「とにかくそこへ行ってみるよ。目的の手がかりくらい、もしかしたらあるかもしれないからな」
情報料を置いて、めずらしくおとなしかったシオンをうながして立ち上がったら、マスターが新しいタバコに火をつけて笑った。
「しかしナニだね。かつて戦場を震え上がらせた『無音のフィル』が子連れで人探しだなんて、世も平和になったもんだ」
「……昔の話はやめてくれ」
ついでに、こんな似ても似つかない妖精もどきが子供なわけないだろう。……ってことはこの際言わずに、足早に店を出た。
ガティスの時計塔のてっぺんからなら見える崖沿いの一角に、白い館がひっそりと建っていた。百年近くの間、捕虜の獣人や水人をここで監禁したり拷問したりしたっていう、いろんな黒い噂の絶えない施設だ。使われなくなってから六年でも、すでにその前からボロボロで、最近じゃ子供の肝試しに人気の場所らしい。その中の一人が見たっていうのが……。
「この足跡、か」
館のまわりの地面をよく見たら、大きな足跡がいくつかわかった。獣人の足跡に見えなくもないけど、乾いた砂じゃはっきりとは区別できない。
「シオン、どう思う?」
「何者かの出入りがあるのは間違いないようだな。この鳥も、数種類の匂いが混じっていると言っておる」
「よし、中も調べてみるか」
オレが壊れた門をくぐったのと、白カラスが鳴いたのと、警報装置が作動したのと、全部が同時だった。次の瞬間には地面がぽっかり開いて、とっさに後ろに跳んだはいいけど、どこからともなく現れた五人の覆面黒服に囲まれていた。
「貴様ら、ここで何をしている」
「ちょっと肝試しだよ」
「ここは私有地だ。関係者以外が近づくと、痛い目を見るぞ」
痛い目、ね。後ろをちらっと見たら、穴の底には腕よりごっつい針の山が光っていた。
「ここは軍の施設だったはずだけど、誰の私有地になったんだ?」
「貴様に答える義務はない。さっさと立ち去れ」
「獣人が出入りしているところを人間が守っているなんて、おかしな話だなぁ」
「……ッ!」
試しにカマをかけてみたら、覆面黒服の一団はいっせいに殺気立った。全員がそろいの剣……ふぅん、どうも流れ者じゃなくて、れっきとした私設部隊みたいだな。
「怪しい侵入者は斬り捨ててもいいと、許可が出ているんだぞ」
「シオン、さがっていろ」
「お主、一人で大丈夫なのか?」
そっちこそ充分に怪しい覆面たちは、ばらばらと散って剣を構えた。オレも刀の柄に手を伸ばした。
「ま、なんとかなるさ」
数で負けている時は、とにかく先手必勝。黒服たちが位置をとったり剣を構えたりなんて悠長なことをしている間に、こっちから飛び込んでいった。二人を立て続けに蹴り飛ばして、やっと動いた三人目の剣をかわしながらオレも刀を抜いて、背後にまわり込んだ四人目と一緒に一撃ずつで斬り伏せた。
「なっ……!?」
残った一人は、攻撃に出るべきか退くべきか、迷いながら固まっていた。やれやれ、数でおすなら同時に攻めないと意味がないって。
「そ、その速さ、黒い刀……まさか貴様があの『無音のフィル』なのか!?」
「だから、その呼び方はやめてくれって言っているだろ」
昔を思い出すから、オレを知っているヤツには会いたくなかったんだよ。でも、そうだよな……オレが忘れようとしているだけで、何が変わったわけでもなく、過去は動かせない。あれは紛れもない事実なんだ。
「くそっ、退却だ!」
もちろん峰打ちにしておいたけど、一人は気絶して一人は起き上がれなかったから、動ける三人がそれぞれを抱えて逃げていった。仲間を見捨てるほどの極悪人じゃぁなかったみたいだな。
「フィリガー、お主、腕が立つだけでなく、ずいぶんと有名なようだの」
「……らしいな」
シオンに知られたくないというより、自分から話したくはない。戦争に行っていたこと、たぶんそれなりに強いこと、名前が知られていること。それ以上のことは、今は、まだ。
「……他にもまだ誰かいるのか?」
刀を鞘に収めようとしたら、草むらで何かが動いた。シオンの肩から白カラスが飛び立つまでもなく、さっきの警備団みたいな殺気がないのはわかっていた。
「待ってくれ、俺は敵じゃない!」
殺気はないけど、軍関係者か? わざと草をガサガサして音をたてるまで、完璧に気配を消していたぞ。両手を上げていても、動きにも隙がない。巧みな隠れ方は、まるでサンみたいに……。
「あんた、獣人なのか?」
「あぁ、まぁな」
オレより頭ひとつ分くらい大きいそいつは、白カラスを肩にとめて、まったく人間と見分けがつかない笑顔でうなずいた。