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蒼穹の涙  作者: chro
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エピローグ

 天高く陽の光をたたえて、蒼穹は抜けるように青く輝いていた。



 人との交わりを避けるように丘の上にぽつんとたたずむ一軒家が、この日はにぎやかな笑い声に包まれていた。ここで長らく独り隠れ住んでいた青年の帰りを待ちかねて、この日、さまざまな地域のさまざまな種族が、朝早くから言い合わせたかのように押しかけてきたのだった。


「ったく、すぐに帰ってくるなんて言ってたくせによ」

「ホントだよ! 僕も一緒に行きたかったのに!」


 早くも酒の入ったリトルが、無理やり座らせた隣に向かって、すでに同じ文句を四回もくり返していた。柔らかいヤギの毛とかわいい羊の角とは裏腹に、にらみつける目は殺気立ってさえいる。向かい側からは、最近少し背が延びたソノラが、水人用(というか子供用)の水をこぼさんばかりに身をのりだして叫んだ。


「ご、ごめん。ちょっといろいろあってさ」


 帰ってくるなり取り囲まれて尋問を受けるハメになったフィリガーは、赤くなった左頬を押さえながら、さっきからひたすら平謝りに謝っていた。


「でもお前、だからって家に入った瞬間にいきなり殴るか?」

「それがダチってもんだ」

「どうして友達やるのに命がけなんだよ……」

「そうだぜ、ダチってのは命を張るもんだ」

「ちょっと意味が違うよ、サン……」


 リトルは悪びれることもなく、さも当然のように言ってのける。狼のくせに羊にドツかれるキャラで収まってしまったサンにまで見当違いに諭されて、フィリガーはもう抗議するのをあきらめた。


「それで結局、何がどうなったんだ?」

「神様には謁見できたんですか!?」


 情報屋としての好奇心に馬耳をそばだたせるボールドが、早く話を聞きたくてうずうずしながら催促した。死神の仕事をサボってきたうつほも、期待に目を輝かせている。


「ふぅ……」


 フィリガーはため息をついて、しばらく目を閉じた。あまりにいろいろなことが起こりすぎて、自分の中で記憶と気持ちを整理しなければならない。自分自身、まだ実感がなかった。

 顔を上げると堰を切ったように、しかし静かにゆっくりと、これまでのことを話した。彼らの協力で天界にたどり着いたこと、捕えられていた同居人を助けたこと、そしてメタトロン神から聞かされた古の悲劇と願い……。しかし“蒼穹の涙”については触れずに、ただ神は死んだとだけ言った。


「天使も神も、もう、いない。だからこれからは、オレ達が未来を作っていかないといけないんだ」


 フィリガーはかぶりを振って、言葉を閉じた。聞いていた者たちは、すぐには信じられなくて呆然としている。そんな中でも、次期学長の野望を燃やしてひとり熱心にペンを走らせていたルーフェンだけは、やるせない気持ちが少し理解できた。


「本当の自由っていうのは、不自由な束縛と紙一重なのかもしれんな。厳しさという点で」

「でも、いろんな可能性が増えたんでしょ。私は楽しみだわ」


 いつも冷静なアマレットは、水人用(というか彼女専用)の紅茶をすすりながら肩をすくめた。制約のせいで見つからなかったかもしれない宝も、努力と運次第でどんどん発見できるかもしれない。無表情のままわくわくする彼女の視線は、隣のきれいな銀髪の女性に同意を求めた。


「これからは天使にも現界人にも、無限の可能性が広がっているわ。死神は仕事が増えるけどね」

「えぇーッ!?」

「翼と魔法はなくなったけど、なかなか骨のある現界人もいるみたいだし、こっちも悪くねぇかもな!」


 さっそく抗議するうつほをよそに、フィーラは小さな水人ににっこり笑った。ニオは自慢の筋肉をうずうずさせて、早くもリトルやサンなどのツワモノ達に目を付けている。


「でも、よかった。天使も一緒に消えなくて」

「あなたとメタトロン神が、消えないようにって願ってくれたからよ」


 一緒に帰ってきた彼らと今もこうして笑い合えることに、フィリガーもメタトロン神の最期の配慮にありがたく思った。しかし、なぜかニオを通り過ぎて二人だけで視線を交わしているのを、まわりが気付かないはずがない。


「『天使も』じゃなくて『彼女が』、だろう?」

「いつの間にか、しっかりこんな美人と仲良くなって、お前も隅に置けないヤツだなぁ」

「いや、その、そうじゃなくて、これは……!」


 ボールドとサンに突っつかれて、フィリガーは顔を赤くしてあわてたが、フィーラはくすくすと笑っているだけなので、ますます言い訳が苦しくなった。


「うんうん、いいねぇ。若いって」 微笑ましく眺めていた中年室長のさごろもが、ふと笑みを消した。「それで、エルヴァは……?」


 揉めていたフィリガー達は、ハッと動きを止めた。今この場にいるべきもう一人、小さな紅髪の姿がない。帰ってきたのは青年と二人の天使だけだった。


「その人って、フィル兄ちゃんが助けにいった友達なんだよね?」

「さっきの話じゃ、無事に助けられたはずじゃなかったのか?」

「シオンは……」


 いぶかる者たちに、フィリガーは答えることができなかった。ニオとフィーラも顔を逸らして目を伏せた。

 神が消えた後、彼ら以外の天使たちは現界で散りぢりになって別れたが、消滅していく天界を最後まで探しても、彼だけは見つからなかった。システム崩壊の時、すぐそばにいたから影響を免れなかったのか。最も守るべき者の一人がいなくなったフィリガーは、帰ってきても友達に再会できても、心から笑うことができなかった。可能性として覚悟はしていたはずなのに、結果的に大事な者を失うことになった決断は、やはり間違っていたのか……


「メシはまだかぁーッ!?」

「……。……え?」


 聞き慣れた怒号が頭上から響いてきて、フィリガーは数秒間頭の中が停止した。それから衝動的に立ち上がり、壁際まで吹っ飛んだイスが壊れたのも気にせず階段を見上げた。

 小さな紅髪の姿が、確かにそこにあった。


「シオン!?」

「何を間の抜けた顔をしておるのだ」

「なんで、お前……」

「……ぷッ!」


 さごろもとフィーラとニオが、我慢できずに同時に吹き出した。一人わけがわからずにぽかんとしているフィリガーに、フィーラが必死に笑いをこらえながら言った。


「あのね、落ちついて聞いてね。エルヴァは私たちよりずっと魔法力が大きいから、力を失う影響も大きかったの。だから先に戻って休んでいたのは、気配で気付いていたんだけど……そこの室長さんがね」

「いやぁ、せっかくだから驚かせてあげようかなぁって。ほら、ドッキリの方が劇的な再会になるし……」

「なるか!」

「なるわけないですよ!」


 フィリガーとうつほから同時に怒鳴られて、さごろもは縮こまってしまった。そのイタズラに共謀していた二人の天使にもあきれながら、しかしフィリガーはいつまでも階段の上を見つめたまま、喉がつまって言葉が出なかった。


「腹が減ったから、なんか食わせろ。食ったらさっそく出発するぞ」

「どこへ行くんだ?」

「何をとぼけたことを。外の世界に決まっておるではないか。もちろんお主もだぞ」

「あ……」


 いつものように横暴に断言するシオンに、フィリガーは息を呑んだ。悲運の妖精エリンの夢、世界を憂えた青年エノクの願いを、今こそ果たさなければならない。彼らが憧れた、自由と可能性が無限に広がる世界を代わりにこの目で見るのは、フィリガー自身の希望でもあった。そして、シオンがそれを覚えていたことがうれしかった。


「当然のことながら、お主に拒否権などないがな」


 久しぶりに取り出された『人質』も、今となっては懐かしくさえ感じる。もちろん、リトル達が興味を持ってのぞき込もうとする前に、フィリガーはしっかりと理由もわからず謝ってしまったが。


「お前さんら、せっかく帰ってきたかと思ったら、もう出かけるのか?」

「もっと詳しい話を聞きたかったんだが、これからは天界より外の世界だな。また論文に使えそうないいネタを持って帰ってきてくれよ」


 ボールドがあきれたように言い、ルーフェンはさっそく次の論文に意欲を燃やし。


「姉ちゃん、僕たちも行こうよ!」

「そうね、見たこともない宝があるかもしれないし。今度はお父さんも誘ってみる?」


 水人の姉弟は、まだ見ぬ新たな世界の宝を求め。


「フィリガー、気をつけてね。私もそのうち出かけると思うから、どこかで会うかもしれないけれど」

「外の世界には、オレより強いヤツがいるのか?」


 フィーラとニオは天界消滅の混乱を収拾してから追いかける気満々で。


「室長、私も一緒に行ってみたいなぁって……」

「僕たちはこれから天界の分まで忙しくなるから、残業よろしく、うつほ君」


 こっそり言ってみた部下に、室長がしっかり釘を刺し。


「なんかわかんねぇけど、おもしろそうだよな、リトル!」

「俺は興味ねぇな。ま、のぞきに行くぐらいなら、行ってやってもいいけどよ」


 目を輝かせるサンに、リトルが無関心なふりをしてニヤリと笑い。


「みんな」 フィリガーは、そんな友人たちを見まわした。「帰ってきたら、必ずまた集まろう。約束だ」


 獣人、水人、人間、死神、そして天使。ひとりの青年を通して集まり、新しい絆でつながった仲間たちは、大きくうなずいた。

 天界に赴いた時と同じように、たとえどんなに遠い大陸に行こうとも、別れは言わない。もしも永遠があるならば、それはきっと、離れていても時間がたっても変わらない想いであり、想いが人と人とをつないで世界を作っているのだから。




 “蒼穹の涙”――多くの哀しみと願いが込められた青空は、旅立ちの希望とあふれる笑顔に輝いていた。

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