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蒼穹の涙  作者: chro
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第5章(5) ……少し、昔話をしよう

 神話やおとぎ話に出てくる神サマは、どれも決まって白いヒゲのおじいさんだった。たまに立派な翼があったり、魔法の杖を持っていたりすることはあるけど、現界で絵を描かせたら、どの種族の老若男女もまずこの路線から外れることはない。誰も見たことなんかないはずなのに、いつ誰が言い出したのか、暗黙の常識みたいになっていた。もしかしたらこのイメージも、天界が意図したプログラムどおりのものだったのかもしれない。


 でも、実際にいま目の前にいる、シオンが神と呼んだ『それ』は、どんな想像も超えていた。全体としては小屋くらいの大きさで、無数にある指先より小さな歯車やモーター(冥界でうつほから聞いた、電気で機械を動かす装置らしい)が絶え間なく回っている。液体のような光があらゆる方向に流れていて、忙しく点いては消えるランプを見ていたら目がくらくらしてしまいそうなのに、それでもすべてが一定のリズムで規則的に動いていた。

 特別メカ好きでも機械オンチでもないオレに理解できるのは、現界では考えられない科学技術と、見たことのない金属や部品で作られているってことだけだった。ましてそこに人が入っている理由や構造なんか、まったくワケがわからない。


「お前を待っていた、フィリガー=フェルセン」


 いきなり名前を呼ばれて、びくっと我に返った。え、なんだって? シオンを待っていたの間違いじゃ……。


「そうだ! オレはシオンの釈明に来たんだ。こいつは処刑されるような、悪いヤツじゃない。せめて話だけでも聞いてやってくれ」


 ここに来た理由を思い出して必死に訴えたものの、我ながら神サマ相手にタメ口で無礼極まりない。しまったな。今ので怒ったら、シオンどころかオレまで一緒にこの場で処刑になりかねないぞ。


「我が身を賭しても、エルヴァのことを守ろうとしているのだな」


 幸いにも、神サマは穏やかな表情のままだった。銀色の髪と疲れた表情の細面は老人みたいにも思えるけど、実際……といっても実年齢じゃなく外見的な年齢は、オレと同じくらいなのかもしれない。胸から上の肩と頭しか見えないけど、そこにも何本もの線がつながれている。その外側、完全な左右対称になっているはずの機械の一部分が欠けていた。


「案ずるな、わたしは彼を処刑するつもりなどない」

「本当か? よかったぁ」

「よい友を持ったな、エルヴァ」


 恥ずかしそうに苦笑して、シオンが立ち上がった。さっきまで力が入らないで虚ろな目をしていたのに、今は動作が軽くて顔色もよくなっている。


「もう大丈夫なのか?」

「魔法力の源である神の空間だからの。世話をかけたな」


 何を今さら。改めてそんなことを言われると、背中がむずがゆくなるじゃないか。


「お主には、謝らなければならん」

「取っておいたイチゴケーキを食べたことか?」

「そんなつまらんこと、問題にもならんわ」


 くそっ、山のようにデカい態度まで元通りになっているよ。


「わしが神の一部を持って現界へ出たことも、あえて天使に捕まったことも、すべてはここで神にお主を会わせるためだったのだ」

「オレを?」


 そういえば聞き違いだと思ったけど、最初に神サマもオレを待っていたとか言っていたっけ。ということはつまり、全部仕組まれたことだったのか?


「まさかゼクス達が十字架の出力を操作するテに出るとは、さすがにうかつだったがの」

「わからないな。もう少しで本当にヤバかったのに、危険な目に遭ってまで、どうしてオレを神サマに会わせようとしたんだ?」


 オレ、神サマ直々に怒られることも、褒められるようなこともしていないぞ。だいたい、それならこんなまわりくどいやり方なんかしないで、オレに理由を話して連れてくるなり、力ずくで拉致してくるなりすればいいじゃないか。用事があるならそっちから出向け、なーんてこと、さすがに神サマに向かっては言えないけど。


「……少し、昔話をしよう」


 神サマは目を細めてじっとオレを見ているだけで、何も言わない。だからオレも、何を言おうとしているのかわからないシオンの話を、おとなしく聞くしかなかった。


「まだ天界も冥界もなかった数万年前、こことは違う大陸の片隅に、自然と共存する一族が住んでいた。彼らは大地と語り、風を読み、火や水を自由に操る力を持っていた。しかし深い森の中で隠れるように生活していたから、魔法と呼ばれるその特別な能力を外に知られることはなかった」

「それって『始まりの民』?」


 途中で思わず口を挟んだら、シオンが小さくうなずいた。どうして今ごろそんな話をするのか、まだ本題の輪郭さえ見えない。シオンはちらっと神サマの様子を見て、また話を続けた。


「よその大陸で戦争が起ころうとも、森の向こうで新しい国家が作られようとも、彼らは長い間、静かに平和に暮らしていた。だが、ある頃から空気が淀み、水はにごり、炎が暴走して森を焼くことが何度も起こった。なんでも魔法に頼り、自然の力を使いすぎたために、大地が反発して制御できなくなってしまったのだ」


 魔法の力は安易に使っていいものじゃない――前にシオンが言っていたのを思い出した。あの時はてっきり魔法ができない言い訳かと思っていたのに、いま思えば、できないように見せかける意味も含んでいたんだろう。正体を隠すためという大儀の他にも、ラクをするためだったって疑惑は残っているけど。


「他の種族を警戒して交流がなかった彼らは、魔法の他にも独自の文明を発達させていた。今の冥界マーラと同等の科学力を持ちながらも、普段はほとんど利用していなかったのだが、魔法が使えないばかりかその力に反乱を起こされ、急いで科学による打開策を探し始めた。その間にも森は荒廃し、未知の疫病まで蔓延して、彼らは次々と倒れていった。

 そして、ついにこの危機を救うシステムが開発されたが――。




 青年は走った。息を切らせて、飛ぶように全力で走った。つい先日も竜巻で一つの集落が壊滅したばかりなのだが、彼は物心つく前から風と仲が良く、いつも走る彼の背中を押してくれる。多くの者の魔法力が暴発している中、彼は今なお風の協力を受けている数少ない一人だった。


『はぁ、はぁ……!』


 それでも足がもつれそうになりながら、ようやく森の奥に無機質な建物を見つけた。木とレンガの簡素な家しかない森の中で、他の金属と化合させて空気中でも硬度を保った特別製の水剛石でできたこの建物は、一族の命運を握る研究のために青年が生まれたころに造られた。シェルターの役割も兼ねたこの研究所の外では、民はすでにほぼ絶滅状態となっている。

 そんな時、ようやくシステムが完成したと風の知らせを受けて、生き残りを探して集落をまわっていた青年は急いで引き返したのだった。


『どうなんだ? いけそうなのか?』

『おぉ、戻ったか』


 部屋に入るなり尋ねると、テーブルを囲んでいた白衣の男女が立ち上がった。このプロジェクトに携わる研究者たちは、どれも頭脳や技術の最精鋭である。彼らの一族は年齢や性別に関係なく、あるとき突然、知識や魔法力が開花するので、上は杖なしでは歩けない老人から、下はまだ母親に甘えたい小さな子供までいる。


『システム・ノアのプログラムは完成した。あとはこれを起動するだけなんだが……』

『起動のエネルギーが、どうしても足りないのよ』


 現在、人工的に発生させている電気や熱のエネルギーは、魔法を使えなくなった一族すべての生活全般をまかなえるだけの規模はあったが、このシステムを動かすにはさらに莫大な力が必要になる。やっとシステムの完成までこぎつけても、動かなければ意味がない。青年が入ってくるまで、だから研究者たちは険しい顔で悩んでいたのだった。


『なんとかなからないのか? 森はどこも荒れ果てて人が住める状態じゃないし、ここの中だって病が広がり始めている。もう時間がないのに』

『方法が、ないわけではない』


 今にも倒れそうな老人が、顔中のヒゲを震わせてささやいた。


『魔法を使える者がシステム・ノアと一体となることで、自然エネルギーを取り込んで起動させることができる』


 全員の意識がこちらに向きながらも視線を逸らせていることに、青年は気付いていた。このシェルターで生き残っている者の中には、彼の他にもまだ魔法を操れる者が数人いるが、彼ほど自然と共鳴できる力はない。青年はシステムと一体になるという意味がまだよくわかっていなかったが、それ以上に気がかりなことがあった。


『そんな強力な力が必要なのに、仮にその魔法力で動いたとしても、森が持ちこたえられるのか?』

『森どころか、おそらくこの近辺の大地そのものが死滅するだろう。最悪の場合、大陸の地図から我らの土地が消えることになる』

『そんな……それじゃぁ意味がないじゃないか!』

『でも、このままじゃ、やっぱりみんな死んじゃうよ』

『だから仕方がないのよ。新しい世界を創って、やり直すしか』


 大地だけでなく、あらゆる生命がこの森ごと消える。もちろんそれは、彼らとて例外ではない。しかしこのまま座して絶滅の運命を待つよりは、せめて自分たちの存在と力を残すために、わずかな可能性に賭けるしかないと、それが研究者たちの苦渋の結論だった。


『新しい、世界……』


 青年は床に視線を落としてつぶやいた。魔法という力で自然を傷つけることなく、外の異民族のように争うこともなく、みんなでまた平和に暮らせるのならば……それが残り少ない一族の願いなのならば……自分にできること、やらなければならないことは、ただひとつ。


『……わかった。僕がやろう』


 暗黙の圧力で重責を押しつけた自責の念、隠しきれないわずかな安堵感、そしてこれですべてが終わるという開放感と絶望が、部屋の中で複雑に絡まり合った。思えばこの場の最年長である老人がちょうど青年くらいの歳だったころから、滅びの道を歩み続けていた一族の悲運に、ようやく決着がつこうとしている。


『システムと一体化したら、もう二度と元には戻れねぇ。歳をとることも死ぬこともなく、システムが続く限り、新しい世界を見守っていくことになる。本当にいいんだな?』


 最後にもう一度確認されても、青年は迷うことなくうなずいた。


『システム・ノアを起動させた瞬間に、周辺の自然も生命もエネルギーとして吸収されて消えるだろう。でも、オレ達の存在はもうプログラムに移してある。ひとりにはならないから心配しないでくれ』

『私たちの記憶は残らないけど、かつての魔法力が戻るし、何より永遠にあなたを助ける力となるわ』


 開発にかかわっていなくても、一族が渇望していたシステムの説明は今さら受けるまでもない。自分が犠牲になるのもいい。ただ、当初の予定が狂ったために、システムと一体化した彼以外の全員がいなくなるのは、やはり寂しかった。


『そのプログラムに、一つだけ追加してほしいことがあるんだけど』


 青年の願いは聞き入れられた。そして生き残った他の者たちの承諾を受け、全員が見守る中、青年は巨大なコンピューターにつながれた。


『あとは頼んだぞ、エノク』


 青年が目を閉じると、自分の体が機械に溶け込んでいくのがわかった。建物の中だけの限られた生活でも、楽しかった平穏な時間が脳裏をよぎる。一族を救うために心血を注いで開発されたシステムが起動した瞬間、大地から彼らの生命も歴史も、すべてを消し去った……。




 ――『始まりの民』は、こうして歴史から姿を消した」


 長い長い昔話が終わった。しばらくの間、誰も何も言わずに身動きさえしなかったから、機械の低く唸るような音だけが、いやに大きく響いていた。


「神も、創られた存在だったのか……」


 大陸を造って、生命を生み出して、魂を管理する神そのものが、太古に滅んだ種族によって創られたシステムだったなんて。文字どおり、神をも恐れない禁忌の技術。そんなことが本当に可能なのか。許されていいことなのか……誰に? 許すべき絶対者は、ここにいる。そして許されざる者たちは、もうこの世界にはいない。……いや。


「その研究者たちが、天使になったんだな?」

「姿や性格はそのままだが、記憶はまったくない。ただ神とその秩序を守ることを最優先事項としてプログラムされた、彼らもまた作られた犠牲者だ」

「それじゃぁ、お前は……」

「わしはエノクの友として、彼の記憶を受け継ぐために創られた」


 神となり独りで永遠に生きることになった青年が、ただひとつ望んだ、自分を自分として覚えていてくれる存在。シオンが視線を向けても、彼は半分眠っているみたいに目を細めて一点を見つめているばかりで、懐かしいはずの話にも反応がなかった。かつては人間だった、今は機械の一部である神は、どこまで記憶や意識が残っているんだろう。虚ろな目には、何が見えているんだろうか。


「システム・ノアは科学と魔法の力で、絶海の果てに大陸を造り、生命の魂やあらゆる事象を管理した。かつての悲劇をくり返さないために、神という絶対の存在のもとで、あらかじめ決められた予定調和の世界――『始まりの民』が望んだ平和な時間が、永遠に続くはずだった。だが数百年前、予定外のことが起こった」


 平和どころか、戦争が絶えない時代ばっかりだったじゃないか。それが、予定外のこととやらのせいなのか? そんなの、万能のシステムでどうにかすればいいじゃないか。いろいろ言いたい気持ちを抑えて、今度は黙ってシオンの話の先を待った。


「輪廻を司る円環から、偶然にもこぼれ落ちた魂があった。“それ”はプログラムを書き込まれる前に転生したために、神によって定められた運命の制約を受けない。イレギュラーな不確定要素として、秩序を守る天使から最も怖れられ、宝だという誤った認識から現界での争いの種となった存在……それが“蒼穹の涙”だ」


 “蒼穹の涙”が、宝じゃなくて人だった? どんな願いも叶え、永遠の力を与えるっていう、伝説の至宝……いつ誰が言い出したのか、いまだに手にした者さえいない、無限の可能性を秘めた……え?


『お主は他の誰にもない、無限の可能性を持っておるのだ』

『ほら、僕は特別なんだって言っていたじゃないか。普通の人には無理でも、僕なら大丈夫』


 不意に頭にこだました、夢の中でのシオンとエリンの言葉。そんな、それじゃぁ……まさか……。


「そうだ。お主こそが“蒼穹の涙”なのだ」


 シオンの静かな声に顔がこわばったけど、どんな表情をしてなんて言えばいいのか、頭が真っ白になってとっさに考えられなかった。いきなりそんなことを言われても、実感なんかまるでない。

 あぁ、でもエリンはそのことを知っていたんだ。たぶん、シオンに教えられて。だから自分ならできると、自分がやらなければと、必死になっていたんだな。もちろん、戦争を終わらせようとしたのは彼自身の願いでもあったんだろうけど、無限の可能性さえ人の欲望に押し潰されて消えた。せめて次に生まれ変わる時には「運命の制約を受けない」という「制約」に縛られないで生きてほしいと、シオンに託して……。


「お主をここへ連れてくるのは簡単なことだ。ただ先ほどの説明するだけならば、とっくにそうしていた。だが、それではいかんのだ。自分の意志でここまで来て、お主自身がそう願わなければ」

「オレに、どうしろっていうんだ?」


 神サマが何かをさせようとしているのはわかった。こんなまわりくどいことまでして、エリンでさえ果たせなかったことを、オレに望んでいることは。でも、いくら運命から外れているからって、この世界そのものであるはずの神サマでさえできないことなんて、いったい何なんだ。オレは魔法も使えないし、特別な力なんてないのに。

 ゆっくりと顔を上げたメタトロン神が、その答えを、ただ一言だけ発した。


「わたしを、破壊してほしい」


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