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蒼穹の涙  作者: chro
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第5章(3) エルヴァはオレの魂の友だからな

 鳥のさえずりが聞こえたような気がして、ゆっくり目を開けてみた。

 黄色い花が敷きつめられた明るい庭に、オレはいつの間にか立っていた。体が軽くなったような感覚がして、目を閉じていてもまわりが真っ白になっていくのはわかったけど……もう境界を越えたのか? いちおう空気はあるみたいだから、酸素ボックスを取ってあたりを見まわした。初めてのはずなのに懐かしささえ覚える既視感と、どこにでもある風景だけど隠しきれない違和感……なんだか変だぞ、ここ……。

 鳥の声はしていても姿はどこにもないし、花はよく見たら花びら一枚の形までどれもまったく同じだ。太陽のない空は抜けるように青くて、雲がゆっくりと流れているのに風がない。極めつけは、前後左右どっちを見ても、果てしなく花畑が広がっている。


「これが、天界エル・カラル……」


 生き物の気配がまるでない、時間が止まったような静寂が耳に痛かった。空の上、なのか? でも空にはマーラがあるもんな。ちゃんと天界に来られているなら、どこでもいいか。確かめようがないけど。


「さて」


 どっちに行けばいいのやら。何度見てもずーっと同じ景色だから、とりあえず立っていた方向にまっすぐ歩いてみた。道がないから花を踏んでいくしかないのは申し訳ないなぁ……とか思ってふり返ったら、確かに折れてつぶれたはずの花は何もなかったかのように咲いていて、オレの足跡さえなかった。えーっと……オレ、どこからスタートしたっけ?


「……」


 この期に及んで、またしても迷子の予感か? 今回はオレの方向音痴以前の問題だぞ。って、誰もいないのに言い訳がましく文句を言ってみても、返事なんかあるはず……


「誰だ、お前?」


 ……あった? 嘘だろ。


「天使!」


 当然のことながら、ここで返事をするヤツがいるとすれば天使以外にはあり得ない。我ながら間の抜けた顔で今さら気付いて、声がした頭上を見た。


「怪しいヤツだな。さては侵入者かっ!?」


 空中に翼の筋肉マッチョを確認した瞬間、すでにこぶしが目の前にあった。間一髪で鞘を盾に受け止めて、そのまま刀を抜きながら後ろに跳んだ。なんて力だ。今ので手が痺れて、うまく力が入らない。


「オレの一撃を止めるとは、大したヤツだな」

「ちょっと待ってくれ。せめて話を」

「次は手加減しないぞ!」


 こっちの話どころか正体さえお構いなしで、マッチョがまた突っ込んできた。鋼のように重いこぶしは、受け止める刀の刃さえ通らなくて、まるで金属と撃ち合っているみたいだ。おまけに蹴りもおり混ぜてくるから、足元にも気を配ってよけないといけない。速さは大したことがないけど、こんな強烈な力はいつまでも耐えられないぞ。


「ぐぁっ……!」


 体をひねって腹への直撃は避けられたものの、態勢を崩した隙に吹っ飛ばされた。壁も岩もないから、落下して止まるまでひたすら飛んだ。オ、オレの左腕、まだくっついているのかな。


「あの一発をしのいだのか。あれで生きていたのは初めてだぞ!」


 大砲みたいな衝撃を受け過ぎて、もう腕どころか全身がマヒして動かない。せっかくやっとのことで天界まで来たっていうのに、入口でへたばっているなんて情けないな……。


「なかなか見所のあるヤツだが、急ぎの用事があるんでな。そろそろケリをつけさせてもらうぞ」


 用事……そうだ、オレだって急いでシオンを助けにいかないと。こんなところでのんびり寝ているわけにはいかないんだ。


「おっ、まだ立てるのか?」


 リトル達と森を走り抜けた時に比べたら、こんな膝のガクガクくらいなんでもない。血まみれになってもくっついているだけマシな左腕は捨てておいても、右手だけで刀を振るうことはできる。


「今度はこっちからいくぞ!」


 ちょっと馬鹿力すぎる獣人が相手だと思えばいい。いや、さっきはいきなりで動揺していたとはいえ、正面から打ち合ったオレがバカだったんだよな。いくら天使でも、この筋肉マッチョなら速さで制することができる。相手に攻撃の隙を与えないよう全速力で攻め立てて、それでもたまに迫ってくるこぶしは受けることなくかわしていった。オレが一番得意とする戦法に持ち込んだら、あとは手数で押して隙を待てばいい。


「チョロチョロとすばしっこいヤツだ!」


 どんなに強力な力でも、当たらなきゃ意味ないって。しかも魔法を使わないで、ひたすら力押しで攻めてくれるからありがたい。赤木ヶ原の時みたいに、上空に離れて魔法を一発撃ったら、それで終わりだったかもしれないのに。あくまでも筋肉一筋なのか、案外フェアなヤツなのか。


「消え……!?」

「後ろだよ」


 刃を返した刀を、思いきり後頭部に叩きつけた。天使の男は翼を震わせて、こっちをふり返ることなく前のめりに倒れた。……ふぅ、やれやれ。ある意味、戦いやすい相手だったとはいえ、天使に勝っちまったよ。自分に感心しながら先を急ごうと思って、でもどっちに行けばいいのかわからないのを思い出してげっそりしていたところで、マッチョが頭を押さえながら起き上がった。


()つつ……おぅ、今のは見事にやられたな」


 あちゃー。いくら痺れていて力が入りきらなかったとはいえ、確実に急所をやったのになぁ。普通なら半日は寝ているはずなのに、こいつは後頭部まで筋肉でできているのか?


「さぁ、再戦だ! ……といきたいところだが」 男は構えをといた。「その迷いのない見事な太刀すじに免じて、特別に見逃してやろう。さっさと冥界へ戻れ」

「いや、オレはまだ死んでいないし、死神でもないんだけど」

「なんだと? それじゃぁお前、現界人だったのか!?」


 あ、しまった。つい正直に答えてしまったよ。せっかく休戦になったのに、また襲いかかって……


「それならそうと早く言えよ! これから現界人を探しにいくところだったんだぞ!」

「は?」


 いきなり破顔したマッチョが、わけのわからないオレの肩をブンブンと揺すって叫んだ。い、痛い痛い。ただでさえ感覚がなくなって動かない肩の骨が、今度こそ砕けそうなんですけど。


「どうしてここにいるのか、この際関係ねぇ。お前、ちょっと協力してくれ」

「えーっと、オレには何がなんだか」

「あぁ、面倒だが説明してやる。あるヤツが閉じ込められている牢が、魔法力に反応して開けられないようになっているんだ。だから魔法の力がない現界人を連れてきて、開けてもらおうと思ってな」

「それってもしかして、シオンのことなのか!?」

「シオンっていうのは、エルヴァのことか!?」


 二人して同じようなことを聞き合って、お互いに驚いた。今の言い方だと、シオンを逃がそうとしていたのか。こいつ、天使だけど敵ってわけじゃないらしい。思いきってオレのことも話してみよう。


「オレはフィリガー。シオン……っていうのはあだ名みたいなもんなんだけど、あいつを助けにきたんだ」

「そうだったのか。まさかそんな人間がいるとは思わなかったぞ。オレは第九天使ニオだ。エルヴァの友はオレの友だからな、仲良くしようぜ」

「天使に捕まったから、てっきりあんたも敵だと思ったよ」

上天院(じょうてんいん)の中でも、いまだに揉めているからな」


 改めて握手を交わしたこの筋肉マッチョは、たぶんいいヤツなんだろう。でも、シオンを連れて行ったヤツらの仲間だからか、妖精族を滅ぼした過去があるからなのか、すぐにすべてを信用するわけにはいかないって警戒心が残っていた。現界人を支配している連中が何を敵とするのかなんて、わかったもんじゃないからな。


「ニオ、できれば今の天界の状況を教えてほしいんだけど」

「さっきも言ったように、まだ意見が割れている。すぐに処刑するべきだって強硬派が三人、反対や慎重派が三人、あとはどうでもいい中立が四人ってところだ。オレはもちろん処刑に反対している。エルヴァはオレの魂の友だからな」

「タマシイの……」


 プッ。真面目くさって得意げに言うもんだから、思わず吹き出しそうになったじゃないか。話も聞かずにいきなり襲いかかってくる短気さといい、話せばすぐに信じて親しくなる単純さといい、どっかの狼の獣人とキャラがかぶって仕方がない。


「とりあえず、今は微妙なバランスだなぁ。確か上天院は多数決なんだろ?」

「よく知っているな。最終的な決定にはメタトロン神の裁可が必要だが、何よりも天界の理を守るのが最優先だからな」


 やっぱり、どっちに転ぶかわからない状態だな。でも、反対している天使がいるってわかっただけでも収穫か。しょっぱなに出くわしたのがゼクスなんかだったら、今ごろ花畑がひっくり返っていただろうな。


「でも、ニオはシオンを逃がそうとしていたんじゃないのか?」

「いくらなんでも、それはできない。だが、ドヴァーあたりが審問を待たずに処刑を断行するつもりのようだから、せめてその前に主に謁見して、申し開きの機会を与えてやろうと思ってな」


 あのヤサ男、優雅な貴族みたいに見せかけて、容赦なく冷酷で強いからな。それこそ天界の秩序を守るとかなんとかって大儀を持ち出して、神サマも知らないうちにさっさと実行してしまいかねない。


「そういうわけだから、とにかくエルヴァのところへ急ぐぞ」

「あのー、その前に、ここから先はどうやって進むんだ?」

「お前もしかして、それでうろうろしていたのか?」


 ニオがあからさまに呆れながら、上空を指差した。……なるほど。そんなところにあるなんて、わかったところでオレは飛べないっての。


「しょうがねぇ。連れていってやるから……お、フィーラ!」


 ニオが叫んだのと気配を感じてふり返ったのと同時だった。オレが現れただろうあたりに立っていたのは、長いシルバーブロンドの髪の天使……大きな白い翼こそ初めて見るけど、帝都で出会った彼女に間違いなかった。


「フィリガーなの? どうしてここに……」

「やっぱり君だったのか、フィーラ」


 お互いに言葉が続かなかった。ここで会うことの意味が充分すぎるほどわかっているからこそ、恐怖にも似た何かを覚えた。もしかしたらとは思っていたけど、信じたくはなかったのに……。


「お? お前ら、知り合いなのか?」


 オレ達の戸惑いを知らないニオだけが、素っとん狂な声でキョロキョロしていた。そんな場違いなマッチョを間に挟みながら、オレもフィーラも目を離せずに、ただ見つめ合っていた。


「私のことを知っていたの」

「それらしいことは聞いていた。でも、本当にそうだとは思わなかった……」

「ごめんなさい、隠していて」

「いいんだ。別に天使だって人間だって関係ない。フィーラはフィーラだろ?」


 関係ないって言えたのは、フィーラの態度も言葉も、前に会った時と変わらなかったからだ。天使と人間――支配する者とされる者が仲良くすること、それが必ずしも絶望を意味しているわけじゃないってことを、彼女の笑顔が教えてくれた。


「フィリガーは、どうして天界に?」

「あぁ、それは……」

「たぶん大丈夫だ。フィーラは中立派だからな」


 どう言っていいものか迷っていたら、横からニオが口を出してきた。彼としては、オレへの助け舟というより、知り合いらしい関係を使って中立から反対派へと引き込みたいところなんだろう。それはオレにとっても願ったりだけど、そうじゃなくても彼女には嘘を言いたくない。


「フィーラ、じつは……」


 折れても折れない花の上に座って、ゆっくりと話した。オレがシオンの同居人だったこと。帝都でフィーラと別れた後に天使の襲撃があったこと。連れて行かれたシオンを助けるために、とある死神の協力で天界へやってきたこと。どうしてシオンがオレの家にいたのかってことや、さごろもさん達の名前なんかは伏せておいた。今はまだ言わない方がいいし、あえて言う必要性もない。


「そうだったの……」


 最後まで黙って聞いていたフィーラが、それだけつぶやいて視線を落とした。ゼクスは、話したことで逆にオレ達を捕らえて上天院につき出そうとしないか、心配そうに彼女の反応をうかがっている。オレはとにかく彼女と敵対したくない一心で、祈るように次の言葉を待った。


「話してくれて、ありがとう。私もあなたを手伝うわ」

「いいのか!?」


 ニオとオレは、またしても一緒に同じことを叫んだ。フィーラが顔を上げて微笑んだ瞬間ほど、うれしかったことはないかもしれない。思わず抱きしめたくなったのは、ギャラリー(ニオ)の手前、どうにかこらえた。


「あなたは私に親切にしてくれたし、いい人だもの。私も敵対したくないわ」

「フィーラ……ありがとう」

「よっしゃ! それじゃ、今度こそ面倒なヤツらに見つかる前に、さっさと行くぞ!」


 せっかく二人で視線を交わしていたのに、ニオが立ち上がって張りきるもんだから、いい雰囲気も台無しだ。でも、確かにゆっくりしている場合でもないよな。本当はフィーラと一緒に行きたいところだけど、なんとなく恥ずかしくて、丸太みたいなニオの腕につかまって上空へと舞い上がった。

 天界への境界を越えた瞬間の、あのふわっと軽くなる感覚さえなく、ある高さまで来ると唐突に空が切れた。そしていつの間にか通路のど真ん中に立っていて、足元を見てもただの無機質な床しかない。


「ど、どうなっているんだ?」

「天界は、空間と空間が不連続につながっているの。現界での法則は当てはまらないから、あまり気にしない方がいいわよ」


 フィーラが親切に教えてくれる横で、ニオはまた驚いてあわてるオレを見て楽しんでいる。くっそ、気にしないようにするしかないのはわかっていても、ちょっと悔しい。


「いいぞ、こっちだ」


 石でも金属でもない不思議な材質の通路を、誰もいないことを確認しながら進んでいった。途中にいくつも部屋があって、半分くらい開いていた扉から中をのぞいたら海が広がっていた。……いや、見なかったことにしよう。


「ここが天牢の間だ」


 ニオとフィーラに続いて赤い水が流れ落ちる滝をくぐり抜けても、服も髪もまったく濡れていなかった。でもオレはそんなことよりも、目の前に現れた光景に言葉を奪われた。


「シオン!」


 見上げるほどある巨大な十字架につながれた小さな紅髪の姿が、そこにあった。


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