第5章(2) っていうか、むしろ怒っている?
海辺の死火山の中に隠された水人の都リヴィアルまでの道のりは、前に来た時よりも長く感じられた。一人だからなのか、気が急いているからなのか……いや、けっして迷子になっていたからじゃないぞ。
「あれ? フィル兄ちゃんじゃん!」
またしてもあの海藻で髪を青くした怪しい変装で、海に面した岩場の穴から乗り込んだら、運良く入口近くでソノラと出くわした。両手に大きな箱を抱えているから、ただでさえ小柄な子供なのによけいに小さく見える。
「何をやっているんだ、お前?」
「へへ、海鉱石の発掘の手伝いだよ。宝探しみたいでおもしろいから、お父さんの助手をしているんだ」
海鉱石っていうのは海底で採れる鉱石のことで、金や宝石の原石、水剛石なんかもある。水人の主な産業のひとつで、じつは取り引きをしたいと思っている人間も多い。
「兄ちゃんこそ、どうしたの?」
「ちょっと、天界について調べているんだ。この都に天使の伝説があるって聞いて来たんだけど、何か知っているか?」
「そういうことなら、姉ちゃんに聞いてみたらいいと思うよ」
こいつらにまで心配をかけるわけにはいかない。リトル達に励まされたのと、天界へ行くって目標ができたおかげで、今はもう落ち込んだ顔を見せなくて済んだ。
「あら、フィルさん」
相変わらず冷めた目をしたアマレットは、台所で魚をさばいていた手を止めて、彼女なりに驚いてみせた。お父さんと和解して、今じゃ家事を切り盛りしているらしい。この歳にして、どっかの少女おばさんよりもよっぽど主婦じみているぞ。
「天使の伝説? えぇ、もちろん知っているわよ」
ソノラの時と同じように、詳しいことは伏せたままここに来たわけを話したら、アマレットは水中なのに包丁をクルクルッと回して、興味深そうに目を輝かせた。はたから見ると、いろんな意味で危ない。
「このリヴィアルは、大昔、天使が現れた場所って言われているの」
「こんな火山の中にか?」
「さぁ。たぶん上の火口からってことじゃないかしら。空から降りてきて」
実際には空の上には天界じゃなくて、冥界があるんだけどな。
「まだここに水人が住みつく前には、何度か天使が目撃されていたみたいなんだけど、都になってからは誰も見ていないわ。それで、天使がここの海底に宝を隠したのかもしれないって噂がたって、中にはそれが“蒼穹の涙”だって言う人もいたけど、今でもそれらしいものは見つかっていないわ」
トレジャーハンターとしては無視できない話だろうけど、あいにく今のオレは宝に構っている暇はない。でも、天使がよく現れていたなら、このあたりに天界へ行くための手がかりがあるかもしれないな。
「底の方には何もなかったなら、ちょっと上を見てく――」
「はろ〜」
……。……はい?
「どうしたの、兄ちゃん?」
窓から顔を出して火口を見上げたら、(見た目)四十歳くらいの中年のおっさんが水面から手を振っていた。何かの間違いだと思いたくて、いったん首を引っ込めてから、今度は家の外に出てしっかりと確かめた。
「やぁ、フィリガー君。まだ生きていたね」
「さごろもさん……」
どうやら見間違えではないらしい。マーラの入界管理部送迎課室長が、どうしてこんなところにいるんだよ……というオレの視線に気付かないんだか流しているんだか、さごろもさんはのんきに笑って手招きしていた。
「誰? あのおじさん」
「いちおう、死神」
「し、死神!? 兄ちゃん、お迎えが来たの!?」
こんな緊張感のないお迎えなんて絶対に嫌だ。オレに用事があるみたいだけど、こっちに来る気配がないから、しょうがない。とりあえず行ってみるか。
「こんにちは、フィリガーさん」
「うつほも一緒だったのか。久しぶりだな」
「なに言っているんですか、ついさっきお別れしたばっかりなのに」
「うつほ君、現界人にとっては百年くらいの時間だったんだよ」
ズレたメガネを直して、うつほはへぇーと感心している。いつもながら、そろってとぼけた師弟だな。ダブルでボケられて、オレにどうツッコめと言うんだ。
「そっちはお友達かな? あぁ、そんなに恐がらなくても大丈夫だよ。ちゃんとしたお迎えは、また後日だから」
興味津々でついてきた幼い子供たち相手に、さごろもさんは安心させようとしているのか脅しているのか。どっちにしても、また死神のイメージを破壊したな。
「で、どうしたんだ? わざわざこんなところまで」
「いやいや、けっして泳げないからここに呼んだわけじゃないぞ」
「んなこと、どうでもいいから……」
「ん? ならいいんだが」
「シオンさんのことで、室長がお話があるからって。ついでに私もついてきちゃいました」
「シオンの!?」
どんな話なのかっていうことよりも先に、二人がシオンの存在を覚えていたことに驚いた。
「みんな、あいつのことは忘れてしまったのかと……」
「記憶消去の魔法か。第一天使にしかできない特別な魔法だと聞いたことがある。冥界には影響がなかったけど、大陸中の現界人が彼の記憶を消されたようだね」
「それなら、どうしてオレだけ覚えているんだ?」
「それは君が……ごほん。君が彼のことを忘れたくないという強い思いで、きっと無意識に魔法をはね返したんだろう」 気のせいか、さごろもさんは泳がせた目を隠すように伏せた。「ここまではエルヴァの予定どおりだ。彼はわかっていたんだよ、いつかこうなることが」
「わかっていた?」
火口のふちに腰をおろして、さごろもさんは苦い表情でため息をついた。
「エルヴァは天界に連れていかれたのかい?」
「帝都で見つかって、こんなところでやり合うわけにはいかないからって、自分から……」
「なら、まだ大丈夫だな」
「でも、早くなんとかしないと……!」
「落ちつきたまえ。その前に、君に話しておきたいことがあるんだ」
焦るオレを隣に座らせて、さごろもさんはあくまでも落ちついていた。うつほや姉弟は話が見えないながら、何も口を出さずに向かい側に座った。アマレットのお気に入りだった秘密の空間は、今や妙に緊迫した空気に包まれている。小さな空が映る足下の水中では、オレ達に気付かない水人たちがいつもどおりの生活をしていた。
「えーっと、まず君はどこまで知っているのかな? 自分のこととか」
「自分の……って、エリンのこと、って意味か?」
「うん、それはもう知っているんだね」
「さごろもさんも知っていたのか?」
「まぁ、これでも送迎課の室長だからねぇ。とは言っても、エルヴァからの話によるところが大きいんだが」
「教えてくれ。シオンは、あいつはいったい何者なんだ?」
明らかにそれを言いに来て、その話題になるように話を振ったはずなのに、さごろもさんはまだ少し迷っているようだった。いや、言葉を探しているんだろうか。小さい子供に説明するのに困った大人のように、眉間にしわを寄せて頭をかいた。
「その前に、君たち現界人はどんな天使がいるのかも知らないんだよね? はい、うつほ君」
「え、天使ですか? えーっと、第一天使イル、第二天使ドヴァー、第三天使トレ、第四天使フィーラ……」
「フィーラ……!?」
まさか彼女が……いや、ただの偶然だよな。危うく大声で叫びそうになったオレに間をあけたうつほは、また指を折って続きを数えた。
「第五天使フェム、第六天使ゼクス、第七天使セーミ、第八天使アハト、第九天使ニオ、それから第十天使ティエン。これで全部ですよね」
「はい、よくできました」
「へぇー!」
初めて聞く天使の名前に感心する姉弟と、パチパチと手をたたくさごろもさんに、うつほは照れながらおじぎをした。何なんだ、この和やかな空気は。まるで学芸会の発表みたいだ。
「と言いたいところだが、じつはそれだけじゃないんだよ」
さごろもさんが手を下ろして言葉を継いだから、みんなが視線を向けた。
「どういうことですか? 私、ちゃんと十人の名前を言いましたよ?」
「確かに現界でも冥界でも十人と言われているし、天使たち自身もそう思っているだろう。でも、本当はもう一人いるんだ。隠された十一番目の天使……それがエルヴァだ」
シオンが、天使……。
可能性のひとつとして考えてはいたからか、思ったほどのショックはなかった。というよりも、もうそれ以外の可能性がなかったって言うべきなのかな。ただ、さっきうつほの発表の中でどこにも名前がなかったから、いったんは違うと思ったぶんの驚きはあったけど。まさか十一人目がいたなんて、まったく考えつかなかった。
「そもそもエルヴァという名前自体が、今では完全に失われた『始まりの民』の言葉で十一番目を意味しているらしい。もしもそれを知っている者がいたら、すぐに気付いたかもしれないな」
あの妖精もどき、よくも今まで騙してくれたもんだ。そりゃ冥界へも自由に行き来できるし、何千年も前からさごろもさんと知り合いでもおかしくないよな。天使や天界のことに詳しいのなんて、当たり前だ。魔法の力がないようなフリをしたり、面倒なことは全部オレに押しつけたり、つまりはサボっていたってことか?
「あれ? あんまり驚いていないね。もっとひっくり返るかと思っていたんだけど……っていうか、むしろ怒っている?」
「いーや」
あからさまにムスッとした返事に、さごろさんはビビって後退った。くっそ、なんだか真相がわかったら、ますます頭にきた。文句を言うだけじゃなくて、ぶん殴ってやってもお釣りがくるぞ。
「ま、まぁ、とにかくそういうわけだから、エルヴァの処刑については、神がそう簡単には許可を出さないはずだ。ただ、上天院は合議制だから、多数決で押し切られるという可能性も捨てきれないが」
どっちにしても、危険なことに変わりはないじゃないか。今までのうっぷんを倍にして返してやるまでは、絶対に処刑なんかさせない。オレはまだ、あいつに文句のひとつも礼も言っていないんだ。
「行くんだね、天界に」
「神サマにかけあってでも、あいつを連れ戻してこないと気が済まない」
「でも、どうやって行くんですか?」
うつほに図星を指されるまでもなく、そもそも天界の場所も行き方もわからないから、いくら意気込んでもどうにもできない。やっぱりまた問題が振り出しに戻ったと思ったら、さごろもさんがごそごそとポケットをさぐって、取り出したものをオレに手渡した。金にも銀にも見える、小さな金属っぽい破片……みたいだけど。
「前にマーラに迷い込んだ君を、エルヴァが迎えにきたことがあっただろう? あの時、帰る前にこれを僕に預けていったんだ」
「なんだ、これ?」
「神に属する、天界の宝の一部だそうだ。そして……」 さごろもさんは、おもむろに自分の服のそでをちぎって差し出した。「これでそろったな。うーん、僕のはちょっと貧相だけど、この際我慢してくれ」
金属っぽい欠片と白い布きれを渡されて、いったいオレにどうしろと。
「天界へは、これを持っていけば『星の穴』から行けるはずだ」
「『星の穴』? まさか、またトイレじゃないだろうな」
「残念ながら、あんなに風流のあるデザインじゃないんだよね」 そいつはよかった。「空と海と大地がひとつにつながった場所。わかるかな?」
空からつながって……みんなで火口の小さな空を見上げて、そのまま目線を下ろしていったら水中の町があった。さらにその下には火山の底が……空と海と……。
「……ここ?」
「そう、ここ」
天使が現れた場所、ね。ここが天界への出入口だったのなら、それもうなずける。でも、それなら海でもいいんじゃないかと思うんだけど、さごろもさん曰く、実際海底にもいくつかあるものの、広すぎてはっきりした場所がわからないんだそうだ。なんだかマヌケな話だなぁ。
「ウチの下に天界への入口があったなんて、盲点だったわ」
「何回も街の底に行ったことがあるのに、全然気付かなかったなぁ」
「いやいや、たとえ穴を見つけても、三界に属するものを持っていないと天界へ行くことはできないんだよ」
残念がる姉弟に、さごろもさんが説明を付け足した。どんなものでもいいから、天使と死神、そして現界人の持ち物がないと、天使以外は境界を越えることができないらしい。でも普通はお互いに知り合いなんているはずもないし、特に天使が自分たちの持ち物を差し出してまで来させるなんてあり得ないだろう。事実上、誰も天界へは行けないように、うまいこと隠されていたわけだ。
「それじゃぁもしかして、シオンはこのために?」
「さぁね。エルヴァは自分がいずれ捕まるだろうことは予想していたけど、君にどうしろとは言っていなかった。ただ、君が本当に困った時に、それを渡してくれと」
今こそ、その時だろう? と、さごろもさんがささやいた。
そうだよな。今までどうしようもなくヤバい時にはあいつが助けてくれていたから、どうにかやってこられたんだ。今度はオレが、本当に困っているあいつを助けてやる。シオンが残していった金属片を、思いを握りしめて立ち上がった。
「敵の本拠地に乗り込むようなものなんだから、くれぐれも気をつけてな」
「あぁ、任せてくれ」
別に天使とケンカをしにいくわけじゃないけど、必要ならそれも上等だ。ずっと一緒に戦場を駆けまわった愛用の黒い刀を腰に付けて、さごろもさんの服の布きれを腕に巻いて、金属片をポケットに入れたら、準備万端だ。リヴィアルを真下に潜っていくと、光の届かない海底の一箇所に、ぼんやりとかすかに光っているところがあった。『星の穴』が三界のものに反応しているらしい。
「ねぇ兄ちゃん。さっきの話、シオンって人は兄ちゃんの友達なの?」
「お前らの友達でもあるんだよ」
「私たちも知っているの?」
ソノラとアマレットは、不思議そうに首をかしげている。すぐに連れて戻ってくるから、そうしたらまた友達になるさ。
「行ってらっしゃい、フィリガーさん!」
「エルヴァに、帰ってきたらまた飲もうと伝えてくれ」
「了解」
危険に対して悲観しない死神と、まだ意味をよくわかっていない水人の姉弟に見送られて、オレは軽く手を振りながら青い光の柱に入った。
シオンを助けるっていう決意と、天使とやり合う覚悟と、誰も知らない場所に行くっていう好奇心、そして彼らの応援があったら、境界なんか簡単に越えられる。オレは目を閉じて、体がすっと軽く浮かび上がる感覚に任せた。