第5章(1) まだ過去形にするわけにはいかないよな
シオンがいなくなった。
ただ姿が見えなくなっただけじゃない。イルの放った光に包まれた瞬間、夜空に現れた三人の天使の記憶とともに、連れて行かれた紅髪の存在そのものが消えていた。
「ん? パーティーの途中なのに、俺は何をしていたんだ?」
「お客さんはフィーちゃんだけなのに、なんでお皿やベッドが二つも用意してあるのかしら?」
ルーフェンさんは論文説明会を中断して空を見上げていたことに首をひねり、エメルノイアさんは家の中の違和感に考え込んでいた。街の人々も、どうして外に出ていたのかわからないまま、やがてそれぞれの家に戻っていった。そうして、何事もなかったかのように夜が明けた。
「一人でわざわざこんな遠くまで来てくれてありがとう、フィリガー君」
翌朝一番の馬車で、オレは都を離れることにした。まだ人通りもまばらな朝霧の南門まで見送ってくれたルーフェンさんは、いつものように穏やかに笑っていた。
「世界の真相を知る唯一の同志がいなくなるのは寂しいが、またいつでも遊びに来てくれよ」
おととい、この街についた日の夜に、オレ達はシオンから天使と天界の実態を聞かされた。昨日は街を散策しながら、それについて話し合ったりもした。そのことは覚えているのに、それはあくまでオレとルーフェンさんの二人だけということになっていた。
「その話を誰がしたか、本当に覚えていないのか? ジェト海溝で初めて会った時き、オレや水人の姉弟の他にもう一人いたことも」
「天使の話をしたのはフィリガー君じゃないか。ジェト海溝でも、他には誰もいなかっただろう。どうしたんだ、疲れているんじゃないのか?」
「……いや」
うつむいて馬車に乗ったオレを、ルーフェンさんは本気で心配してくれていた。ただ、何かに悩んでいるんだろうと、それくらいにしか思わなかっただろうけど。オレはもう反論するのを諦めた。
原因不明の崩落で通行止めになっている山道を迂回して、馬車は帝都から離れていく。あの街で、オレはいろんなことを知って、大切なものを失った。行きも確かに一人だったけど、今は言いようのない孤独感に押し潰されそうで、馬車の窓を閉めた。
あいつがいきなりウチに転がり込んできたのは、陽気な春の昼下がりだった。
オレの弱みを握って脅すし、あごでこき使う尊大な態度だし、初めのうちはどうしてこんなことになったのかと不幸を嘆いたもんだったな。
それが、いつからだろう。隣にいることが普通になってしまっていたのは。いつもドツかれたり面倒をみさせられたり、厄介なことばっかりだったよ。だけど、獣人誘拐事件の時や赤木ヶ原で呪法に飲み込まれた時には危ないところを助けられたし、何より、いつどんな時でも隣にいた。
『もし転生したら、何も知らせないで……ただ、一緒にそばにいてやってくれないかな』
『わかった。生まれ変わっても、わしが必ずそばで見守ろう。約束だ』
エリンとの最後の約束を、あいつはずっと忘れずにいたんだ。四百年ぶりに再会したのに、自分のこともあの約束のことも言えないまま、下手くそな嘘と沈黙だけで騙しとおさなければならなかったなんて、辛かっただろうな。それがエリン――オレの願いだったとはいえ、やっと思い出した時には、あいつはいなくなってしまった。
「……広いな」
たった二日の外出だったのに、帰ってきた丘の上の家は、ずいぶんと久しぶりな気がした。ここに一人で住んでいた六年間、広いなんてことも静か過ぎるなんてことも、寂しいなんてことも、思ったことは一度もなかったのに。
『メシはまだかーッ!?』
あぁ、今にもあの叫び声が聞こえてきそうだ。いつも日の出のころから起こされていたのも、いつの間にか日課になっていたっけ。二階の寝室に行っても、疲れているのに休む気にならなくて、荷物を置いてまたダイニングに下りていった。
『で、お前、妖精とか言っていたけど、どこから来たんだ?』
『あー、妖精なんだから妖精界に決まっているだろう』
そんなバカな会話も、このテーブルでしていたよな。結局、あいつが何者なのかわからないままだった。妖精族はエリンを最後に絶滅してしまったから、自称・妖精は本当はどの種族なんだろう。魔法の力があるから現界人じゃないし、うつほも知らなかったから死神でもないだろうし、天使にも追われていたし……。
そうえいば、天使があんなにも執拗に追いかけていたなんて、いったい何をやらかしたんだ? ある意味、天界と接点を持つことの方がむずかしいんだぞ。神サマにまで目を付けられるほどの罪を犯すなんて、どうしても考えられないけど、天使に言われた時にも否定はしていなかった。
『今は話すことはできんが、いずれお主はすべてを知らねばならん』
なぁ、何を知るんだよ。今もこんなにもわからないことだらけじゃないか。エリンとの約束でオレのそばにいたんだとしても、どうして天界や世界の真相まで話したんだ。ルーフェンさんの言うとおり、知らない方が幸せだったのかもしれないし、知ったところでオレに何ができるわけでもないじゃないか。大事な相棒さえ、目の前で連れて行かれるのを止めることができなかったっていうのに……!
「おーい、フィリガー! いるか?」
……この声は。物音がした瞬間にもしかしたらって思ったけど、あいつじゃないのはわかっている。ため息をついて気を取り直してから、すぐに立ち上がった。
「よう。今度はこっちから来てやったぜ」
扉を開けると、ヤギと羊のハーフが片手を上げて笑っていた。その後ろには、狼と馬の獣人も一緒だ。タイミングがいいのか悪いのか。正直言って、今は誰にも会いたくないんだけど……なんて言おうかと迷っている間に、三人はズカズカと入ってきた。
「ここが人間の家かぁ。お、この金属の箱はなんだ? 音が出るぞ!」
「ここなら他の人間がいないから、変装する必要もないな」
「また半年ぶりだよな。こんなところで一人でこもっていないで、たまには顔を出せよ」
サンがキョロキョロとめずらしそうに家の中を物色している横で、ボールドさんは色違いで普通の赤いハンチング帽をとった。カームはやっぱり屋根で寝ていて、起こしても動かないから放ってきたらしい。……相変わらずだなぁ。
「お前が来ない間に、けっこう変わったんだぞ。俺みたいなハーフが集まって、村を作ったんだ。まぁ何割かは、こいつらみたいな物好きも一緒にいるけどな」
「コトを覚えているか? あの白蛇の占い師だ。あいつがライオン王にうまいこと言って、村を認めさせたらしいって話だ」
「オレも群れに戻って、いろいろ調達してきたんだぜ!」
あぁ、こいつらも前に進んでいたんだな。先を争って話す三人は、今が楽しくて仕方がないって活き活きした表情をしている。対してオレは、顔がこわばるのを隠すために、せっせとお茶を入れながらうつむいていた。
「お前さん、なんかあったのか?」
洞察力の鋭いボールドさんがいきなり話を振ってきたから、お茶を入れる手が止まった。遅かれ早かれ、態度の異変に気づかれるだろうとは思っていたけど、どう答えたらいいのかまだ思いつかなかった。何もなかったと隠し通すほどの心の余裕はないし、何も覚えていない彼らに説明しても虚しいだけだ。
「フィリガー、お前ってさ、なんでも自分一人りで溜め込むタイプだろ?」
イスに座ってもお茶には手を出さないで、リトルがじっとオレをのぞき込んできた。溜め込むタイプ、か……まるでどこかの妖精みたいじゃないか。オレは生まれ変わっても、なんにも変わっちゃいないんだな。
「俺らのことにはさんざん首をつっこんでおいて、自分のことには俺らじゃ相手にならねぇってのか? てめぇ、ナメるのもいい加減にしろよ」
「リトル、なんでケンカ腰なんだよ……」
「はん、見損なうなよ。俺はダチを見捨てるほど落ちぶれちゃいねぇぜ」
暴れないかと心配するサンをにらみつけて、リトルは視線を逸らしたままのオレに尊大に言い放った。
「やっぱり、かなわないな」
胸につかえていた迷いが、すっと軽くなったような気がした。そうだよな、一人で考え込んで悩んでいたところで、なんの解決にもならない。六年前の過ちを、またくり返すところだった。今はここに、こんなにもオレのことを思ってくているヤツらがいたのに。
「信じられないかもしれないけど、聞いてもらえるかな」
一度話そうと決めたら、堰を切ったように次から次へと言葉が溢れた。小さな紅髪が押しかけてきて一緒に住んでいた半年間のこと、前世からの約束で見守ってくれていたこと、天使に追われていて連れて行かれたこと……そして、オレ以外のすべての人の記憶から消えてしまったこと。話していて、オレはなんて無力だったんだろうと改めて思った。オレはあいつに、何もしてやれなかった……。
「その、シオンってヤツには、俺らも世話になったみたいだな」
やっぱり覚えてはいなかったけど、リトル達はオレの話を、シオンの存在を信じてくれた。信じただけでなく、思いがけない反論をしてきた。
「でもな、さっきから黙って聞いてりゃ、なんでずっと過去形なんだ?」
「え?」
「そいつが確かに存在することも、お前のダチだってことも、まるで昔のことみたいな言い方しやがって」
「そうだぜ。それになんで諦めているんだよ」
「天界に連行されただけで、まだ助かる可能性が残っているじゃないか」
助かる、可能性……。オレは無意識のうちに過去形にして諦めていたのか。相手が圧倒的な力を持った天使だから? 天界がどこにあるのかわからないから? シオンが自分の意志で連行されたから?
……そんなの、どれも関係ないよな。どんな理由があったとしても、オレはあいつが処刑されるなんて嫌だ。言いたいことも、聞きたいことも、まだいっぱいある。だったら、こんなところでじっとしてなんかいられない。
「ありがとう。まだ過去形にするわけにはいかないよな」
「おうよ! それでこそ俺のダチだ」
リトルに背中をドンッと叩かれて、咳き込みながら迷いも吐き出してしまった。オレ、何を悩んでいたんだろ。吹っ切れたら、むしろ一人で勝手にいなくなったシオンに腹が立ってきた。絶対に連れ戻して、一言文句を言ってやる。
「だけどよ、天界ってどこにあるのかもわからねぇんだろ?」
「行くって決めたんだから、あとはなんとかなるさ」
「そうだぜ。なんたってあの英雄エリンの生まれ変わりなんだ。できないはずがねぇ!」
沈んだ空気が苦手なサンは、オレが肩をすくめて笑っただけで、うれしそうに立ち上がって叫んだ。ついでに隣のリトルに、うるさいと間髪いれずにドツかれるのもお約束だ。
「噂だが、水人の都には昔から天使の伝説があるらしいぞ」
浮かれている若いのとは違って、ボールドさんは現実を見ている。さっそく情報屋として、貴重なネタを流してくれた。水人の都か……もしかして、またあの女王サマに会わなきゃならないのかなぁ。
「ただ、変装帽を使っても水人には化けられないから、どうやってリヴィアルに行くかだが……」
「それなら問題ないよ。前にも行ったことがあるから」
「お前、水人の知り合いまでいるのかぁ?」
「はは、獣人同士が仲良くなったんだから、今度は水人を紹介してやるよ」
初めオレにもそうだったように、リトルは複雑な表情だった。興味はあるけど、得体の知れない不安。でもそんなもの、すぐになくなるさ。オレが、オレ達がそうだったんだから。
「フィリガー、そっちが片付いたら、また顔出せよ」
「シオンってヤツも連れてきてくれよな。またダチになればいいんだ」
「俺たちにできるこがあったら、なんでも言ってくれ」
「あぁ。行ってくる!」
今度会う時はあいつも一緒だ。だから、これは別れなんかじゃない。森の終わりで見送ってくれる三人に手を振って、オレは水人の都へと旅立った。