第4章(6) 何があってもオレはキミの力になるから
広い裏庭に明かりがついたころには、大勢の人が集まっていた。帝国大学の教授、なんとか研究所の所長、政府の上級官僚……等々。みんな恰幅がよくて同じ満面のスマイルで、世間話をしていると思いきや専門用語や政治性の思惑が飛び交っている。
業界の有力者がズラリとそろったそうそうたる顔ぶれの中で、まったく場違いとしか思えない約二名は、学生たちに混じって隅っこの方でこっそり見ていることにした。オレは偉い方から、シオンは家主の細君から隠れるために。
「本日はお集まりいただきまして、ありがとうございます」
主役の新主任教授が登場して、挨拶が始まった。オレの精一杯の一張羅より豪華な服でビシッと決めたルーフェンさんは、得意げに鼻を膨らませてスピーチしている。内容は専門的なことでよくわからないけど、原稿もなしにスラスラと落ちついたもんだなぁ。研究室の学生たちが用意したディナーをつまみながら、つい感心してしまった。オレが人前で話したのなんて、学校の作文発表くらいだよ。
「そして、この世紀の大発見に協力してくれたのがそちらの二人、フィリガー君とシオン君です!」
えぁ……!?
「さぁ、二人とも、紹介するからこっちに来てくれ」
「いや、オレ達は……」
「遠慮することはない。みんな、君たちの貴重な意見を聞きたがっているんだ」
丁重に断固として辞退しようとしたけど、手作りの壇上で待ち受けるルーフェンさんと全員の期待のまなざしが痛いほど突き刺さった。
「よいではないか。ひとつわしが演説してやろう」
怖いもの知らずで遠慮なんて無縁のシオンがズカズカと出ていくから、もうオレもついていくしかなかった。ルーフェンさんの横へ来てふり返ったら、後ろで見ていたより人が多くなった気がする。うわ、緊張する……!
「彼らは考古学を専門にしているわけではありませんが、歴史的なことに深い興味と知識を持ち合わせていて、素人ならではの視点から大変画期的な発想を展開しています」
「ど、どうも……」
「特に、天使と天界について、とても興味深い見識を示していて、わたし個人としてもぜひ伺いたいところです」
「え、えっ?」
緊張で顔が引きつっているオレは、半分うわの空で聞いていなかったから、いきなり話を振られて動揺しまくった。な、何がなんだって?
「天使はメタトロン神が最初に創った者たちで、男女五人ずつとなっておる」
おろおろするオレを放っておいて、シオンがなんの前置きもなしに話し始めたもんだから、みんなガヤガヤとお互いに顔を見合わせた。外見はただの子供だし、論理的な証拠は何もないのに、冷静に断言する妙に説得力のある話し方と逆らいがたい雰囲気に、裏庭は騒然となった。
「天使たちは神を絶対の存在として、その意志を上天院によって決定し、忠実に実現して現界を導いておるのだ」
「キミ、どうしてそんなことを知っているのだね?」
「天使に会ったことがあるからだ」
「なんだと!?」
さらっとシオンが答えたら、またしても驚きの声が上がった。まぁ、オレも会ったことならあるけどね。血の気の多い連中やら、つかみどころのない軽いのやら。案外、この紅髪も天使の一人かもしれないぞ。
「本当か!? いったい、いつどこで会ったんだ!?」
「神の意志を実行するということは、神が実在すると考えていいんだな?」
「何番目の天使だった? どんな容姿をしていたのか、詳しく教えてくれ!」
「キミは、妖精が消えた謎に天使がかかわっていると思うかね?」
持っていたグラスや料理を放り出して、出席者たちがいっせいにシオンに殺到した。あぁ、ルーフェンさんと同じ人種がうじゃうじゃいるよ。
「今の話、昨日俺たちに話したことと微妙に違っているな」
主役を食われたルーフェンさんは、大勢に取り囲まれて質問攻めのシオンを輪の外から眺めながらつぶやいた。
「そうかな? 簡単に短くまとめただけじゃないのか?」
「いいや、天使や天界の構成を説明するだけで、話題をずらしている。天使が現界を支配しているという肝心の核心を抜いているばかりか、神の意志に忠実なだけだと言っているようにも聞こえないか」
「そう言われてみれば、そうかもしれないけど……」
「よく気付いたの、学者バカよ」
シオンが少し人ごみから下がって、小声で笑った。
「真実はそう簡単に大衆に理解されるものではない。それに、世に知らしめるのはお主らの役目だから……」
「あれぇ? おいしいパイを買ってきたのに、シーちゃんどこ行ったの?」
格好いいことを言いながらも、視界の端に黄色の水玉リボンを見つけたシオンは、あわてて質問者たちの輪に自分から入っていった。さっきの説明とあいつの性格から、重大な秘密を告白しているようで、じつは適当にはぐらかしているだけなのは明らかだ。それでもこれだけ目の色を変えたおっさん達に囲まれていたら、恐怖の大魔王から逃れることはできるだろうな。
「せっかくのルーフェンさんのお祝いパーティーなのにな」
「構わんさ。本当の真実は俺たちしか知らないんだし、有力な情報網があるってことで俺の株にもなる。どうせ、新説を発表するのは俺なんだからな」
さすが、ただでは転ばない、たくましい学者根性だ。
「そうだ、フィリガー君。ちょっと買い物を頼まれてくれないか。ウチの学生にやらせればいいんだが、この後にも論文説明会の手伝いがあるんだ」
「あぁ、いいよ」
エメルノイアさんの標的がこっちに移るくらいなら、パシリでもなんでも喜んで行かせていただきます。
「買い物リストと、店の地図だ。東地区の入口の方だから、迷うことはないと思うが」
最初に発見された時がすでに迷子だっただけに、ルーフェンさんは店の場所と行き方を何回も説明して、玄関まで見送ってくれた。子供のおつかいじゃあるまいし……とは、前科があるだけに言えないのが悲しい。
暮れなずむ街には、朝から案内してもらった時と変わらない大勢の人で溢れかえっていた。この時間になると、夕食の買い物に出かける人と、家に帰る人とで二つの群れができている。オレは主婦の御一行様に紛れて、選択の余地も必要もないまま東地区へと流されていった。
「えーっと、まずは酒屋……」
「あれ、もしかしてフィリガーじゃない?」
がやがやとにぎやかな喧騒の中から、オレの名前を呼ぶ声がはっきりと聞こえた。いろんな町から来た色とりどりの服装や髪型に混じって、ひときわオレの目を引く黒のシャツとシルバーブロンドのポニーテール。
「フィーラ!」
「やっぱり! また会えるなんてね」
いくら同じ街とはいえ、よその規模なら二つくらい隣町でもおかしくない広大な都で、昨日とちょうど同じくらいの時間にこれだけの人ごみの中で再会するなんて、まったくうれしい偶然だ。
「まだ他の町に行っていなかったのか?」
「いったんは外に出たんだけどね。ちょっと探し物ができて戻ってきたの。あなたは知り合いに会えたの?」
「あぁ、今そこの家でパーティーをしていて、買い出しを頼まれたんだ」
まさかこんなところに彼女がいるなんて思わなかったから、買い物に送りだしたルーフェンさんに感謝だよ。
「ね、せっかくだからその買い物、手伝ってあげるわ」
「いいのか?」
「だってあなた、今にも迷子になりそうなんだもの」
「なんでみんな、オレが地理が苦手だって知っているんだ?」
「ふふ、地図を逆さに持っているわよ」
広げて見ていたルーフェンさんのメモと、あたりの店の並びをじーっと見比べて、紙を上下逆にまわしてみた。……なるほど。
「お酒と魚と食器ね。このお店なら、さっき前を通ったわ」
メモをちょっと見ただけで、フィーラは品物と店の位置を把握して、すぐに歩き出した。情けないけど、オレは見失わないように必死についていくしかない。このあたりは、昼間にルーフェンさんに連れて行ってもらったばかりだから見覚えはあるんだけど、どっちから来たのかは、もうさっぱりわからない……。
「フィーラは何を探しているんだ?」
こんなにもスラスラと迷うことなく進んでいく彼女が探しているなんて、どんなものなのか興味があった。最初の酒屋でリストに書かれた銘柄を探しながら、フィーラは口に手を当てて、少し言葉を選んでいるようだった。
「私も個人的なものじゃなくて頼まれ物でね、手がかりがないから人の多いこの街から探してみることにしたの」
「オレの知っている地域なら手伝うよ」
「ありがとう。でも、あなたもきっと知らないわ。……笑わないで聞いてくれる?」
「あぁ、わかった」
「現界では伝説の至宝と呼ばれている、“蒼穹の涙”よ」
どう反応したらいいのかわからないオレの目を、フィーラは真面目な顔でじっとのぞきこんだ。ここにも“蒼穹の涙”を探している人がいたんだって、とっさにはそれくらいしか思わなかった。みんないろんな事情で至宝を求めていて、オレもそれを阻止したり手伝ったりしてきたけど、結局その手がかりさえ見つからないままだった。フィーラは他人のためだって言っていたから、理由は訊かないけど、大きな深緑の目は至宝の存在をこれっぽっちも疑ってはいなかった。
「オレにもどこにあるのかわからないけど、家に帰ってからもできる限り協力するよ」
フィーラはうれしそうにニッコリ笑って、でもハッと驚いた表情で眉をひそめた。
「フィリガー、あなた……」
「ん?」
「……まさかね。さ、次の店に行きましょ」
酒ビンを買って店を出たときには、フィーラは何もなかったみたいに、いつもの笑顔で他愛のない話を続けていた。オレも同じように話を合わせながら、でもさっき一瞬見せた陰りがどうしても気になって頭から離れなかった。
「……あ」
思わず前を行く手をとったら、フィーラは何が起こったのかわからないで立ち止まった。なんでこんなことをしたのか、自分でもわからない。ただ、彼女が遠くに行ってしまいそうな気がして、なんとかここにとどめたかった。握りしめた白い手は、細くて柔らかくて、今にも消えてしまいそうだった。
「フィーラ、何があってもオレはキミの力になるから」
「……ありがと」
「あ、いや……ご、ごめんな。いきなり」
彼女が戸惑いながら手を握り返したから、今度はオレが焦ってしまった。忙しく行き交う人ごみの中でオレ達はクスクス笑いながら、今度は二人で並んで歩いた。もちろん、しっかりと手をつないだまま。
「これで全部、だな。助かったよ」
「ふふ、どういたしまして」
「フィーラも来るか? おいしい料理もいっぱいあるから」
「せっかくのお誘いだけど、できるだけ早く探さないといけないの。今度こそ別の町に行くつもりだから、しばらくお別れね」
「そうか……しばらく、だよな」
「えぇ、またいつか、きっと会いましょう。約束ね」
お互いの熱を残して、つないだ手を離した。東門から出ていくフィーラの後ろ姿が、夕闇に溶けてなくなるまで見送った。
今度こそ何度も地図を確認しながら(もちろん上下もばっちりだ)ルーフェンさんの家に戻ってきた時には、すっかり暗くなっていた。昨日みたいに深夜にならなかっただけマシだよな。でも買い物の品が間に合ったのか心配になって、すぐに裏庭へ急いだ。
「――これによって、ジェト半島は逆さ鏡の魔法で作られていたことが証明されたわけであります」
あれからどういう流れになったのか、今はまた誰もいなくなった壇上で、ルーフェンさんが論文の説明をしているみたいだった。テーブルを見たら、まだ料理がたくさん残っていて、みんなほとんど手を付けないで話に聞き入っている。これじゃ野外講義だな。邪魔をしないようにこっそりから揚げをつまんで、シオンを探してみたけど、小さな紅髪の姿はなかった。
「また逃げたのか」
エメルノイアさんが隅のテーブルで一人パイを食べているところを見ると、うまく彼女に見つからないでこの場を脱走したらしい。オレもむずかしい話を聞くのは遠慮したいから、さっきの買い物を学生に預けて家の中に入っていよう。
「あ、シオ……」
裏口から入って居間を通り抜けたら、階段の踊場の窓から空を見ていたシオンの後ろ姿を見つけた。でも声をかけようとした瞬間、世界がぐらっと揺れたようなめまいがして、とっさにひざをついた。なんだ……誰かが遠くで呼んでいるような……。
「フィリガーか?」
ふり返ったシオンの声が聞こえたけど、答えることができなかった。頭の中でキーンと鋭い音がして、強烈な眠気がする。何かに引っ張られるような感覚に逆らえなくて、床に倒れたことにも気付かないまま暗闇に落ちていった。