表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
蒼穹の涙  作者: chro
27/37

第4章(5) シーちゃん、みぃつけた!

 目覚めて二階の窓から見下ろした街は、いつもと違って見えた。もちろん朝の帝都を見るのは初めてだけど、きっとそれだけじゃない。何も知らなかった昨日までの世界とは、もう何もかもが変わってしまったんだ。……いや。

 誰もいない部屋の窓辺で、誰にともなくかぶりを振って自嘲した。変わったのは世界じゃなくオレなのかな。人も物も、まったくいつものまま動いているのに、オレだけが取り残されたみたいな……。


「おっはよー、フィーちゃん!」

「……ッ!」


 身の毛もよだつ甘い声で扉が破られた次の瞬間、襲いかかった抱擁と香水に窒息した。さっきまでのシリアスな朝が、いきなり笑えない喜劇に……ぐふぅ。


「あら、元気ないわね? わかった! フィーちゃん、朝弱いんでしょ」

「いえ、朝じゃなくてあなたが……」

「んもう! 駄目よ〜、私、人妻なんかだから♪」


 もう、なんでもいいから勘弁してください……。


「ところでシーちゃん見なかった? どこにもいないんだけど」

 逃げたな、シオン。「さぁ、知らないな」

「あーん、朝からぎゅーしたかったのになぁ。エメリナ、がっかり」


 今度その名前を言われたら、刀を抑える自信がないです、エメルノイアさん。


「あ、ルーちゃんが、もうすぐ朝ご飯ができるからって。ルーちゃんのご飯、とってもおいしいのよ!」


 今日は黄色の水玉リボンにショッキングピンクのスカートという組み合わせのエメルノイアさんは、ルンルンとスキップしながら行ってしまった。……わからない。ルーフェンさんは、あれのどこに惚れたんだろうか。

 それからオレも着替えて下におりていったら、奥の台所からおいしそうな匂いとルーフェンさんの鼻歌が流れてきた。相変わらず、彼が料理をしているだな。


「あの女は行ったか?」


 階段の裏に隠れていたシオンが、恐るおそる顔を出した。オレが起きる前から逃げまわっていたらしい。本気で彼女が苦手なんだな。まぁ、気持ちは充分わかるけど。


「シーちゃん、みぃつけた!」

「……!」


 もはやホラーでなければ悪夢だな。いつの間にか後ろにいた少女おばさんに、いきなりガバッと抱きすくめられて、シオンの悲鳴は言葉にさえならなかった。いつも態度のデカい横柄な妖精もどきも、ここまでくればさすがに気の毒になる。


「あーん、ちっこくてフワフワしていて、かわいーッ!」

「放せ! わしは犬ころではない!」

「うふふ、よしよし。いいコでちゅね〜」

「髪をぐしゃぐしゃにするな!」

「おーい、メシができたぞー!」

「はぁ〜い、ルーちゃん!」


 お気に入りのぬいぐるみを放り出して飛んでいく子供みたいに、エメルノイアさんはバッと立ち上がって走っていってしまった。解放されたシオンは、青い顔で苦しそうにぜぇぜぇ言っている。


「あれは本当に人間なのか? あんな恐ろしい生き物は見たことがない」

「アマレットといいエメルノイアさんといい、お前、モテモテだよな」

「かわいいキャラも、ときには災難となる。これからは、ちと考えんとな」


 作っていたのかよ、そのキャラ。その方が怖いぞ。


「おはよう、フィリガー君、シオン君。昨日はよく寝られたか?」

「おはよう、ルーフェンさん。おかげでゆっくり休めたよ」

「目覚めは最悪だったがの」


 ルーフェンさんお手製の朝食を食べている間も、シオンは隠れるように小さくなっていた。オレは努めていつもどおりに振る舞っているつもりだけど、ルーフェンさんはどうなんだろうか、世間話をしたり自然に笑ったりしている。


「そうだ、パーティーは夕方からだから、それまで街を案内してやろう」

「主役がいなくてもいいのか?」

「ウチの研究室の若いのが準備を進めているから、大丈夫さ」


 主任教授サマは余裕の笑顔で、トマトを丸かじりしながら請け合った。せっかくの機会だし、まだ知らないところもいっぱいあるし、田舎モノは素直に連れて行ってもらうことにしよう。……何よりも、夕方までこの家の中でじっとしているのは、精神衛生上、非常によろしくないからな。



 帝都エル・デ・ファウラは、宮殿を中心に東西南北四つの区画に分かれている。オレが馬車で入ってきたのは南門で、フィーラに出会って一緒に歩いたのが西地区の一部分だ。ちなみに帝国大学やルーフェンさんの家がある現在地は、なんと北地区の端っこだったらしい。街の地図を見せられて、昨日の迷子の疲れがどっと出た。フィーラと別れてからルーフェンさんに会うまで、オレはいったいどれだけ歩きまわったんだろう……。


「この北地区は、学問の町と呼ばれている。大学や図書館の他にも、いろんな研究機関集まっているからな。住んでいるのも、俺みたいな関係者がほとんどだ」


 言われてみれば、道行く人はみんな本を持っている。楽しそうにおしゃべりをしている制服の学生たちはともかく、白衣の人や分厚いメガネの人、ぼさぼさ頭でブツブツ言っている人なんかは、はっきり言って怪しいのが多い。ハイテクな最新機器や貴重な資料がたくさんあるんだろう建物自体は、飾りっけのない殺風景なものばかりだ。


「うわ、すごい人だな」

「あっちは商業区域と言われている東地区だ。とにかくどんな店でも、どこの品物でもある」


 人は南門から入るけど、大陸中から集まってくる生鮮食品や、各町に運ばれる加工品なんかは、すべて東門で処理されているんだそうだ。威勢のいい声が飛び交う市場には奥さん連中が群がっていて、高級衣料店が並ぶ通りにはやっぱり高級な服装の人たちが歩いていて、楽器や雑貨の店には若い笑い声が響いている。

 あぁ、一度は嫌気がさして離れた人間の世界に、また帰ってきたんだなぁって実感が持てた。これほどの規模じゃなくても、オレも昔はこんなにぎやかな人の中で暮らしていたんだ。一人で閉じこもっていた時にはもう二度と戻りたくないって思っていたけど、どんなに離れていても人は人とつながっているんだってことを、教えてくれた友達がいた。


「俺はあそこの鳥料理が好きだな。ビールと最高に相性がいいんだ」

「よくこっちの地区にも来るのか?」

「週に三回くらい、夕食の買い出しに市場まで足を伸ばしている」


 やっぱり買い物もルーフェンさんがやっているんですかい。ご愁傷さまと言いたいところだけど、本人はまるで愁傷していないみたいだから、そっとしておこう。


「しかし、ここには戦争の跡がまるで伺えんの」

「軍の施設は東門からさらに外側にあって、市民の生活からは隔離されている。軍事機密という他にも、戦争を思い出したくないって声が多いからな」

「それでも軍を解散する気がないのは、いちおう戦争は終わったとはいえ、いつ他種族が攻めてくるかわからないから、見たくないくせに軍がなくなるのは困る、ってことか」

「まさにそのとおりだ、フィリガー君。ま、帝都が落とされるなんて誰も本気で思っちゃいないがな。それに今の皇帝陛下は穏健派だから、この六年で、これでもかなり軍備は縮小されたんだ」


 外壁の上に少し見える灰色の屋根や物々しいアンテナだけが、戦争の記憶を留めている。獣人の都フォルトや、水人の都リヴィアルも、似たようなものだったな……一見平和になったようで、外部に対する警戒は今も解いていない。だけど、そんな中でもリトルやソノラ達みたいに、他の種族とも交流を持ったつながりができ始めているのは、確実に今までとは違う時代になろうとしているんだ。


「さすがに宮殿の中に入ることはできないが、敷地の庭は開放されているから、あそこで少し休もう」


 ごみごみと雑多で喧騒に溢れた市街地で、唯一、宮殿だけが落ちついた静けさに包まれていた。街の中心にそびえる大陸の中心は、皇帝やその一族が住んでいるだけでなく、政治機関が全部ここに詰まっている。オレの家の丘が何個入るか想像もできない広大な敷地のうち、前庭だけは誰でも入れるようになっていて、本を読んだり静かに語らったりする市民の憩いの場所になっていた。


「この噴水は、終戦を記念して作られたものだ。災害や戦災で、どこの町もそれどころじゃなかったから、結構ひんしゅくを買ったがな」


 平和の女神と題された壷を持った女性の像は、とりあえず六年間、無事に何事もなく水を流し続けている。オレ達は高台になっている庭の隅っこのベンチに座って、さっき通りがかりの店で買ってきた冷たいジュースを飲んだ。


「これだけ大きくて人が多いと、疲れただろう」

「さすがは帝都だよな。一人じゃもう帰れないよ」

「ここにはあらゆる物があって、今はそれなりに平和で、毎日がにぎやかな活気に包まれている」 ルーフェンさんはジュースを両手で持ったまま、街を眺めてつぶやいた。「それが全部作り物だなんて、誰が思うだろうな」


 涼しい風が吹き抜けて、頭の上の木がさぁっと揺れた。一点を見つめて動かないシオンは、ただひたすらジュースを飲んでいる。オレは何も答えられなかったけど、無性に寂しさを覚えた。この巨大都市に何万人いようと、今この瞬間さえシナリオに沿ったものかもしれないことを知るのは、たった三人だけしかいないんだ。


「昨日あれから寝る前に、研究のために大学が飼っているマウスのことが頭に浮かんだんだ」


 ずっと平然としていたルーフェンさんも、やっぱりあの話を忘れることなんてできなかったんだ。人ごみを抜けてきた苦労とは違う疲れが、メガネの横顔にあった。


「薬の研究や生態データをとる実験に使われるとき以外は、大きな箱の中で暮らしている。結構よくできた箱でな、自然の石や草花を置いていて、快適な巣穴や水場もある。エサに困ることもない。生まれてから死ぬまで、これこそが世界のすべてだと信じて疑わないんだろうな」


 外の誰かに管理されて、決まった未来と確実な現実が約束された箱庭――何も知らなければ、それもまたひとつの平和の形なのかもしれない。

 だけど、マウス達が外の世界を知ってしまったら、それでも箱の中に留まるのかな? 常に天敵に注意して、食べ物を探すのに苦労して、巣穴を守って……そこまでして代わりに手に入れる自由って、いったい何なんだ? どっちが本当に幸せなんだろうか。


「どちらをとるか、それは人それぞれだろう。予定調和の平穏か、責任という名の自由か。……ただ」


 ルーフェンさんはジュースを一口飲んで、足元の小石を草むらに放り投げた。

「人はないものにこそ憧

れ、不可能なことを夢見るものだ。知ったところで選択の余地がないのなら、真実など知らないことが一番の幸せだ」

「それを可能にするために研究をするのが、学者じゃないのか?」

「どんなに努力をしようとも、希望を捨てずに信じ続けようとも、絶対に無理なことが世の中にはある。それが現実だ」


 わかっている。オレだって、もう夢を見て憧れるような子供じゃないから、信じればなんでも叶うなんて陳腐で無責任な希望は持っていない。

 それでも、諦めたらすべてが終わってしまうような気がする。世界の真相を知った今、何も知らなかった以前よりも前に進んでいると信じたい。確かに、箱に留まるか外に出るか、それは自由だ。でも、それを選ぶ権利さえないのなら、オレはその理由を神に訊きたい。中途半端に飼いならすだけなら、どうして自由と錯覚させる意志なんて与えたんだって。


「もしマウスが尋ねたら、お主らはなんと答える? なぜ自分たちはここにいるのかと」


 初めて口を開いたシオンの問いに、オレとルーフェンさんはすぐには答えられなかった。実験のために捕らえているけど、安全と快適を保障するからおとなしくしていてくれって説明するのか?


「今までなら、適当にはぐらかしていただろうな。考えるだけ無駄だってな」 ルーフェンさんは肩をすくめて笑ってみせた。「だが、今は……そうだな。とりあえず、箱の入口を開けてやるか。出たいヤツは出ていけばいい。まぁ、それでも実験は必要だからな。薬学部連中は怒り狂うかもしれんが」


 ルーフェンさんの笑顔が、木漏れ日に照らされて痛いほどまぶしかった。オレはその光に、ひとつだけ確信を持った。

 研究者はマウスの気持ちなんてわからないから、自分たちが良かれと思ったことをやっているだけなんだ。だから神サマも、オレ達が何を考えているか知らないんじゃないのかって。知ったら、ルーフェンさんのように箱を開けるかもしれない。あるいは、オレ達には想像もつかない大義があることを説明してくるかもしれない。どちらにしても、お互いが共存するための可能性が、そこにあるんだ。


「今は悩んでもしょうがないよな。限られた自由の中で与えられた役目を果たすのが、役者の仕事なんだ」

「いいことを言うじゃないか」


 苦笑するオレに、ルーフェンさんが立ち上がってジュースを一気に飲み干した。


「よし、それじゃぁ家に帰ってパーティの準備をしよう。それがさし当たっての俺たちの役目だ。エメリナも寂しがっているといかんからな」

「ルーフェンさん、ずっと訊きたかったんだけど、あの奥さんのどこがいいんだ?」

「すべてに決まっているじゃないか」


 あんなに愛すべき妻はいないと、まったく当然のように即答断言して、ルーフェンさんはすでに歩き始めていた。傾きかけた午後の日差しの下、またしても大いなる疑問だけが残ってしまった。


「あれも神サマの予定どおりなのか?」

「だとしても、ちと悪趣味に過ぎるの」


 オレとシオンは複雑な顔のまま、はぐれないようにあわててルーフェンさんの後を追いかけた。

 意味があろうとなかろうと、自分にできることを精一杯するしかない。それがなんなのかはわからないけど、オレはこの時、夢で見たエリンの悲しい決意を思い出していた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ