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蒼穹の涙  作者: chro
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第4章(4) いずれ大いなる願いを拓く時がくる

 大陸の中に在りながら、現界の大地でも冥界の空でもない場所――天界。


 そこに住まう十人の天使たちが、大陸の各地から緊急に召集された。扉のない無機質な部屋で唯一の装飾、壁に描かれている円を組み合わせた模様は、永遠に巡る魂を表している。そしてそれを司るメタトロン神の幻影――本体は別の空間にある――が御座に現れると、天使たちは立ち上がって一礼し、大陸の運命を決める上天院が開かれた。


「今日の議題は二つ」


 挨拶も前置きもなしに、神の右側に位置する第一天使イルが、円卓の面々を見まわして言った。現界のどの生物よりも完璧に整った顔は、陶器の冷たい美しさと絹の温かい柔らかさを合わせ持っている。


「まず一つ目は、罪人の追処分についてですが」

「だから、エルヴァは罪人なんかじゃねぇって言っているだろ!」


 議題が出るや否や、はちまきをした第九天使ニオが立ち上がって叫んだ。十人ともそろいの黒いローブだが、彼は動きやすく切ってシャツのようにしている。


「あいつは絶対に、そんなことをするヤツじゃねぇ。きっと何かの間違いだ」

「しかし現に、絶対不可侵であるべき神の一部が傷つけられているではないか。いかなる理由があろうとも、これは万死に値する事態だ」

「それに、赤木ヶ原で言及した時にも否定しなかったわ。認めたも同然よ」


 優雅にローブをまとった気品ある第二天使ドヴァーと、天界の意志は絶対だと信じて疑わない第三天使トレは、先日、ともに断罪の実行部隊として現界に赴いた。しかし不可思議な神の光に遮られ――これについては、神のあいまいな説明でうやむやになった――撤退を余儀なくされたことで、彼らは前回の上天院会議にも増して罪人の即刻処分を求めていた。


「理由も何もあるか。あの裏切り者は、今度こそ俺が始末してやる!」


 ニオの向かいの席から同じように息巻く第六天使ゼクスは、前回でも細かい議論を聞いておらず、最初から短絡的に罪人だと決め付つている。もはや本来の目的を無視して、処分そのものに躍起になっていた。


「仮にエルヴァが犯人だとしても、どうやってあれを傷つけ持ち出したのか、まったく見当がつかないな」


 ゼクスの左隣、神の正面に座る第五天使フェムが独り言のようにつぶやいた。この中では二番目に若年の少年ながらも、思慮深く落ちついた態度は外見以上に大人びている。


「それに、理由もわからない。あれだけではなんの影響もないし、現界へ逃げたきり何をするわけでもない」

「現界のどこかに隠して、宝探し大会でもやろうと思ったんじゃないの? いいじゃん、おもしろそうだね」

「あなたは黙っていなさい、ティエン」


 ドヴァーに鋭く言われ、第十天使ティエンは黙る代わりにべーっと舌を出した。神の隣の席でこんなことをできるのは、彼だけである。


「エル兄ちゃん、どこへ行っちゃったの? セーミ、また遊んでほしいなぁ」

「フィーラ、お前、あいつをどこかで見かけなかったのか?」

「ううん、知らないわ。別に彼を探していたわけじゃないし」


 まだ幼い子供の第七天使セーミは、彼女専用の高いイスから机に乗り出すようにして、誰にともなく見当違いに訴えている。それを無視してニオが口を挟んだが、第四天使フィーラは長いシルバーブロンドの髪を揺らして首を振るばかりだった。


「あれは神の一部にして世界そのもの。いずれ必ず、神の御許に戻ってくるじゃろう」


 第八天使アハトは、長く伸びた白い眉と髭の下でおごそかに言った。世界の真理を悟ったと言われるこの老天使は、すべては神の名の下に統べられているため何事もなるようになるとして、誰のどんなことに対しても私情がない。


「……その処分、まずは本人をここへ連れてきて、申し開きの機会を与えてからでも遅くはないのではないか」


 これまで気配さえなかったメタトロン神が、初めて口を開いた。一瞬、水を打ったように円卓が静まり返り、次にはあれだけ自分の意見ばかりを言っていた天使たちから、溢れんばかりの笑みと称賛が先を争うように飛び出した。


「さすがは偉大なる神の御慈悲! このニオめは感服いたしました」

「しかし主よ、罪人に裁きを下すのが天界の法であり、私たちに与えられた役目でございます」

「すでに決定したことを覆されては、神の御威光に傷がつきますわ」

「主は何もご心配召されますな。必ずやわたくしどもが、主の思し召しに沿えるよう全力で対処いたしますゆえ」


 口々に捧げられる恭しい言葉と態度がすべて本物であることは、神自身が誰よりもわかっている。それなのに、いや、それだからこそ虚しさを感じ、メタトロン神は誰にも気付かれることのない小さなため息をこぼして、また目を閉じた。


「確かにフェムの言うとおり、過程や理由がわからないままでは今後の対策にもつながりません。よってここは主の御判断に従い、エルヴァを捕らえて問いただし、その上で処分を行えばよいでしょう」 イルはひと呼吸おいて円卓を見まわした。「追処分の実行にはゼクスとドヴァーが再度の希望をしていますが、次は私も行きます」

「チッ、面倒なことを……」

「イルまで出るの? それじゃぁ、いよいよ大ごとだね」

「いいえ、そうならないためですよ」


 イルはゼクスが小さく舌打ちしたのを聞かないふりで流し、茶化すティエンにも優しく微笑んで答えた。ともすれば衝突し、それぞれが勝手な方向を向いてバラバラになりねない天使たちを、彼女が仲裁してまとめているからこそ上天院は成り立っている。イルは隣でまた気配さえ消した神に軽く頭を下げ、話を進めた。


「次の件ですが、こちらはさらに重要です。つい先日、現界にまた“蒼穹の涙”が現れた兆しがありました」


 悠久の時を生きる天使たちにとっては百年前でも昨日のような感覚なので、現れた正確な時期はわからないのだが、今現在、現界に存在しているということが重大な問題である。そのことに気付いていた者もそうでない者も、一様に眉をひそめた。


「私も現界で感じたわ。少しずつだけど、影響が出ているみたい」

「今回はどんな状態なんだ、フィーラ?」

「これまでずっと戦争をして隔絶していたはずの種族間で、交流ができ始めていたの。人間に助けられたという獣人や、水人の子供と人間が一緒に雨宿りしていたという話を聞いたわ」

「へへ、ボクもこの前、人間と雨宿りしていたけどね」


 暇さえあれば冥界や現界にイタズラをしに行っているティエンの軽口は無視して、他の天使たちはフィーラの情報を真剣に聞いていた。彼女も自由奔放で、いつも現界を旅してまわっているのを苦々しく思う者もいたが、こういう細かい変化には詳しい。ただ、ティエンよりは真面目で信頼性のある態度であっても、現界を管理することに無関心なのは同じだった。


「今はまだごく一部でも、種族や地域の境界を超えるなんて、まさに“蒼穹の涙”の力だね」 フェムの言い方は肯定にも否定にもとれない。「前に現れた時の、全種族の平和共存を唱えていた現界人を思い出すよ」

「ふん、バカなヤツらだ。互いに相反するように最初からプログラムされているのに、逆らえるわけがない」

「まったく、大陸の秩序を乱す危険極まりない愚行です」


 倣岸に言い捨て、ゼクスが鼻で笑った。ドヴァーは上品な物腰ながら、彼以上に現界人を見下している。


「ねぇねぇ、“そーきゅーのなみだ”ってどこにあるの?」

「そうなんだよねぇ、セーミ。それがわかれば苦労はないんだけど」

「影響があった場所を、適当に吹っ飛ばせばいいだろ」

「ゼクス、神の所有物をむやみに破壊するのは、主を傷つける行為に同じですよ」

「あるいは、お創りなされた神ご自身がご存知であらせられるや」


 小声でつぶやいたアハトにならって、全員がひとつの方向に顔を向けた。瞑想していたメタトロン神は、無言でありながらはっきりと伝わる視線――期待、不安、恐れを感じながらも、しばらく沈黙を守ったのち、ゆっくりと顔を上げた。


「“蒼穹の涙”の可能性は無限だ。わたしにも計り知れない。だが、いずれ大いなる願いを拓く時がくる」


 神の言葉は憶測でも推論でもなく、未来の事実である。天使たちは驚愕して息を呑み、険しい表情になった。


「我らが主に危険が及ぶ可能性は、どんなに些細なものでも速やかに削除しなければならない」

「まだ影響が少ないうちに、急いで見つけ出して処分しねぇとな」

「私も現界で探してみるわ」

「では、私とドヴァーとゼクスは罪人の追跡を、残りは“蒼穹の涙”の探索および排除をお願いします」


 第一天使がまとめると、全員が同時に立ち上がって神に一礼し、上天院は終了した。そして天使たちは、早くも会議の決定に従って行動すべく次々と姿を消し、部屋には動かない神の幻影だけが残った。


「頼んだぞ、エルヴァ。今度こそ……」


 メタトロン神がささやいた言葉は、未来の希望となり得るのか、それは神自身にさえもわからなかった。


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