第3章(7) これで学会はひっくり返るぞ!
幸い、ソノラとアマレットはまだ海溝の一番底まで行っていなかったから、オレもどうにか降りていくことができた。それでもかなり全身の圧迫感が強くなって、頭と耳が痛い。でも、今はそんなことも言っていられないみたいだ。
「フィル兄ちゃん! 助けて!」
岩のくぼみに隠れた姉弟のまわりを、一,二,三……全部で七匹ものサメがうろついていた。一匹一匹がかなりの大物で、中でも黒いヤツはサメとは思えないくらい規格外のデカさだ。こいつが噂の人食いザメ、ジョーンズの一味か。
「大丈夫か?」
「うん、どうにか。姉ちゃんがここに隠れる時に腕をぶつけちゃったけど、ちょっと血が出ているだけだから……わぁッ!」
少し安心したところで、二匹のサメが岩に体当たりをしかけた。水中でもにぶい破砕音が響いて、サンゴや岩の破片が吹っ飛んだ。なんて力だ……!
「オレがこいつらをおびき寄せておくから、お前らはその間に逃げて、上にいるシオン達に知らせろ!」
「う、うん! わかった!」
「フィルさん、気をつけて!」
宣戦布告したのが伝わったのか、サメの群れがいっせいにこっちに向き直った。この数にこの大きさだと、さすがに迫力があるな。おびき寄せておくと言ったものの、一人で相手にできるのかなぁ。
「どうにかするしかない……いくぞ!」
飛び出すと同時に斬りおろした先制の一撃は、あっさりとかわされた。後ろからぐわんと迫ってきた尾ひれからは逃げたものの、すぐに別のヤツが喰らいついてきて、とっさに急上昇した。
「今だ、行け!」
そのまま横に泳いで谷から離れたら、すぐに追いつかれたけど、注意を逸らせることはできたはずだ。オレも二人が逃げるところを確認している暇はない。次々に弾丸みたいに迫ってくるサメの突撃をよけながら、水圧で扱いにくい刀を振るっていく。上下左右どこにでも動ける代わりに、得意のすばやい動きを封じられている状態だ。こんなことなら、子供のころの水泳の練習を、もっと真面目にやっておくんだったよ。
「痛ッ……!」
牙がかすって足から血がふき出した。それでも退かずに刃を刺して、次に突っ込んできたヤツを宙返りでかわしながら斬り裂いた。あと五匹……休む間もない猛攻と慣れない水中での戦いで、少しずつおされているのはわかっているけど、今さら獲物を逃がしてくれるような優しい相手でもない。あの赤木ヶ原の怨念たちと比べたら、どっちがマシなのか悩むところだ。
「ぐぁっ!」
二匹同時に相手にしていたら、岩陰から飛び出してきた黒い大ザメを避けきれなくて、体当たりをまともにくらってしまった。このゴロツキどもを従えるジョーンズは、水人も恐れるスピードと力に加えて、相手に気付かれないように死角にまわり込む知能も持っているらしい。どうにか巨大サンゴの後ろに隠れて距離をとったけど、たぶん今のであばらが何本かやられたな……さて、ここからどうしたものか。
「頭をさげろ!」
誰が誰に言ったのかもわからないで反射的に首を引っ込めたら、あたりが一瞬まぶしく光って、頭上で大口を開けていたサメが吹っ飛んだ。
「ルーフェンさん!」
「対水兵器も持たずにこの海域に潜るなんて自殺行為だぞ」
学者先生が持ち出した似合わないデカブツは、先の戦争で水中戦に使われた電気砲だった。さすが一人で危険な調査に出向くだけあって、準備もぬかりない。オレ、ちょっと海をナメていたかな。
「さて、ジョーンズさんよ。ウチの研究室に剥製コーナーを作ってやるよ」
「ちょっと待て。その前にわしが説得してみよう」
電気砲を構えたルーフェンさんを抑えて、シオンがつかつかと出ていった。おいおい、説得するって……心配で戻ってきた姉弟と一緒にサンゴの陰から見ていると、残ったサメ四匹と何やら「話し合い」をしているみたいだった。あの殺し屋巨大ザメが、獲物を目の前にしておとなしく停止しているよ……。
「話がついたぞ。今後この海域を荒らさないという約束で、見逃してくれるそうだ」
そういえばこいつ、前に鳥ともしゃべっていたっけ。いったいどんな会話をしたのか、サメ達はジョーンズを先頭に深海に消えた。ふぅ、助かったぁ。でもルーフェンさんは電気砲を振りかざして憤慨していた。
「サメがいなくなったのはいいが、これじゃぁ調査ができないじゃないか」
「命あっての研究であろう。あやつらには、まだ数十匹の仲間が控えておったのだぞ」
「だが、定説を覆すかもしれない世紀の大発見を目前にして、みすみす諦めるなど……」
「まったく、どこまでも学者バカだの」
うわ、言っちゃったよ。ルーフェンさんが怒鳴りかけたけど、シオンは落ちついて付け加えた。
「ここの宝が目的で荒らすのなら、この先の崖の間を抜けたところに光るものがあるから持っていけ、とのことだ」
怒っていたルーフェンさんだけでなく、不安そうだったソノラとアマレットの顔も、驚きと喜びに変わった。そして次の瞬間には、三人で言い合わせたみたいに同時に飛び出した。元気のいいヤツらだなぁ。
「いよいよ“蒼穹の涙”とご対面かな」
「……」
「なんだよ、シオン。まさかさっきの話は嘘だったとか言うなよ」
「いや、そうではないが……」 目を逸らしてシオンがつぶやいた。「どんな宝があるのかは知らんが、“蒼穹の涙”はここにはない」
「どこにあるのか知っているのか?」
「そもそも、誰もあの至宝の意味をわかっておらん。それを知った時、お主にも真実がわかる」
夢でエリンと話していたことを、同じ寂しげな表情で言った。でも、今のオレには意味なんてわからない。それにもしかしたらってこともあるかもしれないし、他にもどんなものがあるのか楽しみだ。
山みたいな岩盤に細く走った亀裂を進んでいくと、さらに下に続く縦穴があった。逆さまに映った半島では上に伸びていたはずだから、普通は気付かないし、気付いても登るのはむずかしいだろう。確かに宝を隠すなら絶好の場所だろうな。
「鏡だ!」
広い空洞に出たところで、ルーフェンさんが叫んだ。オレが百人くらい乗れそうな巨大な鏡が、上を向いて横たわっていた。割れているけどほぼ完全な円形で、まわりの細かい装飾や色もそのまま残っている。
「こいつはすごい! この模様は妖精族の魔法に使われていた文字……やはり逆さ鏡の魔法だったのだな。すごい! すばらしい! これで学会はひっくり返るぞ!」
ルーフェンさん、宙返り三回転までしているよ。オレ達にはこれがどれだけすごいことなのかさっぱりわからないけど、この大発見とやらがよっぽどうれしいみたいだ。姉弟はまだ鏡のまわりを探している。ジョーンズの言っていた光るものっていうのは、この鏡だけなのかな。それとも、他にもまだ何か……。
「あっ、これ!」
岩の間に壊れた水剛石の箱が引っ掛かっているのを、アマレットが見つけて叫んだ。ソノラやオレ達も駆けつけてのぞいたら、そこにはあふれんばかりの金銀財宝が入っていた。
「やった! お宝だ!」
「へぇ、こいつはすごいなぁ」
興味の薄いルーフェンでさえ目を丸くして感心しているくらいだから、ソノラの喜びようはさっきの学者先生にも劣らない。アマレットも少し興奮ぎみに、ゆっくりと手を伸ばした。
「この中に“蒼穹の涙”が……」
「それはこちらに渡してもらおうか」
な、なんだ、こいつら? 宝に夢中になっていて、気配に気付いた時には武器を構えた二ダースもの水人たちに取り囲まれていた。
「案内、ご苦労だったな」
「その格好、リヴィアルの兵隊だな。ずっとつけていたのか」
「ツァリーヌ女王様のご命令だ。その宝は我々が回収する」
「いきなり出てきて、なに言っているんだ。これはオレ達が見つけたんだぞ」
「地図を解明したのは女王様だ。よってここにあるものはすべて女王様のものである」
冗談じゃない、なんて無茶苦茶な理論なんだ。そんなことを言われて、はいそうですか、なんておとなしく渡せるか。七匹のサメより二ダースの兵隊の方がずっとマシだし、わけがわからないで困惑しているルーフェンさんにも協力してもらったら、これくらいどうにでもなる。
「貴様、抵抗するなら容赦はせんぞ」
「こっちだって、黙って言うこときくわけ――」
「いいわ、フィルさん」
力ずくで突破してやろうと思ったのに、刀を抜きかけた手をアマレットが止めた。
「宝は渡すわ」
「姉ちゃん!?」
「どうしてだよ、アマレット。ずっと探していた至宝が、この中にあるかもしれないのに」
「おとなしく渡せば危害は加えん。女王様は寛大なお方だからな」
あくまで横暴な兵隊たちは、アマレットが差し出した宝を根こそぎ奪いとって、満足そうに帰っていった。それを見送るしかないオレ達は、まったく不満だ。
「なんで渡したんだよ、姉ちゃん! あんなヤツら、フィル兄ちゃんがぶっ飛ばしてくれたのに!」
「我儘で貪欲な女王さまがこういうテに出るかもしれないってことは、最初からわかっていたわ。しかも、すべての水域を知り尽くしているのよ。今はどうにかなっても、逃げきれる相手じゃないわ」
「でも悔しいよ! これでせっかくお母さんが……」
「都にはお父さんがいるのよ」
さすがのソノラも口をつぐんだ。事実上、家族が人質に取られていることまで、アマレットは冷静に計算していたのか。
「それにね、もう願いは叶えられたから」
背中を向けたまま、ぽつんとつぶやいた。それがなんなのかは言わなかったけど、声が少しだけ震えていた。
「願いは一つしか叶わない。お母さんにはもう会えないけど、私は……」
「姉ちゃん……」
「ごめんね、ソノラ」
ふり返ったアマレットは、泣いてはいなかった。その代わり、その目には、悲しみと安堵感のようなものがあった。
「うん、姉ちゃんがそう言うなら、いいや」
あっけらかんと、ソノラがうなずいて笑った。
「僕は姉ちゃんとお父さんと、また一緒に暮らせるだけでいいからね。お母さんには、またいつか会えるよ」
「ありがとう。きっとお母さんが願いを叶えてくれたんだと思うわ」
「それに、これだけあれば、とりあえずお父さんへのお土産にはなるよ」
ソノラがふところから取り出したのは、いったいいつの間に隠したのやら、さっきの財宝の一部だった。それでも金貨や宝石がざくざく入った小さな袋が四つもある。こいつ、なかなかやるな。
「なんだかよくわからんが、俺はそろそろ戻るぞ。早く論文を書きたくてウズウズしているんだ」
もうここには来ないというジョーンズとの約束をしぶしぶ承諾したルーフェンさんは、その代わりに鏡の破片から遺跡の壁の一部まで、持てるだけ持って帰るつもりだった。なぜかオレ達(もちろんシオン以外)もそれぞれに山盛りの荷物を持たされて、やっと陸に上がった時には妙に疲れてしまっていた。
「わぁ、海が真っ赤だ!」
ソノラの叫び声にみんながふり返って、いっせいに感嘆のため息を落とした。今まさに沈もうとしていた夕日の最後の光に包まれて、深紅に染まった海と空がひとつになった瞬間だった。
あの水平線の向こうには、どんな世界が広がっているのかな。岩場に座って、赤に溶けた静寂を眺めていたら、この大陸もオレ達も、大きな世界の一部なんだって突然思い知らされた。
「いろいろありがとう、フィルさん。シオンちゃんも元気でね」
「また一緒に遊ぼうね!」
「俺も思わぬ収穫があって助かった。今度、帝都に招待してやるよ。その時には俺は名誉教授になっているかもな」
水人の姉弟はお父さんの待つ海へ、学者先生は帝都のある西へ、そしてオレとシオンは丘の家がある南へと、それぞれに帰っていった。違う場所に住む違う種族が、こうやって一緒に何かを協力するっていうのは、なんでもないはずなのにとても貴重で大切なことに思えた。