第3章(6) できるかできないかではない、やるのだ
大陸の東の端には、かつて大きな半島があった。でも四百年前に忽然と跡形もなく消えてしまったと言われていて、今じゃこの地方はほとんどまっすぐの海岸線が続いているっていうのが、一般的な認識だ。
切り立った崖の上から見下ろしたこの海域の底に、ラヴァイン湖で見つけた地図の場所、ジェト海溝があるらしい。消えた半島の伝説は結構有名だけど、その下に深い溝があるなんてことまでは、陸に住む人間が知るはずもない。
「ここはね、半島が逆さまになったところなんだよ」
久しぶりに家族三人でご飯を食べて寝ただけで、ずっと笑ってうきうきしているソノラは、今にも踊りだしそうなくらいテンションが高い。
「半島の山だったところが海底の谷になって、川が山脈になったんだって。僕のカンじゃ、きっとここにでっかい鏡があったんだよ!」
「そんなアホなこと……」
「お主、よくわかったの。逆さ鏡の魔法で海溝を映しだして、半島を作っておったのだ」
「……マジですか?」
シオンがさも当然のようにうなずいた。数千歳の子供じいさんが言うと、妙に説得力がある。というか、こいつはなんでもアリだから、じつは神サマだって言われても、たぶん納得してしまうだろう。
「ここに住んでいた妖精族が四百年前にいなくなって、その魔法も解けたのだな」
「妖精なら、ここにいるはずじゃ……ぐは!」
よ、よける間もなく、みぞおちにグーが……戦場じゃ矢の雨の中も突破していたのに……ぐふぅ。
「いなくなった妖精と、消えた半島……いかにも宝の匂いがするわね」
いつもの無表情に戻ったアマレットも、怒りや気負いなんかがなくなって、以前より雰囲気が柔らかくなっていた。あれから家族でどんな話をしたのかはわからないけど、もうお母さんも安心しているだろうな。
『兄ちゃん! お父さんがね、ちゃんと家に帰ってくるなら行ってきてもいいって!』
『お父さんも、できるならお母さんに会いたいって言っていたわ』
岩場で野宿をして体の節々が痛いオレ達を、姉弟は朝一番に飛びかかりそうな勢いで起こしてくれた。ギルロイさんの許可も出たし、家族が一つに戻ったし、これで心置きなく宝探しができるわけだ。
「地図には他に何か描いてないの、姉ちゃん?」
「何も印はないわね。半島になっていただけあって、かなり広いみたいだけど、一番深いところは、たぶんあの山くらいじゃないかしら」
アマレットが指差した前を目で追って、思わず見上げてしまった。特にずば抜けて高いってほどでもないけど、それでもれっきとした山だ。
「オレ、ダイビングなんてやったことないけど、水圧とか水流とか、生身で大丈夫なのかな」
「あんなところに登ったら気圧で潰されちゃうけど、水の中なら楽勝だよ!」
お前ら水人が潰れる陸の高さは、つまり人間のオレが潰れる水深なんじゃないのか? と言おうとしたけど、ソノラはもう崖から飛び降りていた。
「水圧なんかより、この海域は人食いザメのジョーンズの一党が縄張りにしている危険な場所だから、水人もなかなか近づかないのよね。ま、だからこそ手付かずの遺跡があるんだけど」
アマレットもさらっと怖い独り言を言いながら、地図をガラスの箱(ぶ厚い強化ガラスに換えてきた)に入れて、イルカみたいにきれいな曲線を描いて飛び込んでいった。あいつら、わざとオレを脅していないか?
「やっぱり、オレはヤバいんじゃないのかなぁ」
「お主はそんな水圧やサメごときに、本気で心配しておるのか?」
「いや、たぶん平気だとは思うけど」
「たぶんでは駄目だ。できるかできないかではない、やるのだ」
「うーん、じゃぁ……やってみる」
「よし。諦めずにその意志さえあれば、どんなことにも可能性は必ずあるということを忘れるな」
いやに真面目な顔でそれだけ言って、シオンはひらひらと木の葉みたいに海へ降りていった。よく考えたら無茶な理論だと思えなくもないけど、なぜか本当に大丈夫だって自信がついたような気がして、オレもみんなの後を追った。
鏡のように静かに透きとおっていたラヴァイン湖と違って、ここは潮の流れがあるし、深くて光がほとんど届かないから、オレには厳しい状況だった。最初に家を出た時に持ってきた荷物の中に耐水ランプがあるんだけど、これは自分で照らすよりも、はぐれないように誰かに持ってもらって目印にする方が賢明だな。
「ちょうどいいわ。地図を見るのに貸してちょうだい」
ソノラは思いついたらすぐに泳ぎまわってどこに行くかわからないから、アマレットに持ってもらうことにした。さっきのシオンの言葉に従うなら、溺死や遭難の恐怖は忘れて、無事に生きて帰ることだけを考えるようにしよう。
「シオンちゃん、この地図で何かわかる?」
「確かな位置までは覚えておらんが、妖精族の集落はほとんどが平地にあったから、山であった海溝の底までは行かんでもよかろう」
「それじゃ、まずはこのあたりから調べてみましょ」
頭脳陣が計画を立てて、切り込み隊長のソノラが真っ先に飛び出していく。オレはここじゃ役に立たないから、サメの警戒でもしておこう。どんどん潜って、一番浅い地面から坂道に沿って降りていくと、少しずつ全身が締め付けられるような感覚になってきた
「あった! 建物の跡だ!」
潮流に飲まれないように必死についていったら、姿は見えないけどソノラが叫ぶ声がした。水人にとってこの程度の水流は、陸の風みたいなものなんだろうな。オレは前を泳ぐアマレットの腰に付いた明かり以外はほとんど真っ暗で何も見えないし、油断をしたら左右に流されていくから大変だ。それでもどうにか、壊れた建物が点在する町の遺跡が見えるところまでたどり着いた。
「うわぁ、あの湖の底の町よりボロボロだね」
ラヴァイン遺跡は町をそのまま水の中に入れたような、水人の都リヴィアルとも遜色のないほどきれいに残されていたのに、ここは集落があったことを知らなかったら、遺跡ってことさえ気づかないかもしれない。でこぼこした地形に横たわる折れた柱や、海草の生えた石段の一部が、かろうじて町の面影を訴えている。
「あっちは二千年前の遺跡だから、ここの方が新しいはずなのに。海水や波に浸食されたのかしら」
「それもあるだろうが、もっと別の理由もあるようだ」
ソノラが壁をさわっただけで、家は水に溶けるように音もなく崩れた。アマレットが首をかしげて考え込んでいる横で、シオンは壊さないように慎重に近づいて、この中じゃ比較的原型を保っている家の屋根を示した。でっかい穴が開いていて、壁にも傷が走っている。これは……。
「戦争、か」
「妖精は現界では唯一魔法の力を持ち、昔から外と交流がなく謎が多かったから、“蒼穹の涙”を持っていると真っ先に疑われた。そこでやむなく、侵略に対しては応戦するようになったのだ」
シオンの話によると、妖精族は少数で、魔法は使えるけど好戦的な種族じゃなかったから、数百年ごとに場所を変えながら、隠れるようにひっそりと暮らしていたらしい。たぶんラヴァイン大峡谷の町も、次の場所に移るために湖底に沈めたんだろう。
なんか、やりきれないよな。戦争なんかしたくないのに、いやおうなしに戦禍に巻き込まれて、逃げまわりながら隠れているなんて。夢の中のエリンも、だからあんなに哀しい目をしていたのか。
「これじゃ、海に沈む前に全部持っていかれて、何も残っていないかもね」
「せっかくここまで来たのに!」
「あやつらの集落を荒らすようで気が引けるが、本当に隠していたものならば、そう簡単に他種族が見つけられはせんだろう」
「まだ何か、大切な宝が残っているってこと……」
「――シッ!」
波の間に、かすかに聞こえた物音……魚じゃない、でも確かに……。
「そこか!」
ふり向きざまに刀を投げたら、ちょうど潮の流れが強くなって、狙ったところより少し左の岩に突き刺さった。制されて固まっていた姉弟は、噂の人食いザメの集団が出たのかと思ったみたいだけど、こいつは一匹……いや。
「た、助けてくれ!」
一人、だった。柱の陰にいたのは、オレと同じく酸素ボックスを持った男……四十歳前後の、普通の人間だ。
「誰だ、あんた? こんなところで何をやっているんだ?」
「そ、そっちこそ何なんだ!? 水人と人間が一緒にいるなんて……」
まぁ、確かに。妖精もどきも入れたら、ますます普通はあり得ないメンツだよな。しかもお互い、誰もいるはずがないと思っていた海の底で出くわしたんだから、びっくりして当然だ。
「オレの名前はフィリガー=フェルセン。こっちの水人は友達なんだ」
「水人が、友達だって?」
「そんなに警戒しなくても、子供なんだから何もしないよ。あ、言っておくけど、オレが誘拐したわけでもないからな」
水流で逸れていなかったらグッサリだった刀を鞘に収めたら、男は姉弟をじろじろ見ながらも、とりあえず安心したみたいだった。
「俺は帝国大学の考古学者、ルーフェン=リノルスだ」
へぇ、あの有名な帝国大学の。じつはオレ、帝都には行ったことがないんだけど、人間社会の技術の粋が集結した、とにかくすごいところだって噂は聞いている。そこの大学は町一つ分くらいの広大な敷地で、大陸中の本や知識が集まっていて、あらゆる研究や学問が網羅されているって話だ。
「フィル兄ちゃん、この人間、誰?」
「お前らも心配しなくていいよ。偉い学者先生みたいだからな。ルーフェンさん、もしかしてここを調査していたのか?」
「考古学者がこんな危険な海域に潜って、他にどんな用事があるんだ?」
ごもっともです。
「とはいっても、非公式の調査なんだがな」
「非公式?」
「学会が認めていないってことさ。あるとき突然ジェト海溝に消えた半島は、大地震で沈没したっていうのが定説になっているからな」
「ルーフェンさんは、そうは思っていないんだな」
「なにせ妖精が住んでいたって言われている土地だからな。ただの地震なんかで沈むはずがない。ところでお前たちこそ、どうしてこんなところにいるんだ?」
話せば長くなるからなぁ。面倒だし、姉弟の家庭事情にいちいち触れるのもなんだから、“蒼穹の涙”を探しているってことだけを説明した。
「例の至宝か。確かに、ここならあるかもしれないな。しかし、一般人がよくここがわかったな」
「親戚のおじさんの友達の息子のお嫁さんの曾祖母が残した地図に、ここが記されていたのよ」
あのタコ女王ならともかく、学者先生相手に……っていうか、普通のヤツなら絶対にだまされないぞ。だけどルーフェンさんは、ふーんと泡ごと聞き流した。
「俺はお前らのことにも“蒼穹の涙”にも興味がない。ただ、この半島の謎を解明したいだけだからな」
見事なまでの学者バカ……もとい、見上げたプロ根性だ。でも、こいつは重大な戦力になりそうだな。
「それじゃ、協力しないか? オレ達、じつは半島の謎の一部を知っているんだ。それを教えるから、一緒に調べるってことで」
「謎の一部? 何を知っているんだ?」
予想どおり、ルーフェンさんは顔色を変えて食いついてきた。さっきの話、本当に事実なんだよな? ちらっとシオンの方を見たら、水中なのにのんきにあくびをしていた。
「逆さ鏡の魔法って、知っているか?」
「もちろんだ。魔法学もひと通りやっているからな。鏡を媒体にして、まったく同じものを逆さまに映しだす……そうか!」
ルーフェンさんは自分の言葉に興奮して、大きな泡を吐き出しながら叫んだ。
「ジェト海溝の地形を調べて、記録にある半島の地図と照らし合わせれば……そうだ! それに媒体の鏡を見つけることができれば、完全に定説を覆せるぞ!」
おぉ、思ったよりもすごい反応だ。実際に見てきた張本人の弁だからたぶん事実なんだろうけど、なんで一般人がそんなことを知っているのかなんてことも、まるで気にしちゃいない。
「すばらしい仮説を教えてくれて、ありがとう。約束だ、宝が見つかったら持っていけ。あぁ、でも論文には使わせてくれよ」
どこまでも研究熱心な学者先生は、この奇妙極まりない一団をすっかり信用してくれていた。自分で言うのもなんだけど、いきなり刀を投げつけてきた正体不明の輩を相手に、いいのかそれで?
「機器はあるが、基本的には一つ一つを手で調べていくしかない。水人はもっと深いところにも潜れるんだろう? あの谷を見てきてくれ。半島の地図のとおりならば、山頂に小屋があったはずだからな。お前とちっこいのはこっちだ」
くれぐれも壊さないようにと何度も念を押すルーフェンさんの指示で、オレ達は二手に分かれて調査を始めた。どうもまだ完全に水人への警戒がなくなったわけじゃないみたいだけど、接し方に戸惑っているだけなんだろう。種族間のまともな交流なんて、数百年間なかったことだからな。ちょっと横柄でそっけない態度だったのは仕方がないとしても、指示自体はさすがに専門家、的確な配置だ。
「俺は数日前から調査をしているんだが、お前らは来たばかりのようだな」
「なんでわかったんだ?」
「さっき見かけたら、何も考えずにさわって壊していたじゃないか。俺が調べた後だったからよかったものの、貴重な遺跡を荒らされてはたまらん」
それで様子を見ながら注意しようとしていたのか。それなのに、オレがサメか何かと勘違いして攻撃してしまった、と。申し訳ない。
「ところで今さらだが、そっちのちっこいのは、なんで酸素ボックスもなしで平気なんだ? 水人にも見えんが」
「わしは妖……」
「あーッ! なんでもない! こいつ、水人の親戚なんだ」
「親戚? おかしなヤツだな」
あわててシオンの口をふさいで、苦しい言い逃れをした。相手は妖精の集落を調べている学者だぞ。デタラメでもなんでも、ここで妖精だなんて言ったら、余計に話がややこしくなるだけじゃなくて、大学に拉致されて研究対象にされかねない。
「見ろ、この傷跡」
訊いておきながらほとんど興味がなくて聞き流していたルーフェンさんは、すでに遺跡の調査を始めていた。右半分だけ残っている石像と、やっぱり真っ二つに途中から崩れてなくなっている石壁。
「こんな壊れ方は、地震にしては不自然だ」
「オレ達もあっちの家の跡を見たけど、戦争で破壊されたみたいだな」
「それにしても、おかしくないか? 水人は陸では石を砕くほどの力はないし、獣人の破壊力なら石像なんて跡形もなく粉々だろう。人間の兵器といえども、四百年前のものなど、たかが投石器や初期の銃が精一杯だ」
ルーフェンさんの持ってきた強力な明かりを近づけてよく見たら、確かに切り口が鋭くてきれいだ。まるで剣や刀で斬ったような……でも、こんな大きな像や壁をばっさりなんて、ちょっとあり得ない芸当だ。
「こいつはただの戦争じゃない、魔法の力が使われている。妖精同士が争ったか、あるいは考えがたいが天使か死神が介入したとしか……」
「天使……!」
黙って後ろから見ていたシオンが急に叫んで、呆然と目を見開いていた。何にそんなに驚いているんだ?
「そうか、そういうことだったのか……」
「どうしたんだ、シオン?」
「だから妖精族は……エリンは呪法を……」
今度はぐっと目を閉じて、震えているみたいだった。こいつは妖精じゃないだろうけど、エリンと友達だったって言っていたからな。何か昔のことを思い出しているのかもしれない。過去の……辛い記憶を。
「うわぁっ!」
「キャーッ!」
悲鳴!? ソノラとアマレットの声だ!
「な、なんだ?」
「どうしたんだ? 大丈夫か!?」
うろたえるルーフェンさんと、まだ現実に戻ってきていないシオンを置いて、オレはすぐに刀を抜けるように左手に鞘を持ち替えて、悲鳴がした谷の方へと急いだ。真っ暗な深海にかすかに光るアマレットの明かりのまわりには、明らかに姉弟のものとは違う、大きな影がいくつもあった。