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蒼穹の涙  作者: chro
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第3章(5) 死んだら魂はどうなるのかな

 家の中ももちろん水中なのに、のどがカラカラになるくらい緊迫した空気が漂っていた。イスの代わりに床から天井に伸びた棒があって、オレとシオンは隅の方にある一本につかまりながら、部屋の真ん中で対面して動かない親子を見守っているしかなかった。


「今までどこに行っていたんだ。突然いなくなってから、もう二年も」


 ようやく父親が口を開いたら、アマレットがキッと顔を上げたけど、やっぱり何も言わなかった。この重苦しい雰囲気の出所の九割が、さっきから口をつぐんだまま目を逸らす彼女の険悪な態度だ。そんな姉をちらちらと横目で伺いながら、ソノラが恐るおそる答えた。


「僕たち、ガルテラ湖にいたんだ。あそこの周辺って、遺跡とか廃墟とかが多いから」

「まだ宝探しなどしていたのか。そんなことをしても……」

「そんなこと?」


 ついに爆発したアマレットが、噛みつきそうな剣幕で叫んだ。


「あんたなんかに言われたくないわ! お母さんがさらわれても、助けにさえ行かなかったくせに! お母さんが殺されたのは、あんたのせいよ!」


 部屋を飛び出したアマレットの後ろ姿は、水抵抗をものともしない勢いで叩きつけられた扉に消えた。いつも冷めた目をして笑うことも怒ることもなかった彼女が、あんなに感情を見せるなんて……。


「すみません、恥ずかしいところをお見せしてしまって」


 みんな呆然としていたとことで、痩せた父親が疲れた顔でかぶりを振った。


「申し遅れました、わたしはこの子たちの父親で、ギルロイといいます」

「あ、オレはフィリガーです。こっちはシオン」

「やはり、ガルテラ湖の方でしょうか?」

「あー……まぁ、その近くです」

「子供たちがお世話になったようで、ありがとございます」


 宮殿でも家の中でも後生大事にかばんを背負ったままの怪しいよそ者に、ギルロイさんは丁重に礼を言った。目に力がなくて落ちつかない物腰だけど、優しくて子供思いのお父さんって感じだ。


「もともと、ここに住んでいたんですか?」

「妻を殺されるまでは、ここで一家四人、静かに暮らしていました」


 はるか遠い昔の出来事を懐かしむように目を細めて、ギルロイさんは重いため息をついた。


「戦争が終わる一年半くらい前から、わたしも戦場に出るようになりました。戦いなどからっきしなので後衛の補給部隊だったんですが、なかなか家に帰れない日が続いていた時……海で魚を採っていた妻が獣人にさらわれたと知らせを受けました。どうにか助けに行こうと思いましたが、前衛部隊が壊滅するほど戦いが激しくて、とても戻れる状況ではないまま……」


 六年前までの百年間、どこの地域のどの種族でもごく日常化していた戦死や誘拐なんかの傷跡は、戦争が終わった今も消えることなく続いている。彼はけっして奥さんを見捨てようとしたわけじゃないし、こう言っちゃなんだけど、ろくに武器も持てない痩せた男が豪腕の獣人兵を相手にして、結果が変わっていたとも思えない。下手をしたら、ソノラ達は両親二人を同時に失うことになっていただろう。


「それ以来、娘はふさぎ込んでしまいました。そしてどこからか“蒼穹の涙”のことを聞いて近くの海などを探しまわっているうちに、二年前から家を出たまま帰らなくなってしまったんです」

「それで、ガルテラ湖に……」

「“蒼穹の涙”があれば、確かに妻は生き返るかもしれません。しかし、そんなおとぎ話の宝物など実在するわけがありません。母親がいないぶん、わたしがこの子たちを守っていかなければならないのに、どうしても許してもらえなくて……」


 妻を殺されて何もできなかったギルロイさんも、子供たちと同じようにずっと苦悩を抱えていたことは、この疲れ果てた表情が物語っている。そんなこと、アマレットもわかっていると思うんだけど……。


「姉ちゃん、ガルテラ湖にいた時も、何度か夜中に一人で岸辺に出て泣いていたんだ。僕、お母さんのことは顔も知らないけど、お父さんと一緒にいたいし、姉ちゃんが泣くのも嫌だな」


 率直なソノラの言葉は、たぶん家族みんなが思っていることなんだろう。でもアマレットは、幼い弟の面倒をみながら遺跡探索をする気丈さと、どう表現したらいいのかわからない起伏の少ない感情が邪魔をして、自分でもどうすることもできなかったんだと思う。むずかしいお年頃だからな。


「ちょっと、様子を見てくるよ」


 オレに何ができるかも、どうすればいいのかもわからないけど、このまま放っておくわけにはいかない。外に出て探しまわったら、街の上にぽつんと浮かぶ小さな影を見つけた。


「いい場所だな。空を一人占めできるなんて」


 水人は深い水底の方が好きだって聞いていたけど、アマレットは誰もいない水面に漂いながら、ずっと上にある火口の小さな空を眺めていた。


「ここは私のお気に入りなの。一人だけの世界だから」


 もうさっきの激情は消えて、でも虚ろな視線を動かすことなく、アマレットがいつものように静かに言った。オレも隣に浮かんで、酸素ボックスの口を離して、新鮮な空気を思いきり吸いこんだ。


「たまには一人になりたいって思うことがあるけどさ、独りって寂しくないか?」

「別に。お母さんがいなくなってからは、ずっと寂しいままだもの」

「お父さんや弟がいても?」

「ソノラはいいけど、あんな男、父親でも家族でもないわ」


 まぁ予想はしていたけど、そう簡単に心を開かないよな。だけど、かすかに声が震えているのは迷っている証拠だ。


「オレもさ、戦争で双子の妹をなくしたんだ。ちょうど、アマレットのお母さんと同じくらいの時期かな」

「フィルさんも?」

「じつはほんの最近まで、ずっと世間から離れて閉じこもっていたんだ。ほら、あの丘の上の一軒家。町から遠くて、普段は誰も近づかないからな」

「……」

「だから、お前らを見てすごいと思ったよ。オレはなんにもできないで、ただ悲しんだり後悔したりするだけだったのに、お前らはお母さんを取り戻すために必死に動いているんだからな」

「私は……」 隣で目を閉じて言葉を探しているのを、じっと待った。「私はただ、お母さんに謝りたいだけなの」

「謝る?」

「あの日、生まれたばかりの弟が病気で寝込んでいて、私は栄養のある魚をたべさせようとして海に出ていたの。そうしたらお母さんが来て、外は危ないから、魚は自分が採るから先に帰りなさいって言って……でも、いつまで待ってもお母さんは戻ってこなかった。だから本当は、私のせいでお母さんは死んじゃったのよ」


 おそらく今まで誰にも言えなかった辛い事実を、アマレットは戸惑いながらも吐き出した。誰が悪いわけでもない。帰れなかったギルロイさんも、病気のソノラも、弟を助けようとしたアマレットも、子供たちを守ろうとしたお母さんも、みんな家族のことを思っていただけなんだ。ただ、この悲しみのやり場がないだけで……。


「お母さんは幸せだよな」

「なんで? 死にたくないのに殺されちゃったのよ?」

「他の人よりちょっと早くに離ればなれになってしまったけど、死んだ後にもこんなに思ってもらえるって、すごいことじゃないか? それこそ、生きていたかいがあったってもんだ」

「でも……」

「もちろん、お前も幸せだよ。そんなに大切なお母さんがいて、同じ気持ちのお父さんや弟もいる。お母さんがお前に謝ってほしいなんて、思っているわけないだろう」


 オレには両親との思い出なんか一つもないから、正確にはアマレットの気持ちがわかるわけじゃないけど、きっとお母さんは恨んでも怒ってもいない。それだけは言い切れる。だって、今も大切に思っている家族がいるんだから、お母さんにとってもアマレット達はやっぱり大事な家族なんだ。エメリナが、ずっとオレのことを思ってくれているように。


「ねぇ、フィルさん。死んだら魂はどうなるのかな」


 しばらく沈黙があった後、アマレットが唐突に尋ねた。どこかの死神の少女が頭に浮かんだけど、それはこの際忘れることにしよう。


「死んだら死神がお迎えに来て、冥界で何年だか年十年だか過ごした後、神サマに新しい人生を与えられて生するって言われているな」

「それは人間も同じなのね」

「いつ何に生まれ変わるのかはわからないけど、みんな役割があって生まれてくると思うんだ。お前のお母さんが、お前を守ったように」

「役割……」


 どんな最期であったとしても、死んだという事実、もう二度と会えない現実は変わらない。もしかしたら、死ぬより残される方が大変なのかもな。その人のぶんまで生きて、さらに自分の役割も果たさなきゃならない。それが次へ次へと受け継がれて、世界は成り立っているんだ。


「私は、どうしたらいいのかな」

「とりあえず、お父さんと仲直りすることだな。今日は家族でゆっくり過ごして、明日にでもまた遺跡探索に行こう」

「いいの?」

「可能性がある限り、気が済むまで探し続ければいいさ。でも、お父さんやソノラに迷惑をかけていたらお母さんに怒られるぞ」

「……そうね。私、謝ってくる」


 起き上がったアマレットは初めて笑顔を見せて、街に潜っていった。笑ったら、結構かわいいじゃないか。まだ十歳の子供が、一人でいろんなことを溜め込みすぎなんだよ。


「どうやら、今夜は野宿のようだの」


 入れ替わりに浮かび上がってきたシオンが、どこから話を聞いていたのか心得顔でつぶやいた。自主的に追い出されたよそ者たちは、街の入口の岩場で海の月でも眺めながら寝るとするか。




 ――――……――――




『どうした? ぼーっとして』


 ……えっ?


『いや、ちょっと考え事をね』


 あれ? なんだ? オレが勝手にしゃべっている!


『シオンこそ最近ずっと姿が見えなかったから、心配していたんだよ』

『すまんな。ちと天界に顔を出していた』


 シオン? ……駄目だ、やっぱり声が出ない。それに自分の意思で体を動かすこともできない。いったいオレ、どうなってしまったんだろう。


上天院(じょうてんいん)は戦争を終わらせるつもりでいる。ただ、その方法をめぐってもめておるのだ』

『メタトロン神は、なんて?』

『やはり、現界に干渉するべきではないと言っておられるが……理由はどうあれ、天使たちは快く思っておらんからな』


 男がため息をついて立ち上がったら、視界も動いた。どうやらオレの意識だけが、この男の中にあるらしい。目の前にいるのは確かにいつものシオンだけど、彼は誰なんだ?


『この戦争は天界の意志に関係なく、僕たちが終わらせなくてはならない。でも、僕に何ができるんだろう』


 彼の視線に映る光景から察するに、ここはまわりの山を見下ろせる高台のような場所で、遠くに見える家はずいぶんと古い昔の造りだった。


『シオンの言うとおりなら、僕の役割は戦争を終わらせることなんだろ?』

『それは過程のひとつでしかないが、むろんその力もお主にはある』

『そう言われても、やっぱりわからないなぁ。僕はみんなと同じ、ただの妖精だよ。戦いが強いわけでも、特別な魔法を使えるわけでもない』


 妖精? 戦争を終わらせるって……まさか、彼がエリンなのか? でも彼は、四百年前に赤木ヶ原で呪法を使って……。


『腕力や魔法のことではない。お主は他の誰にもない、無限の可能性を持っておるのだ』

『それ、初めて会った時から言っていたけど、本当に僕なのかな?』

『制約に縛られないその性格や行動力が、何よりの証拠だ。さごろもも、お主は白紙だと言っておっただろう』


 さごろもって、あの入界管理部送迎課の室長さんのことなのかな。でもシオンとは数千年の付き合いみたいだったから、これがいつのどこであっても、なんの不思議もなければ参考にもならない。


『僕がなんであろうと、特別な力なんかなくても、こんな無益な戦いだけはなんとしてもやめさせたい。他の命を奪ってまでかなえた願いで、幸せになれるわけがないんだ』

『種族も身分も関係なく、みなが願いという欲に駆られて狂っておる。“蒼穹の涙”の本質など、誰も知ろうともしないからの』

『お互いにいがみ合って、悲しみをくり返して、それでも伝説の至宝を手に入れればすべてが報われると思っている。そんなものに頼らなければならないほど、この世界はどうしようもないのかな……』


 男は深いため息を落として、眼下に広がる町や森や湖を遠く見つめていた。まだ少年とも思える雰囲気なのに、心の底から悲しみが溢れているのがわかる。こんなにも憂いに満ちた目は、いったいどれだけの苦悩の見てきたんだろう。


『ときどき、その優しすぎる性格がお主自身のあだにならんかと不安になる。彼らを救うのも絶望して見切りをつけるのも、神ではない。お主の意志次第なのだ』

『わかっているよ』


 彼はふり向いて、無理やり笑ったみたいだった。


『心配しないで。僕はこの世界が好きだから、絶対に見捨てなんかしない。僕にしかできないことなら、なおさらね』


 足元の水たまりに視線が落ちて、かすかに彼の姿が映ったと思った瞬間、何かに引っ張られるような感覚に襲われた。急にあたりが真っ白になって、オレの意識は白い闇に溶けた。




 ――――……――――




 いつの間にか黒くなった世界は、波の音が遠く近くくり返す岩場だった。その間にはさまるように寝ていた体を起こしたら、肩と腰がちょっと痛かった。恐ろしいほど無数の星が埋め尽くす空は、うるさいくらい燦然と輝いている。


「どうした? ぼーっとして」


 同じ声の、同じ言葉。顔には出さなかったつもりだけど、シオンはオレの驚きを言い当てた。


「おかしな夢でも見たのか?」

「夢……あぁ、変な夢だったな。お前と話しているんだけど、オレは別の誰かになっていたんだ」

「……どんな男だったのだ?」

「さぁ。意識だけがそいつの中にあった感じだったから、誰なのかはわからなかった。妖精とかなんとか言っていたけど……って、なんで男だってわかったんだ?」


 シオンは目を閉じて、オレにはわからない深い何かをじっと考え込んだ。


「二つに分かたれていた魂が一つに戻ったことで、消えたはずの記憶が戻ってきたのだな……」


 シオンも知っているってことは、あれはただの夢じゃなかったのか? 記憶って言われても、オレはあんな場所なんか知らないし、でも過去に本当にあった出来事……?


「なぁ、彼はあの、伝説の妖精エリンなのか?」

「そうだ。わしはあやつの友だった」


 やっぱり……。また黙ってごまかすのかと思ったら、シオンは意外にもあっさりうなずいた。

 四百年前に実際にあった光景。なんでオレがそんな夢を見たのかがわからないけど、シオンはそれ以上は話すつもりがないようだった。


「本当に必要な記憶ならば、いつかわかる時がくる。エリンが、今のお主に伝えようとしていることが」


 シオンは静かにそれだけ言って、また岩の隙間にごそごそと潜り込んで寝てしまった。波の音だけが遠く近く、何度も何度もくり返している。


『ねぇ、フィルさん。死んだら魂はどうなるのかな』


 波間に漂う月を見ていたら、なぜかアマレットの言葉がよみがえってきた。

 死んだ魂が冥界で暮らしているのはこの目で見た。でもエメリナはオレとともにある。それじゃぁ、呪法を使って死んだエリンはどうなったんだ? 妖精っていう一種族ごと歴史から消えた裏で、いったい何があったんだろう。

 考えても答えのない疑問が頭の中でぐるぐる回って、星屑の海に飲まれてしまいそうだった。


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