第2章(7) ごめんなさい、僕が悪かったです
いきなり現れた三つの人影は、空からじっとオレ達を見下ろしていた。天界にいるはずの天使が、しかもたった十人のうちの三人がそろってこんなところにお出ましになるなんて、どう考えても普通じゃない。
「シオン、神力結界っていうのは、どれくらいで解けるんだ?」
「少なくとも、あやつらが黙って待っていてくれる時間ではないな」
「やっぱり無理か……リーフさん、クランさん、ちょっと帰りが遅くなって悪いけど、あそこの木に隠れて待っていてくれないかな」
オレだって、これから何が起こるのかはわからない。でも、もしかしたらさっきの怨念たちよりヤバいことになるかもしれないって危機感を、肌でピリピリと感じる。二人にもそれが伝わったのか、山のような疑問を口に出すことなく、気休め程度に木の後ろへまわった。
「貴様は、以前にも会ったな」
真ん中のごつい男が、オレを見て言った。さすが、存在を確認するより先に凶器を飛ばしてきただけあって、のっけから威圧的で敵意満々だ。この横柄な態度には、オレも覚えがある。
「またシオンを狙っているのか」
疑問形で聞くまでもない。あいつ、突然降ってきたシオンを追ってきたヤツだ。あの時も、釣りをしていたオレにいきなり恫喝めいた尋問をしてきたな。
「やはりまた来おったか、ゼクス。思ったより早かったの」
追われているシオンも、あいつらのことは知っているみたいだった。もちろん、とてもじゃないけどお友達って雰囲気には見えない。
「死神以外の現界の魔法力を探っていましたが、二度の弱い反応から、ようやく見つけました」
「相変わらず仕事熱心だの、トレ。しかしドヴァー、お主まで来るとは大儀なことだ」
「罪人を処刑するよう、メタトロン神から勅令が下ったのですよ」
「ふん、上天院が神の名を騙って、勅令とは笑わせてくれるな」
もとから性悪な皮肉屋だけど、シオンはいつにも増して辛辣に吐き捨てた。
「そこの人間と死神。今すぐここから立ち去るのならば、見逃してあげましょう」
「そりゃどうも」 思わず吹き出しそうになりながら、刀を空に突き付けてやった。「こいつが何をしたのかは知らないけど、見捨てて逃げるくらいなら、オレも罪人で結構だよ」
「愚かな。後悔しても遅いですよ」
右側のトレって呼ばれた女性が柔らかく微笑んだ。まさに女神さまみたいな優しい物腰のくせに、その殺気は魂の群れもビビるシロモノだ。でもあいにくだけど、わけもわからないで逃げ帰るより後悔する気はしないね。
「あなたはどうしますか、死神のお嬢さん?」
左上に浮かんでいる丁寧な口調のヤサ男が、じつは一番とんでもない力を放っている。天使や死神って呼ばれている魔法を使える種族の力は、現界人とは比べものにならない。
……はずなのに、こっちの死神は話を振られただけで泣きそうになっていた。
「あの、罪状もなしに処刑だなんて、法に反しているんじゃないでしょうか。それに現界で命を消せるのは、資格を持った死神だけのはず……」
突然、天使たちがおかしそうに笑いだしたから、うつほはびくっと飛び上がってオレの後ろに隠れた。
「な、な、何か私、変なこと言いましたか!?」
「いや、失礼。あまりに完璧な答えだったもので」
「え?」
「我らの力を恐れ、秩序を尊守する――まさにあなたのような存在が、この世界を形作っているのですよ」
ドヴァーが妙に上機嫌で説明したけど、オレ達にはまったく意味が理解できない。舌打ちしてにらみつけているシオンだけは、彼らの意図までわかっているらしい。
「しかし、だからこそ我らに歯向かうことはできない。そして、これは神のご命令です」
「うぅ……」
うつほは息をするのもビクビクしながら、オレの後ろでこれでもかってくらい小さくなった。こんな女の子まで脅して楽しいのか? 天使っていうのは、いろんな意味で危ないヤツらなのかもしれない。
「そういうわけですから、エルヴァ、神の名のもとに消えなさい」
「ちょっと待て、オレを無視するな」
早くも結論を出そうとするから、あわてて割り込んだ。先に答えたオレをスルーして、勝手に話を決めるなっての。
「オレは処刑なんて納得していないぞ」
「なんだ、貴様。勅令の執行を妨害するなど、反逆も同然だぞ」
「そんなの知るか。だったらせめて、なんの罪なのかってことぐらい……」
「もうよい、フィリガー。何を言っても聞く相手ではない」
なぜか逆に止めに入ったシオンは、明らかに天使たちが言っていること以外にも何かを隠している。そんなに知られたくないことなのか。そこまでオレは信用がないのか……。
「余計なおしゃべりはここまでよ。消えなさい!」
疑問はいっぱいあるけど、それでもシオンが処刑されるような悪いヤツとは、どうしても思えない。だから後で理由を訊くためにも、こんなところでやられるわけにはいかない!
「何!?」
最初の不意打ちよりも大きな光弾を、さすがに片手じゃ無理だろうと踏んで、両手に持ちかえた刀で斬り落とした。真っ二つに分かれた光は、枯れ木とはいえ立木を五,六本なぎ倒してて飛んでいった。はは、とっさに飛び出して刀を振るったものの、大砲がビー玉に思えるような魔法を、我ながらよくも防いだもんだ。
「嘘でしょう、私の光弾がはじかれるなんて……」
「トレ、何を手加減しているんだ」
「いや、力の問題よりも、我らに楯突いたという事実の方が由々しき事態。あってはならないことです」
「私たちへの反抗は、最大の禁忌の一つのはず。どういうこと?」
「プログラムのミスか、あるいは……いや、まさかな」
オレが痺れた腕の感覚を戻そうとしている間、なんかごちゃごちゃと話していたけど、ドヴァーがふっと笑って片手を振り上げた。
「いずれにしても、危険因子は消去します。万が一の可能性があるならば、わたしの魔法も防いでみなさい」
「……ッ!」
もう弾とも言えない大岩みたいな光のエネルギーが、無造作に落とされた。さすがにあれは斬り裂くとかのレベルじゃないし、避けようにもうつほ達を放っておくわけには……なんて考えている一瞬で、世界がひっくり返ったような衝撃に飲まれた。
「うっ……」
たぶん数秒間、気を失っていたらしい。気がついたら地面の石ころが目の前にあって、その向こうに転がっている刀を取ろうとしたら、指がかすかに動いただけだった。駄目だ、体が……痛いって感覚さえなくなっている……。
「ほう、まだ生きていたか」
「もう止めよ! こやつらは関係がないだろう」
目だけを動かしてみんなを探そうとしたけど、シオンの声しかなかった。あいつは無事だったんだな……。
「そうはいかねぇなぁ。抵抗した現界人、外部の人間、どいつも生かしておいたら秩序が乱れる。そっちの死神はどうでもいいが、ついでだ」
「相変わらず粗暴なヤツだな。秩序を守ることにのみ縛られて、生命の重みがわからんのか」
「ならば、あなたがおとなしく消えなさい。それとも彼らを守って抵抗しますか? さすがのあなたでも、五人分の障壁を張るのはむずかしいということが、先ほどでわかったはずですがね」
「……」
シオン、お前だけでも逃げろ……そう叫んでいるつもりの言葉は声になることなく、重い沈黙と乾いた風の音だけが耳をかすめていった。
「仕方がない。できれば使いたくはなかったのだが……」
「それは……神の光! バカな、どうして貴様が!?」
「エノクよ、少し権限を借りるぞ」
かすんだ視界が真っ白な光に包まれて、シオンが何かをつぶやいた声や、天使たちの悲鳴と一緒に、オレの意識もかき消された。
ん……あれ? オレはどうして……。
「ようやく起きたか。本当によく寝るヤツだ」
少し離れたところで、シオンが空を仰いでいた。オレは身体中の力と神経を総動員して、どうにか起き上がった。頭のてっぺんから足の先までガタガタだけど、それこそ生きている証拠だって思ったら、指を動かすのが精一杯だったさっきよりもすいぶんと元気になったもんだ。
「いったいどうなったんだ?」
「あやつらなら天界へ戻ったぞ。しばらくは現界に干渉できんだろう」
「戻った? なんで急に……何があったんだ?」
「さぁな。急用でも思い出したのではないのか?」
シオンはあくまでとぼけようとしていた。うつほ達は岩のそばに横たえられていて、まだ意識が戻っていない。本当のことを訊くのは、今しかないと思った。
「シオン、お前、何者なんだ? 今さら、まだ妖精だなんて言うなよ」
「それは……今は言えぬ」
「それじゃぁ、なんで天使に追われているんだ? 罪って、いったいなんのことだよ」
「それも、まだ言うわけにはいかん」
シオンは背中を向けたままで、抑制のない声からは表情を伺うこともできない。オレもいつもは他人のことはあまり気にしないけど、なぜかこの時ばかりは無性に悔しくて、イライラした。
「いきなりオレのところへ転がり込んできて、お前は何をしようとしているんだ? 一緒にいて、オレには知る権利もないのか? わけもわからないで巻き込まれるばかりじゃ、誰も守ることさえできないんだよ」
何かを知ってオレを守ろうとしたエメリナを、何も知らないオレが助けられなかったように。もう二度と、あんな思いはしたくないんだ……。
「……すまぬ」
やりきれないため息を落としたオレに、ようやくシオンが向き直った。
「今はまだ話すことはできんが、いずれお主はすべてを知らねばならん。その時までお主を支え導くことが、わしの務めであり、ある男との約束なのだ」
「さっきもそんなことを言っていたけど、いったい誰のことなんだ?」
「それも時が来れば話す。しかし、たとえ世界を敵にまわそうとも、わしはお主の味方でいる。信じてもらえんだろうが、それだけは本当だ」
いつも強気で唯我独尊のシオンが、何かに怯えるような悲しい目でつぶやいた。その表情にも言葉にも、猜疑する余地はまったくなかった。
「信じるよ。お前の正体がなんだろうと、何度もオレを助けてくれたのは事実なんだからな」
その数十倍はイジメられているけど。
「うーん……」
「あたたた……これ、マジで現実かよ」
うつほ達も気がついたみたいだ。あの規格外のエネルギー弾を喰らって、よくみんな五体満足でいられたもんだ。かすかに聞こえた天使の言葉どおりなら、シオンが直撃から守ってくれたからなんだろう。
「さて、ようやく一人が通れる程度には開いたぞ」
ずっと空に向かって何をしていたのかと思ったら、神力結界を解いていたのか。荒野の真ん中につながった海に、目には見えない穴を開けたらしい。
「こんな海の上に出たって、どうやって帰るんだよ?」
「おそらく、ヴァルナが気づいて助けに来てくれるだろう」
「あのガキがかぁ? あいつ、そんな人助けの精神なんてねぇだろ」
「それはお前の日ごろの行い次第だな」
「……長距離遠泳も、たまには悪くないよな」
クランさんとリーフさんのやり取りは、息が合っていておもしろい。この二人、性格も話し方も全然違うけど、本当にお互いを信頼しているんだな。
「この先の面倒は見れんが、あまり長い時間はもたん。そろそろ行け」
「世話になったな。悪夢にうなされたら、いつでも呼んでくれ」
「じゃぁな。今度はお前らも遊びに来てくれよ」
「あぁ、いつか絶対に行くよ。気をつけてな」
「ちゃんと生きて帰ってくださいね〜!」
二人の異邦人たちは、空間の裂け目から大陸の外の世界へと帰っていった。その直後に海が消えて、荒野が広がるだけのもとの風景に戻った。
奇跡的な確率で冥界に迷い込んだり、よその大陸から迷い込んできた人に出会ったり、過去に飲み込まれそうになったり。なんかあっという間にいろいろあったけど、普通じゃない体験も終わってみれば楽しかったと思えるから不思議だ。
「やぁ、無事に終わったみたいだね」
どう考えても計算されたタイミングで、入界管理部送迎課の室長さんがのんきな顔をして現れた。それを見たうつほが、起き上がるのもひと苦労だったはずなのに、ずかずかと突進して猛烈に抗議した。
「なんて仕事を押し付けてくれたんですか、室長! 魂のみなさんは殺る気満々で襲いかかってくるし、まだ呪法の毒が残っていたし、フィリガーさんなんて怨念に飲まれて消えちゃいそうになったんですよ!」
「お、落ちつけ、うつほ君! 顔が近い!」
さごろも室長は飛んできたつばをぬぐいながら、ものすごい剣幕で怒鳴るうつほをなだめた。安全な仕事だとか言われてあれだけ怖い思いをしたら、そりゃ怒りたくもなるわな。
「呪法の毒がまだ残っているとは思わなかったんだよ。まぁある意味、予想ができなかったこともないんだけど……」
「今、なんて言いました!?」
「な、なんでもない! ……とにかく、これで赤木ヶ原も平和になるし、君もようやく案内の仕事ができるようになったし、フィリガー君も過去を見直すことができたし、うん、万事おっけーじゃないか」
「……室長、ドツいてもいいですか?」
「ごめんなさい、僕が悪かったです」
メガネの下で光るうつほの目を見て、笑っていたさごろもさんの表情が凍りついた。あ、あれは本気だ……。
「そ、それじゃぁ、僕たちも戻るとしよう。シオン、フィリガー君、たまには死んで冥界にも顔を出してくれよ」
「ご臨終の時には、お迎えに行きますからね〜!」
ツッコミどころ満載の死神たちは、はしごと一緒に空へと昇っていった。あの世に知り合いがいるっていうのは、案外心強いことかもしれない。次に会うのはそれこそあっちへ行く時なのかもしれないけど。
「……あ、シオン!?」
うつほとさごろも室長の姿が見えなくなったと思ったら、急にシオンが倒れた。あわてて助け起こしたら、すーすーと寝息が聞こえてほっとした。どうやら、相当力を使ったみたいだな。
「しょうがない、か」
案外かわいい寝顔のシオンを背負って、みんないなくなった荒野を、オレも後にした。もしかしたら、これから平穏じゃない時が来るのかもしれないけど、いつかすべてがわかるっていうこいつの言葉を、今は信じることにした。