第2章(4) ちょっとこの数、あり得ないんですけど
六年前、世間と自分が嫌になって人とのつながりを避けるために隠れ住んだ家は、今や凄まじい朝食争奪の戦場と化していた。と言っても、実際に奪い合っているのはシオンとうつほだけで、リーフさんは喧騒を眺めながら一人優雅に食べている。オレはというと、作ったそばからきれいに消えていく皿盛りを補充するのに必死で、ほとんど食べる間もなかった。オレ、いちおう家主なんだけど……。
「こっちもいただきまーす!」
「あ、それはわしのだぞ!」
「だから、せめて盛りつけるまで待てって言っているだろ!」
「ふっ、にぎやかな連中だな」
もう餓えた獣どころか、底無しのポリバケツを相手にしている気分だ。途中から味付けなんてどうでもいいことに気づいて、適当に焼いただけの肉を机の真ん中にどんと置いてやった。
「ふぅ、疲れた。……そういえばリーフさんの捜している人って、友達? それとも兄弟とか?」
いいかげんに料理するのを放棄して席について、どうにか死守したパンとローストビーフの切れ端をつついた。
「俺の仕事の相棒で、アパートの同居人だ。単純で明朗快活で、あの感情の豊かさにはいつも感心したものだ」
「へぇ、なんか意外だな。リーフさんとは正反対の気がするけど」
「あぁ、それはよく言われた」
相棒のことを話すリーフさんは、表情こそ動かないけど、とても楽しそうだった。性格が違いすぎて、いいコンビだったんだろうなぁ。
「でも、そんな人がなんでいなくなったんだ?」
「……」
「あ、ごめん。そりゃいろいろあるよな」
「いや、話せば長くなる。俺の仕事や大陸の歴史から説明しなければならないし、それに……」
一度目を閉じて、ゆっくりと吸った息と一緒に重い言葉を吐き出した。
「俺が彼を殺したのだ。だが、彼は必ずどこかで生きている。だから俺が捜し出さなければならない」
殺したけど生きている……?何かの例えなのかな。目を伏せたリーフさんの横顔には、苦悩の中にも覚悟に似た決意のようなものがあって、オレは何も言葉をかけられなかった。
「おい、また誰か来たようだぞ」
うつほと最後の肉片を取り合っていたシオンの声で我に返った。顔を上げたら、確かに戸を叩く音がしていた。今まで客どころか近くの町の人間さえ近づかなかったのに、最近はどうなっているんだ?
「今度は誰……うわっ!」
「はぁい、こんにちは!」
扉を開けた瞬間、目に入ってきたのはまぶしいばかりの金髪と、白い服からこぼれそうな胸だった。派手目の化粧が、歳上の魅力をさらに引き立てている。うわぁ……すっげぇ美人。
「はじめまして。あなたが噂のフィリガー君ね?」
「えっ、あ、はい、まぁ……」
こんなグラマー美人にいきなり手を握ってにっこり微笑まれたら、もう会話どころじゃない。ドキドキして目のやり場に困りながら、自分でもワケのわからない返事をしていた。
「あーッ! 先輩じゃないですか!」
菜っ葉を口いっぱいにほお張っていたうつほが、戸口をふり返って叫んだ。
「久しぶりね、うつほ。百年ぶりくらいじゃない?」
「確かしゅうい部長の送別会以来だから、百五十年はたってますよ」
十代後半の少女と先輩お姉サマの会話にしては、どうにも違和感のある数字が飛び交っている。オレの想像だけど、冥界での時間はゼロを二つくらいとったら、現界の時間感覚に相当するんじゃないかと思う。
「あ、フィリガーさん。この人は私が死神デビューしたてのころからお世話になっている、かげろう先輩です」
「……お銀?」
「え? なんか言いました?」
「いえ、なんでもないです」
オレのあほなつぶやきは、あっさり流された。これ以上言うと世界観をぶち壊すことになるから、聞かなかったことにしてくれ。
「こんなところでどうしたんですか、先輩?」
「さごろも室長さんから、あなたに言づてを頼まれたのよ」
「えー、もう仕事なんですかぁ? ついさっきこっちに来たばっかりなのに」
死神の時間感覚なら、一晩なんて一分にもならないんだろう。たとえオレの食料十日分を、昨日と今日で跡形もなく食べ尽くしていたとしても。
「『赤木ヶ原に残っている迷い人をご案内すること』……はい、これが指令書よ」
「……!」
渡された紙切れに息を呑んだうつほの横で、たぶんオレも顔色が変わっていたと思う。赤木ヶ原……あそこは……。
「い、嫌ですよ! 絶対に嫌! あそこって、数も怨念もハンパじゃないことで有名じゃないですか!」
「大丈夫よ。今回はフィリガー君が手伝ってくれるんでしょ?」
「でも、でも、なんでよりによって赤木ヶ原なんですか!?」
「ほら、あそこは呪法が行われたから、ずっと放置したままだったじゃない。でも呪法の毒が消えるのがちょうど今年だから、この際いっきに片付けようって、さごろもさんヤル気満々だったわよ」
「私はヤル気ゼロですーッ!」
笑顔で説明するかげろうさんと、必死に訴えるうつほのやりとりを、オレは聞くともなしに聞いていた。でも頭の中は、六年前のあの瞬間でいっぱいだった。
「とりあえず『五百人限定温泉めぐりツアー』でも組んだら楽勝よ。冥界の予約は私が手配しておいてあげるから。がんばっていってらっしゃい!」
「まっ、待ってくださいよ、先輩〜!」
かげろうさんは励ましの言葉と投げキッスを残して、さっそうと空に舞い上がっていった。あんな超美人のお姉サマがいるなら死ぬのも悪くないって、いつもなら喜ぶところだけど、今は気分が重すぎた。過去と決別するって決めたのに、ダメだな、話を聞いただけで悲しさと悔しさがこみあげてくる。
「ふぇ〜、どうしよう。さごろも室長、ひどいよー」
「何を嘆いておるのだ。案内ならばいつものことだろう」
「全然違いますよ、シオンさん。殺された魂はほとんどが怨念たっぷりだから、おとなしく昇天してくれないんです。それどころか、逆に殺されちゃった死神もいるんですよ!」
「ははぁ、それでお主、現場に出ないで受付をしていたのだな」
「だ、だってぇ……」
「赤木ヶ原ならば、そこらへんの心霊スポットとは格が違うから諦めもつくではないか。さごろもに頼まれているからの、わしらもついていってやる。……おい、何をぼーっとしておるのだ。行くぞ」
「あ……あぁ」
シオンにつつかれた時、一瞬行くのを断ろうかとも考えたけど、結局うなずいただけで何も言わなかった。仕事を手伝うのを約束したとはいえ、本当に行きたくないって言ったら、たとえシオンが怒っても拒否することはできただろう。でも、誰の強制でもない、自分のために自分から行くことを決めたかった。決めなければならなかった。
大陸の北部に広がる赤木ヶ原は、点々と立つ枯れ果てた木と乾いた空気が横たわる、荒涼の大地だ。生き物の気配は皆無で、まわりを取り囲む山脈の向こう側まで町も森も湖もない。
六年前、ここで百年戦争最大の戦いがあった。人間、獣人、水人、すべての種族を合わせると町五つ分くらいの死者が出たそうだ。それ以前にも、この地は戦争が起こるたびに大規模な戦場になってきたから、土の中には今も無数の死体が埋まっている。かつては緑あふれる草原だったのに、おびただしい血ですべてが真っ赤に染まったことから、いつからか赤い木の並び立つ場所と呼ばれるようになった。
「まるで荒れた悪夢の世界のようだな。こんな光景が現実にあったとは」
人探しを手伝ってもらう代わりに何か協力できればと、一緒についてきたリーフさんがつぶやいた声が、いやに大きく聞こえた。
「六年たっても、あの時のままだな」
悲鳴、怒号、剣戟の響きが、今にも聞こえてきそうな気がする。砂埃の中には、まだかすかに血の匂いが混じっていた。
「フィリガーは、ここに来たことがあるのか?」
「オレが最後に戦った戦場だよ。戦う前から嫌な感じのする場所だったけど、現実にもあの戦いは凄惨すぎた。種族の関係なく半数以上がここで倒れたし、あいつも……」
言いかけて、言葉がつまった。さんざん敵を斬り倒して、味方の死も見飽きるほど見てきたはずが、たった一人の、何に代えても守ろうとした存在を失っただけで、オレはすべてから逃げるように戦場から消えた。もう二度と世間と関わることはないと思っていたのに、種族は違うけど交友を持って、またこの場所に戻ってきたのは、今こそオレの中の止まっていた時間が動き出そうとしているんだろうか。
「まぁ、それでも、確かに毒気はなくなっていますね」
肝心の仕事に来たはずなのに一番後ろで枯れ木に隠れているうつほが、恐るおそる顔を出した。
「その毒というのは、なんのことなのだ?」
「四百年前、この地で行われた呪法の影響だ」
腐った土を手に取りながらリーフさんが尋ねたら、うつほの代わりにシオンが答えた。
「史上最大といわれた大戦を一人の妖精が終わらせたことは、この大陸ではみな知っている有名な話だが、それがどのような方法だったのかということは、現界には伝わっておらん」
「それが、その呪法とやらなのか?」
「あまりに強大な力ゆえ、広範囲の大地を死滅させ、空気の流れや魂さえも淀ませる禁じられた呪術……多くの命と引き換えに行うその魔法を、エリンはたった一人で使ったのだ」
「それで、どうなったんだ?」
「史実のとおり、戦争は終わった。彼自身が犠牲になり、この地に四百年の呪いを残すことになろうとも」
異邦人のリーフさんだけでなく、オレも初めて聞く話だった。
妖精エリンの伝説はあいまいな部分が多くて、大戦を終結させるほどの絶大な力から、彼が“蒼穹の涙”を持っていたんだろうと言われている以外、確かな逸話も証拠もない。時間の経過のせいだけじゃなく、大戦が終わった時からエリンも、彼と同じ妖精族もすべて姿を消してしまって、真相を知る者はいなかったというのが原因だ。
「六年前やそれ以前も、この赤木ヶ原での戦いはすべて異常なほどの血が流されてきたが、滅びの呪いに引きずり込まれた影響も少なくはないであろうな」
「呪法のこととか、なんでそんなに見てきたように知っているんだよ?」
「見てきたからに決まっておるだろう」
やっぱり、こいつの年齢はわからない……。
「しかし、呪法の毒気は消えようとも、ここで死んだ者の魂はまださ迷っておるのであろう。うつほよ、どうするのだ?」
「どうって言われても……ちょっとこの数、あり得ないんですけど」
うつほは赤木ヶ原全体を見まわしながら、泣きそうに訴えた。いくら不気味な気配が漂っていようとも、オレ達には何も見えないから怖がりようがない。
「じゃぁ、これ付けてください。私だけ見えているなんて不公平です」
なぜか逆ギレぎみに渡されたのは、ぐるぐる渦巻きの分厚いメガネだった。魔法がかかっているだろうことはわかっていても、こんなウケ狙いのデザインをリーフさんまで付けるなんて、どこかから苦情が来るぞ。
「わっ……!?」
でも、お互いの顔を見て笑っているヒマはなかった。メガネを付けたとたん、無数の青白い光が荒野中を漂っているのが見えた。ふわふわと浮かんでいるだけのもの、高速で横切っていくもの、とにかくものすごい数だ。
「これ全部、死んだ人の魂なのか?」
「おとなしい光は、たぶん案内に応じてくれると思いますけど、ほとんどはやっぱり怨念のかたまりです。さっきから私たちを観察しているみたいだから、何をしに来たのかわかったら、怒って攻撃してくるかも……」
「おい、魂どもよ! わしらが案内してやるから、さっさと冥界へゆけ!」
遠慮なく叫んだシオンの大声に、魂よりオレ達の方が息を呑んで目を見張った。うつほが警告したそばから、この妖精もどきは……!
「な、な、なんてことするんですか!?」
「ヤツらを案内するために来たのだから、どうせ遅かれ早かれバレるわ」
「だ、だからって、そんな挑発するみたいに言わなくてもいいじゃないですか! もっと、こう、やんわりと説得して……」
「もう、手遅れのようだぞ」
誰に対しても尊大なシオンをのぞいて、一番冷静なリーフさんが視線で示した先には、明らかに敵意と殺気に満ちた光が集まっていた。