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蒼穹の涙  作者: chro
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第2章(2) せっかくだから、ゆっくり死んでいってくれよ

「フィリガー、晩ご飯の魚は釣れたのか?」


 朝から釣りに出かけたきり、空が赤く染まる時間になっても帰ってこない下僕……もとい、同居人を探しに来たシオンは、誰もいない池のほとりで立ち止まった。いつも彼が腰かけている岩には、釣竿だけがぽつんと転がっている。

 こないだの誘拐事件が脳裏をよぎったが、彼に限ってそれはないだろうと思い直した。そして注意深くあたりを見まわすと、池の真ん中に何かを感じた。


「こんなところに『空の穴』が開いていたとはの。しかしあやつ、まさかあそこに落ちたというのではあるまいな……」


 どうやってあんなところに、という疑問の前に、冗談だろう、と笑いたくなった。が、彼の気配は完全に消えている。現界のどこにも、彼の存在はなくなっていた。

 シオンはやれやれとかぶりを振って、足早に来た道を引き返した。




 ゆっくりと目を開けて、光になれてくると、少しずつ目の前の光景が見えてきた。……はずなのに、オレは自分の目が信じられなくて、思わず何度も目をこすった。


「な、なんだ、ここ……!?」


 オレもいろんな町をまわったことがあるし、獣人の国も知っているから、たいがいのことじゃ驚かないつもりだった。でも、こいつは文字どおりの別世界だ。

 まず、道が動いていて、人はその上に立っているだけで、どこかに流れていく。あるいは一人がやっと入れるくらいのガラスの箱が道のところどころにあって、入ったら幻みたいに消えてしまったり、逆にいきなり現れたり。

 目を上げると、ガティスの町の時計塔が犬小屋にしか思えないくらいの超高層の建物がうじゃうじゃ生えていて、その間を縫うように鉄の箱がびゅんびゅん飛び交っている。かと思えば、ソファーがすーっと上昇して、建物の上の階と下の階とを移動している。

 これが死後の世界、冥界マーラ……。


「うん、お約束どおりのリアクションですね」


 うつほに満足げに言われても、オレはどう返したらいいのかもわからない。


「現界の寿命じゃなかなか文明の発展は進みませんけど、ここでは関係ありませんし、魔法の力もありますから」

「て、鉄の塊が動いているのは魔法なのか?」

「いいえ、あれは自動車といって、機械仕掛けです。あっちにある転送ボックスが、空間を歪ませる魔法によるものですね」


 淡々と説明をするうつほについて歩きながら、オレは目と口を大きく開きっぱなしだった。オレの、というか、現界人の想像も常識もはるかに超えていて、目に入るものすべてが理解できない物体ばかりだ。今歩いている地面だって、空の上だけどふわふわしていないから雲ではないし、硬すぎないから鉄や石畳でもないらしい。


「あそこの角に見えるビルの四十三階が、私の所属する部署のオフィスです」


 このデカい建物は尖塔ではなく『びる』というもので、『おふぃす』とは部屋という意味だと、うつほが説明を付け足した。どうでもいいけど、ちょっと世界観を壊しすぎちゃいないか……?


「あれ、そういえば……」


 空跳ぶソファーに乗って上から見下ろしたら、何か違和感があった。第一印象からして普通じゃなかったから、すぐに気が付かなかったけど。


「……みんな同じ人ばっかりだ」


 気付いてしまえば町並みどころじゃない、とんでもなくおかしな光景だ。たまにうつほみたいな白い服の死神がちらほら見えるけど、あとは全員、同じ顔の同じ体格、同じ服だった。


「人形みたいで不気味だな」

「冥界に来るときは魂だけだから、みんなここでは仮の肉体なんですよ」


 量産された人形か、さもなきゃ双子の何万人バージョンみたいなもんかな。まさに人類みな兄弟、だ。


「室長、失礼します」


 四十三階でソファーを降りて、長い廊下にずらっと並ぶまったく同じ扉のうちのひとつに入っていった。案内も目印もないのに、どうやって見分けているのかなぁ。


「また事件を起こしたのかい?」


 背の低いうつほと同じくらいの小柄なおっさんが、窓際の机からいきなり言った。また、ということは、うつほは何か失敗の常習犯らしい。


「ち、違いますよ! っていうか、こないだお出迎え係に変わったじゃないですか」

「あー、そうだったねぇ。ところでそちらは誰かな? 新入りのようにも見えないが」

「そうなんです。じつはですね……」


 オレをはばかるように、うつほは室長に耳打ちした。さっきオレに話した以外にも、部外者に聞かれたらマズい情報とかもあるんだろう。


「へぇ、白紙か。僕もこの部署に来て、お目にかかるのは二人目だ」


 室長が席を立ち上がって、まじまじとオレを見た。


「おっと、失礼。僕は入界管理部送迎課のさごろもだ。若いのに死に急いだら駄目じゃないか、フィリガー君。しかし、せっかくだから、ゆっくり死んでいってくれよ」

「はぁ……」


 答える前に手をとられたから、とりあえずはおとなしく握手をしておいた。なんというか、うつほといい、この室長さんといい、どこかズレてる気がしてならない。もしかしてこっちではこういうキャラが普通で、オレ達の持っている死神のイメージが間違っているだけなんだろうか。


「さて、ゆっくりとは言ったものの、さっそくフィリガー君の今後の処分を決めなくてはならない」

「その、前の一人目の時はどうしたんですか?」

「そんなの覚えているわけがないだろう。何百年前の話だと思っているんだ」

「ですよねぇ」


 さも当然のようにさごろも室長が居直って、当たり前のようにうつほが納得した。ここでの時間感覚はわからないけど、いいのか、それで?


「じつは白紙の理由は三つほどある。一つはすでに死んでいるのに、お出迎えが来なくて昇天できなかった場合」

「私はちゃんと仕事していますよ!」


 すでに死んでいる、ね。思い当たる経験が何度もあるだけに、簡単に否定できないのが怖い。


「二つ目は、外の世界から迷いこんできた場合」

「外の世界?」

「あぁ、現界人は知らないんだよね。閉じられた大陸のこと」

「室長、それ言っちゃっていいんですか?」

「あー、マズかったかなぁ。フィリガー君、今のは忘れてくれ」


 この部下にしてこの上司あり、か。閉じられた大陸……気になるけど、今は聞くのはあきらめよう。


「三つ目は……これはまずないと思うけど、神の元からこぼれ落ちた――」

「駄目ですよ! 勝手に入ったらいけませんって!」


 いきなり戸が開いて、あわてた死神の少年と小さな紅髪が入ってきた。……え?


「シオン!」

「邪魔するぞ、さごろも」

「やぁ、エルヴァ。久しぶりだね。いいよ、うげつ君。彼は古い知り合いだから」


 さごろもさんは戸惑う部下ににっこり笑って、侵入者を気軽に出迎えた。でもオレはそれどころじゃない。


「どうしてここにいるんだ? お前も死んだのか?」

「馬鹿者。お主を引き取りに来てやったのではないか。まったく、世話のかかるヤツめ」


 引き取りにって、迷子の子供じゃないんだから……いやいや、それ以前にあの世まで来るっておかしいだろ。


「さごろも、さっきの話はそれぐらいにしておけ」

「いやぁ、すまない。久しぶりのイレギュラーだから、つい興奮してしまったよ」


 旧知の仲らしい死神室長と妖精もどきの組み合わせは、中身も外見もいろんな意味でおかしい。目をパチパチしているうつほも知らないとなると、二千年以上の付き合いなのかもしれないな。みんな、どれだけ若作りしているんだよ。


「君はいま現界に出ているのかい?」

「うむ、こやつの保護者をやっておる」

「え、もしかして……ひょっとして、ひょっとするとか?」

「その話には触れん方が、お主の身のためだぞ」


 最後の方は小声で話していたかと思ったら、さごろもさんは飛び出しそうなくらい目を見開いて、シオンとオレを何度も見た。なんだ? シオンに何か脅されたりしたのか?


「というわけで、こやつは連れて帰るぞ」

「あ、そうだ。ちょっと待ってくれ」


 シオンが早くも帰ろうとしたら、さごろも室長が引き留めた。


「ちょっと提案なんだけど、うつほ君をしばらくそちらにホームステイさせてやってくれないかな? その代わり、彼女の仕事を手伝わせてあげるよ」

「ふむ、それはおもしろそうだな」


 えぇ? 今の話、『その代わり』って、オレにはなんのメリットもないじゃないか。もちろん、うつほもあわてて抗議した。


「待ってくださいよ、室長! そんなこと、急に言われても……」

「ちゃんと出張費出すから、心配しなくてもいいよ」

「でも、お出迎えの仕事も人手がないし……」

「お出迎え係には、新しい者を手配しておこう。君には後で別の仕事を頼むから、それまで待っていてくれ。なんだったら、現界を見物したり遊んだりしてもいいぞ? あっちもなかなか、おもしろそうじゃないか」

「まぁ、そうですけど……」


 そんなことで納得していいのか、うつほ!? 室長も室長で、かなり部下の扱いを心得ている。素で言っているんじゃなければ、だけど。


「じゃ、そういうわけでシオン、彼女を頼むよ」

「しょうがいないの」

「あの、オレの意見は……」


 当事者の発言権なんかこれっぽちもないまま、さごろも室長は仕事に戻るし、シオンは出ていくし、うつほは急いで準備に取りかかるし。みんなオレを無視して、さっさと次の行動に移っていた。いーよ、いーよ。厄介な妖精もどきが棲みついたときから、オレの存在なんてこんなもんだ。


「なぁ、うつほ。一つ教えてほしいんだけど」


 隣の部屋で持ち物をかばんに詰めているうつほに声をかけると、ちょっと顔を上げたけど、すぐにまた忙しそうに手を動かした。


「冥界に出入りできるのって、死んだ人以外にもいるのか?」

「そうですね。入れるのは死人と、あとフィリガーさんみたいに『空の穴』に落ちた人だけです。出るのは結構むずかしくて、私たち死神でも、仕事上の許可があるときだけなんです」

「それじゃ、とりあえず死なない限りは、穴に落ちなきゃ駄目ってことか」

「あ、もう一つ出入りできる可能性がありました。冥界には結界が張ってあるから、現界で空を見上げても絶対に見えないんですけど、魔法の力を持っているか空を飛べれば大丈夫なんですよ。なんて言っても、現界人じゃどっちも無理だから、できるとしたら妖精か天使くらいですけどね」

「ふーん」


 興味のなさそうな返事をしながら、オレはもちろんシオンのことを考えていた。うつほはそんなこと気にもしないで、忘れ物がどうのこうのって言いながら、別の部屋に行ってしまった。

 あいつ、わざと簡単に流していたけど、どうやってマーラに来たんだろう。魔法は使えないっぽいし、空を飛べるとも思えないし……となると、やっぱり『空の穴』に落ちたのかなぁ。普通は誰も気付かないし、めったに落ちることもないってうつほも言っていたのに、二人も立て続けに? うーん、どの線もイマイチ薄いなぁ。


「フィリガー、うつほの準備ができたようだから行くぞ」


 勝手にビルの中を歩きまわっていたシオンが、かばんをぱんぱんに詰めたうつほと合流していた。ま、本人に訊いたところで、本当のことを教えてくれるなんて金魚のエサほども期待していない。

 最近、妥協という名のあきらめを身をもって学んだオレは、この時も無駄な努力をしないで、おとなしく二人の後に続いて、自分の家に戻ることにした。


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