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今田芽生のこと

 夏の暑さに目を覚ます。根岸と出かけた日から何日か経ったある日、いつものように学校に向かうと、今田達の会話がが聞こえてきた。

「二人とも聞いてよ~。昨日彼氏が浮気しててさ〜。だからその場で振ってやったたんだけど、ほんとさいあく~」

「芽生かわいそう」

「でしょ~。だからもう、あいつのことは忘れてやるんだから」

 聞こえてきた会話の内容は、今田が彼氏と別れたことに関する愚痴だった。その会話に興味はなかったが、いつの間にか隣に座っていた根岸は、その会話に興味を示しているようで、こちらに話を振ってくる。

「どれくらい忘れてるんだろうね」

「どれくらいってどういうこと?」

 質問の意図を理解できなかったから聞き返すと、根岸は得意げに答える。

「知らないの?人ってのはね、忘れる順番があるんだよー。聴覚、視覚、触覚、味覚、嗅覚の順番で忘れるんだって」

「そうなんだ」

「だから、今田さんはもう声も忘れてるのかなー、って思ったの」

「どうだろうね」

 つまり、根岸の質問の意味は、今田が元彼の声や顔、それから匂いなどのどこまで忘れたと思うのか、ということだった。しかし、別に興味もないから適当に返した。

「興味なさそー。まあいいや」

 そして、根岸はそこで大きく呼吸をすると、緊張した面持ちでさらに聞いてくる。これから話すことが本題だと言いたげなその様子に、こちらも身構えてしまう。

「拓海君もさ、私の声とかをいつか忘れる?」

 根岸のあまりに真剣な様子に、嘘をつきたくなかった。

「…忘れるよ」けれど、けれども俺は

「そっか」

 しかし、根岸は俺の言葉を最後まで聞こうとせずに、悲しそうな顔で呟いた。そのせいで根岸との間に気まずい空気が流れた。しかし、そんなしんみりとした空気を変えるように、根岸は大きな声で誤魔化してくる。

「違う違う。本当は違うことを言おうと思ってたんだ」

「違うことって?」

 気まずい空気が続くのは嫌だから、俺も流されることにした。

「拓海君、今田さんのことを慰めてきてよ」

「なんで?」

「失恋直後はちょろいからだよ」

「どういうこと?」

「アプローチを変えようと思って」

 彼女の意図はわからないが、またしても何か面倒ごとに巻き込まれる予感がした。

「とにかく、傷心中の今田さんを慰めに行こうよ」

 俺の拒否権を認めないようにして、今田の前に連れてこられる。明らかに無理やり連れてこられた様子の俺を見た今田は、少し戸惑いながらも迎え入れる。

「一葉ちゃん、どうしたの?」

「話が聞こえてきて。大変だったね」

「そうなの~。心配してくれてありがとね。それで、小櫛は何の用?」

 根岸の心配の言葉に嬉しそうに返事をした今田は、困惑した顔をこちらに向けてきた。その言葉になんと返事をするべきか迷っていると、根岸が勝手に返事をする。

「拓海君も私と一緒だよ。話が聞こえてきて心配してたの」

「…大変だったな」

 急に話を振られたせいで、適当な返事しかできなかった。そんな明らかに間に合わせの慰めに、その場に居合わせた全員が不服そうな顔を見せる。だけど、そこまで仲良くない今田がどんな風に慰めて欲しいのか、俺にはわからなかったから、当たり障りのないことしか言えなかった。

 微妙な発言のせいで、どこか俺が責められているような空気感になる中、陽斗の暢気な声が聞こえてくる。

「珍しいメンツだな」

 気まずい空気だったから、陽斗が来てくれたことがありがたかった。そして、今田は新たにやってきた陽斗にも、律儀に説明をしてコメントを求めていた。

「みんなに彼氏と別れた愚痴を聞いてもらってたの」

「なんか俺も言った方がいい流れ?そうだなあ、男も星の数ほどいるから気にしないでいいんじゃない?」

 説明を聞いた陽斗は、俺よりよっぽど適当に答えているように思えるが、生来の気質の影響か、クラスでの立ち位置の影響か、あまり不満を抱かれずに受け入れられているように見えた。

「そう。なんか適当だな~。けど、ありがと」

 別に今田に好かれたいとは思っていないが、陽斗の方が印象が良さそうなのは納得できなかった。そんなふうに俺が一人で勝手に悶々としている間も、今田は話を続けていたが、教師が入ってきたことよって会話が中断される。

「じゃあ、一葉ちゃん後でね」

 そして、自分の席に戻ったところで、根岸はまた変な要求をしてくる。

「微妙なとこで話し終わっちゃったね。じゃあ今田さんをデートにでも誘ってみようよ」

「なんで?」

「おごるって言ったら多分来るでしょ」

 根岸はなぜか今田に対して関わりに行かせようとするが、自分から誘う気なんてなかった。今田には思い出話を聞いてもらったこともあったし、ちょっとした会話はするが、美優に対する暴言は忘れていない。

「誘わないよ。それに俺はあまり今田のことを好きじゃないから」

「そっか。けれど彼女の考え方は気になるんじゃない?拓海君とは全然違う考え方だからね」

 確かにその発言にも一理あった。どうしてあんな簡単に、人のことを忘れるなんて言えるのか。美優との思い出を大事にし続けている俺には、全く理解できない感性だった。過去に囚われないで生きることは、どういうことなのか。

 そして、話しをする機会は、意外なことに向こうから訪れてきた。


 その日の放課後、今田が根岸に話しかけにやって来る。

「今日、脇田と副島が忙しいらしくてさ〜。一葉ちゃん、よかったら緒にどっかいかない?色々聞いて欲しいし~」

「いいけど、拓海君誘ってもいい?男子の意見もあるといいかもよ」

「いいよ~」

 俺に確認することなく、勝手に参加する方向で話が進んでいく。

「俺の意思は?」

 そして苦し紛れの発言も無視して、二人は歩き出した。今日は部活が休みだってことを知っていたかのような展開に、ついていくのがやっとだった。


 それから、三人で学校の近所の喫茶店に入りしばらくすると、根岸は離席した。それが俺と今田の二人きりで話をさせるためだというのは、根岸のこれまでの言動から何となくわかる。そして、ある程度話をするまでは戻ってこないだろうということもわかる。だから黙ってただ気まずい時間が流れるのもいやだから、そうならないために適当に話を振る。

「元彼と付き合ったきっかけは?」

「バ先の先輩で、たしかその時も失恋してて、休憩室で愚痴聞いてもらって、そこからいろいろあって。今思えば似たような手法で、いろんな女ひっかけてたんだと思うとほんと腹立つ」

 怒りをあらわに話すその様子に、まだ忘れていないことが分かり、何故か安心してしまう。

「そこまで忘れるつもりなんてないのか?」

「さっきの話聞こえてたの?あんなのその場のノリだよ~。あの時盛り上がればよかったの。けど、新しい彼氏とかできたら自然と忘れるんじゃないかな~」

 忘れるという言葉は、俺が思っていたよりもずっと軽い気持ちで吐かれたものだったらしい。

「私は今を楽しめればそれでいいの」

 そして、その後に吐かれたその言葉にこそ、今田の考え方が詰まっている気がした。そしてその刹那的な考え方は、恐ろしくもありどこか羨ましくもあった。

「急に黙ってどうしたの」

 今田の考え方を聞いて思わず黙り込んでしまった俺のことを、今田は不安そうな目で見てきた。

「いや、なんでもない」

「ほんと?てっきり私の考え方に引いたのかと思った。周りの大人達はみんな、もっと未来を見据えろとか説教してくるから」

 俺の反応を少し不安に思って続けられたのであろう言葉は、笑いながら言われていたが、切実さが込められているように感じた。そして、大人に否定されるつらさは、俺も知っていた。だから、俺には今田の考えを否定することはできなかった。

「それはない」

「そ、そう」

 俺の返答に呆気にとられたのか、それとも照れているのか、今田の返事はつっかえていた。そのせいか、彼女は少し恥ずかしそうに話を逸らす。

「それにしても来るとは思わなかった。だって、さっきはあんなに適当に話聞いてたからさ〜」

 その、恥ずかしさを誤魔化すために、こちらをからかうように言ってきた姿を見て、断れなかっただけだから、なんて悪態はわざわざつけなかった。だから、真剣に答える。

「別にそうじゃなくて、分からなかったから」

「なにが?」

「どんな慰め方がされたいのか、分からなかったから。俺は、中途半端に憐れまれるくらいなら、いっそのこと責めてほしかったし、責められるべきだったから」

「なんだ、そんなことか〜。ただ私の愚痴に同意してくれたらいいんだよ〜」

「同意するだけって、そんなことでいいのか」

 俺の説明に納得してくれたのか、今田は朗らかに笑って、要求を伝えてくる。思いの外簡単な要求だったことに驚いた俺の反応を見た今田は、無茶振りをしてくる。

「そんなことでいいんだよ~。じゃあほら、今試しにやってよ〜。簡単でしょ」

「いや、ちょっと急すぎる」

「いいからやってよ〜」

 その無茶ぶりに難色を示すも、今田はわがままを押し通そうとしてくる。そうやって騒いでいる俺達のもとに、特に悪びれた様子もなく根岸が戻ってくる。

「ごめんごめん。トイレ混んでいてさー。それで、二人はどんな話ししてたの?」

「一葉ちゃん遅いよ~。まあ、色々とね。じゃあ改めて愚痴聞いてよ~」

 根岸が戻ってきたおかげで、今田の興味が俺から根岸に移り、すっかり元の姿に戻って、元彼の愚痴などを話し続けていた。


 それからしばらくして、話が一段落すると解散する流れになる。

「じゃあそろそろ帰ろっか。今日は楽しかったよ~。一葉ちゃん、駅でしょ?一緒に帰ろ。それと小櫛もありがと」

 駅まで楽しそうに歩いていく二人を尻目に、俺は一人で駐輪場に向かい自転車に乗る。

「今日は疲れた」

 そう独り言をつぶやきながら、少しだけ楽しんでしまった自覚を持つ。そのことに罪悪感を抱きながら家に帰り、ご飯を食べ、休んでいると、唐突に連絡が来る。

『米買うから付き合って』

 ロック画面に表示されたメッセージだけで、誰からの連絡なのか明白だった。きっと拒否権なんてないだろうから、近所のスーパーに行くために家を出ようとすると母に見つかる。

「拓海、こんな時間にどこ行くの?」

「スーパー行ってくる」

「じゃあついでに牛乳買ってきて」

「わかった」

 ちょっとしたお使いを頼まれながらも、待たせると文句を言われそうだから小走りでスーパーに向かう。しかし、それでも先についていた様子の美優は、わざとらしく待ちくたびれた態度をとり、有無を言わさずカゴを持たされる。

「やっと来た。じゃあ、はい。カゴ持って。米は重たいから男手があると楽だね」

 相変わらずのわがままに、ため息をつきながらも思わず笑ってしまう。

「何笑ってんの。それに、入口に突っ立ってたら、邪魔になるから」

 そう言って、先に歩いて行く美優に置いていかれないように、その背中を追いかけた。

「それで、なんで急に呼び出したんだよ」

「送ったでしょ。米買いたいって」

 この言葉はきっと嘘だった。こうやって急に呼び出されるときは、愚痴など、なにかしら言いたいことがあるときだった。

「無理に言わなくてもいいけど」

「そう。あっ、玉ねぎ安い」

 話している間にも、言い出せないことを誤魔化すように、かごに色々と入れている。

「味噌もそろそろ無くなりそうなんだよね」

 なかなか言い出せない恥ずかしさを誤魔化していることは明らかだった。けれど、聞いてもきっと素直には答えてくれないだろうから、言い出してくれるのを待つしかなかった。

「お肉も買い足さないと。牛乳あったっけ?」

「知らないよ」

 色々と買ってから、ようやく当初の目的であった米の前につく。

「五キロでいいよ」

「何だよ、その十キロは遠慮してあげるみたいな態度は」

 買い物が終わり、ようやくレジに並ぶ。

「お支払いは?」

「現金で」

 レジに並び、お金を払い、袋に詰め、もう帰ろうとしているところで僅かに逡巡した後に、美優はようやく口を開くと、吐き捨てるように言う。

「最近、今田とか転校生とかと仲いいよね。まあ、私には関係ないけど」

 その言葉通りに、関係ない、どうでも良いと思っての発言なのか、俺には判断ができなかった。そして、きっと今までの俺だったら、それ以上踏み込んで聞こうとしなかった。本当の気持ちを知ることは怖かったから。それほどまでに、一度振られたということは俺の中で尾を引いていた。

 けれど、今日だけは、もう一歩だけ踏み込んで聞きたいと思った。

「それって本心?それとも照れ隠し?」

 そのことが知りたいという、今この瞬間の俺の考えを大事にしたかった。今を大事にしたいという考えが、俺の中にも生まれていた。

「はあ!?そんなことないから!照れ隠しじゃないから!」

 俺の疑問に対して、美優は明らかに動揺して、強い口調で否定をし、顔を覗き込もうとすると顔を隠す。

「こっち見んな!あーもう、ほんとうざい。まじうざっ」

 けれど、彼女は気付いていないのか、耳が僅かに赤くなっている。その反応だけで今は満足だった。

 そして、それからしばらくの間ぶつぶつと文句を言っていた美優は、少し歩いて落ち着いたのかまた質問をしてくる。

「それで今日は何してたの?」

 やはりさっきのは照れ隠しだったんだ、と一人で納得する。しかし、それで笑って、また拗ねられても面倒だから、そのことには触れずに質問に答える。

「今田の元彼の愚痴聞いたり、今を大事にする考え方を聞いたりしたかな」

「なんか面白い話でもあったの?」

 美優の疑問に、一つだけ気になることがあったことを思い出した。

「そういえば一緒だった」

「何が?」

「きっかけが。元彼と付き合ったのは、当時付き合ってた元彼の愚痴を聞いてもらったのがきっかけだったんだって」

 そんな、俺の自信過剰とも思える言葉を聞いた美優は、思い切り鼻で笑い飛ばした。

「何言ってんの。毎回同じ理由で人を好きになるはずないでしょ。ちょっとしたことだって毎日違うんだから、そんな大切なことが一緒なはず無いでしょ」

 強い口調で否定した後に、今度はこちらを諭すように語ってくる。

「例えば、雲の形は二度と同じものはないし、朝の目覚め方だって、寝苦しかったからはやく起きたり、エアコンが効いてて快眠できたとか色々あるんだから」

 そこで一息つき、美優は優しく微笑むとさらに続ける。

「だから人を好きになるっていう大きな出来事が、毎回同じきっかけなはず無いよ」

 美優の説明には不思議と納得させられた。確かに、日々何事も変化するのは当然だった。俺自身だってそうだ。今日、俺はいつもと違う行動をとった。小さいことだったが、確かにいつもとは違っていた。そして俺自身の小さな変化は、果たして成長なのか。

「ここまででいいよ。荷物、ありがと。それと、もっと私のために時間を取ってよね。言っておくけど、女の嫉妬は怖いからね」

 美優の警告のような言葉に、ふと我に返る。気が付くと、既に美優の家の近くに着いていた。

「それじゃまた学校でね」

「あ、ああ。また学校で」

 去ってゆく美優の背中を見送ってから、俺も帰路につく。明日も退屈で平和な日常が続くように祈りながら。

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