私の後悔
『後悔していることがあるなんて普通だよ。私だって後悔していることはいっぱいあるし』
拓海にはそう言ったが、私が後悔していることはなんだろうか。
例えば、誰にも、拓海にも相談せずに金髪にしたせいで中学校で浮いたこと。けれど、当時の私にはそれ以外の方法で、自分を強く見せて舐められないためにはどうすればいいのか、わからなかった。
他にも、拓海の告白を断ったこと。けれど、あの時告白を受け入れていたら、私は拓海に依存して、よくない結果が待っていた。
そんなこと大したことじゃない。
私が何よりも後悔しているのは、お母さんが私のせいで死んでしまったこと。
きっかけは高校二年生の秋、食卓でのお母さんの何気ない質問だった。
「美優、今週末出かけるの?」
「うん」
「そっか。もうすぐ十七歳だからって、はめ外しちゃだめよ」
「わかってる」
「美優ももうすぐ高校三年生で、すぐに大学生になっちゃうのかな」
別に大した話じゃなかった。それなのに、誕生日が近付いたせいで浮かれてしまっていた私は、お母さんのその言葉に、つい余計なことを口走ってしまった。
「そうだよ、大学生になったら大学の近くに住んで、拓海といろんな思い出作るんだから」
言ってすぐに後悔した。その場にはあいつがいて、大学生になったら出ていくことをまだ言ってなかったから。
「おい、この家を出ていくってどういうことだよ。ガキのお前が、父親である俺の許可なしにそんなことしていいと思ってんのか?俺のこと舐めてんだろ」
「うざ」
「おい、聞いてんのか?それに拓海ってなんだよ。小櫛さんとこのか?お前、大学生になったら男と住もうと思ってんのか?ガキが色気づいてんじゃねーよ!」
案の定、自分の知らないところで勝手に話が進んでいることに、あいつは怒鳴ってきた。
「ごちそうさま。こういうときだけ親ぶんなよ、ほんとキモイ」
「逃げんじゃねーよ!おい!」
その姿にどうしようもなく腹が立って、捨て台詞とともにその場を去り、自分の部屋に戻って、布団をかぶり何も聞こえないようにした。それでもなお、リビングから怒鳴り声が聞こえてきた。そのことにお母さんへの罪悪感を抱いたが、言わずにはいられなかった。
それから少し経つと、次第にあいつの怒鳴り声が聞こえてこなくなり、確認するためにリビングに戻ると、あいつは酒瓶のそばで横になっていた。
そして、お母さんは戻ってきた私に対して、何故か謝ってきた。悪いのは私とあいつなのに。
「ごめんね」
「いいよ、それより今のうちに茶碗洗っちゃうから取って」
「いつも家のこと任せちゃって、ごめんね。それと、お父さんのこと責めないであげてね。お父さんもね、昔は優しい人だったの。けどね、今はお酒とかのせいでこうなっちゃうの。もう病気だから仕方ないの。だから、許してあげてね」
聞いてもいないのにあいつを庇うお母さんの姿からは、離婚とか別居をする意思を感じることは出来なかった。
「うん」
「それに、美優も子供じゃないから、お父さんの言うことも正しいのはわかるよね?父親の許可なしに家を出て行ったり、同棲したりするのは、あまりいいことじゃないから」
「どっちだよ」
「え?」
「ううん、何でもない」
その日は、それ以上何も起こらなかったが、不快な気持ちは収まらなかった。
「なんか嫌なことでもあった?」
その翌日、自分では平気なつもりだったが、拓海に聞かれて、自分が腹を立てていることに気が付いた。
「昨日、あいつと喧嘩しただけだから気にしないで」
そう言って誤魔化したのは、家の恥を外に出したくなかったのと、心配をかけたくなかったから。
結局、拓海にも相談しないまま家に帰ると、おかえりの一言もなかった。いつもなら気にしない些細なことなのに、前日のせいか無性に腹が立った。その苛立ちを誤魔化すように家事をして、その後に晩ご飯料理を作っていると、お母さんが帰ってきた。
「ただいま」
「おかえり、お母さん。ご飯もうすぐだから待ってて」
その後しばらく待ったが、あいつは何も言わなかった。いつもなら気にしないようなことなのに、無性に我慢ができなかった。
「おかえりぐらい言えよ!お前が働かないせいでお母さんが大変なんだろ!」
苛立ちに任せて言ってしまったが、あまりにもタイミングが悪かった。料理を作っている最中の私の手には、包丁が握られていた。
「な、なんだよお前、親に包丁向けるのかよ。なめてんじゃねーぞ!」
そのせいで怒ったあいつは、怒声とともに私のことを力任せに殴ってきた。
普段は馬鹿にしていたけれど、激昂したあいつは怖かった。確かな体格差があることを、殴られてやっと思い出した。
そして殴られた拍子に落としてしまった包丁を拾い上げると、あいつはそのままの勢いでこちらに向けてきた。
あいつが狙っていたのは私だったのに、お母さんは私を庇ってしまった。
「ごめんね、美優」
何に対する謝罪かわからないが、私に謝りながら力なく倒れるお母さんを見た私は、恐怖が勝ってしまい、自分の部屋に逃げ込んだ。そんなところに逃げても追い詰められるだけで無意味だった。
「おい!出てこい!警察でも呼ぶつもりか?ふざけるんなよ!」
お母さんを見捨てたことへの罪悪感と、あいつへの恐怖から、ただ震えることしかできなかった。
それから少しして、扉を破られてしまいどうすることもできなかった。
気が付くと、呼吸がしづらく、薄れゆく意識で助けを呼ぶことしかできなかった。
だんだんと、視界も何もかもが少しずつ無くなり、最後には音だけが残った。
「救急車、救急車呼ばなきゃ」
「首から血を流していて、助けて下さい」
「ごめん、俺のせいで。ごめん、美優。ごめん、ごめん」
これが私の後悔。私のせいで起こってしまったこと。
忘れてしまいたいけれど、忘れることを許されるとも思えない後悔。




