8 目撃情報
「出くわした? コールマンと?」
ロアリーとアンリエットは驚きの声を上げる。
「教えてくれ、バーミッサ。何時頃、どこで見かけた?」
「昼飯食った後、ブラブラしていた時だから、午後一時過ぎってとこか? 場所はセットランド大通りの、でかい女神像建ってるとこあるだろ? あの辺だぜ」
「女神像か……。スリーピング・スフィンクス亭からは、随分離れているな。見かけただけ? 話は?」
「二言三言ほどかな。あたしが先にコールマンを見つけて、軽く手を振って呼び掛けたら、近づいてきた。なんか顔色悪かったし……妙にヒヤッとしたぜ」
「ヒヤッとした? どういう意味だ? 何かまずいことでもあったのか?」
ロアリーの問いに、バーミッサは首を横に振る。
「リアルに寒気がしたって意味だよ。氷の精霊に近づくと感じるアレよ」
「へえ。今日はそんな暑い日じゃなかったと思うがね」
召喚された氷の精霊は、その周囲に冷気をまき散らす。故に真夏、涼む手段としてしばしば利用される。
「コールマンって精霊魔法使えたのかね?」
「知らねーな。でも、戦士職でもちょっとした魔法を使える奴なんて、いくらでもいるだろ。とにかく、顔色が悪い上にあの冷気で、何故か黒いマフラーを巻いていて……」
「黒マフラー?」
「そうそう。結構目立つ黒マフラー。まず黒マフラーに目が行って、『こんな時期にマフラー巻いてるとかどこのどいつだ』って思ってよく見たら、コールマンだって気がついて、びっくりしてさ。『顔色悪いけど、大丈夫?』って声を掛けたら、向こうは『デイミアスとエグバートがどこにいるか知らないか?』って聞いてきた」
「デイミアスとエグバート……?」
聞き慣れぬ名を、アンリエットは繰り返す。
「ギルドメンバーだな。ダリル・デイミアスと、イーラム・エグバート」
二人の姓名を、ロアリーは正確に口にする。そして、バーミッサと共に戻ってきた一団を見回す。
「ここにはいないよな?」
問われて、一団はお互いの姿を見やる。
名乗り出る者はいない。が、
「そいつらなら、ちょっと前にパーティ組んで、どこかに遠征に行ってたっけな」
一団のうち一人が情報を提供する。
「コールマンとデイミアスとエグバートと、あと何人かで。詳しくは知らんけど」
「……実に具体的な情報だな。大いに感謝する」
投げやりに礼を言って、ロアリーはバーミッサに続きを促す。
「あたしは『知らねーけど』って答えた。そうしたらあいつ、何も反応しないでさっさと歩いて行っちまったよ」
「そのまま見送ったのか」
「仕方ねーだろ。失踪中なんてなんて知らなかったし。事情を知ってたら止めてたぜ」
「コールマンが、以前の仲間を探している? 何のために?」
ロアリーは眉間にしわを寄せ思索する。
「用心棒の仕事を投げ捨ててまで、やることでしょうか。逆に言うと、それだけ重大なことなんですかね?」
アンリエットは視線をバーミッサへと切り替える。
「他に何か気付いたことはないですか?」
「これ以上は、特になあ。というか、腹ペコのままじゃ頭が回んねえよ」
バーミッサは苛立ち気味に言う。
悪い悪い、とロアリーが笑いながら謝る。
「引き留めちまったな。とりあえず、お食事にありつこうじゃないの」
ヒューモント館の食堂には、一度に十数人が食事を取れる長テーブルが据えられている。
食卓に用意されているのは焼きたてのパンに温かなスープ、そして簡単なサラダ。品目は少ないものの量は十分。香しい匂いも食欲をかきたてる。
待ってました、とばかりギルドメンバーたちはすごい勢いで夕食を平らげ始める。
「いつ食ってもうめえなあ、ギルドのメシは。ミアズマストームが発生した時は、まずこれが一番の楽しみなのよ」
満面の笑みを浮かべながら、バーミッサは右手と左手、それぞれにパンを掴み、ガツガツと食らう。
「もう少しおとなしく食べたらどうなんです」
アンリエットはパンを小さくちぎって少しずつつまみ、スプーンを使って音もなくスープを食している。育ちの良さが表れた、マナーを守った食べ方だ。
「うめーもんはうめーうめーって言いながら食べるのが礼儀ってもんだろうよ」
輝くインファナイトの入れ歯でパンを噛みちぎり、スープ皿を両手で抱え、スプーンも使わずに一気に飲み干す。
「アンリみてえなお上品な食い方じゃ、うまいもん全部他の人に取られちまうぜ」
「早食いは身体に良くないです。文句を言われる筋合いはありませんよ」
とはいえ、この場にあって浮いているのは、アンリエットの方だった。
食卓についているのは、常人の三倍でも食い足りない、とでも言いたげなギルドメンバーばかり。しかもバーミッサに負けず劣らず、激しくモリモリと食べまくっている。食卓に山と並んでいたはずの食物は、あっという間になくなっていく。
「あとは酒でもあれば嬉しいんだけどさあ!」
調子に乗ってバーミッサが言うと、
「それは賛成です。晩餐にはおいしいワインがつきものですよ」
アンリエットも賛意を示す。
「今日はアルコールはいけません」
しかし、サンテルムがたしなめる。
「ここが最前線であることを忘れないように。夜の見張りもしてもらわねばなりませんので」
との指摘に、男達は一瞬静まり返る。
魔獣たちには昼も夜もなく、突然館に襲撃を仕掛けてくる可能性もゼロではない。夜通しの見張り任務という面倒な仕事を思い、テーブルの方々からため息が漏れる。
「ストームに突入したんだろ? どんな具合だ?」
パンに噛みつきながら、ロアリーはバーミッサに問いかける。
「今回のストームの中は、密林が生い茂ってる。マッサリアじゃ見ねえ木ばっかりでさ。クソでかい実をつけるやつ」
「ヤシかな」
「それそれ。んで、その木の上から大ザルどもが降ってきやがる」
「大ザル型の魔獣どもか」
「どいつもこいつも全身毛むくじゃらでさあ。体毛が一メートルくらい伸びてて、巨大な髪の毛の山が駆け回ってるようなもんよ。バカみたいな腕力で、殴られると死ぬほど痛い。まともに食らったら骨が砕けるだろうぜ」
「もっと人員が要りそうな感じかな」
「要る。少なくとも、ここにいる人数だけじゃ無理だ」
「その点は安心して下さい」
サンテルムが口を挟む。
「明日以降、増員が見込めますので。ある程度メドはついています」
「そいつは心強い。だったら、俺たちは俺たちの仕事に集中できそうだな。コールマン探しに注力できるってもんだ」
ロアリーは一安心し、小さく笑う。
「コールマン……そうだ」
その名を聞いて、サンテルムはふと思い出す。
「実は先程ギルドに戻った時、ミセリカから頼まれまして。コールマンの件について伝えたいことがあるので、明日にでもギルドに来て下さい、とのことです」
「あ、そうなの? 何か分かったのかな?」
「それは当人から聞いて下さい。それからもう一点、これは調査部長からですが……」
「お。俺たちに臨時ボーナスでも出してくれるのかな」
「いえ。『バルダーズの件の報告書をさっさと提出しろ』とのことでした」
サンテルムの一言で、ロアリーの表情は冷え切る。
「あ、そうですか。なるほどね……」
「バルダーズの件ってのはなんだよ?」
ニヤニヤ笑いを浮かべ、バーミッサが問う。
うんざりしながら、ロアリーは答える。
「バルダーズ市場で悪臭騒動があったんだよ。もう一週間くらい前になるか」
「アレは本当にイヤな事件でしたね」
アンリエットも苦悶の表情を浮かべる。
「悪臭騒動? そんなの、ギルドで対処する問題かよ」
「それがそうでもない。バルダーズ市場には、ギルドから警備員を送り込んでいるんでね。ただで朝飯にありつこうとする手癖の悪い奴等が多いらしくて、毎朝二、三人は捕まるんだと」
「そんなに? そりゃ警備員がいるな」
「そういうこと。で、それを逆恨みしたんだか、誰かが悪臭爆弾を放り込んだのさ。朝の一番忙しい時間帯に」
「悪臭爆弾?」
「正確には、インファナイト製、手の平サイズの丸い壺のアーティファクトだ。蓋を外すと、中から凄まじい悪臭を放つ黒い煙が立ち上る」
「どこかのアホが、嫌がらせを目的としたとしか思えない代物を作ったんですよ。あんなしょーもない用途にアーティファクトを利用するなんて、許せない……!」
憤懣やるかたなし、という表情を浮かべ、アンリエットが怒りの言葉を漏らす。
「何がタチ悪いって、ぱっと見には小さなミアズマストームが発生したように思えるってところでね」
ロアリーは話を続ける。
「一気に数メートルの高さに黒い煙が立ち上るもんだから、その瞬間に市場全体が大パニックさ。全員が一斉に逃げだそうとして大混乱、コケて踏みつぶされて大怪我、って人がかなり出た。さらに時間差で悪臭が市場全体に広がって、まあ地獄絵図だったようだ」
「あー。思いだしてきたぞ。そんな話を誰かから聞いたような気がする」
「アーティファクトの専門家であるところのアンリ先生が呼ばれて、俺も同行した。現地に着いてみたら、まあ臭いのなんの。いやはや、あの日ほど、ギルドの調査部に所属したことを後悔したことはないよ」
「一日一回は調査部を辞めたいとか言ってますよね」
アンリエットはツッコミを入れたが、ロアリーは気にする様子もなかった。
「炎天下に放置した生ゴミの臭いを百倍濃縮したような悪臭に、目鼻への刺激のおまけつきでねえ。アンリと俺と、二人して涙と鼻水をデロンデロンに流しながら、どうにか壺を塞いで悪臭の元を絶った。市場中なにもかもがひっくり返ってしっちゃかめっちゃかで、被害総額がどれくらいになったかなんて考えたくもないね」
「どこのアホがそんな真似をしたんだよ?」
バーミッサの問いに、ロアリーは悲しげにかぶりを振る。
「いまだに不明だ。事件の直前、銀色の鼻をした二人連れが壺を持っていた、なんて証言は得られたが、その正体については今後の調査が待たれる」
「銀色の鼻ってなんだよ?」
「予想ですけど、おそらくそれもアーティファクトでしょうよ」
不機嫌そうに、アンリエットは言う。
「悪臭を完全にカットするアーティファクトを使って、自分たちの鼻がもげるのを防いだんでしょう。当人を捕まえないと、断言はできませんが」
「まだ未解決問題なんだが、中間報告は上げなきゃならんのさ」
悲しげに言って、ロアリーは肩を落とす。
「今晩中にやっておいてくださいよ。明日ミセリカに会うんですから」
「そうだな……。ミセリカの千枚通しで尻の穴を二つにされかねない」
アンリエットの言葉に、ロアリーは渋々頷く。
「二つで済めばいいけどな。まあ頑張れよ」
にやりと笑いながら、バーミッサはギザ歯でパンを噛みちぎる。