7 ヒューモント館
冒険者ギルドとマッサリア王は、ミアズマストーム発生時の対処について協定を結んでいる。マッサリア王直轄の地域内で大型ストームが発生した場合、即時に王がギルドにストームの撃滅を依頼する、というものだ。
ストームの発生を受けて、冒険者ギルドはギルドメンバーに招集を掛けるとともに、宿営地を設置する。ミアズマストームの近くに建っている大きな館、あるいは集落の家々を借り上げ、サポート人員、食料や物資を集積する。数十人規模のギルドメンバーが滞在できる態勢を作り上げ、長期戦に備えるのである。
今回ギルドが目をつけたのは、ミアズマストームから東へ一キロ強の地点に建つ館、ヒューモント館だった。
「……奥様、どうか、このヒューモント館から退去し、避難して戴けませんか!」
ロアリーは芝生の上で土下座して、館の主ベルヌイユ・ヒューモントに頼み込む。
ヒューモント館の周囲は長方形の石壁に囲われ、その内側には本館の屋根、チャペルの尖塔と鐘、背の高い常緑樹がうかがえる。外からは見えないものの、風に流れて届く匂いから察するに、馬小屋牛小屋の類いも備えているようだ。
正面にはアーチ状の門があり、扉は固く閉ざされている。
その門のすぐ外に、ベルヌイユは床机を置き、堂々と腰掛けていた。
「私がここから退去するわけには参りません」
全身銀ピカの鎧に身を包み、顔だけを露出している。ロアリーの目には、三十路を少し過ぎた程度の婦人に見えた。
「この荘園は、我が夫ジルベールが血を流して手に入れ、私に残して下さった場所です。ミアズマストームごときで、この場を放棄して逃げ出すなど、どうしてできましょうか!」
威勢良く言って、ベルヌイユは立ちあがろうとする。が、鎧が重すぎ、手にした剣を杖代わりにしても、どうしても腰が上がらない。
「んぐぐぐぐぐ……!」
お上品とは言いがたいうなり声を聞きかねて、後ろに控える執事が手を貸し、どうにかベルヌイユを立ちあがらせる。
「あ、ありがとう、リーデック……」
執事に礼を言ってから、ベルヌイユは手にした剣を抜こうとする。
「もし夫が生きていたならば、必ずやこの場に留まり、剣を抜いて戦ったことでしょう。だからこそ、荘園の主として、私も剣を抜かねば……抜かねば……」
何かがつっかえていて、腕が上手く動かず、剣を鞘から抜けない。さんざん苦戦した後、鞘を重力に任せて落とすことで問題を解決する。
「抜けた! とにかく、決して引くわけにはいかないのですよ!」
そして、天に向かって剣を振り上げた――つもりだったのだろうが、腕がまっすぐ上がらず、切っ先は斜め上の方向を向く。
その背後で、執事は懇願の視線をロアリーたちに向けている。
(どうにかして主人を説得して欲しい)
そんな心の声が、はっきりと聞こえてくるようだった。
「奥様。人には役割というものがございます」
ベルヌイユに語りかけたのは、冒険者ギルドの調達委員、サンテルム。
飢饉のただ中にいるのかと思えるほどに痩せた中年男性で、眼鏡をかけ、よく手入れされた灰色のジャケットに身を包んでいる。いかにも礼儀正しそうで紳士的な雰囲気をまとう、渉外スタッフだ。
「奥様の覚悟のほどはよく分かりました。しかし奥様、魔獣と戦った経験はおありですか?」
「も、もちろんあります! 夫が残したこの剣で、家畜を狙って押し寄せてくる魔獣どもをバッタバッタと……」
「奥様、嘘はいけません! 魔獣の咆吼を聞いただけで失神するタチではありませんか!」
執事にすぐさま否定され、ベルヌイユは黙り込む。
表情を変えず、サンテルムはさらに言い立てる。
「農作業は農民に、家事はメイドに、それぞれ専門の者に任せるものです。ここは一つ、魔獣と戦う専門の者である我々冒険者に任せていただけませんか。なにとぞ……!」
そして膝をつき、ロアリーにならって土下座する。
「いいえ、たとえ魔獣と戦えぬとも、ここから引くことはありえません! それが荘園の主としての義務ではありませんか! ミアズマストームが消えるまで、私は引きません!」
「奥様。そもそもミアズマストームはどうすれば消えるのか、ご存じですかね?」
土下座したまま、ロアリーは問う。
ベルヌイユは目をぱちくりさせる。何も答えられない。
「ストームの中には、ボスと呼ぶべき魔獣がいるんです」
ロアリーは説明する。
「そいつがストームを起こしている元凶でしてね。魔獣にコアがあるように、ボス魔獣がいわばストームのコア役を果たしているわけですよ。ボス魔獣を倒して、そいつのコアを回収することで、ストームは収まります。けど、奥様にそれができますか?」
「それは……まあその……かなり難しいかも……。しかし、私が逃げるわけには……」
ベルヌイユは言い淀んだ。しかしそれでも、妥協する様子はない。
「参りましたね。どうします?」
アンリエットが、ロアリーに小声で問う。
土下座体勢のまま、ロアリーは首をひねってアンリエットに告げる。
「君も土下座しろ。三人で土下座すれば土下座力も三倍だぞ」
「嫌です! 私は何があろうと決して土下座などしませんよ!」
「土で汚れるのがいやなら、俺の背中に乗って土下座しろ。芸術点が乗っかって土下座力さらに倍だ」
「何が芸術点ですか。適当な出任せを」
「意地を張って何になる、アンリ」
「説得すべきは私じゃなくてあの人ですよ」
「それもそうだ。それじゃ……」
ロアリーは頭をもたげ、ベルヌイユの説得にかかる。
「であれば、奥様には、名誉総大将としてここに留まっていただくのはどうですかね?」
「名誉総大将……?」
「奥様のような美しい方に号令をかけていただけるなら、ギルドの荒くれ野郎どもも喜んで従うってものですよ」
「あら。『美しい方』だなんて、私……」
気に入ったらしく、ベルヌイユの顔つきはぱっと明るくなる。
「で、でも、軍団を率いるなんて、まったく経験ありませんよ」
「どっしり構えているだけでいいんです。細々としたことは、こちらで全て引き受けますので。必ずや我々の力で、この館を守ってみせますとも」
ベルヌイユの態度が軟化しつつあるのを見極め、ロアリーは再び頭を伏した。
「ですので何卒、この館を我々冒険者にお貸しいただけませんか」
しばしためらった後、
「わ……分かりました。ならば、あなた方に運命を委ねてみましょう」
ベルヌイユはついに承諾する。
「ありがとうございます、奥様。それではこちら、契約書です。内容を一読した後にサインを頂きたく……」
サンテルムは準備していた書類一式をベルヌイユに手渡す。
ベルヌイユが書類を読み込んでいる間に、サンテルムが執事を伴い、ロアリーに近づいてくる。
「ご迷惑をおかけしました」
執事が小声でロアリーたちに謝る。
「私、執事のリーデックと申します。ご主人様と来たら、なかなか頑固な方でして……」
四十代くらいの年格好をした男性だ。黒い髪をぴたりとなでつけ、髭をきれいにそり上げ、黒スーツを折り目正しく着こなしている。几帳面そうな出で立ちながら、その顔には気苦労の気配がありありと表れていた。
普段からご主人様に振り回されているな、とロアリーは察した。
「お気になさらず。舌先三寸で相手を言いくるめるのも……いや、互いの利益のために誠意を尽くして説得するのも、我々の仕事の一部です」
「助かりましたよ」
サンテルムも感謝を口にする。
「ロアリー君がいなかったら、説得できていたかどうか」
「なあに、ギルドメンバーってのは、お互い助け合うもんでしょう。でも、土下座は俺の専売特許ですよ。あそこまでしなくてもいいのに」
「……ロアリー、私には土下座しろって言いましたよね?」
アンリエットの冷たいツッコミを、ロアリーはまるで意に介さない。
「年齢を考えろ。年上の人に土下座強要なんてできるかよ」
「ついでに一つ、頼まれてくれますか」
サンテルムは眼鏡のブリッジを押し上げる。
「なんでしょう? アンリの土下座が見たいってんなら、説得にちょいと時間がかかりますけど、サンテルムの頼みならば腕ずくにでも……」
「いや、それは結構。奥様のサインをもらったら、すぐに書類をギルド本部に持っていきますので、私が戻るまでの間、ここで番をしてくれませんか?」
「番?」
「ええ。実は、もうストームに突入している面々がいるのですよ」
「もう行ってるんですか? 気が早いなあ」
「ストーム内での拾い物は早い者勝ちですからね。彼女たちには、ここのことを伝えてありますので、ここに戻ってくるはずです。その時に彼女たちを出迎えてほしいのですよ」
「なるほど。引き受けますとも」
快諾してから、ロアリーは天を仰ぐ。
太陽は西に沈みかけ、空は赤く染まり、緑の芝生の上に黒く長い影が落ちている。間もなく夜の闇に包まれ、周辺は真っ暗になるだろう。
「今日の活動はここまでか。なんなら、俺たちもこの館に泊めてもらおうかな」
「そうですね。これだけストームが近いと、夜間の移動は避けたいし。闇夜に紛れる魔獣どもに襲われますよ」
アンリエットは頷き、それからサンテルムを見やる。
「ところで、『彼女』と言いましたね……?」
「ご想像の通りだと思いますが、バーミッサ君ですよ」
「バーミッサですか……相変わらず向こう見ずですね、彼女」
アンリエットは眉をひそめる。
一方、ロアリーはさも楽しげな笑みを浮かべる。
「切り込み隊長を買って出るのが、バーミッサのいいところだろ。快く出迎えてやろうじゃないの」
周囲にとっぷりと闇が落ちた頃、ギルドメンバーの一隊がヒューモント館に姿を現す。
「……お、ロアリー! なんでこんな所にいるんだよ!」
一隊の先頭を歩く少女が、館の門柱の灯火のそばに立つロアリー、アンリエットの姿を見つけて、声を掛けながら駆け寄ってくる。
ロアリーの側からはよく見えない。門柱に吊されたランタンの輝きの強さに比して、一隊が照明に利用している魔法の灯火はあまりにも弱かった。
しかし、ロアリーもアンリエットも、声だけでその正体を悟る。
「バーミッサ! よく生きて戻ってきたな!」
ほどなく、暗闇の中からバーミッサが姿を現す。
漆黒の髪をボブカットにまとめた、若い女性剣士だ。精悍な顔立ちで背も高く、肉体はよく鍛えられていて野生動物のようにしなやか。
しかしなにより目立つのは、その歯。
にやりと笑うと、灯火を反射して、ギザ歯がギラリと青白い光を放つ。
「私にその入れ歯を見せないでくださいよ。インファナイトを入れ歯に使うなんて、私の美意識に反します」
アンリエットが露骨に嫌そうな顔をする。
バーミッサ・ブレイクはわざと口を開閉し、ガチガチと派手な音を立てる。
「おめーの美意識なんて知ったことかよ。あたしはこの立派な入れ歯で色々助かってるんだ」
「立派なのは認めますよ。赤いインファナイトを歯の色に寄せる加工もしてありますし」
「赤いまんまだと、歯茎から血が出ているみたいで気持ち悪いんだよな。ところでロアリー、宿営地の交渉、うまくいったんだな?」
「ああ。もう食料も運び込まれている。腹減っただろ?」
「マジかよ! そいつは助かるぜ!」
バーミッサのみならず、一隊全員が安堵と喜びの声を上げる。
「今日はもう疲れたぜ。飯食って寝て、ストームの本格攻略は明日からだ」
「それがいい。ついでと言っては何だけど、一つ聞きたいことがある」
ロアリーは手を掲げ、全員の注目を集めてから、問いかける。
「ギルドメンバーのカーティス・コールマンが失踪した。俺たちは彼の行方を追っている。誰か知らない? 街で見かけたとか、些細な情報でもいい」
「コールマンだあ? あの、ギャンブル狂いのコールマンかよ?」
バーミッサが反応する。
「今日の昼間、街中で出くわしたぞ? 失踪ってどういうこったよ?」