6 瘴気の嵐
「キマイラタイプの魔獣どもか……!」
地を駆けながら、ロアリーは魔獣たちを見据える。
全身真っ黒い、ライオンほどの大きさの四足獣が、十数匹ほどの群れをなしている。
ただし、ライオンの頭を持っているのはそのうち数匹。残りは牛、馬、ヤギ、羊、虎など、個体によってバラバラだ。さらにコウモリの翼、羽毛の翼、蛇の尻尾、ワニの尻尾、あるいは別の動物の首などが無秩序に生えている。
共通点はただ一つ。目が赤く輝いているという点。
無数の赤い輝きを放つ魔獣の群れが、村へ迫りつつあった。
「いやはや、個性豊かなのは結構だが、美的センスの欠片もないな。あんなのを夢で見たら寝小便しそうだよ」
「感想を語っている場合じゃありませんよ!」
アンリエットは杖を構え、精霊魔法を発動する。
「来たれ、氷の精霊よ!」
呼び掛けに応じて、青白い透明な美女の姿が、アンリエットの頭上に浮かび上がる。
「魔獣どもにブリザードを叩きつけろ!」
アンリエットの命令に応じて、氷の精霊はふわりと上昇しながら前進。先を行く農民達よりも前に出ると、腕を一振りして、氷の嵐を引き起こす。
空中で鋭利な氷片が無数に発生し、強烈な吹き下ろしと共に地上に降り注ぐ。
突進する魔獣たちの身体に氷が突き刺さる。魔獣たちは悲鳴を上げてのたうち、突進の勢いを削がれる。
そこへ、農民達が襲いかかる。
「魔獣どもが! 俺たちの畑を踏み荒らすんじゃねえ!」
農民達は魔獣に剣を振るい、槍を突く。刃が魔獣の首筋を裂き、穂先が胴を貫く。
魔獣の身体に血は流れていない。代わりに噴き出すのは黒い瘴気。
魔獣の体内に器官はなく、骨もない。瘴気が塊となり、受肉した存在だ。攻撃を受けて一定以上の瘴気を失うと、やがて形状を保てなくなり、雲散霧消する。
一匹、二匹と魔獣たちは倒され、消えていく。しかし仲間の死に怯む様子はなく、魔獣たちはますますいきり立って反撃する。
「……ぬわっ! しまった!」
農民が一人、砂でずるりと足を滑らせ、転倒する。後頭部から背中をしたたかに打ち付け、視界に星が飛ぶ。
起き上がろうとするより早く、魔獣の前足が農民の胸を押さえつけ、のしかかる。
魔獣が大口を開く。牙だらけの歯列を見せつけ、農民の顔面を噛み裂こうとする。
「どけよッ!」
ロアリーが飛び込み、下段蹴りを放って、魔獣を弾き飛ばす。
魔獣は吹き飛び、数メートル宙を滑った後、背中から地面に叩きつけられる。
「大丈夫ですか⁉」
「助かったぜ! ありがとよ!」
ロアリーは倒れた男を助け起こし、感謝の言葉を背に受けながら魔獣を追いかける。
魔獣は立ち直り、ロアリー目がけて飛びかかる。四本の足で地を蹴り、大口を開いて、噛み裂きにかかる。
ロアリーは左アッパーで迎え撃つ。
「エサになるのは遠慮だよ!」
魔獣の下あごを砕き、黒い歯列を叩き折る。
それでも魔獣は怯まない。赤い目をぎらつかせ、前肢でしがみつき、上あごに残る牙をロアリーの左手首に突き立てる。
鋭い牙は、常人の腕をずたずたにする――はずだったが。
「しつこいねえ! 俺の腕なんて、うまくねえだろ!」
ロアリーは全く動じない。
魔獣の牙は、皮膚の上を滑るだけに終わっている。
文字通り、歯が立たない。
魔獣は全身を揺すり、口を閉め、さらに圧力を掛ける。
しかし変化なし。
大地の精霊の力に守られたロアリーの身体は鋼のごとき硬度を保ち、魔獣の牙の侵入を一ミリたりと許さない。
ロアリーは自由な右手のうち、親指、人差し指、中指を伸ばして、魔獣の胴に突き立てる。
ずぶり、と魔獣の体内へ右手が潜り込む。
魔獣が身を震わせる。慌ててロアリーの左腕を吐き出そうとする。
それより早く、ロアリーは右手を引き抜く。
その指には、黒い瘴気にまみれた固形物が握られている。
すぐに瘴気は吹き払われ、赤い金属的な光沢を放つ結晶があらわになる。
瘴気が結実した物質、生体インファナイト。魔獣の核と呼ぶべき存在だ。
「………グゥゥゥ……」
最期に弱々しいうなり声を漏らし、魔獣の身体は一気に崩壊。形無き黒い霧と成り果てる。
風が吹き付けると、黒い霧は一瞬で消え去り、大気に解けていく。
ロアリーは周囲を見渡す。
農民と魔獣の団体戦は、農民側の圧勝で終わりつつあった。魔獣はあらかた消え去り、残っているのも地に力なく伏せ、トドメを刺されるか自然に消え去るのを待っている状態。
「いやはや。さすが農民の方々は強いなあ」
感想をつぶやいて、近くでうずくまっている魔獣の元に踏み出そうとした時、
「ロアリー、危ない!」
フェイバーの鋭い声が飛ぶ。
咄嗟に振り向くと、魔獣が鼻先に迫っていた。
振り上げられた右前肢、その先から突きだした鋭利が爪が、ロアリーの顔面を引き裂こうとする。
直後、
「……炎の精霊よ!」
アンリエットの声と共に飛んできた火球が、魔獣の胴を直撃。
魔獣は真横にはね飛ばされ、地面に転げ落ちる。
咄嗟にロアリーは魔獣を踏みつける。既に重傷を負っていたようで、踏みつけ一発で魔獣は霧消する。
「油断大敵です」
アンリエットが杖をつきながらロアリーのそばに歩み寄る。そして、火球が引き起こした地面のぼやを足で踏んで消しにかかる。
「こんな場所で火炎魔法を使うのはいただけないな。火事になりかねない」
言い返しつつ、ロアリーもぼや消しに参加する。
「ぼーっとしていたロアリーが悪いんですよ。あの状況、一発食らったところで、ロアリーならどうってこともないかもしれませんが……」
「いやいや。一瞬でも遅れていたら、ショックのあまり漏らしていたかもしれない。アンリ、君は俺のクリーニング代を一回分浮かせてくれた。感謝感謝」
「はあ……。だったらわざとスルーして、大の大人が白昼堂々漏らすとかいう衝撃シーンを村の皆様に見せたかったですね」
「やめてくれ。放尿を見られて興奮する趣味なんて、俺にはないよ。火消しは俺に任せて、アンリは怪我人を見てやってくれ」
ロアリーが手で示した先には、手傷を負い、地面に座り込んでいる農夫がいた。
アンリエットはすぐさま農夫の下に駆け寄る。
「傷、見せて下さい。魔法で治しましょう」
「お……あんた、回復魔法も使えるのか」
顔をしかめつつ、農夫は傷を押さえる手を離し、魔獣に裂かれた痕をあらわにする。
爪で引っかかれたのだろう、上腕部を縦に三条の傷が長く走っている。鋭利な刃物の傷とは異なり、きれいな傷とはいえない。
アンリエットはその傷の上に両手をかざす。
その周辺に、柔らかで温かな光が輝き始める。
基礎的にして最も一般的な神聖魔法、ヒーリング。神の力を借り、人体が持ち合わせる自己回復能力を一時的に加速させ、出血を止めて外傷を塞ぐ。
ヒーリングの輝きを浴びるうちに、農夫の出血は収まり、傷口は癒着する。
「かなり良くなった。いい腕してるな、あんた」
農夫はアンリエットに語りかけつつ、手を結んでは開き、を繰り返す。わずかに顔をしかめはしたものの、指はなめらかに動く。
「無理はしないでください。回復魔法は、傷を一瞬で完治するものではありませんからね」
「分かってるさ」
アンリエットの忠告を受けて、農夫は横手に視線を投げる。
その先には、遅れて追い付いたフェイバーの姿。
フェイバーはぎこちない歩調でロアリーに歩み寄り、謝る。
「遅れて済まなかった」
「気にしなさんな。さっきは助かったよ」
ロアリーはフェイバーの肩を叩く。
「それにしても、結構な頭数だったな。この辺、魔獣がよく出るのか? 近所に小さなミアズマ漏れでもあるのかな?」
「それなりには出る。でも、今のは、アレの影響だろうよ」
フェイバーは空を指さす。
北東方向、田園地帯にまばらに壁をなす森や林の、さらにその向こう。
黒い柱のようなものが、天と地をつなぐように屹立している。
「おいおい。ミアズマストームじゃないか!」
ロアリーは目を剥く。
「しかも……あれはなかなかの大物ですね」
アンリエットも驚きを隠せない。
巨大なミアズマストームは、周辺地域にも影響を与える。
平時から少量の瘴気漏れは各地に発生していて、これが散発的に魔獣を生み出すのだが、近くに巨大なミアズマストームが発生すると、干渉を受けて瘴気漏れの量が多くなり、魔獣の発生確率が増大する。
「あんなの、ここ十数年見たことないぞ!」
「子供の頃に見た奴を思い出すなあ……。あん時は村中大騒ぎだったな」
農民達はそろって北東の空を見やり、驚愕や畏怖の表情を浮かべている。
さすがに「十数年」は言い過ぎだな、とロアリーは思う。マッサリア島全土で考えれば、この程度の規模のストームは月一位で発生しているはずだ。
とはいえ、フォカニーの近所でこれだけのストームが発生したのは、ロアリーも初見だ。自分の村とその近隣で一生を過ごし、他の地域へ旅することのない農民にとってすれば、そういう感想にもなるだろう。
「あれって……私達も行くべきでしょうか?」
ストームを指さしながら、アンリエットはロアリーに問う。
「とりあえず行ってみるか」
ロアリーは説明する。
「ミアズマストームが発生した場合、ギルドはギルドメンバーに緊急招集をかける。仕事を抱えてなくて、手が空いているギルドメンバーはそれに応じて攻略班に参加し、ストームと魔獣に対処する。調査部員ってのは、基本的には常に仕事を抱えている身ではあるけれど、ギルドメンバーの頭数が揃わない時なんかは手を貸しに行く。そして、頭数が揃っているかどうかを確認するには、とりあえず行ってみないと分からない」
「たしかに。それはそうですね」
「それに、仮に頭数が揃っているとしても、顔を出しておくメリットはある。人の集まるところには情報も集まるからね」
納得して、アンリエットは頷いた。そしてフェイバーに軽く手を振る。
「それでは、我々は失礼しますので」
「デモニアクスの件はよろしく。じゃ、また会おう」
ロアリーも手を振って別れを告げ、村を背にして歩き出す。