5 デモニアクス
C01_05.txt
「ガイルズ! 久しぶり! 来てくれたのか!」
フェイバーは破顔一笑し、小走りに赤毛の男のもとへ寄る。
赤毛の男は右手を軽く掲げ、ハイタッチを要求する。応じてフェイバーもハイタッチを返したが、勢いが強すぎた。
「いったああ⁉」
男は右肩を押さえ、悶絶する。
「うわあ! 大丈夫かよガイルズ⁉」
「いづづづ……大丈夫……」
肩か腕の筋を違えたか、赤毛の男は歯を食いしばって耐えた。重傷には至らなかったようで、痛みに耐えつつ、ゆっくりと姿勢を正す。
「すまなかった。どうも最近、身体にガタが来ていてねえ」
「まだ四十越えたばかりだろ。老け込むにはまだ早いって」
「四十はもう年寄りだよ。うっかり若い頃の感覚のままで身体を動かすから悲劇が……って、ここでする話じゃないね」
赤毛の男は、ロアリーたちに視線を戻す。
フェイバーはくるりと身を翻し、男をロアリーたちに紹介する。
「この人はガイルズ・アストウェル、俺の親戚だ。俺の父親の兄の結婚相手のいとこの母親ってのが、本家エクルモア家の人間で――」
「細かい説明は結構。申し訳ないが、俺の記憶力はザル以下なんだ。最近は、五分前に紹介された人の名前すら忘れる始末なんで」
ロアリーは控えめに手を振り、フェイバーの話を遮って、名乗る。
「俺はロアリー・ジーベントゥルム」
「私はアンリエット・メルヴェイユ。マッサリア冒険者ギルドの調査部員です」
続けて、アンリエットも自己紹介する。
アストウェルは軽い驚きの表情を浮かべる。
「へえ。私の後輩というわけだ」
「あら。元ギルドメンバーの方ですか」
「ああ。引退して、しばらく経つがね」
アストウェルの右頬には、白い傷跡が一筋走っている。古い刀傷の痕だ。
「今はカイツヴィルで武器屋を開いている。……君が持っているの、ちょっと珍しいハンマーだねえ」
アストウェルは興味の視線をアンリエットの杖に向ける。
「魔法の杖です」
アンリエットが主張すると、アストウェルは意外そうな顔をする。
「えっ? 君、戦士じゃないの?」
「魔法使いですよ!」
アンリエットは人差し指を伸ばすと、その先に魔法の光球を浮かべた。
「そ、そうなのか。失礼した。立派な体つきなんで、てっきり前衛職かと」
「鍛冶も兼ねてますので」
「そ、そうか。なるほどね。……スタンリー叔父さんが亡くなったと聞いてすっ飛んで来たんだが、聞けば、ここに盗賊が押し入ったそうじゃないか」
アストウェルは、武器類が床に散乱しているあたりに近づく。
「被害はどれくらいかな?」
「魔剣が一本だ」
アストウェルの問いに、フェイバーが答える。
「一本だけ? 何を盗まれたか、具体的に分かるかい?」
「ああ。突き合わせできた」
フェイバーは近くの本棚から冊子を取りだす。
「それが武器目録かな」
ロアリーの言葉にフェイバーは頷いて、目録を開いた。数ページめくって、該当の部分をアストウェルに提示する。
「武器だけじゃない。この館で管理している宝物全ての目録だ。えーと……盗まれたのは、これだと思う」
「これは……『メレクの三番』だって⁉」
突然、アストウェルの声が切迫の色を帯びる。
「なんか知ってるのか、ガイルズ?」
「これは……デモニアクスの仕業かもしれないよ」
「デモニアクスですって!」
アンリエットが目を剥く。
デモニアクス――魔界の神々を信奉し、魔界を統べる者達に忠誠を誓う者たちの総称だ。地上界に魔王を迎え入れ、地上の王国を打ち倒すこと、地上界を魔界となすことを目的とする。端的に言えば、人類全体に対する反逆者である。彼らは「邪教団」とも「秘密結社」とも「テロリスト集団」とも呼ばれるが、その規模と実態は謎に包まれている。
「デモニアクスがアーティファクトを狙うのは、不思議ではありませんが……その魔剣に何か問題があるのですか?」
アンリエットの問いに、アストウェルは慎重に答える。
「あれは、魔人ゼリ・メレクを封印した三本の魔剣のうち一本なんだ」
「魔人の封印……?」
魔界に住まう生物のうち、地上界の人間と意思疎通できるレベルの知能を持つ存在を魔人と呼ぶ。「人」と呼ばれてこそいるものの、必ずしも人間らしい容姿をしているとは限らない。異形の怪物としか呼びようのない姿ながら、常人以上の知能を持つ「魔人」もたびたび地上界に現れている。
「もう三十年前の話になる。フォカニーの北の方に、大規模なミアズマストームが発生した。魔人ゼリ・メレクが魔獣達を引き連れて、地上侵略にやってきたんだ」
語りながら、アストウェルは北の方向を見つめる。
ミアズマストーム。地上界と魔界、二つの異世界が連結される際に発生する、巨大な黒い嵐。
黒い嵐の発生と共に、地上界の地形の一部と魔界の地形の一部が置き換わる。魔界の大地そのものが地上界に現れるのである。
「君達も見たことあるんじゃないかな? フォカニーからカイツヴィル方面に向かう途中に、大きな城塞の遺跡があるだろう。今では半分森に埋もれているけれど、あれがゼリ・メレクの城塞なんだよ」
「ああ、あれですか? 知ってますよ。そんな由来だったんですか」
ロアリーは軽く驚く。
ミアズマストームが消滅した後も、魔界の大地はそのまま地上界に残る。マッサリア島のあちこちで散見される奇妙な廃虚は、そのほとんどがミアズマストームの遺物、魔界勢力による侵攻の傷跡である。
「あそこを中心に、魔獣の軍団が続々とストームの中から現れて、近隣の村や町を蹂躙していった。フォカニーの近所だし、まあ大騒ぎだったよ。マッサリア軍と冒険者ギルドが力を合わせる総力戦になった。多数の犠牲者を出した激しい戦いの末、最後にグランサムが魔人を封印した」
「封印した? 倒した、のではなく?」
ロアリーの疑問に、アストウェルは頷く。
「そう聞いている。グランサムが命と引き替えに魔人を封印した、とね」
「完全に滅ぼすまではいかず、封印で済ませるしかなかった、ってことですかね?」
「さあ……詳しくは知らないんだ」
「アストウェルは直接立ち会ってないんですか?」
「そりゃそうさ。当時私は十歳くらいだもの。それから十年後くらいにギルドに入って、グランサムのパーティメンバーに話を聞いて回ったんだ。グランサム本人からも話を聞ければ良かったんだがねえ」
アストウェルは後悔に似た吐息を漏らす。
「とにかく、魔人は封印され、魔界の軍勢も滅んで、侵略は防がれた。そしてグランサムの仲間達は、封印に使用した三本の魔剣を持ち帰った。魔人が振るっていた魔剣を封印に逆利用したらしい」
「そのうちの一本が、盗まれた魔剣ですか」
「ああ。魔剣にメレクの一番、二番、三番と名前をつけ、そのうち三番が、グランサムの遺族であるスタンリー叔父さんに預けられた」
「一つ、重大なことを教えて欲しいのですが」
神妙な調子で、アンリエットが問う。
「その三本の魔剣が揃ったら、どうなるんです?」
「三本の魔剣は、魔人の封印を解く鍵でもあるらしい。三本の魔剣を揃えて封印を解けば、魔人は復活する、ということらしい」
「そんなところだろうと思ってた」
ロアリーは渋面を隠さない。
「そんな危険な代物を破棄もせず、さりとて厳重にしまいこむでもなく、よりにもよってご立派に展示して飾っていたんですか?」
「それがスタンリー叔父さんの意志だったからね」
アストウェルも固い表情で釈明する。
「あの魔剣は、非業の死を遂げたグランサムが世界を救った証だもの。あれを展示して世に知らしめ続けることが、遺族としての義務だと考えていた。逆らうわけにはいかないよ。破棄なんてとてもとても」
「破棄自体、不可能だろうと私は思いますよ」
アンリエットがロアリーに言う。
「魔界にはインファナイトの特殊な鋳造法があるらしくてですね。それで作られたアーティファクトは、決して劣化しないし、破壊することができないんです。少なくとも、地上の技術では」
「決して劣化しない? その鋳造法でひげ剃りを作ったら、絶対に切れ味が落ちないってことかね。便利そうだな」
ロアリーは納得した。
アストウェルは「メレクの三番」が架けられていたあたりの壁を見つめる。
「いまやグランサムも魔人ゼリ・メレクも忘れ去られた存在だ。君達も知らなかっただろう」
「まあ、確かに。不勉強ながら、まったく聞いたことなかったですね」
ロアリーは素直に認め、アンリエットも無言で頷く。
「私が聞き取り取材をした頃ですら、『誰それ?』って調子だったよ。だから、もはや危険性はないと思っていた。でも、その判断は誤りだったようだ」
「デモニアクスの連中は、どんな与太話にでもすがりつきますからね」
ロアリーは指摘する。
「あいつらの執念深さと執着心は、常識では図れませんよ。魔王様を迎えて地上を魔界にしようなんて夢を見る、ろくでもない連中だもの。こりゃまずいことになるぞ」
「俺も休んでる場合じゃねえな」
フェイバーは賊に斬られたあたりを撫でる。
「まだ、盗まれたのは三本のうち一本だけだ。残り二本の所在を突き止めて、デモニアクスから守りゃいい。ガイルズ、知ってる?」
「知らない。急いで調べないと。あと、魔人の封印の正確な場所を突き止めよう。城跡の中とは思うんだが、実際に確認したことはないからね」
「そっちは、ギルドから人をやりますよ。残る二本の封印剣探しは、二人に任せます。これは逆に言えば、デモニアクスを狩るチャンスになるかもしれない」
ロアリーの提言に、フェイバーとアストウェルは大きく頷く。
「任せてくれ。こう見えても、昔は冒険者として島中を駆け回ったんだ。あの頃を思いだして、不謹慎ながらわくわくしてきたよ……」
アストウェルはやる気のほどを示すポーズを取ろうとして、
「……あいたたた!」
悲鳴を上げ、背筋のあたりを押さえる。
「無理はしないで下さいよ」
ロアリーは思いやりの言葉を口にした。
「茶を出す暇も無くて、悪かったな」
エクルモア館から退出するロアリーとアンリエットを見送りながら、フェイバーは言う。
「構うこたあない。調査部員の仕事をしていると、長話になることが多くてね。うっかりお茶をガバガバ飲んでいると、小便を我慢する羽目になる。知ってるかい? 酒の席で、王の話の最中に中座してはならないと我慢し続けて、ついに膀胱が破裂して死んだ天文学者の話とか……」
「その話は二、三十回は聞かされました」
アンリエットが素速く口を挟み、ロアリーを黙らせる。
「いずれにせよ、気遣いは無用です。デモニアクスが関わっている可能性がある以上、のんびりはしていられませんし。ついでに別件も抱えてますから」
「そういやコールマンの件もあった。気が重いなあ」
見えないパンチに殴られたかのごとく、ロアリーはよろけてみせる。
フェイバーは苦笑を浮かべる。
「葬式の後始末があるんで、俺たちも動けるのはその後になるが、必ず……ん? なんだ?」
不意に、遠くから声が聞こえた。
「ヒイ……ッ! 助けて……ッ!」
切迫した女性の悲鳴。
すぐさまロアリーとアンリエットは駆けだす。
フェイバーもそれに倣おうとしたが、完治していない傷がビリッと痛み、顔をしかめる。仕方なく、ゆっくり目の歩調で二人を追う。
「魔獣! 魔獣が畑にぃーっ!」
エクルモア館のすぐ南側に、村の中心を貫く道が東西に延びている。悲鳴は東側から、血相を変えて逃げてくる女性とともにやって来た。
声を受け、村に居合わせた男衆は一斉に立ちあがり、それぞれに得物――剣や槍、あるいはフレイルやフォークなど――を抱え、東へ向かって駆けていく。
ロアリーたちもその流れに乗って、村を囲む田園地帯へ飛び出す。
そしてすぐに見つける。
刈り入れ後の麦畑を踏み分けて地を走る、全身黒い姿をした、四本足の魔獣の群れを。