4 エクルモア館の襲撃者
「できることなら、俺もこんな村で生まれたかったね」
村の様子を一眺めして、ロアリーは感想を述べる。
フォカニー近郊の荘園、エクルモア村。
なだからに起伏する平原に延々と広がる麦畑の一角に十数の農家が固まって並び、中心部に背の高い大きな石造りの館が建っている。そこが目的地、エクルモア館だ。
「ロアリー、都会生まれなんですか?」
アンリエットの質問に、ロアリーは首を振る。
「いいや。俺は正真正銘の田舎者だよ。両親が山奥の僧院の使用人で、僧院で生まれ育った。僧院の生活は、なんというか、色がない」
「色がない?」
「俗世間と切り離されて、子供の興味を引くことが何にもない。あまりに退屈すぎて、飼っている羊が落としたウンコの数を数えて暇つぶしをしていたくらいだ」
「退屈さなら、この村もさほど変わらないと思いますけど……」
「いやいや。この村には、少なくとも若い女性がいる」
農家の玄関先で掃き掃除をしている、若妻風の女性にロアリーは目を向ける。
「俺が居た僧院は男性の修行僧のみしかいなかった。母親以外の女性がいるってだけで、別世界だと思えるね」
「普段からロアリーって、やたらと女性のお尻を目で追いかけていますよね。思春期に飢えていたのが原因ですか」
アンリエットの指摘を受けて、ロアリーは苦笑する。
「男の尻には興味ないんでね。さて、あの女性に、館への行き方を聞いてみようかね」
「いや、待って。それは私に任せて下さい」
素速くアンリエットが進み出て、村の女性への接触を図る。
しかしそれより早く、手前の石造りの建物から、海賊帽を被った男がふらりと出てきた。
「……お、ロアリー! 来てくれたのか!」
男――フェイバーがロアリーに気付き、早足で歩み寄ってくる。
「フェイバー! ちょうど良かった」
ロアリーも笑顔を浮かべ、フェイバーに手を振る。
見た目は二十代半ば、ドクロマークの黒い海賊帽を被った男だ。黒い眼帯を装着しているが、実は両目とも視力に問題は無いので、目の直上にずらしている。黒ジャケットに黒いズボンを身につけ、シャツだけが白い。
「珍しい格好をしているじゃないか、フェイバー」
ロアリーの言葉に、アンリエットは片眉を吊り上げる。
「珍しい? 彼はいつも海賊の格好をしているのでは?」
「それはそうなんだが、こんなに黒一色なのは初めて見た」
「これは喪服さ」
フェイバーは悲しげな表情を閃かせる。
「強盗に襲われたと聞いたけど、誰か亡くなったのか?」
「いや、それとは別件だ。本家の人間が病気で亡くなったんで、葬式に集まったんだよ。葬式を済ませた晩に、強盗に入られた。……こちらは?」
フェイバーはアンリエットを見やりつつ、ロアリーに問う。
「アンリエット・メルヴェイユ。ロアリーのパートナーです」
アンリエットは自己紹介し、握手を求める。
「へえ。ロアリー、久しぶりにコンビを組んだのか」
フェイバーは力強く握手を返す。
「戦士と組むとは、ちょっと意外だが……」
「魔法使いです」
アンリエットはすぐさま訂正する。
「え? でも、その持ってるクソデカハンマーは……」
「杖です!」
「そ……そう。杖ね、杖。まあとにかく、うちに来てくれ」
ロアリーたちを手招きして、館に向かって歩き出す。フェイバーの歩調は右足に重心が傾きやや不自然で、強盗に負わされた傷がまだ完治していないことを示していた。
「これは……血痕か」
塗料を吸った刷毛を振り回したような形状の黒い跡が、木の壁の低い位置に残っていた。
「俺の血だよ。一撃食らっちまったのさ。踏んだり蹴ったりとはこのことだ。回復魔法で治しはしたが、まだ痛みやがる」
フェイバーは自分の左足を軽く叩く。
エクルモア館の広い庭の右手に建つ、木造の別棟前に、三人は立っている。母屋とは比ぶべくもないが、一般的な住居ほどの大きさはある。
「これは、一族自慢のギャラリーさ」
フェイバーは説明する。
「一族の開祖たるビッグ・ナット・エクルモアは、王国公認の私掠戦船長として活躍した後、この地に領地を頂いた。で、立派な本館とは別に、海賊時代の戦利品を飾るギャラリー用の建物を建てたのが、始まりでね。火事で燃えたり老朽化したり、紆余曲折はあったが、今でもこの通り、開祖の栄誉を広く知らしめるため、トロフィーを展示し続けている」
「具体的にはどういった物でしょう? もちろんアーティファクトもあるんですよね?」
アンリエットは興奮気味だ。キラキラと輝く目でギャラリーを見つめ、今にも中へ突撃したいという面持ちでうずうずしている。
「アンリは、アーティファクトのこととなると話が止まらなくなる。まあ気にするな」
ロアリーはフェイバーに小声で告げる。
「是非とも中を見せてくれませんか! 今すぐ!」
力強く訴えるアンリエットに気圧されつつ、
「ちょっと待て。まずこっちを見てくれよ」
フェイバーは正面入口を手で示す。
入口は木製の両開き扉で、外側に小さな金属の閂が据え付けられている。閂に錠を掛け、外から鍵を掛けるタイプのものだが、今は閂が真っ二つに両断され、用をなしていない。
「この通り。やられたよ」
「見事に斬られてるな」
ロアリーは閂の一辺を手にとって、注意深く眺める。閂の切断面は綺麗なものだった。
「無理に外そうとしてガチャガチャやったような痕はない。刃物を扉の隙間に差し込んで、勢いよく下ろして、一発で断ち切ったような……」
とまで言ってからふと思いつき、ロアリーは扉に顔を寄せ、閂が固定されているより少し上の部分を観察する。
「新しめの傷があるな」
アンリエットもすぐに気がつき、その部分を指さす。
「この辺から刃物を差し込んだんでしょうね」
「そんなことできるのか? こんな隙間に入る刃物なんて、薄いナイフ程度だろ。そんな代物で、鉄の閂をすっぱり斬るなんて……」
フェイバーは疑わしげに言ったが、
「いいや、アーティファクトならできますとも」
力強く、アンリエットは断言する。
「魔界の金属、インファナイト製のナイフならば、地上の金属程度、バターのようにさっくり切れます。もちろん、然るべき腕前の魔法鍛冶によって鍛えられ、製作された物なら、という条件がつきますけどね。アーティファクト武器の小型化、強さと薄さをいかに両立させるか、という命題は昔からあって――」
「そのテーマは実に興味深いが、今はよろしい。フェイバーが怪我をしていることを忘れるな」
ロアリーはアンリエットの肩に手を置き、話題の強制終了を図る。
「あ……これは失礼しました」
わずかに顔を赤らめ、アンリエットは咳払いをする。
「ギャラリー、入って構いませんよね?」
「これ以上待たせたら、扉ごと壊されそうだな。どうぞどうぞ」
フェイバーは扉を開け放ち、二人を小さなエントランスホールへ導く。
「左側は、開祖ビッグ・ナットの海賊時代の所持物や戦利品で、右側はその子孫、エクルモア家が輩出した冒険者達のゆかりの品をローテーションで展示している」
「ローテーション?」
「お宝が山ほどあるんでね。どんどん回さないと展示しきれないんだよ」
「そして来客に自慢するわけか」
「亡くなったスタンリー叔父さんは、とんでもない情熱を賭けてた。冒険者としての活躍を夢見ていたが、親の急逝とかで夢を諦め、当主の座を継いだ人だから」
説明しながら、フェイバーは右手の扉をくぐり、二人を冒険者ギャラリーへと招き入れる。
薄暗い長方形の部屋の中に、複数の展示ケースが並んでいる。木枠で囲まれた透明なガラスの蓋の奥には、宝石や武器装具類が展示されていた。
「どれもこれも素晴らしいアーティファクトですねえ!」
展示ケースの内容物を、アンリエットは食い入るように見つめる。
「いずれも美しい輝きを放つ逸品ばかりですよ。このギャラリーの持ち主は、なかなかいいセンスをしていますね」
「その言葉、是非ともスタンリー叔父さんに聞かせてあげたかったね」
悲しげな微笑みを、フェイバーは浮かべる。
「何の病気だったんだ?」
ロアリーの問いに、フェイバーは肩を落とす。
「心臓が悪くてさ。とはいえ、八十を過ぎていたから、大往生と言っていいだろう。自分ではなかなか動けないもんだから、最期の頃は、俺が叔父さんの指示に従ってギャラリーの物品の入れ替えをしたもんだ。おかげで、このギャラリーと館の秘蔵物についてすっかり詳しくなったし、愛着も湧いてきた。それだけに、強盗は許せねえよ」
怒りを押し殺しつつ、フェイバーは更に奥へ踏みいる。
ギャラリーの両サイドの壁に、長柄の武器が飾られている。長剣、斧、ハルバード、槍など、複数種の得物が整然と架けられていた。
しかし右手奥の一面だけ、長剣があらかた壁からはぎ取られ、床に乱雑に投げ捨てられていた。
「強盗連中はここに侵入すると、真っ先にここを目指したようだ」
フェイバーは小声で呪文を唱え、魔法の小さな光球を指先に生み出す。光球を操り、床に近づけると、複数の土に汚れた足跡が浮かび上がった。
「これは……賊は二人かな?」
「俺が見る限り、二人だった」
ロアリーの推測を、フェイバーは肯定する。
「気がついたのは偶然だったよ。夜中に小便がしたくなって、庭に出てみたら、ギャラリーあたりで変な光がちらつくのに気がついて。まさか、と思って近づいてみたら、ギャラリーから二人組の賊が飛び出してきた。向こうは武装していたけど、こっちは丸腰だ。見逃すのが正解だったんだろうが、ついかっとなって、素手で捕まえようとしてさ。逆に一撃食らってしまった。連中、そのまま逃げていったから助かったけど、もし俺にトドメを刺しに来ていたら……」
ぶるり、とフェイバーは身体を震わせた。
「小便の臭いをまとってあの世に行くのは、あまりいい死に方じゃない」
ロアリーは首を小さく横に振る。
「賊どもにははっきりとした目的があったんでしょうね」
ギャラリー全体を見渡しながら、アンリエットが言う。
「このギャラリー内には値打ち物が山ほどあるのに、一切目にくれず、ここに架けられた長剣のみに手をかけています」
「特定の剣を探していた感じだな」
ロアリーも同意を示す。
「何が盗まれたか、特定できてる?」
「目録と付き合わせてみた。なくなったのはグランサム・エクルモアの魔剣だ」
「グランサム・エクルモア?」
「うちの一族の人間で、三十年前くらいに活動していた冒険者だ。ビッグ・ナットの生まれ変わりとまで言われた傑物だぞ。かの悪名高き海賊ロロシーを一騎打ちして勝ったとか、魔人ゼリ・メレクを封印したとか、あまたの美女と浮き名を流したとか、伝説的な冒険を幾度も繰り返した人物だ。おまえら知らんのか?」
「知らない」
ロアリーは即答し、
「誠に遺憾ながら」
アンリエットも首を横に振る。
「そうかい。ま、三十年前の話だ、仕方が無い」
フェイバーは雅量を示し、何度か小さく頷く。
「とにかく、盗まれた魔剣は、我が一族のかけがえのない財産だ。なにがなんでも取り返さないと。何か悪事に利用されたりしたら、俺はグランサムの霊に顔向けできないよ。だからロアリー、頼む。賊どもを探し出して、魔剣を取り戻してくれないか?」
「協力したいのは山々なんだが……」
ことの面倒さを思いやり、ロアリーは逡巡する。
「そもそもこの件、冒険者ギルド調査部の仕事として引き受けていいのかね? 部長に言われて来てみたけれど、よく考えたらこれは一般的な強盗事件だぞ。ギルドと直接の関係はない」
「私は問題ないと思います」
アンリエットは静かに、しかし力強く言い切る。
「アーティファクトが悪党の手に渡り、犯罪に使われるようなことがあってはなりません。それを未然に防ぐのも、冒険者ギルドの務めですよ。そもそも私は、そのためにギルドに招請されたんですから」
「まあね。仕事が増えるばかりだが、仕方ないか――」
とロアリーが言いかけたところで、
「……ジュリアン? ここにいるのか?」
男性の声が、ギャラリー内に響く。
見やると、喪服を身にまとった、赤毛の痩せた中年男性が、展示室入口に姿を現していた。