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ボタンの店

作者: 矢本MAX

誰にでも忘れられない、気がかりな思い出というものがあるでしょう。

そしてそれを夢に見ることも……。

これからあなたの心はあなたの身体を離れて、この不思議な空間の中へと入って行くのです。

 夢の中で、これは夢だなと思うことがある。

 沢木森魚がその夜見たのは、そんな夢だった。

 故郷の街を歩いていた。

 風景は、子供の頃のままで、彼自身も歩くうちに小学二年生の自分になっていた。

 小学校の裏門を出て、狭い路地を進んで行くと、国道に出るちょっと手前に、小さな店がある。幼稚園の時に同じ組だった女の子の母親が営む、ボタンの店だった。

 間口一間ほどの狭い店で、カウンターがわりのガラスケースがあり、壁面は棚になっていて、ボタンの箱がたくさん積まれていた。今は寂れた故郷の街だが、その頃はまだ、ボタンだけの商いが成立するくらいには賑わっていたということだろう。

 路地を挟んで向かい側にはオルガン教室があり、生垣で囲まれた芝生の向こうに建つ木造校舎からは、いつも牧歌的なオルガンの旋律が流れて来る。その音色に背中を押されるようにして、森魚は店に入った。

「あら森魚君、おつかい?」

 店主である小母さんが声をかけて来た。母親に連れられて、何度か店に来たことがあるから、何か頼まれて来たのだろうと思ったらしい。

 森魚は黙って首を横に振った。

 その日、彼は小学校で同じクラスの女の子が着ていたカーディガンのボタンを引きちぎってしまった。

 昼休みにみんなで鬼ごっこをして遊んでいて、その子を捕まえる時、つい乱暴にしてしまったのだ。

 実は森魚は、彼女に淡い恋心を抱いていた。そして、その年頃の男の子なら誰もがそうであるように、好きな女の子には心と裏腹に邪険な態度をとってしまう。

 ちぎれて飛んだボタンは、どこへ行ったか、とうとう見つからなかった。近くの花壇のあたりに飛んで行ったと思ったのだが、いくら探しても見つからない。

 そのうちに授業再開の予鈴が鳴った。

 べそをかいていた女の子は、とうとう泣き出してしまった。

「あんたのせいだからね。責任とんなさいよ!」

 女子のリーダー格の口うるさい女の子が言った。森魚は困って、自分も泣き出したくなった。

 そんないきさつがあり、学校の帰り道に、この店に寄ったのだった。

「ボタン、ください。こんなの……」

 と言って、モリヲは自分で描いたボタンの絵を差し出した。

 絵を描くのは得意だったが、なくなったボタンの、貝殻の裏側のような光沢を再現することも、それをうまく口で説明することも難しかった。

「それはきっと螺鈿ね、このあたりかな?」

 小母さんは棚からいくつかの箱を取り出して、その中から取り出したボタンをガラスケースの上に並べた。

 どれも綺麗なボタンだった。

 そしてみんな同じように見えて、少しずつ違っていた。

 色もかたちも、大きさも光り方も。

「手に取ってじっくり見てね」と言われて、手に取ってみたものの、どうしても確信が持てない。

 首をかしげていると「こういうのもあるわよ」と、さらに見本を追加して来る。

 世の中にはこんなにたくさんのボタンがあるのかと圧倒され、思考は完全にショートしてしまった。

 しっかりと記憶していたと思ったはずの形状が、だんだんあやふやになって来て、自信を失うばかりだ。

「それじゃ、これかな?」

 最後に小母さんが出して来たボタンを見て、ピンと来るものがあった。そう、こんなふうに光っていた、と。

「当たり、かな?」

 森魚の表情を見て、小母さんが言った。

「いくらですか?」

「いくら持っているの?」

 ポケットからその日の小遣い銭を出して見せると、小母さんは十円玉を一枚だけ取って「はい、毎度ありがとうございます」と言って笑った。

 モリヲはなんだか肩の荷が下りたような気がした。

 そこで眼が醒めた。

 夢の中ではちゃんとボタンが買えたけれども、実際には店の前まで行ったものの、中に入る勇気が出ずに、行ったり来たりしたあげく、結局断念したのだった。

 布団の中で、右手をしっかりと握りしめていた。開いてみると掌に、夢で見たあのボタンが汗で貼り付いていた。

 朝食の時に、再びそのボタンを眺めていると、妻の沙也加が素っ頓狂な声で言った。。

「そのボタン、どこにあったの? ずっと探してたのよ!」

 それは小学二年生の娘の遥香のカーディガンのボタンだった。

   了

夢はもうひとつの現実です。

そしてそれはあなたの昼間の現実と、どこかで繋がっているのかも知れません。

それではまたお逢いしましょう。

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