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義康残照

作者: 宅(ヤケ)さん

最上家は江戸初期に改易となったので史料が少ないのですが、最上義光の嫡男が廃嫡され非業の死を遂げます。その何故を物語にしてみました。

 朝日岳を源として北上した後、寒河江川は月山の南裾に阻まれるようにして東に向きを変えて村山盆地に流れ込み、一頻りこの辺りの田畑を潤してからその役割を終えるようにして最上川に合流する。月山が見守る田には植え揃った苗が風に靡き、初夏を思わせるような景色が広がっている。せせらぎの音は、今年も戦はないであろうといった安堵感が漂っているようでもある。

「はははは、そこを触るでないぞ坊」

童たちが群れるようにして二人の侍に纏わりついてはしゃいでいる。十人ほどに囲まれて、二人とも烏帽子に馬乗袴の出で立ちで寒河江のお城から遠乗りしてきたようである。近習と思われる年嵩の侍を従えたもう一人の若い侍の衣装には、最上家の家紋丸に引両が散りばめられているが、童たちは気にする様子も無く、すっかり懐いてしまっている。

「また川で遊んでおったのでは無かろうの」

 年嵩の侍の問いには答えず、童の中の大将を気取った男の子がねだる様に言う。

「とら丸が溺れたあの淵で、この川の主のような魚が跳ね上がったのを見たんじゃ。あれを捕まえて下され」

「懲りぬ奴どもじゃのう。あれほどあの淵には近づくなと申したでは無いか」

 二人の侍が、その童たちに懐かれるようになったのは、雪が消えたこの春先、童たちが川渡りをして遊んでいたところ、そのとら丸が足を滑らせ子供では足の届かない淵にまで流されたところを、たまたま通りかかったときに助けてやったのが縁になっている。

「源左衛門、お主の弓を持て」

「わーい!」期待した以上の応えに童たちがどっと歓声を上げる。

「よし、案内せい」

矢籠を背負った源左衛門と呼ばれたその近習も、興が乗ったのか、右手に弓をかざしてせせらぎの音に向かって歩み始める。童たちに前後を挟まれ、まるで神輿を担がれるようにして進む源左衛門の姿に笑みみを浮かべながら、もう一人の侍もその後に続こうと、赤ん坊を背負った歳の頃は十くらいの娘に振り向き声をかける。

「お千代坊、一緒に行くぞ」

(おらは……)という返事を飲み込み、「今日は、子ん守だから」とお千代坊と呼ばれた娘は応える。声をかけられ顔はほんのり紅くなる。

「源左衛門、わしはここでお千代坊と見ておるからその主を仕留めて見よ」

「かしこまってござるよ、若」

 源左衛門は、振り返り笑みを見せ、やがて童たちと葦原に囲まれた道を抜けて川面に抜け出て来るのがここからはよく見えた。東には最上川が見通せる。

「あの、お侍さまは……」

 千代は言いかけて口ごもる。

「どうした、お千代坊」

「おらは、男では無いぞ!」とぷっと頬を膨らませ、千代は言い返しながら、

「お侍さま……、お侍さまは寒河江のお殿さまなのでは無いのか?」

「ほう、どうしてお千代はそう思う?」

「お(とう)に、お侍さまの話をしたら、ひょっとしたらって」

「お父は、寒河江の殿さまの事を見知っておるのか」

「うん。このあたりに戦がある時には、お父も槍働きに出かける。それで」

川面を見下ろしながら、その若い侍、最上義康は三年前の光景を思い起こしていた。

慶長五年(一六〇〇)徳川家康は諸将に会津の上杉攻めを命じて自らは下野小山まで着陣して来た所に、上方で石田光成が挙兵したとの報せを受ける。家康は諸将を集めて評定を行い上方に向け西上する事に決する。会津白川口で迎え撃つ体制であった上杉景勝は、家康の西上を知ると矛先を最上義光に向ける事に決し、一気に南は米沢から、西は庄内から六十里街道を越えて侵攻した。慌てた義光は嫡男である義康を寒河江城から呼び寄せ、自分の名代として義康の従兄でもある伊達政宗に援軍を請う使いに走らせる。その間に寒河江の城も谷地の城も上杉軍の手に落ち、辺りの農家は焼かれ、支城は南西僅か一里半の長谷堂城を残すのみまで押し込まれ山形城は裸同然となった。

「そうか、上杉との戦では、難儀をかけたのう。お千代はどうしておった」

「おっ(かあ)と、谷地に逃げておった。あそこは、おっ母の縁者がおって、山ん中に隠れておった。お父は、寒河江のお城に入れず、村のおとな達と山形のお城に……」

「お千代もよく無事であったものよ」

「山ん中には砦のようなもんがあって、そこでみんなして隠れて居って、そうこうしているうちに山形の大殿さまが上杉を降参させたもんで」

「うわー」と童たちの歓声が聞こえる。源左衛門が矢を放ったようである。しかし千代はその声には聞こえない風で、恐る恐る訊ねる。

「あの、寒河江のお殿さまならって、お父から言われた。もう二度と遊んでもらうなんてもったいねえことすんでねえぞって。寒河江のお殿さまは優しいお方だけれども甘えちゃなんねえって。もしそうだったら、おらたちもう一緒に遊べねえ」

「ははは、そのような事か。お千代よ、如何にもわしは寒河江の殿様じゃ。だが気にする事など無いぞ、今まで通りここで一緒に遊べばよい」

「やっぱり、寒河江のお殿様……」

 千代は落胆し、それが泣いているように見えたので、義康は慌ててしまう。

「お千代よ、これは二人だけの内緒の話じゃ。お千代に会えねば、わしは淋しいぞ、のう」

 半ば、義康の本心でもあった。そう、義康が初めて千代に会ったときから、今の千代と同じ歳頃で義康に嫁して来たその面影を重ねて居たのかも知れなかった。

 日暮れまでにはまだ間があるうちに、童たちと別れて義康は源左衛門とともにゆるゆると馬を打たせながら、寒河江の城に向かっていた。

「なかなか主は現れませなんだ。浅瀬にて背びれを現しておったのを仕留めましたが、並みの鯉でござった」

 源左衛門は、義康に寄添うようにしながら話しかける。

「鯉か、珍しいのう。春先なので姿を現したのであろうよ。しかし、それを弓で仕留めるとは流石に最上家中第一の使い手ではないか」

「わっぱ達の腹の足しになっても平首では我が功名にもなりませぬなあ。戯れとは言え大将首がほしかったでござるよ」

「主とは、そういうものであろうよ。源左衛門の殺気を感じて淵に潜んだのだ。どこまでも疑い深く……。うっかり現れたから源左衛門に運悪く仕留められる。猜疑深く生き延びねば主にはなれぬであろうよ」

「成る程、大殿に何やら似ておいでじゃ。若、それはそうと、あのお千代、初めて会った時は、顔も泥にまみれて気も強そうな男子と見間違えましたが、最近は女子らしゅうなってまいりましたなあ。若に惚れて居るのでは?」

 源左衛門は冗談半分、おどけて言う。

「それは嬉しいのう。しかし、お千代達が戦にかかわらない国を作らねばのう。そうであろう、源左衛門」

 そういって、義康は馬に鞭を入れ、源左衛門も後を追う。揺れる義康の背を追ううちに源左衛門は思い出す。

 ――うっかり現れるから仕留められる……か。

 義康の妻は日吉姫と云った。谷地を治めていた白鳥十郎長久の娘である。最上義光と長年争っていたが、義光から和解を持ちかけられ、その証として嫁して来た。

 ――お互い十歳……幼き夫婦でござったなあ。

 それは、大人どもの思惑など知る由も無い二人にとって、その建前を素直に受け止め役割を果たそうとする一途な想いで絆を深めていった。夜の契りも無い形だけの夫婦とは云え、義康は姫のもとに毎日のように通い、花瓶に挿していた紅花が枯れた時には、源左衛門に命じて新しい紅花を谷地から取り寄せたりして日吉姫を慰めた。そういった義康の優しさに日吉姫は心を寄せていった。この和解が永遠に続くように願い、日吉姫は父である長久に最上家では大切にされ幸せである事を文で伝えた。

 ――若の優しさを大殿は利用され、姫を騙した。恐ろしいお方じゃ。

 義光は、重篤な病に罹り、義康と日吉姫も二人して病に伏せる義光を見舞った。「父上に使いしてほしい」と息も絶え絶えにか細い声音で褥から義光に日吉姫は懇願され、また、近侍する医者に「出来るだけ早く」と促され、姫は使いに発った。

「重篤な病という噂は真であったのか……」

 義光からの文を読み終え、長久は呟く。しかも文には「自分はもう長くは無いので、幼き義康の後見を頼みたい。家臣の前で遺言としてそれを伝えたいので山形城へ来て貰いたい」と(したた)めてある。

「殿、これは罠に違いありませぬ」と、居並ぶ重臣達は口々に反対する。が、長久は自分の運を信じ、日吉姫がそれを運んできたと感じていた。

「姫よ、義光殿の病は(まこと)なのだな」

「はい、真にございます」

 ――義康様を信じて下さいませ。

 嘘などあり得ませぬ。と、日吉姫は長久の目を見つめて答える。

「よし、姫は母者とわしの帰りを待っておれ」

長久は己に言い聞かせるように山形城へ行くことを決めた。

 源左衛門が寒河江川の遥か北を見遣ると谷地城が霞んで見える。

 ――若も大殿に騙されておったのだ。

 のこのこと枕元に伺候してきた長久を討ち取った義光は、直ちに陣ぶれを発して谷地城に侵攻、あっと言う間に主の居ない谷地城を落とした。義康も源左衛門も知らぬところで事は周到に準備されていたのである。「父上を切る!」と叫んだ義康を源左衛門は必死で抱き止めた。初めて見せる義康の(いか)りであった。

「めったな事は申されますな、若! これも戦の世の習いでござる」

「姫よ、日吉姫よ!」源左衛門の腕の中で義康は泣いていた。

義康にとっての僅かな救いは、妻である日吉姫がその母親共々家来の手により谷地城より落ち延びたという事である。それを聞いた義康は「姫とは夫婦のままなのだな」と、源左衛門に漏らした。源左衛門は返答に窮したが、義康を慰める為に思わず肯いてしまった。

 ――かれこれもう二十年、あれは方便でござるよ若。

「若、そろそろ奥方様をお娶りなされ。跡取りをもうければ大殿もご安心なされますぞ。最上家も安泰でござるよ」

「はは、では千代を娶るとするかのう」

 義康は、源左衛門の問いをはぐらかす。やはり駄目かと、源左衛門もそれ以上その話題に触れるのを諦め、

「若、京に居られる大殿はもう山形に向かっておられるので?」と、話題を変える。義光は、この年慶長八年(一六〇三)三月征夷大将軍となった家康に供奉して滞京していた。

「儀式が終われば、家康様へ暇乞いをして山形に戻ると文が届いておった。そろそろ、こちらに向かって出立されている頃合のはずじゃ」

 そう義康が応えていると、西の空から俄に雲が湧き上がり、どうと雨が降ってきた。二人は、馬を急がせ寒河江城に入った。

その頃、最上義光は京での行事を終えて山形へ向けて出立していた。いつもであれば故郷山形へ帰る道中は、気働きの多い都からの解放感も手伝って人一倍国への想いが強い義光には心躍る旅路である。しかし、此度は山形に近付くにしたがって深い闇に沈み込んでゆくようにも感じていた。頭の中は嫡男義康の事で一杯になり、こうして乗り物に揺られていると、八年前の事が頻りに思い出された。八年前……関白秀次に請われ、当時十五という歳で側室に差出した愛娘駒姫が京に嫁いで一月(ひとつき)に満たない内に世に言う秀次事件に連座して、三条河原の露と消え、その十四日後に母親である大崎殿も駒姫を追うように自死した。繰り返す憤怒と喪失感に支配され、悲嘆に暮れたまま国境に辿り着いた義光を義康が出迎えていた。義康の顔を見た時、白鳥十郎長久を騙し討ちにした時の幼き義康の顔が後悔の念とともに蘇った。理不尽さが己の身に降りかかった時、初めてあの時の義康の気持ちが分った。

 ――今にも泣きそうな顔をしておったなあ。

長久の娘を娶らせたのも、長久を誘き出す手段でしか無かった。あの頃は、出羽に覇を唱える事しか頭に無かったのである。

 ――親らしき事は何一つも行っておらぬか。

義光は出迎えた義康に人目を憚らずに抱きついて泣いた。あの時に戻って、「すまなかった」と心で呟き義康を抱きしめていた。

この度も、あの時と同じように気の落ち込んだ道中となってしまった。

「義康、義康!」と、義光は腹の底で呻くように嫡男の名を叫んだ。

しかし、すぐさまその呻きは霧となって義光を包み込んだ。

京において家康に帰国の暇乞いをし、ひとしきり昔語りをしたのだが、帰り際に家康の口から発せられた言葉が、鉛のように義光の腹に入り込んでいる。

「跡継ぎには、家親殿がふさわしいのではないか」

 義光にとって、家康はやがては天下に重きを成すであろうと見込んで、秀吉が天下を掌握する途中段階から先物買いのようにして近づいた。その証しを立てるため、家康に十歳であった次男家親を質として差出した。家康にすれば、元服の烏帽子親を務め、自らの一字を与えた家親はもはや身内同然であり、家親が最上家を継げば徳川家にとっても安心である。

「今更何を……」と情けなさが先に立つ。関が原を勝利した事で家康は天下の仕置きを行う権力者となった。出羽国五十七万石は、家康に安堵されたものである。懊悩が始まり夜も眠れない。いつもであれば、馬乗りで帰国の途につくのであるが、今日は乗り物を用意させた。義光は薄暗い乗り物の中で想いを廻らせるうち、うとうとと眠りについた。

 朝から霧が立ち込めている。今日は舟遊びに来たが、もう日は中天にあるはずなのに一向に晴れる気配が無い。仕方なく幔幕を張って、側近たちと酒肴に講じている。

「お父上!」と、幔幕の外から駒姫が一輪の黄色い花を手に走って来る。義光は、事のほかこの姫に目が無い。お城の外で遊びたいとせがまれ、趣向を凝らしたのである。

 義光が相好を崩して手を差し伸べると、「痛い!」と、駒姫が思わず花を落とす。それは紅花であった。花の棘が指に触れたらしい。それを見た義光は、地面にある紅花を踏みつける。虫にでも刺されたのかと思ったのである。

「なりませぬ、お父上。それは、兄上さまが、お父上にと摘まれたものでございます」

「おお、そうか、それは済まなかった。兄者には申し訳ないことをしたのう」

 義光の詫びを背に聞きながら、もう駒姫は幔幕の外に向かって走り出していた。近習の一人がふっと立ち上がる。その姿を見て義光は凍りつく。それは義光が家督相続の果てに攻め滅ぼした弟の義時の姿であった。義光は仰天し、思わず立ち上がって叫ぶ。

「駒姫、わしの元に戻れ! 皆のもの何をして居る、駒姫を連れ戻して参れ!」と、義光は必死に叫ぶが、他の近習たちは木偶のように動かない。義時の後ろ姿が、駒姫を追って幔幕の外に消える。

「ええーい、役立たず者どもめ!」

怒りを顕わにしながら、自ら駆け出し、幔幕の外に出た。霧が立ち込める中、何と義時が、駒姫と幼き義康の手を繋いで、川に入り込む姿であった。

「おのれ義時、その手を離せ! 二人とも父の元へ戻るのじゃ」

 必死で叫ぶが、聞こえないのか義時に手を引かれて、どんどん川の中に入って行く。もう力ずくで取り戻すしか無いと、駆け出そうとするが、背後から何者かに羽交い絞めされ動きを止められる。鎧が擦れる音がする。

「な、何奴ぞ、離せ!」六尺の偉丈夫で、人一倍膂力の強い義光は、背後の何者かを背中に担ぎ、腰を払って投げ飛ばす。どう、と仰向けに倒れたのは、鎧兜姿の白鳥十朗長久であった。長久はなおも義光の右足に取り付き行く手を阻む。

「おのれ放せ、長久。駒姫、義康!」

 義光は、長久を振りほどこうと思い切り右足を蹴り上げる。

「うわ!」自らの声が耳元で木霊し、右足は乗り物の内板を蹴り上げていた。

 ――ここはどこじゃ?

うろたえた暗がりの中、やがて義光は我を取り戻してゆく。

「殿、如何なされましたか」

 近習が、外から声をかける。

「いや、大事無い」

 義光は、やっと応えて、呆然と乗り物に揺られた。


「父上はすでに山形城に戻られたと申すか……」

 義康は源左衛門からの知らせを聞いて戸惑いを見せる。いつもであればいつ国境に到着するので迎えに来るようにと使いがあるはずなのだ。

「若、何か行き違いがあったに相違ございませぬ。この源左衛門、山形城の大殿のもとに伺い、若の伺候を段取って参りますれば暫しお待ちを」 

 源左衛門は直ちに配下の者を連れだって馬を飛ばして義光に目通りを求めた。が、夜半に寒河江城に戻って来て義康に報告する表情は焦燥していた。

「父上は、わしに会いたく無いと? 何ゆえじゃ」

「この源左衛門、直接大殿にお目通りを願いましたが……。近習が申すにも何やらはっきりとせず、ただ会わぬと。では明日、若をお連れすると申したところ、それには及ばずと。大殿から直接お話を伺うまでは此処を動かぬと座り込みましたが、気分が優れず臥せっておられると。已む無く若にお伝えせねばと戻って来た次第、真に申し訳なく……」

 ――何かおかしい。京で何かあったのであろうか。

「源左衛門、わしは明日父上のもとに参る」

 翌朝、義康は雨の中を源左衛門と馬を飛ばし山形城に入って義光に目通りを求めた。

「義康が参ったと? 来るなと申しつけたでは無いか!」

 義光は近習を怒鳴りつける。

「とにかく返せ! わしは気分が優れぬ、そう申し伝えよ」

 義光の思わぬ勘気に蜘蛛のように這いつくばっていた近習を送り出すと、部屋にパラパラと屋根を打つ雨音が入り込む。

 ――この雨の中を会いに来てくれたのか、義康。

 日増しに家康に(おもね)ようとする自分に嫌悪感を覚える。義康を跡目にするつもりだと家康に家親の事を持ち出された時に即座に打ち消せばよかったのだ。それが出来なかった自分に腹が立つ。時が経つにつれそれを持ち出せば返って家康の不興を招いてしまうと気付いた時には遅かった。家康と云う巨大な波に襲われる義康をどうする事も出来ない自分が、どの面下げて会えると云うのか。

 ――国を保つには情は切り捨てなくてはならぬのじゃ、義康。

 白鳥十郎長久を騙し討ちにした時に持ち合わせて居なかった情が義光を苦しめる。

 義光の心の揺れは、そのまま家中へ広がる。「大殿は義康様を遠ざけられている」との風聞が立ち、「何かご不興を被られたのが原因らしい」と親子不和であるとの噂が足軽にまで及んだ。噂は一人歩きして真相を探り始め、やがて「殿は、家康様が覚えめでたい家親様をお世継ぎにとお考えらしい」とまことしやかに話す者まで現れた。義光がこの噂を否定しないで居ると、義光の心を勝手に忖度して忠義面で伺候し、義光と義康の仲を裂こうと、義康が謀反を企んでいると策動する輩も出始めた。敵将の娘日吉姫を想い、正妻を迎えようとしないのがその証拠と尾鰭までついていた……。


「お殿さま、先ほどから遠くばかりを見ておるが何かあるのか?」

 寒河江川のいつもの土手で千代は義康に話しかける。近頃の義康は一緒に遊んでいても浮かぬ顔である。子供たちは川辺で何やら源左衛門に教わっているようで、赤子を背負っている千代も義康と一緒に川辺に行きたいと思っている。みんなと遊べばきっと浮かぬ顔も晴れるのではと思う。

「確か千代の母様は谷地の者であると申しておったな?」

 遠く、北に霞んで見える谷地城を眺めながら義康が独り言のように呟く。

「谷地の山ん中に逃げた話け? 上杉の戦の時の。爺さま婆さまが居る処だ。そんな事よっか、川でいつもの通りみんなと遊ぶべ、お殿さまが元気を出さねば千代はつまらん。何かあったのけ? 千代には話してくれ」

「はは、お千代には適わんのう。わしの心をすっかりお見通しじゃ。お千代は母様から聞いた事があるかのう、わしはあのお城から妻を貰った事がある。それを思い出しておった」

実は千代はその話を囲炉裏端の話で聞いたことがあった。義康が此処に来るようになってからは、「も少し詳しく聞かせておくれ」と強請ると、「谷地の日吉姫様は千代と同い年の頃に嫁がれた」と母親はその悲しい結末を聞かせた。「寒河江の殿様が奥方を貰うのを拒んでおるのは、日吉姫様が妻であると心に決められておるからと、それで山形の大殿は怒っておいでらしいぞ」と父親も近頃耳にした噂を話していた。

「お殿さまは、その奥方に会いたくなったのか?」と、千代は義康に問いかける。

「お千代がわしの奥方であったら……わしのせいで酷い目にあったら、許してはくれぬであろうなあ」と、逆に問いかけるように話す。

「おらは、おらが奥方であったらお殿さまに会いたいと思うぞ。悪いのは山形の大殿さまなのであろう?」

「これこれ、めったな事を言うでないぞお千代。いやいや、この話はもう止めじゃ。お千代を見ていると昔を思い出してしもうた、すまぬすまぬ」

 そう言って義康は微笑んだ。その笑みに千代は少し安堵する。自分を奥方にしてくれたようで嬉しくもあった。続けて言葉にするには恥ずかしいので、笑みを潮に千代は義康にせがんで一緒に土手を降りた。

「こーしてだな、掌を開いてずっと水に浸けておればやがて魚も油断して此処に休みに来る。そこを!」

 ザバッと飛沫が舞い、源左衛門の両手には魚が握られていた。

「わーい」と子供たちの歓声が上がる。

「お主達も見た通りにやってみろ」

「どうしてそんなに砂取りが上手いのじゃ?」と大将を気取った男の子が尋ねる。

「戦では、砂取りも必要なのじゃぞ。いざとなればこれで飢えを凌ぐ」

諸肌を脱いだ源左衛門には、背や肩口に傷跡が残っている。戦場で受けた痕である。初めは怖がっていた子供たちはもうその姿に慣れっこの様子である。

 源左衛門の真似をしようと川に中に男の子が散らばる様子を眺めている千代の背後で衣擦れの音がしたかと思うと、諸肌を脱いだ義康が横を通り過ぎてザバザバと川に入って行った。千代の視線の先には源左衛門と同じように戦傷の痕があった。

 その頃、義光は江戸に出府して家康に目通り、義康を廃嫡して家親に家督を相続させる旨伝えた。勿論家康は諸手を挙げて喜んだ。廃嫡の理由は家中に立った「謀反」の風聞であったが、「それは致し方ない」と家康はすんなり家親の家督を許した。義光はすぐさま山形城に戻り使者を遣わした。


 寒河江城の大広間では、義康を重臣達が囲んでいた。

――謀反の疑いこれあり、高野山にて謹慎せよ……か。

 義康は、天を仰ぎ見て胸の中で使者の言葉を繰り返した。

「若、納得がゆきませぬ。謀反の風耳だけで謹慎などと、家督を家親様にと策謀する輩が若を陥れようとしているに違いありませぬ。この機に大殿に直接お会いして申し開きをすれば誤解も解けましょうぞ。何が正妻を迎えぬがその証拠などと戯言を」と源左衛門がさっそく息巻く。「その通りでござる」と、他の重臣たちも口を揃えて訴える。

 ――妻を迎えぬのが謀反の証か……。

 そうかも知れぬ。謀殺した敵将の娘を、強引に別れさせられた妻を今も忘れ去ることが出来ずにいるのは、裏を返せば義康にとって唯一、父への反抗心であったかも知れない。妻を娶らぬ事で、今でも我が妻は日吉姫お前なのだよとか細い想いを伝えようとしていたのである。それが父への謀反と云うのであるならば……。

 ――貫こう。

 義康は、素直にそう決めた。

 結論を出さぬまま義康は大広間での集まりを終えると、源左衛門を書院に呼んだ。

「源左衛門、わしは高野山へ行くことに決めた」

「若、早まれますな」

「源左衛門、傅役として幼き頃より仕えてくれたそちの恩にわしは報いてやることが出来なかった。すまぬ、この通りじゃ」と、義康は頭を下げる。

「若……若、明朝、この源左衛門が大殿にお目通りを願い、若への疑いを晴らして見せましょうぞ。何、聞き入れられぬ時は、門前にてこの腹を掻っ捌くだけでござるよ。さすれば大殿はきっと分って下さるはず」と源左衛門は腹に手を当てる。

「もうよい、もうよいのだ源左衛門」

「しかし若……」

 義康は、渋る源左衛門を明け方までかけて納得させ、仕度を整え数日後には六十里街道を義光から遠ざかるように山形城を背にして庄内に向かって出立した。付き従うもの源左衛門を筆頭に十三名の一行である。

 事件は庄内松原の里に一行が差掛かった時に起こった。にわかに戸肥半佐衛門の手により襲撃され、義康ほか十三名はその場で絶命する。義康二九歳の若さであった。慶長八年八月十六日の出来事である。それは瞬く間に出羽国中に伝わった。

「あーあ、今日もあのお侍さまは現れなかったなー」

 日はすっかり西に傾き、名残惜しそうに童たちは家路に足を向ける。

「千代、帰るぞ」と、赤子を背負った千代に声がかかる。あの日以来、千代はこまめに子守を買って出るようになっている。千代にとっては吉例のようなものなのである。川面を眺めながら「うん」と返事を返し、童たちには聞こえないように赤ん坊に話しかける。

「寒河江のお殿さまはもう此処には帰って来ないって。お父が言うにはね、あんな立派な跡取りを身内で殺し合うようでは最上さまも先が心配じゃって」

 そして千代は独言を呟く。

「おらは、大きくなったらお嫁にゆきたかっただ。よしやすさま……」

 その時、上流から川面を伝うようにして一陣の突風が千代と赤ん坊を包み込む。千代は思わず目を閉じ、赤ん坊を庇う様に風に体を向けて踏ん張る。やがて風は止み目を開けると、夕焼けと共に千代を見守るようにして沈んで行く夕日が目に飛び込んで来る。その残照は義康のようにも見えて千代はそれを飽くこと無く眺めていた。


最上義康が義光の跡目を継いでいれば、最上家はまた違った運命を辿ったのかもしれませんね。

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― 新着の感想 ―
[良い点] FGOで話題になった時に読めたこと [一言] もう散逸してるので、なんとも言い難いのですが、最上家親の直系は西日本で続いていて資料もしっかり残されていたかと思いますが、兄弟争いして落ち延び…
[一言] 最上義康なんて、ドマイナーな人を取りあげてくれるとは! 義光にとっては、駒姫の件と並ぶ痛恨事だったでしょうね
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