第二部(中編) デートの邪魔者
前編の続きです。よろしくお願いいたします。
『地獄のマッチングアプリ』でやりとりをしてから数日後。待ちに待った、咲良とのデート当日を迎えた。
推しを待たせるのは万死に値すると思った俺は、待ち合わせ時間の30分前には指定場所に着いた。まだ時刻は午前10時を回ったところだ。
約束のショッピングモールの出入口前、他にも同じ待ち合わせっぽい男女が立ち並んでいる。と、その中で一人だけ異様な輝きを放つ女の子が立っていた。少女みたいな可憐な風貌、透明感のある肌、サラサラの黒髪。白いモヘアのセーターと赤いミニスカートが、その存在感をよりくっきりと目立たせていた。
一目見た瞬間、熱湯の湧き出るような喜びがジワジワと体中を満たした。
「おっ、お待たせ! 咲良! 早かったね」
駆け寄って声をかけると、咲良は子犬みたいに澄んだ目をパッと輝かせた。
「デートが楽しみすぎて、待ちきれなかったの。二人とも遠足の子どもみたいだね」
咲良がエヘヘと笑うと、俺もつられて笑顔になった。
「これ、夢じゃないんだよね? 俺、ホントに咲良と会ってるんだよね?」
言いながら目の前の景色がぼやけていく。
「ちょちょっと、泣かないで~」
「……ゴメン。情けないとこ見せて」
鼻をグシュッとさせた俺の肩に、咲良がそっと手を乗せた。白セーターのモヘアがふわっと浮いて、天使の羽みたいに柔らかく揺れた。
「そこまで喜んでくれて、私も嬉しい。今日は思いっきり楽しいデートにしようね、佑真くん!」
そう言った咲良が、目を三日月に細めて笑った。あのときの握手会と同じ、俺だけを見つめて微笑んでくれている。
そうだ、咲良が笑ってるのに肝心の俺が泣いてどうする。
「よしっ! 咲良が現世に来て良かったって思えるデートにするぞ!」
「それじゃ早速行きますか~!」
咲良のノリの良さに笑うと、俺は大きく息を吸って空を見上げた。あいにくの曇天だが、新鮮な空気を吸ったように気分は晴れ始めた。
渋谷のモールを少しぶらついたのち、俺と咲良は街路樹の見えるお洒落なカフェに入った。3月中旬にしては幸い風がなく、二人はテラス席で昼食をとることにした。
「うわ~! 超おいしそ~!」
実際に運ばれてきたカツサンドを見るなり、咲良が歓声を上げた。
ジューシーなカツと柔らかそうな黄身がぎっしり詰まったカツサンドに、空腹だった俺も大いに食欲をそそられた。
『地獄のマッチングアプリ』のガイドラインによると、死者が現世で人と会う間は生身の肉体を手に入れられるそうで、現世での食べ物も普通に口にできるとのことだった。
「わたし一人じゃ食べきれないから、半分こしない?」
「いいけど、お腹空かないの?」
「あとでデザート食べるスペースも残しときたいし」
「そこは別腹じゃないんだね」
俺がそう言うと、咲良は顎に手を当てた。
「そこは死んでも地下アイドルなんで。お腹出ないように気を付けないと」
「さすがプロ根性、お見それしました」
「まあ地獄に帰ったらカロリー0なんですけどねー」
顔を見合わせてククッと笑うと、咲良はテラス席の前の街路樹を見上げた。ソメイヨシノの赤褐色の樹が無造作に枝を空に伸ばしている。枝には浅緑色をした花の芽が無数に連なっていて、その一つ一つが今にも咲きそうにふくらんでいた。
「桜、見たかったな~。ギリ早かったんだね、チェッ」
咲良が残念そうに口を尖らせた。すねている横顔も見惚れるほど可愛かった。
「あのさ、咲良の名前って、やっぱり桜から来てるの?」
「そうだよ。あのね、桜の花は咲く季節のずっと前から咲く努力をしてるって、知ってた?」
「咲く努力?」
俺が問い返すと、咲良がこちらに身を乗り出した。花の蜜みたいな甘い香りが漂ってきて、俺はニヤつく口元を手で隠した。
「桜の花の芽のことを『花芽』って言うんだけど、花芽は花を咲かせる年の前の夏から作られるの。夏から秋にかけて光合成で養分を溜めて休眠して、冬の寒さで目を覚まして春に花を咲かせるんだ」
「へえ~、詳しいね」
「学校の授業で習った。私の本名は望っていうでしょ。だから長い年月頑張っていれば、いつか地下アイドルとして望みが叶う『花咲く日』がやってくる。そんな想いを込めて『咲良』にしたの」
「おおー、意外と深いエピソードがあったんだ」
「だって小さい頃からアイドルに憧れてたから……結局、夢半ばになっちゃったけどね」
そこまで語ると、咲良は目の前に置かれたカフェラテのカップを手に取った。静かにすすると彼女の小さな唇が、綺麗な桜色に染まった。
今日のデートが終わったらまた地獄に戻ってしまうと思うと、やりきれない気持ちに俺は拳を握りしめた。
「俺、咲良を殺したヤツが憎くてたまらないんだ。何としても復讐してやるって、ずっとリサーチしてるけど、なかなか情報が集まらなくて」
喋っていると声がどんどん震えて来た。喉に怒りがせり上げてくる。
そんな俺を見て、咲良は両手を祈るように胸の前で合わせた。
「佑真くんは、ホンットいい人だね。最強のホクロの持ち主だけあるよ」
咲良はそう言うと、俺の右手を広げて自身の手を重ね合わせた。
「……っ!!」
びっくりして声が出なかった。
咲良の体温が、俺の手のひらを優しく覆っている。
「やっぱり柔らかいね、佑真くんの手。全部溶けそうなくらい、温かい」
咲良の声も柔らかく俺の心になじんだ。鏡に手のひらを合わせたように密着したその手から、確かに「命」を感じた。
「……咲良の手も温かいよ。握手会のときと、何にも変わってないよ」
「なら良かった」
俺を見つめる猫みたいな丸い瞳に、吸い付くような手のひらの感触。右手の毛細血管の一つ一つが、ドクドクと波打つみたいに熱くなった。
――この温もりを、失いたくない。
周囲の目も忘れて、俺は咲良の手のひらに自分の手を強く押しつけた。
「ずっと重ねてたら、最強のホクロが溶けてこっちに移ったりして?」
「このホクロって、そんなに良いもんなの?」
「うん、才能でも地位でも名誉でも、なんでも欲しいものすべてを手に入れられるんだって」
「じゃあ、ホクロに宿ってる俺の運、丸ごとあげるよ。咲良が欲しいものは何もかも全部あげる。君が来世で、今度こそ人気アイドルになれるように」
「……ありがとう」
咲良の両目が大きく潤んだかと思うと、涙がポロッとこぼれた。
「あ! 泣かせてごめん!」
「……泣いちゃうとか訳わかんないよね。楽しいデートにしようって、わたしから言い出したのに」
指先で目をこすった咲良が無理やり笑顔を作ると、俺の心臓が激しく痛んだ。腫れた目で『地獄のマッチングアプリ』に入力した内容が、脳裏をよぎった。
「プロフにも書いたけどさ、咲良は俺の女神だから」
「え?」
大きく目を見開いた咲良を見つめると、俺は火照る顔をポリポリと指で掻いた。
「向こうに戻っても忘れないでほしいんだ。咲良はどこにいても、俺の永遠の女神だってこと」
「……」
俺の言葉に、咲良は喉を詰まらせてうつむいた。そのまま目を閉じると、溢れた涙が幾筋も頬に流れた。
カシャッ
パシャッ
突然、スマホのシャッター音が数回聞こえて、咲良と俺はパッと手を離した。音の聞こえた方を見遣ると、派手な服装のギャル2人が俺たちにスマホのレンズを向けていた。
「バカップルうざっ!」
「レンタル彼女じゃね?」
「仕事おっつー」
ギャハハと笑う彼女たちに、俺はイラっとして声を荒げた。
「撮った写真、今すぐ消してください! 彼女、アイドルなんです!」
「知らねーし。売れてんの?」
「オタサーの姫?」
ギャルたちがクスクス笑うと、近くにいた通行人たちも咲希と俺のことを好奇心の目で見てきた。
「ふざけんなよ!」
「キャハハこわーい」
俺が立ち上がるとギャルたちは横断歩道を駆けて逃げてしまった。追いかけようとした俺の服の袖を、咲良がつかんだ。
「もういいよ、佑真くん……ごめんね、私のせいで」
「でも」
「そろそろお店出よう。他にも行きたい場所あるから、ね?」
咲良にうながされて、俺はしぶしぶカフェを後にした。さっきまで幸せで満たされていた俺の心は、ギャルたちの傍若無人な振る舞いにすっかりかき乱されていた。
「ねえ佑真くん、腕、組んで歩いていい?」
「え、でも」
「ああいうの気にしないでほしい……わたし、佑真くんが好きだから」
「えっ、えっ!?」
俺が慌てふためくと、咲良は上目遣いにいたずらっぽく笑った。
「佑真くんは、わたしのこと好きじゃないの?」
「すす、好きに決まってるじゃん」
「じゃあ、腕出して」
俺がぎこちなく左腕を伸ばすと、咲良が細い腕を絡ませてきた。
手のひらとは違う二の腕の柔らかさに、俺の左腕に全身の神経が集中した。
俺たちの頭上から、ソメイヨシノの桜の花が舞い降りてきそうな気分だった。
ウインドウショッピングを楽しみながら、咲良と俺はしばらく道なりに歩いた。やがて突き当たりの街角を曲がり、人気の少ない小道に入ったときのことだった。
ザザザザッ
いきなり一陣の強い風が吹いて、俺たちの周囲を火事の煙のような黒い靄が立ち込めた。周りにいる人や建物の風景から、一瞬にして二人の存在が切り離された。
「なんだコレ!?」
「この靄……嘘でしょ!? まだ日が暮れてないのに!」
咲良が引きつった声を立てて、俺の腕にしがみついた。離れまいと腕に力を込めると、地下から響くような低い声が俺の耳朶を打った。
――豊橋 望。『地獄のマッチングアプリ』の利用規約違反により、お前を連れ戻しに来た。
その声が耳に入った途端、俺の全身が鳥肌立った。この世のものではない、圧倒的な脅威を本能的に抱かせる声だった。
(後編1へ続く)
お読みくださり、誠にありがとうございます。
「後編その1」も続けてお読みいただければ幸いです。