第二部(前編) 地獄の地下アイドル
※この話は、前編・中編・後編に分かれています。
【釈迦戸 佑真、21歳、大学3年生 / 年齢≒彼女いない歴 / テンプレの漫画アニメオタク
一言:好きなタイプは地下アイドル『ねこ学園』の咲良さん
俺の永遠の女神です】
『地獄のマッチングアプリ』にプロフを入力して自撮りをアップすると、俺はスマホを片手にベッドへ身を投げ出した。己の体重を受け止めたベッドのギシッと鳴る音が、狭いアパートの部屋でうつろに響く。
SNSの都市伝説だと思っていたアプリをネットで偶然見つけたとき、俺は半信半疑ながらも即座にインストールした。地獄だろうと天国だろうと、とにかく本当にあの世とつながっていればいいと思った。
「女神」を探し求める俺は、たぶん頭がまともじゃないのだろう。自嘲して苦笑いを浮かべると、寝転がったままスマホに顔を近づけた。
スマホの画面が暗転すると、自分の顔が映りこんだ。目の下のどす黒いクマ、腫れぼったいまぶた……真っ赤に充血した双眸。それもこれもすべて、さっきまで見ていた『ねこ学園』の過去動画のせいだ。そこに映っていた咲良の笑顔を思い出した途端、俺の瞳から新たに大粒の涙がこぼれた。
推しの地下アイドル、咲良が通り魔に刺殺されたのは、今から約1年と半年前のことだった。歌が上手いロリ顔系美少女、明るくて人懐っこい所が人気を集めて、俺も心を鷲掴みにされたファンの一人だった。
殺害現場から凶器は見つからなかった上に目撃者がいないこともあり、警察の捜査はいまだに難航していた。咲良の執拗なストーカー犯人説がネットに浮上し、俺も逮捕につながる手がかりがつかめたらと、SNSで情報取集を行うのが日課になっていた。
「釈迦戸くんって珍しい名前だね! 手のひらもプニプニしててお釈迦様みたい」
初めてのライブで咲良に握手をしてもらった瞬間、手のひら同士がひっついて離れなくなればいいと思った。両手で包みこまれたその温かさに、全身がうっとりして周囲の喧騒が聞こえなくなった。
咲良が俺を見つめる瞳は慈愛に満ちていて、それが作り物だったとしても、俺は目をそらすことが出来なかった。オドオドした状態で手を握っていると、彼女の黒目勝ちの瞳が弓なりに細くなって、フフッと吐息めいた声が漏れた。
「来てくれてありがとう! わたし、死んでもずっと忘れないからね。釈迦戸くんのこと」
ささやくような甘い声が耳に入った瞬間から、咲良は俺の女神になった。
いくら手を伸ばしても、もう握ってくれることはないのに、死んで一年半が経った今でも、俺の心は彼女を崇拝してやまない。
洟が垂れてきて袖でぬぐおうとしたら、ブブッとスマホが低く振動した。画面を見ると、『地獄のマッチングアプリ』からのお知らせがポップアップで表示されている。
〖あなたのプロフィールに「いいね!」が押されました〗
「やけに早いな」
陰鬱とした気持ちを紛らわしたくなった俺は、寝そべったままスマホをタップしてアプリを起動させた。
地獄にはどんな女の子がいるんだろう。サキュバスとか?いや、あれは悪魔か。
怖いもの見たさ半分で、「いいね!」を押してくれた子のアイコンをタップした。
リンク先のプロフのページが表示された途端、俺は驚いて手を滑らせた。
「いってぇ!」
スマホが手から落ちて自分の顔に直撃した。鼻骨にじぃんと鈍痛が走る。
「うう、嘘だろ……これって本人?」
鼻柱を押さえて俺はスマホの画面を凝視した。
プロフで天真爛漫な笑顔を浮かべる女の子の画像は、どこからどう見ても咲良だった。享年は咲良と同じ18歳で、所属していたアイドルグループや芸名は無論、趣味や家族構成等の個人情報も、俺が知っている限りでまったく同じだった。
「咲良が地獄にいるなんて……ホントかよ」
このアプリが本当に地獄とつながっているのか自体疑わしいけれど、こんな悪質な類が出回っていたら、とっくに炎上しているに違いない。
詳しく探ろうとプロフを読み進めていくと、ある一文が俺の目に飛び込んできた。
[地獄に落とされた理由:教唆犯]
意味が分からずネットで調べてみたら、他人をそそのかして犯罪を実行させる行為を指すらしい。具体的には、殺し屋を雇ってターゲットを始末する等が該当する。
「咲良がそんなアクドイこと、するとは思えないけどな……」
ライブのトークでは直球な質問でメンバーをたじたじにさせたり、空気読めとツッコまれては、あっけらかんと笑っていた咲良の姿を思い浮かべた。「教唆犯」という言葉と咲良の組み合わせは、上下で服の柄がまったく合ってないみたいな、ちぐはぐな印象を俺に与えた。
「へえ、本名は『豊橋 望』って言うのか」
プロフに俺の知らない情報を発見して、目が釘付けになった。自分の知らない推しの一部を知れるのは、もうこの世にいない存在だとしても、愛おしいことに変わりはない。
――わたし、死んでもずっと忘れないからね。釈迦戸くんのこと。
「本当に忘れてないのかな、俺のこと」
確かめたい。あの言葉が単なるファンサービスじゃなく、誠意から出たものか。それに何より、この相手が咲良本人かどうかを俺自身の目で見極めたい。
自分の中で何度か押し問答した末、真実を知りたい気持ちが不安を打ち勝って、俺はついに「トーク」のアイコンをタップした。
【地獄のマッチングアプリのトークにて】
『釈迦戸です いきなりだけど、俺のこと覚えてますか?』
「元『ねこ学園』の咲良です。釈迦戸 佑真くんだよね、もちろん覚えてるよ! だから『いいね!』を押したの」
『失礼なこと聞くけど、俺のどういうところ覚えてますか?』
もしも「名字が珍しい」程度の返事が来たら、すぐにトークを終わらせるつもりだった。
「握手会のときの、釈迦戸くんの柔らかな手のひらの感触とか、わたしのことじっと見つめてくれたこととか。
あと、右手の手のひらの真ん中に小さなホクロがあったのも覚えてるよ。珍しいよね」
読んだ瞬間、ギョッとして右手を見た。自分でも幼い頃から変な位置にあるとは思っていたから、なるべく他人には見せないようにしてきたのに。
疑っていた気持ちが、少しほぐれた。
『記憶力いいんですね』
「そのホクロね、『最強のホクロ』って言って、すっごく珍しいから覚えてたんだ。
あと手汗がひどいからって、握手する前に魔法少女ヴェナのハンカチで手ふいてくれてたでしょ?
わたしも好きなんだ。同担拒否だったらゴメン」
メッセージの内容はすべてその通りで、目頭がみるみる痛くなって視界が潤んだ。彼女が死んで悲しかったときとはまったく違う感情が、自分の体をブルブルと震わせた。
――本物の咲良なんだ。俺のこと、ずっと覚えてくれてたんだ。
スマホの熱が、彼女の体温みたいに生暖かく思えた。
『覚えててくれて良かった すっげー嬉しい』
メッセージを打ってから、慌てて付け足した。
『ごめん、嬉しいです 咲良さんに覚えてもらえてファン冥利に尽きます』
「なんか可愛いね笑
タメで全然OKだし、さん付けはナシだよ。わたしの方が年下だもん」
画面の向こうから、フフッと笑う彼女の息遣いが聞こえてくるような気がして、なんだか体がむずがゆくなった。
大きく深呼吸すると、俺は体を起こした。見られていないのに、自然と背筋がまっすぐに伸びた。
『そっちの暮らしはどう? 地獄ってやっぱりひどい場所?』
「わたしがいるのは等活地獄の極苦処で、超高温の鉄の雨が降って体をドロドロに溶かすの。熱いの通り越してガチで痛い、日焼けの比じゃない笑」
俺の推しが筆舌に尽くし難い責め苦を味わっている。想像するだけで、自分の体も焼かれているようにジンジンと熱くなった。
『そんなひどい目にあってるなんて知らなかった』
「まあ鉄の雨も嫌なんだけど、もっと最悪なのは断崖絶壁から突き落とされたあとかな。亡者だから死ねなくて、炎を吐く犬に食べられ続けるときが一番つらい。
だから、こうやってマッチングアプリでやり取りできるときが、唯一の休息なんだよね」
『地獄にも休憩時間ってあるんだ?』
「わたしは特別かな。生前の歌知ってる獄卒たちもいて、ウケがいいの。地下アイドルやってて良かったって感じww
あとは亡者たちの人権運動の影響もあるんだけど……あ、話すと長くなるから気にしないで」
地獄の地下アイドルってやつか。
咲良と対面できる獄卒たちが羨ましく思える一方で、痛めつける奴らへの憤怒も込み上げてきた。
『獄卒たちに会えるなら、ぶん殴ってやりたい』
「仕方ないよ…自業自得だから」
咲良に嫌われたくなくて、どうして地獄に落ちたのかとは聞けなかった。
そのあとは現世での流行りのアイドルの話とか、なるべく明るい話題のやり取りを続けた。握手会のときとは異なり、時間を気にせず推しと好きなだけやり取りが楽しめる。ファンにとっては死んでもいいぐらいの至福だった。
『俺、今、すっげえ幸せ』
「どうして?」
――だって、今の咲良をひとり占めできるのは俺だけだから。
そう打ちかけて指を止めた。モノ扱いした言い方は良くないし、俺のことをどのくらい好きでいてくれてるのか、分からない時点で言うのは怖いと思った。
『だって、咲良とやり取りできるなんて夢みたいだから』
「じゃあ、わたしが地獄に落ちて良かったってことかな笑」
『ごめん、そういう意味じゃないけど』
「冗談だよ。でも、そう言ってくれて嬉しい。
わたしも釈迦戸くんとやり取りするの、すっごく楽しいよ!」
すっごく、の小さな「っ」に唇を無邪気にとがらせる咲良の顔が思い浮かんで、俺はたまらず枕を強く抱きしめた。顔をうずめてニヤニヤが止まらない。
『じゃあ、これからもやり取りしてくれる?』
「もっちろん! やり取りだけじゃなくて、わたし実際に釈迦戸くん、ううん、佑真くんに会ってみたい」
『それって』
俺の鼓動が激しく打ち始めて、体中が火照った。
「現世でデート、してみない?」
『うん!したい!ぜひ!』
俺は大きくガッツポーズをして、ベッドの上で何回も跳ねた。
咲良が生きていた頃でも叶わなかった夢が、地獄に行ってから叶うとは。閻魔大王からのサプライズにさえ思えた。
具体的な待ち合わせ日時や場所を決めると、俺は枕を咲良に見立てて強く強く抱きしめた。全身が幸福感でクラクラする。
――俺の女神にまた会えるんだ。
目を閉じて、ライブやチェキ撮影のときのいろんな咲良の表情を思い浮かべた。今はまだ3月中旬だったが、妄想の中では桜吹雪が彼女の周囲を華麗に舞っている。
荒みきっていた心に久しぶりに春が来たと、そのときの俺は信じて疑わなかった。
(中編へ続く)
前編をお読みくださり、誠にありがとうございます。後編は長くなってきたので、本日31日(火)までに執筆できた所までを「中編」として更新します。予定が変更となり、誠に申し訳ございません。引き続きお付き合いいただけると幸いです。