月明りテラスRes
気持ちを伝える。SNSやメッセンジャーアプリの隆盛によって、この10年ぐらいで飛躍的に人と繋がることが手軽にできる世の中になったのに、未だに好きという気持ちを伝えることに僕らは臆病だ。
それはきっと、人々の心のレスポンスが昔と今とで大して変化していないことの表れなのだろう。繋がることや伝えることのハードルがツールを介していくら下がろうとも、時間的な壁や距離的な隔たりをどれだけ容易に乗り越えられるようになったとしても、それを操る人々の心のレスポンスが追いついてきていない証拠だ。
『さっき私が送ったメッセージ、どう解釈して受け止めてる?どういう返信をするのかはケースケ君次第。でもね、そこからわたしたち二人の時間は動き始めるんだよ。何もしなければそのまま。』
そう嗜めるように子供を諭すように先輩の文体は僕の心に静かに浸透してゆく。
先輩の率直な言葉が胸に刺さる。
確かにその通りなのかもしれない。けれど、二人の時間が始まるということは同時に終わりの始まりでもあるということ。たぶん僕は本質的にその部分を恐れている。
それが例え終わりの始まりだとしても......。
変われるかもしれない、いや変わるんだ。
『大昔の人たちが星と星を繋いで星座を模ってそれに想いや祈りを込めた様にね、ケースケ君、それまで赤の他人だった人と人が繋がれていってそこに私たちは将来の希望を託すのよ。簡単に言えば、生きる意味みたいなものをそこに見出すの。』
祈りという意味では大昔の人も今を生きる私たちも同じ感性で動いている。
祈りというのはその願いが向かう対象は不確定な要素を孕んでいるけれど、
祈りを奉げる対象は普遍的である必要がある。
だから大昔の人々は規則的に運行を続ける星々や月や太陽に祈りを奉げてきた。
「なんて綺麗な月なんだろう。」
窓から覗く月明りの輪郭がまるで夜空に丸くおぼろげに広がる球状星団の様だ。
おぼろげだった僕の気持ちがハッキリとした輪郭を形成して胸の奥に確かな光として宿るのを感じる。
先輩がこうして手を差し伸べてくれるなら変われるとおもうんだ、
「だから僕と付き合ってください。」
そう呟いてみたものの、紡いだ言葉は初秋の外気を含んだこの寒々しい部屋に虚しく反響するだけ。
それを穏やかな表情で見ていたのは部屋に差し込む淡い光を届けている十三夜だけだ。
レンブラントの神秘的で荘厳な光の切り取り方の様でもあり、
フェルメールが描くあたかも意思を持っているかの如き穏やかな光にも映る。
その神秘的で穏やかな月光が部屋に流れる時間を緩慢にさせている。
吸いかけのタバコを灰皿の上で一旦休ませ、
スマートフォンをタップして先輩とのトーク画面をもう一度見つめる。
「‥‥‥‥。」
灰皿のタバコを摘まむように拾い上げると、
僕は画面をぼんやりと見つめたまま部屋の寒々しい空気と共にフィルターでは濾しきれない先輩への想いを肺の奥一杯まで満たす。
今夜伝えるんだ。
新卒で偶々引っ掛かった今の会社に入社して今年で4年目。
自宅からは通勤快速で30分程のオフィス街に会社はある。
僕は最近同じ職場で気になっている女性がいる。
マミ先輩は僕よりも3つ年上の先輩だ。
中堅メーカーで社内システム開発部門に去年配属されたばかりの僕は、
このマミ先輩に1年間付きっきりで業務を教わってきた。
身長は平均的な160㎝と少し、スラっとした体型じゃないけれど
いつもビシッとスーツを着ていてミーティングの時なんかにセミロングの髪の毛を耳に掛ける仕草をしながら少し斜めに俯きメモを取る姿がとても絵になる。左袖から覗くスイス製の自動巻き腕時計が都会的なイメージを更に引き立たせる。
それに加えて、黒縁のシックなメガネと口元の斜め左下にある控えめなホクロがそのビシッと決めている印象に艶やかさと大人の色気を加える。
いつから先輩の事を好きになったのか、これといったきっかけがあった訳じゃない。
けれど、一緒に作業をしていない時間でも、
いつの頃からか社内で先輩の事を目で追うようになっていた。
先輩の喜ぶ顔を僕だけに向けて欲しくて、
これまで以上に仕事にも意欲的に取り組めたし、
時々見せる疲れた表情が僕の心のデリケートな部分をチクチクと刺激した。
帰宅した時よりも月がだいぶ高い位置まで登ってきた。
僕はもう一回フィルターに口をつけると、
煙を一息飲みこんでからその先を少しだけ前歯で甘噛みした。
このまま前に進まずにただの同僚という関係性を続けるのも悪くない。
けれども、もし先輩が他の男と付き合ったとしたら黙って見ていられるのか?
そのほうがよっぽど辛い気持ちを味わうことになるんじゃないのか?
ブブブブブブ...ブブブブブ
決心がつかずにまごまごしていると、
スマートフォンが通知のバイブレーションを知らせる。
「マミ先輩からだ……。」
僕は一瞬で姿勢を正してトーク画面をのぞき込む。
そこには、
『もう一度だけ聞くね、わたしこのまま上海へ転勤する辞令受けてもいいの?』
とだけ書かれていた。
きっと先輩も画面越しに待っている。
待っていて欲しい。
伸びきった灰が灰皿の下に音もなく落ちた。
僕はようやく決心して画面上にするすると指を滑らせる。
『マミ先輩好きです。』
短くシンプルに気持ちを伝えた。
僕は何か大偉業を成し遂げたみたいな達成感と虚脱感につつまれ、
スマートフォンをテーブルの上にそっと静かに置いた。
月明りに照らされた通信端末は星と星を繋ぐように、想いを乗せて僕と先輩を繋ぐ、
その形はまだおぼろげでこの先どんな物語を天空に描くのだろうか。
ブブブブブブ...ブブブブブ
『ねえケースケ君、やっと言ってくれた。』
ブブブブブブ...ブブブブブ
何かを催促するようにもう一度端末が優しく振るえる。
『気持ちを伝えるって怖いもの。わかるの、私も昔そうだった。気持ちを伝えずに綺麗なまま思い出のカプセルに閉じ込めて大事に大事に仕舞っておく。確かにそれもいいのかもしれないし、素敵だと思う。けれど、ケースケ君は妄想の中だけに存在する綺麗で完全なままのわたしで満足するの?』
『わたしはただそう聞きたかったの。そして私自身も後悔したくないの。』
今夜優しく月明りが照らし出してしていたのはきっとそれは、僕の心のレスポンスだ。
『先輩、いま先輩の部屋から月見えてますか?』
『うん、今夜はとても綺麗な月だね。』
これから始まる二人の時間、
こんなに穏やかな表情の月を先輩と二人で見ることが出来たなら、
同じ時間を感動を共有できたなら、それはきっとかけがえのないものだろう。
『今夜の月は十三夜っていうやつらしいですよ。』
終わりがあるからこそかけがえのないもの。
僕は今夜のこの気持ちを決して忘れないよう、
十三夜を見るたびに懐い、そして祈りを奉げよう。
『ところでマミ先輩、寝る前に少しだけ声聴いてもいいですか?』