2-3
見上げたところで丘の上が見えるはずもないが、そこでローザがそれはもう凄まじい勢いで怒っているであろうことは想像に難くなく。茹で蛸になっている友の顔が思い浮かび、くすり、とイタズラを思い付いたような表情でツバキは小さく笑み、丘を下りきった。
そして、トコトコと商店街を歩くかのように軽やかに校庭を歩き、ブティックに立ち寄るかのように、気軽に竜巻へと近付く。
「うんうん、さっきはよくもやってくれたわね。よし……決めたわ。今決めた。私、あなたを殺せるなら、あなたが死んだって構わないわ……ふふふ……!」
どうやら相当鬱憤が溜まっていたらしいツバキは、犬歯を剥き出しにして邪悪な笑みを浮かべる。
丘から見えることはないが、彼女の今の顔は悪鬼羅刹と言えど裸足で逃げ出すのでは、と思われるほどにタチの悪い笑みを浮かべていた。
「昔から言ってるけどさ、殺した結果死ぬのであって、先に死なれちゃったら殺せないんじゃないかと思うんだけど……」
器用にバランスを取りながらツバキの肩口に乗っていた黒猫が呟く。
「カゲロウ。そんな細かいことを言わないの」
「全然細かくないけど? ココの、この毒に満ち満ちた空気でも正常の空気と一緒です。って分類するくらい大雑把に分けてもまだお釣りがくるくらいには細かくないけど?」
ああでも、とふいにカゲロウは遠い目をした。
「──うん。ま、どーでもいっか。だってそれをツバキが言う時はすっごくお怒りの時だもん。ツバキがお怒りな以上アイツは死ぬ他道はないし、死ぬなら細かいことも細かくないことも考えるだけムダだもんね」
カゲロウは、死刑に処される聖女を遠巻きに見つめる群衆のそれに近い、哀れみを込めた眸を竜巻の中にいるであろうアスタロトへと向けた。
「カゲロウ、ぐだぐだ言ってないで、とっとと殺るわよ」
アスタロトを殺す。もうそのことしか考えていないのだろう主の声に、カゲロウは「はーい」と素直に答えるが早いか、ぶるりとその身を震わせると、ツバキの身の丈程もある巨大な漆黒の大鎌へと変化する。
蜘蛛の手足を彷彿とさせる、禍々しいその鎌をアスタロトは竜巻の中から毒爪で指し、何やら聞き取りづらい、くぐもった声を上げるが、その声は風の渦巻く音に掻き消されてしまった。
「じゃあツバキ、気を付けてねー」
それはもうのんびりと、何処に口があるのやら分からない鎌姿でカゲロウはツバキを戦地へと送り出し、
「はいはい。んじゃ、行くわよ」
二つ返事でそれに答えたツバキが、竜巻を目掛けてひゅんと大鎌を縦に一閃させる。──と、僅かに断たれた風渦の隙間から、濃縮された毒霧が、紫の霧となって噴出した。
吹き出すそれを横目で見やりながら、酷薄な笑みを浮かべるツバキは、己が今しがた断った竜巻の──恐らく彼女の能力なのだろう、闇色に裂けたその斬れ目が戻る前に、するりとその内部へと滑り込んでいった。
「な、何なのですかアレ!?」
猛毒をものともせず、竜巻に滑り込んでいったツバキに仰天し、ローザを振り返るシズマだったが、彼女の周りには既に大勢の先客の姿が。
「ヴァイセンベルガー、あれはどういうことだ! 入学時情報には全く書かれていない能力だらけではないか!」
「ご、ごめんなさい! すみませんッッ!」
教師達に束になって絶賛詰め寄られ中のローザは「ごめんなさい」をひたすら連呼することしかできなかった。
彼女とて知らなかったことがたくさんあるのだろう。謝罪を繰り返すその顔には「どういうことかこっちが聞きたい」と貼り付けられているようだ。
だがそれでも、そんなでも。例え友が多くを己に隠していようが、己の預かり知らぬことで理不尽な尋問を受けていようが、友の印象をこれ以上悪くしないために、延々と謝り倒すローザ。
そんな彼女に更なる追い討ちを掛けるのは気が引けたのだろう。シズマはローザを問い詰めるのを止め、
「皆さん、彼女の事情は後程、時の竜騎兵本部で全て話してもらうことになっていますから──」
とりあえず落ち着きましょう、と続けようとしたシズマの口が、やおら笑みの形を模取る。
彼の視線の先。ローザに群がる人々の背後には、
「アイヤー、これはまた随分な事になっとるのー」
ブラウンの髪をシニョンヘアに纏めた、年の頃は十四、五くらいの愛らしい子供が立っていた。
突如として響いた場違いな声に、群衆の視線がそちらに集まる。
シズマと同じ組織の一員なのだろう、紺の隊服を改造し体型にピッタリ合うワンピースのように変えたその出で立ちはとても独特で、童が跳ねると隊服の両裾に大きく空けているスリットから、だぼっとした白いズボンが覗く。
その童だけでも充分に愛らしいのだが、その肩にはもふもふとした、これまた愛くるしい、小さな白い虎が乗っている。
「イェンロン!」
童──イェンロンの姿に、シズマが嬉しさを滲ませた声を上げた。
「うむ。七天使が一、天号は”サラフィエル”。イェンロン・ユンと相棒ツェンリン、助太刀に来たのじゃ! ……と言いたいとこなのじゃが、今回は残念ながらヴァイスのお供じゃ」
「イェンロン。まさか団長自らこちらに来られているのですか!?」
思いがけない名にシズマだけでなく、外野からも驚きの声が上がる。
「おい、聞いたか!? ヴァイスって、まさかのあの人だよな!?」
「間違いない! ヴァイス・ツー・アーベントロード。”メタトロン”の天号を持つ、時の竜騎兵、七天使中最強の天使だろ!?」
生徒達の顔に助かったという希望の光が宿る。
絶望から一転。希望が伝播していくのを眺めるシズマはぽそりと同胞に呟いた。
「さすが団長ですね。名前だけで、こうも人々の顔に希望の光が差すとは」
「まあ、ワシらもその気持ちは分からんでもないがのー」
うむうむ、と一人頷くイェンロンは「そうじゃ、報告じゃった」と当初の目的を思い出したらしく、己の掌をぱしっと打ち合わせる。
「本部でアマラが情報をすぐに収集してくれてのう。悪魔が一度に二体も出現するという歴史上類を見ない非常事態じゃったからの。急ぎ、団長自ら出向いて来たというワケじゃ」
「イェンロン、急な悪魔の出現でしたから、時の竜騎兵もバタついていたとは思います。誤報が錯綜するのも無理からぬことなのですが……悪魔は一体ですよ」
「なんと! それはまことか!?」
「さすがに二体も一気に出現された日には、僕だけで食い止めるのはまず不可能です」
「ま、それもそうじゃな! ワシが加勢して、二人がかりで掛かったとしても一匹の悪魔に返り討ちにされるかもしれんからのう!」
うはは、と満面の笑みを浮かべるイェンロン。
「まあ違った意味で悪魔のような人物なら見つかりましたけどね……」
「ほ? どういうことじゃ?」
遠い目でぼそりと呟かれたシズマの言葉に、イェンロンが首を傾げたその時だった。犇めく生徒の群れの遥か後方から、低く落ち着いた叱責が飛んできたのは。
「……イェンロン、お前はここへ喋りに来たのか?」
厳かなその声に、一瞬にしてその場がしんと静まり返る。放たれたその短い言葉から否応なしに滲み出ているのは人間離れしているとすらとれる──圧倒的な威厳。
「おお、来たぞほれ。団長ヴァイスのお出ましじゃ」
だが、諫められたイェンロンは悪びれた様子もなく「ほれ、どいたどいた」と軽い口調で生徒の海を割らせた。──と、程なくして、道を開けた生徒達の間から、数名の兵士を引き連れた、ヴァイスと呼ばれる男が悠然とその姿を現した。
現れたその男は先端に緩やかなウェーブのかかった、白に近い銀髪を膝ほどまで無造作に伸ばし、シズマと同じ隊服の上には、足首丈の黒いコートを羽織っている。
「すげえ……本物だ……!」
「マジかっけー……!」
エメラルドグリーンの瞳を持つ、その端整な顔立ちの偉丈夫──ヴァイス・ツー・アーベントロードの姿に、男子生徒達からは興奮の声が、女子生徒からは黄色い声が上がった。
「シズマ、ご苦労だった。……戦況は」
問いにすらならないほど抑揚のない声音に、シズマは手短に、かつ的確に状況を伝える。
魔導書の封印が解かれたこと、七名の犠牲が生じたこと、そして──。
「ツバキ! ツバキを早く助けてほしいのだわ!」
報告を待てないローザが切羽詰まったような声音で叫んだ。
「ローザ、今から報告しますから落ち着いてください。──以上の過程により、現在悪魔と学園首席が戦闘中。ですが、如何せん竜巻の内部で刃を交えているため、安否の程は定かではありません」
「ほう……?」
シズマの報告に、ヴァイスの眉がほんの僅かに動く。それは同胞たるシズマでも滅多に見ることのない、彼が驚いた時の表情だった。
「悪魔を相手に単身、猛毒の渦に飛び込むか。……稀代の天才か、はたまた命知らずの大バカ者か」
「……もしかしなくても九割後者なのだわ」
ぼそっと呟くローザに、シズマはうっかり内心賛同しかけたのだろう。ぶんぶんとすぐに首を横に振り、そのうっかりを己の中から掻き消した。
そんな彼の隣では、急に犬のように首をぶんぶん振り始めた同胞シズマの姿に、イェンロンが「ノミかの?」と謎の心配をしている。
「人を犬扱いしないでください、イェンロン。──っと、すみません。団長」
イェンロンへと咄嗟に抗議の声を上げたシズマだったが、ヴァイスに視線で「煩い」と睨まれた彼は、大人しく口を閉ざす。
「まあよい、一端仕切り直す」
ヴァイスは鈍く光る銀の指輪を嵌めた右手を持ち上げると、おもむろに竜巻へと翳し──ぐっと何かを握り潰すかのように、その翳した掌を握り締めた。──と、それだけの動作に、何かしらの、彼の能力が発動したのだろう。校庭で天高く渦巻いていた竜巻は毒霧と共に忽然と掻き消えてしまったのだった。
そして、その直前まで竜巻の目であった場所では、毒爪と大鎌を閃かせながら激突する悪魔と少女の姿があった。
「死に晒しなさいっ!」
怒号一閃、黒鎌がアスタロトの鈍色の胸部を横に引き裂く。
血と共に紫の毒霧を胸から吹き出す悪魔は、苦痛に声を張り上げた。
叫びそのものが、鋭利な音の刃となってツバキに襲い掛かるが、彼女は致命傷になり得そうなソレだけを器用に鎌で防ぎきる。
致命傷でさえなければ、戦闘は続行できる。故に、他の傷など彼女にとってはどうでも良いことのようだった。
悪魔の猛攻を携えた大鎌一本で、凄惨な笑みすら浮かべながら捌いていくツバキに、
「シネ、ウセロ! トケサレ──!」
唸りとも、叫びともつかない声で悪魔が吠える。
「はっ! 残念ながらお断りね、このウスノロが!」
鎌の石突きでフェイントを悪魔の腹へ叩き込み、相手が毒爪で防御したのを見計らい──、ツバキは弧を書くように空中で一回転しながら、悪魔の頭上に渾身の蹴りを叩き落とす。
メキリ、と音がしたのは悪魔の骨か、彼女の足か。少なくとも、両者共にそれについてはどうでもよいことのようだった。
互いに、竜巻が晴れたことにすら気付いていないのだ。
両者の頭を占めるのは、ただ一つ。
「いい加減鬱陶しいのよ!」
「キエウセロ──!」
互いの抹消だけだった。
ツバキの翻る大鎌が、アスタロトの角を綺麗に削ぎ落とし、相対するアスタロトは、翼を閃かせ、お返しだと言わんばかりに彼女の脇腹を抉る。
「ツバキぃ! あんまり踏み込んじゃダメだってぇ!」
「うるさいわ! 黙ってなさい!」
騒ぐ鎌の先を地面に叩きつけ、ツバキはカゲロウを黙らせた。
「痛い! 心配してるのに! 心配してるのにぃ!」
「二回言わない! 鎌に痛覚なんて無いでしょうが!」
ありますよーだ、とぼやく鎌の柄にツバキは膝蹴りをかまし、電光石火の速度で突っ込んできたアスタロトを鎌の刃で巻き取るように引き裂きながら、遠心力も利用して遥か前方に投げ飛ばす。
──その瞬間、アスタロトの尾がツバキの肩口を浅く切り裂いたらしく、その裂かれた肩口からは朱の霧が迸った。
一進一退の戦いへともつれ込んだ一人と一匹が繰り広げるのは、傍目に見てもギリギリの攻防で。
「ノ──ニンゲンフゼイガ──!」
投げられた悪魔は、負った傷をすぐに修復すると、一足飛びにツバキに肉薄する。──と、それを予め読んでいたのだろうツバキは、振り下ろされた爪を鎌でいなすと、そのまま回転するように、アスタロトの翼を叩き斬りつつ、常人離れした脚力で標的から距離を取った。
「呆れた。まだ傷を修復する力が残っているの? まあその魔力も、いずれは枯渇するでしょうけど、ね!」
ツバキは滑るようにアスタロトの背後に回り込み、その翼の修復口に鎌を突き立てると、尾にかけて、縦に切り裂く。
刹那、空気を震わせる絶叫とともに、綺麗に裂かれた傷から吹き出す毒霧が、ツバキの頬にもろにかかった。
「ちっ!」
流石に猛毒の原液が皮膚に付着するのはまずいと踏んだのだろう。ツバキは砕けていない右手から鎌を手放し、自らの爪で頬の皮膚を肉ごと抉り捨てた。──が、その瞬間を好機と取ったのだろう悪魔もまた、素早くしなる尾で落ちた鎌を弾き飛ばす。
「この、姑息な真似を──」
怒りに任せ、目の前の悪魔に鼻っ柱が見当たらない為、代わりにその前歯をへし折ってやろうと勢いよく繰り出したツバキの脚は──彼女の意に反して、相手に届くことはなかった。
回し蹴りをお見舞いするその前に、注意を向けていなかった後方から、パシリと何者かに振り上げた脚を掴まれてしまったのだ。
「は──!?」
思いがけない横槍に、彼女は鬼の形相で振り返る。と、白銀の髪の合間から覗く、見知らぬエメラルドグリーンの瞳と目が合った。
「邪魔よ! 私に殺されたくなければ即座に手を離しなさい!」
戦いに水を差されたことへの怒りに、肉食獣のようにひび割れた瞳孔で睨み付けてくるツバキの警告などどこ吹く風で、ヴァイスはアスタロトへと目を遣る。
「逃げるか、アスタロトよ」
ヴァイスの言葉に、ツバキが弾かれたようにアスタロトに視線を戻す、と、彼は校庭の枯れた木の幹を四つ足でペタペタと、蜥蜴のように登っていた。
恐らく相当魔力を摩耗しているのだろう、その体から新たな毒霧が出る様子はない。
「オボエタ──オマエ。コロス、コロスコロス──!」
アスタロトは目鼻のない顔を一度ツバキへと向け、そう告げると、四つ足を器用に使い、跳ねるようにその場から逃げ去っていった。
「ちょっと、あなたのせいで取り逃がしたのだけど! どう落とし前つけてくれるのよ!」
アスタロトの去った方角を睨んでいたツバキが緩慢な動作で振り返り、怒気も顕にヴァイスへと怒鳴る。
だが怒りの矛先であるヴァイスはというと、至って涼しい顔で、アスタロトの去って行った方角を静かに眺めていた。
「あなた、人の話聞いてい──」「──あのまま戦っていたら、先にお前が力尽きていただろう」
ツバキの言葉を遮り、だから止めた。と続けるヴァイスだったが、ツバキは頑として自らの劣勢を認めようとはしなかった。
「死ぬとでも? ……あれ如きに、この私が負けるとでも?」
「奴には再生能力がある分、泥仕合となった場合、奴に軍配が上がるのは仕方のないことだろう」
ヴァイスは決して「負ける」とは口にしなかったのだが、彼女にとって、ヴァイスのその言葉は充分に許し難いもののようで。
「侮辱にも程があるわ。次、同じことをほざいたら、あなたから殺すから。分かったなら、その暑苦しい手を離しなさい」
折れた片脚で器用にバランスを取っていたツバキだが、勿論ながら、痛みがないわけではないのだ。
戦闘で昂っていた感情が冷めやると、忘れていた痛みが燃えるように身を苛む。
今のツバキにとっては己の脚を掴む、その手の温もりすらが不快でしかなかった。
「止めて正解だったようだな。……お前は少々、血を流しすぎだ」
ヴァイスの言葉に、そんなはずがあるか、と反論しようとして、ツバキは己の身体を見下ろした。
全身、至るところに負った裂傷で、己の白かったはずの制服は余す所なく深紅に染まり、そこかしこの骨や臓器も損傷しているのだろう激痛が己の意識を食わんとする。
傍目から見れば充分致命傷と取れる容態であるが、彼女はかろうじてその一歩手前で踏み留まっていた。
ツバキから戦意が抜けたのを感じたヴァイスが脚を掴んでいた手を離すと、ツバキは折れた脚を引きずるようにゆっくりと鎌へと歩み寄り、落ちたそれを、屈む苦痛に顔を歪めながら拾い上げる。
先程まで手に馴染んでいたはずの鎌が、今の彼女にはひどく重く感じられた。
「カゲロウ、ご苦労だったわね」
ツバキが鎌を持つ手を労うと、鎌はぐにゃりと溶けるように黒猫へとその姿を戻す。
「ツバキ。まずいよ、まずいよ。早く”移”さないと」
焦燥の混じる黒猫の声にツバキは、
「そうね、さすがにそろそろ……」
と、力無く呟き、地面へと手を伸ばすが、上手くバランスが保てずに膝から崩折れる。
「ツバキ!」
金のツインテールを跳ねさせながら駆け寄ってくるローザの姿を、地面に跪いたまま視界の端に納め、この時になってようやくツバキは辺りの毒が消えていることに気付いた。
「あいつかな? あいつが能力で毒を消したのかな?」
カゲロウがヴァイスを金眸でじっと見つめながら、その尾で地面をピシリと打ち据える。
「ツバキ、あいつ、なんか気持ち悪いよ。気持ち悪いよ」
カゲロウの言葉に、何か同感するところがあったのだろう。ツバキは不快の感情も顕に、頷いた──刹那、彼女の喉元へ苦い何かがせり上がる。
「ツバキぃ……よかったぁっ!」
息を切らせながら友の許へと辿り着いたローザは喜びを隠そうともせずに彼女へ飛び付いた。が、そんなローザへ「無事でよかった」と声を掛けようとしたツバキの喉からは声が出なかった。先程頷いた拍子に喉へ血が詰まったらしい。
一言も喋らない友を心配し、その体を支え、立ち上がらせようと、ローザはツバキの脇の下へと手を回そうとするが、身体を捩るようにして彼女はその手をを拒んだ。
それは、最期の瞬間まで野生動物が弱みを見せまいとする様のようで。いよいよ心配が頂点に達したローザが、
「ツバキ! お願いだから──」
無茶しないで、と言おうとしたのだろうその刹那、ひゅん、と何か白く丸いものが飛来し、ぐちゃっと破裂するような音と共にソレは綺麗にツバキの後頭部に命中する。
「は……?」
茶色の中身をぶち撒けながら炸裂したソレを指でなぞったローザは、ホカホカと湯気立つその物体を恐る恐る己の鼻に近づけ──、それはそれはとても美味しそうな、肉と餡の匂いがした。
ナニコレ、と怪訝そうに呟くローザの目の前で、謎の物体に後頭部を打たれたツバキが意識を失い、前のめりに倒れ──地面で強かに顔面を打ちつける寸前、彼女と地面の間に、シズマの手が間一髪で滑り込んだ。
「ホレ、後頭部には気を付けねばの。よく言うぞ、人は肉まんが頭に落ちてきても死んじゃうとな」
「イェンロン……」
新世界の理屈を述べるイェンロンに、シズマが物申したそうな目を向ける。
ツバキはどうやら、イェンロンの投擲した肉まんに後頭部を打たれ、気絶したようだった。
だが、ただの肉まんにはまず殺傷能力などあるはずもなく。恐らくイェンロンが投擲したそれは、何かしらの力が込められたものなのだろう。
「細かいコト言ってる場合じゃないぞ、シズマや。早く処置しないと、ホントにポックリ逝っちゃうからのう」
イェンロンは目を回しているツバキを、どこにそんな力があるというのか、それはもうひょいっと軽々持ち上げると、兵士に持って来させた担架に手早く乗せた。
その乗せた瞬間から担架の白い布をじわじわと浸食する朱の速度に、担架の両端を持つ兵士は心なしか諦めムードを漂わせている。
「うむ。ではでは、そんなワケじゃから、ワシはこやつを預かって先に戻っておるぞ。シズマも早く帰って来るのじゃぞー」
そうして、イェンロンは半ば諦めムードの兵士達にそのまま担架を運ばせ──るのかと思いきや、その担架を兵士達の手からむしり取ると、己一人で頭上に担ぎあげ、堂々とツバキを連れ去っていったのだった。