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二、解けた封印
学園の片隅、生徒達の憩いのスポットである、読んで字の如く”憩いの丘”と生徒達に呼ばれる小高い丘に辿り着いたシズマは連れていたローザを解放すると、教師達と共に現状確認に奔走する。
「生徒達の避難状況は!」
「はい! えーと、現在、出席していると確認が取れている生徒の内、安否が確認されていない者は八名です!」
教員に告げられた思わぬ数に、シズマは目を見瞠る。
「八名……ですか?」
「はい、パレードの日というのが幸いでした。生徒達は級友同士で固まっていたので、生徒達が互いに知る範囲で、ではありますが、現在安否不明なのは八名となっています」
「……そうですか。ではその八名というのは」
「それが……すべからく素行の悪さの目立つ者達でして。一名を除いては、いつもグループで行動している者達なので、どこかへ避難しているのかと思ってはいるのですが」
教師の言葉に、シズマとローザは安否不明の生徒達の愚行を確信した。
「そのグループ外の一名、というのは学園首席のことですね?」
「え? あ、はい。一人の教職員から出席の確認は取れているのですが、なにぶん、その学園首席も中々に素行に問題が見られまして……今一体どこに隠れ込んでいるのやら。というか今何がどうなっているのやら」
その一人の教職員というのは洗脳されていた中年教諭のことだろう。とローザはぼんやり考える。
「彼女は先程皆が聞いたでしょう、放送の声主です。貴方方に危険を知らせるために奔走してくれたのです」
「えぇっ!? あれミツルギの放送だったんですか!? ならこの現状になることを面白がってあの根性悪が放送した可能性がありますよ!?」
教員の声に、シズマは渋い顔で一瞬だけローザをちらりと見やる。と、ローザは申し訳なさそうに目を伏せる。
「今回ばかりは彼女の行動の正当性は僕が保証しますが……貴方方もとんだ瑕疵物件をうちに推薦してきてくれたものですね……」
「えっ!? いやぁ、首席なのは事実なのですよ! ただ素行も学園最低首席ってだけです」
しれっと宣う教員。
「なるほど、よくわかりました。……学園への指導は後からするとして、今回の件は間違いなくその残り七名の者達が──」
「封印を……解こうと──!!」
ローザが掌を握り締め、絞り出すように呟いたその刹那──、地面が一度、突き上げるように大きく揺れた。
足が宙に浮くほどの強い揺れは、立て続けに二、三度続き──揺れに耐えきれなかったのは生徒達が日々を鮮やかに過ごしていたレンガ造りの古びた校舎である。
一度目の揺れで外壁に巨大なひびの入った校舎は、続く揺れになす術なく、生徒達が固唾を呑んで見守る中、破片と土煙を盛大に吐き出しながらゆっくりと倒壊した。
そして、校舎の崩壊と共に、奇怪な、耳をつん裂かんばかりの叫びが周囲に響き渡る。
生命体に根源的な恐怖を抱かせるその禍々しい叫びは、物理的な衝撃となって周囲の空気を震わせた。
──それは面妖な光景だった。
崩壊した校舎を呆然と眺める生徒達が目撃したのは、象のような巨体を誇るわけでもなければ、毒蜂のような派手な禍々しさを持っているわけでもない、魔物の姿。
瓦礫の山と化した校舎から、ぬるり、とシミのように這い出たそれは、人間のような姿形をしているが、間違いなくそれは人間などではない。
一糸纏わぬ鈍色の体はどこかで浴びたのだろう鮮血を滴らせ、その背から生える羽は、蝙蝠を彷彿とさせる。
また、頭から生えた双角は毒々しい紫の光を帯び、細くしなる尾の先は、返しのついた釣り針のように尖り、鈍色の腕には蛇が巻き付く。
充分すぎるほどに面妖ではある。だが何より不気味なのは──。
「顔が……ない!」
一人の女子生徒が震えながら呟く。
魔物は、その言葉を聞いたかのように、丘へと目と鼻のないつるりとした顔を向け──、口だけをニタリと歪めた。
その邪悪な嘲笑に、生徒達は避けられない死を悟る。頭よりも先に本能が理解したのだ。この魔物にはどうあっても敵わない、と。
パニックを起こす気力すらも失われた生徒達は、ただただ暗澹に濁る目を魔物へと向けるしかなかった。
魔物は嘲笑を顔に張り付けたまま瓦礫の山へと手を突っ込むと、しばらくゴソゴソとそこを漁っていたが、やがてお目当てのものを見つけたのだろう、ずるりと赤黒い何かを引きずり出す。
魔物によって引きずり出されたそれは、あちこちを欠損しているものの明らかに人型をした──。
「え、待ってよ。あれ、あれ……!」
一人の女子生徒が『それ』の正体に気付き、卒倒する。
魔物が手に持つ『それ』はつい先程、己を召喚した男子生徒の変わり果てた亡骸だった。
「──ッ!」
シズマが生徒達の前に飛び出すのとほぼ同時に、魔物が男子生徒の躯を丘へと向けて投擲する。
尋常ならざる腕力を以て投げつけられた躯は、丘で硬直する生徒達に直撃──することなく、血煙と肉片になって霧散した。
「そうはさせません!」
シズマの能力なのだろう、生徒達の前には圧縮された風の層が、彼らを護るように防壁を築いており、どうやら躯は防壁へと直撃し、粉微塵に粉砕したらしい。
魔物は思い通りの結果にならなかったことに疑問を感じたのか、もう一度瓦礫へと手を突っ込むと、二人、三人と次々に亡骸を丘へと投擲するが、それらは悉く障壁に阻まれ、生徒達に届くことはなかった。
だが生徒の中には、凄惨な光景と血臭に耐えきれず、次々に気を失う者や、嘔吐をする者、果ては狂ったように笑い出す者などが現れ始め、シズマは内心で舌打ちする。
まだ彼らは能力者とはいえ学生なのだ。その反応も、無理からぬこととは理解しているシズマだが、狂気は伝染することも知っている。彼は狂笑する生徒を、不安定な精神の元、その能力が暴走する前に斬り殺しておくべきか本気で思考を巡らせ──。
刹那、彼の横で気丈に立っていた、いや、立ち尽くしていたローザの肩がびくんと跳ねた。
「ローザ!」
気を確かに、と声を張り上げようとしたシズマの喉が凍りつく。
彼女の視線の先にあるのは、魔物に瓦礫から無造作に掘り出された、白地が紅く染まった制服の──。
「だめええっ!」
ローザが咄嗟にシズマに組み付いた。
彼女の脳裏に閃くのは、肉片と化した男子生徒の姿。
「やめて、ねえ! やめてください! やめないのなら……!」
ローザは翳した手に魔力を集中させ──その能力が発動することはなかった。
ローザは自らの掌を眺めながら「どうして……」と呟く。
「僕の能力は天象の全てを操るものです。今この場では、貴女より魔力量の勝る僕が許可しない限りは、天象に由来する”雷”に限定された貴女の能力は使えません」
シズマとてローザの気持ちが分からないわけではない。だけれど、彼には優先させなければならない順位があるのだ。それは他でもない、目の前で崩れ落ちる少女を大切に思っていた友の、最期の願いでもあるのだから。
「あ、ぁ……!」
ローザの目が最大まで見開かれる。──彼女の視界の中で、魔物がツバキの襟首を投げやすいように掴み直し──大きく振りかぶったのだ。
「いやあああぁあぁッ!」
ローザの甲高い絶叫が丘に響き渡る。
──誰しもが諦めていた。飛来するのはもう少女ではない、ただの凶器なのだと。
だらり、と身体を弛緩させた黒髪の少女は真っ直ぐに丘へと弾丸の如く突っ込み──。
彼女は風の障壁に派手に全身を打ち付けながら──停止した。
「え──?」
思いもよらぬ展開に上がる、その間の抜けた声は、ローザのものであり、シズマのものでもあった。
そんな二人の前で、ずるり、と人の形を留めた肢体が障壁からずり落ちる。
「あーあ、本当にツイてないわね。もう少し意識が戻るのが遅れていたら、今頃楽だったのに……」
「いでで……ツバキぃ、ボク、砲丸にされるのは嫌いだよぉ」
障壁からずり落ちた肢体の纏う、紅く斑に染まった制服の胸元から、目を回した黒猫がぽてりと地に落ちた。
「あら、あなたも死にそびれたの? ツイてないわねカゲロウ」
主の本気かどうかよく分からない声音に黒猫は「ソダネ」と呟く。
「少なくともさ、ボクは死ぬときはツバキと一緒、って決めてるからね! コンナン極める戦いでね、一緒に刺されて二人で一緒に死のうね! 死のうね!」
どんな誘いだよ、とのツッコミが周囲の空気に滲むが、それを果敢にも口にできる者はおらず。
「……なんで私があなたと心中しなきゃならな──」
刹那、咳き込み、口から朱の霧を吐き出したツバキは、呼吸を整えるように何度か深呼吸すると、ふいに涙と鼻水でぐしゃぐしゃな顔の親友を振り返り──口許をほんの少しだけ緩めた。
「こらそこ。なんて顔しているのだか。……ただいま、ローザ」
いつもと変わらぬ口調。いつもと変わらぬ姿。
ローザは声もなく、大粒の涙をこぼしながら、無事帰還した友へと抱きついた。