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1-6

「急いで!」

 シズマはカゲロウがついてくるのを時折振り返り、確認しながら、速度の落ちかけたローザの背を押す。

「あ、あわわ……!」

 その背を押されるがままに速度を上げるローザは、何の凹凸もない平坦な廊下で何度か脚を縺らせ、転びかけたが、シズマに身体を支えられながら、なんとか足を止めることなく走り続ける。

 そんな一行の目指す、校舎の出入口まで残す距離も後僅か、という頃だった。ザリザリ、と学園のあちこちに設置されたスピーカーから、放送前のノイズが流れたのは。

『あー、テステス。これ、放送できているのかしら、ねえカゲロウ……は、そういえばいないんだった。……えーと、あ、スイッチはちゃんと入っているわね。えー、では学園にいる者に告ぎます。死にたくなければ──命が惜しければ、即刻“憩いの丘”へ向かいなさい。繰り返します──学園に──』

次いでスピーカーから流れるそれは紛れもなく、先程何処(いずこ)かへと走り去っていったツバキの声だった。

 だが、その放送の内容が内容だけに、校舎の窓から覗く校庭では、年に一度のイベントに勤しむ多くの生徒や教職員がきょとんと顔を見合せている。

「非常事態です! 今聞こえた彼女の放送に従い、全生徒、教職員は早急に”憩いの丘”に向かいなさい!」

校舎の窓から顔を出し、声を張り上げるシズマの剣幕に、まごついていた生徒や教師達は何かしらの不穏なものを察知したのだろう。パレードを中断された彼らは不承不承といった(てい)ではあるが一斉に“憩いの丘”へと駆け出した。

「左右ともに人影はなし、と。……さすがは学徒、逃げそびれる者はいないようですね」

転んだり、意固地になったりして逃げ遅れた者がいないか視線をざっと走らせて確認し、シズマは窓枠から離れると、息を整えていたローザの腕を引き、再び走り出す。

「ローザ、貴女が持っていた魔導書なのですが──」

「ああっ! そういえばあの魔導書、職員室に置いてきちゃった!」

 しまった、と顔に貼り付け、踵を返そうとするローザだが、その腕を掴んだシズマは玄関へと走る足を止めることなく苦々し気に口を開く。

「取りに行く必要はありません。何故なら、あの魔導書は──偽物ですから」

 偽物。ニセモノ。にせもの。

その思いもよらない言葉を脳裡で数回反芻し──、ローザは猛然と反論した。

「そんなはずがないのだわ! あの魔導書の帯びている古い魔力はうちに代々伝わる魔導書と同じ、本物の魔導書特有のものだったのだわ!」

 だから取り上げたのだもの、とローザは息を切らしながら続ける。

「ええ、そうでしょうね。問題は、途中で偽物にすり替えられていた、ということです」

「すり替え!? そんな、だってアタシ、ずっと握って──あ……!」

 刹那、ローザの脳裏に閃く光景があった。

 そういえば、玄関でぶつかった生徒、確かどこかで──。

「あああっ! 思い出したのだわ! アタシ、玄関でぶつかった男がいたの! そいつ、よくよく思い出したら、アタシが小突き回して魔導書を取り上げたボンボンだわ!」

 すり替えられた魔導書。走り出した友人。全てのパズルピースが脳内でかっちりと当てはまったローザは「ってことは」と頬を引き攣らせる。

「そうです。その者は悪魔──が本当にいるかどうかは別ですが。少なくとも先の能力者達が討伐することは敵わず、魔導書に『封印』という手段を取らざるを得なかったレベルの魔物を召喚しようとしている。しかも今まさに」

 ローザの手を引きながら、シズマは怒りとも羞恥ともつかない、苦い表情を浮かべながら奥歯を噛み締めた。

「本来であれば……ツバキさんの──彼女の今取っている行動は僕がしなくてはならないことでした……」

 ──彼女の能力に気を取られていたとはいえ、すり替えられた魔導書を時の竜騎兵に所属する、それも七天使たる己が見逃してはならないはずだった。

「でも……それでも、敵対していたとはいえ、あの時に情報さえ……」

 ──いや、敵対し、あまつさえ己を負傷までさせた者に、それでも情報は寄越せ、などと都合の良いことが言えるだろうか。

 人々を守る立場の人間でありながら、主席とはいえ一生徒に遅れを取ってしまった己を彼女は『荷物』であると取った可能性すらあろう。

 役に立たないかもしれない『荷物』などに逐一情報を与えている暇があるなら、己のみを信じ、己の今できることをする。彼女がそう判断し、行動したとしても何ら不思議はない。

「ッッ──!」

 頭を大きく横に振り、そんな思考を断ち切るシズマ。

 今何と言おうが、どう思おうが、それらは全て『今更』でしかないのだ。ならば──。

「僕が今できる最大限のことを──」

「──あの、ちょっと待って! 待って下さい! 放送室、最上階なんです!」

 急にその場で踏みとどまったローザの靴底が、廊下との摩擦で鋭い音を立てる。

「その、き、危険なんですよね!? そんなトコにツバキはまだいるんですよね!?」

 息を切らせながら、悲愴な表情を己へと向けてくるローザから、シズマは視線を逸らすことしかできなかった。

「早くあのバカを──ツバキを迎えに行かないと!」

 それはごく普通のことだったろう。友を案じ、友を思い、一人逃げることを是としない。

 だが、そんなローザへとシズマから返ってきた答は、彼女にとってはこの上なく非情なものだった。

「……それはできません。彼女は貴女に逃げるよう告げた。あの場において、貴女を、皆を助けようとしていた彼女の意思と言葉を無下にするわけにはいきません。それに、今更向かっても共倒れになる可能性が高い以上、彼女を迎えにいくというその行動は愚策と断じる他ありません」

 ツバキは現状を理解した上で、ローザを救い、他の生徒をも助ける道を選んだ。

 魔導書に本当に悪魔が封印されているかは分からない。召喚が不発に終わる可能性もなくはない。だが他の生徒達を助けるというその行為が──、校舎の三階に留まるというそれがあの世への片道切符となる可能性があることを理解し、尚、その道を選択したのであれば、今シズマにできることは、その意志を無駄にしない、それだけだった。

 彼女の大切にしていた友人であるローザは勿論、その他の生徒達も最大限救う。それくらいの働きはしなくては、彼女に合わせる顔がないというものだろう。

「そんな……!」

 ローザは全身の力を脚に込め、その場に留まろうと抵抗するも、悲しいかな力で敵うはずもなく、シズマに力ずくでズルズルと引きずられていく。

「シズマ様に一緒に付いていってとは言いません……! アタシ一人で戻るから、だから手を離して下さい!」

「できません。どうか聞き分けてください」

 ローザの意思とツバキの意志と。

 どちらも解らないではないシズマだが、

「どちらかしか選べぬのなら。それなら僕は人命が救われる方を──そして、遺志となる可能性が高い者の選択を尊重します」

 決めあぐねて両者ともの願いを同時に取り零すわけにはいかないのだ。

「なんで……どうして、こんなことに……? アタシはただ、アイツにパレードに出てほしくて。アイツのスゴさをみんなに知ってほしくて……! ただ、ただそれだけだったのに……!」

 俯き、必死に涙を堪えながら、昨日の己を呪うローザ。

「アタシがアイツにパレードに出ろなんて言わなければ……! こうなったのは全部アタシのせいだ……アタシがアイツを危険に──」「──それは違います!」

 呪怨のような自責の独白を遮ったのはシズマだった。

「貴女が悪いのではありません。勿論、彼女が悪いのでも」

 ──皆を危険に晒す恐れを鑑みず、魔導書の封印を解こうとする生徒にそもそもの非はあるだろう。

 だけれど──。

「本当に悪かったのは運、ですか……」

 魔導書のすり替えられたその瞬間、ローザはツバキを探すことで必死になっており、己が衝突した者が誰であるか気付けなかった。

そして、その瞬間は洗脳により教師の動向を『捉え』操り、ローザの行動を制御していたツバキにとっての隙でもあり、また、急に走り去ったローザに追い付いた時にはまさかその前に彼女が他人と衝突していたなど、露ほども思っていなかったシズマの隙でもあった。

 不運が重なった結果、凶行は野放しにされ、そうして──。

「ねえ」

 校舎の出口を目前にしたその時、二人の背後から子供のような、舌足らずな、甲高い声が響く。

「ほら、もう外だよ。……キミはツバキの敵だけど、このままローザを任せてもいいかな? いいかな?」

 ひょん、と尻尾を振り、尾の先でローザを指すカゲロウ。

 猫が喋ったことに驚き、シズマはつい足を止めてしまった。

 魔物の蔓延る世の中であり、魔物が喋るのは多々あることだ。しかし、カゲロウはどこからどう見ても、魔力も何もない本当にただの黒猫で。

七天使である己に魔力の片鱗を全く感知されずに、猫以外の者──いや、恐らくは魔物であろう彼が、自身を本物の猫だと思わせていたことに、シズマは驚きを禁じ得なかった。

だが、そんなシズマの驚愕も他所に、カゲロウは金眸を眇めながら虚空を見上げ、鼻をひくつかせる。

「ヒゲがスゴくピリピリしてきたから、きっとアレの復活はもう、すぐそこだよ。……ボクはツバキのアイボーだからツバキのとこにそろそろ戻らないと。──じゃあ、そういうことだからさ、後は任せたよ? 任せたよ」

 一瞬だけローザへと視線を向けたカゲロウは、過去を懐かしむようにその眸を眩しそうに細め──、くるりと踵を返す。

刹那、その骨格をめきりと音を立てて歪ませたカゲロウは、二人が呆然と見守る中で、その姿を漆黒の豹へと変えると、動物界随一を誇る瞬発力を発揮し、あっという間に元来た道へと走り去っていった。

「カゲロウ……アンタ喋れるのは知ってたけど、そんな能力まであったの……?」

 ずっと一緒に暮らしてきたのに知らなかった、と俯くローザは「きっとこれは夢ね」とポツリと呟く。

「これは夢よ……。悪い夢……。きっと、目が覚めたらその日こそ、パレードの日で──」

 ローザはそう望むかのように呟くが、心の中ではそれが都合のよい現実逃避だと分かってしまっているのだろう。その願望の言葉は最後まで紡がれることはなかった。

「ローザ、彼らが多くを隠していることは間違いないですが、今は逃げることに専念しましょう。いいですね?」

 落ち込む己を励ますかのような、幾分か柔らかいシズマの声にローザは小さく頷き、外へと駆け出す。

 そんな、悲壮感すら漂わせるローザの背を護るように走りながらも、シズマの脳裡はねっとりと絡み付いて止まない、数多の疑問で埋め尽くされていた。

 ツバキに感じた違和と、魔物であるはずのカゲロウの完璧な猫姿。

 彼女達が何者であるかなど、今、少しばかり考えたところで答えなど出るはずもなく。

「あの者達は一体……?」

舌なめずりする蛇に睨まれたような、嗤う道化がひたり、ひたりとにじり寄ってくるような、そんな不気味な感覚が拭えないまま、シズマはローザを連れ、生徒達の集まる”憩いの丘”へと駆け上がった。

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