9-1
失言の撤回か、借金の建て替えか。
ツバキはエメラルドグリーンの瞳を射るように見上げ──。
「ッッ──!!」
悩んで悩んで、悩み抜いた結果──、
「立て替えなくていいから今すぐ綺麗に忘れ去りなさいッッ!」
──渾身の怒声が洞窟に響き渡った。
九 もうひとつの戦い
「ど、どうしたら……!」
救護室の前でローザは真っ青になりながら頭を抱えていた。
「どうもこうもありませんよ! 早く逃げて下さいヴァイセンベルガー様!」
二人の護衛兵に護られているローザの前で、レーベン隊の眼鏡男が頭を抱える彼女へと語気を荒げた。
死体を閉じ込め施錠した部屋の扉は内側からガンガンと殴るような音がいくつも響き、唸り声も多数、扉越しに聞こえてくる状態である。
間違ってもそこは、名家のお嬢様がいてもよい場所などではないだろう。
「今ニクスを通して応援は呼びましたから! ほら早く行った行った!」
「行きましょうローザ様!」
眼鏡男の言葉に、護衛兵達も同感だとばかりに、この場から立ち去るようローザのその背を押した──その直後、ついに掛けた錠が、扉を叩く衝撃に耐えきれず壊れ、吹き飛んでしまった。
「うぎゃーっ! 出たーっ!」
全身の毛を逆立てながら、眼鏡男は手にしていた水桶を死体の内の一体へと投げつける。
パカン、と小気味良い音を立てながら死体の顔面を水桶が強打した。
──が、それだけである。能力を込めているわけでもないため、特に何かが起こったりはしない。
「悪い! かつての友ぉ! いや、でも許せえぇ!」
眼鏡男は半べそでタオルケットやら消毒液やらを投げつけるが、勿論ながら死体には微塵のダメージも通っていない。
ジリジリと近づいてくる死体の群れに、男の顔からさっと血の気が引いた。
「あ。俺もうダメかも。少しくらい救護以外の訓練もしとくんだったナー」
刹那、死体の振り上げたベッド柵(凶器)を男性護衛兵が手にした剣で弾き飛ばした。
「眼鏡! お前全然役に立たんではないか!」
男性兵の声に眼鏡男は「いやいや、俺救護専門……」と涙目で呟く。
「クソ眼鏡、ローザ様、逃げますよ!」
ローザの前に残った女性兵の言葉に、ローザは心を決めたらしく、己の両掌をぎゅっと握りしめた。
「……アタシ、戦う! アイツが、ツバキが帰るまで、アタシに戦わせて!」
「──はぁ!?」
女性兵と眼鏡男の素っ頓狂な声が同時に上がった。
「こ、ここは離れとはいえ救護棟なのだわ! 他の階の、皆が休んでいる場所に、このまま死体を散らばらせるワケにはいかないもの!」
「いやいや、ローザ様! 看護にあたっている救護兵の中にも戦える奴は大勢いますから! というかほら、もう増援も来ますから!」
眼鏡男が必死の形相で止めに入るが、ローザは頑として聞かない。
「お願い。戦わせて! アタシにも、アイツを護らせてよ──」
「ローザ様……」
護衛兵は互いに顔を見合せ──、
「では、私達の討ち漏らしをお願い致しますね……!」
──しぶしぶではあるが、彼女の意を汲んだ。
「はあッ!」
「せやっ!」
掛け声とともに、二人の護衛兵はバタバタと死体を薙ぎ倒していく。
「うぉ~……さっすがヴァイセンベルガー家の筆頭私兵……。強えわ……」
息の合った連携で死体を次々と仕留める護衛兵達は戦いながらも主の方へと常に神経を傾けている。
「当然だ眼鏡! 我々は、かつて幼きローザ様をお守りし切れなかった過去があるのだからな! 二度目などあってはならんのだ!」
「そうよ眼鏡! もう二度とツバキさんにだけ、いいカッコはさせないんだから!」
彼らには、彼らなりの強くなった理由があった。
だが、救護兵である眼鏡の男は──、
「あの……とりあえず、眼鏡って呼ぶのやめてくんないかな……」
──己の名前が眼鏡で定着しつつあることに、意識の全てを向けている。
「はい次!」
そんな彼を無視し、女性兵が新しい死体を剣で斬り払ったその時だった。
「危ない!」
ローザの声とともに、女性兵の前に雷が一筋駆け抜ける。
ローザの撃った雷は女性兵へと足元から迫っていた肉塊をウェルダンな焼肉に変えた。
「ローザ様……まさか、こいつら……」
男性兵の声に、ローザは震えるように頷く。
「こいつら、普通の死体じゃない……! 斬っても突いても死体同士が固まって……」
ローザの言葉に呼応するように、廊下に散らばる肉片がミチミチと一ヵ所へと集まっていく。
「や……無理だわこれぇ。あらやだ、これぇ……」
膨れ上がる肉塊に呆然と呟く眼鏡男。
ほどなくして、ローザ達の目の前で、手足をいくつも取り込み、自らの肉体から生やした巨大な肉塊が、蠢くように複数の脚で立ち上がった。
「あ……ああ……」
色を無くすローザの視界の中、肉塊は肥大した肉腕を大きく振り上げる。
「ローザ様ぁっ!」
女性兵がローザに駆け寄り、彼女を突き飛ばすが早いか、その上に覆い被さるように我が身を盾にして伏せた。
咄嗟に男性兵もそんな二人の前に仁王立ちし、彼女達を護らんとその身を張り──、
「──ッッ!」
直後、周囲一帯に肉片と鮮血が飛び散った──。
洞窟に残った魔物を完全に殲滅し終えたのは夜もとっぷり更けた頃だった。
「ほら、アナタの分ですわ」
洞窟の片隅に座り込んだツバキは、アマラに差し出された携帯用の水筒を片手で受け取り、洞窟のあちらこちらで魔物の死骸が兵士達に運ばれて行くのをじっと見つめる。
丸一日能力を使い倒しているのだ。兵士達に紛れて事後処理にあたっているヴァイスやジオン、シズマにレーベンにイェンロン。皆疲労は頂点を越しているはずだ。だが、そんな素振りを微塵も見せることなく兵士達と共に最後まで奔走する、そんな彼らだからこそ部下は彼らを慕うのだろう。
「あなたは? 働かないの?」
ツバキの問いにアマラは隣に「よいしょ」と掛け声と共に腰を下ろし──、
「こういうトコロが女性兵の良いトコよ。力仕事は男連中がしてくれるのだもの」
──と、忙しなく走り回る兵士達を傍観する。
よくよく辺りを観察してみると、確かにアマラ隊の兵士達は皆あちこちで休憩しているようだ。
「平等に働きなさいよ」
「……それ、サボってるアナタにだけは言われたくないですわ」
「サボってない」
「この状況でどの口が……」
膝を抱えて「サボってない」と繰り返すツバキは、すっと指で一点を指し示す。
彼女の指し示す先では、影武者達がせっせと魔物の死骸を素手でかき集めていた。
「部下に働かせてアンタだけ楽をするってどうなのよ……」
半眼で己を見やるアマラにツバキは「いーの」と心此処にあらずで答える。
「どうせ彼らの活動には法力が不可欠なんだし、それを今ここで私が供給しているんだからあれは私が働いているようなものよ」
そんなツバキの言葉に、「あ、そ」と呟いたアマラは、ふと何かを思い付いたのだろう。赤く爪化粧を施したその手をツバキへと伸ばした。
「あの子達、ジオンの炎兵と違って器用そうね」
「勿論よ。あんな戦うしか能のない綿飴と一緒にしないでくれる?」
「──なら、こっちにも少し派遣なさいよ。重篤な負傷兵は手当てが済んだのだけれど、軽傷な兵士の救護が間に合っていないのよ」
アマラの提案に、ツバキは「あなたが思っている以上に結構召喚も疲れるのだけど」と、ぷちぷちと文句を言いつつも、結局彼女へとありったけの影武者を提供したのであった──。