8-7
「シズマ!?」
嘘だろう、と言わんばかりのジオンの声が洞窟に響く。
まさか己の射出する炎弾に同胞が飛び込むとは微塵も考えてはおらず、咄嗟にそちらへと翼を向けるジオン。
──だが、どうやら彼の想像した最悪の結末だけは回避できていたようで。
「ったた……助かりましたよ、ジオン!」
黄金の軌跡を描きながら煙幕から翔び出したシズマは声を限りに緋翼の同胞へと礼を告げる。
咄嗟の機転で炎弾に体当たりし、翼の毒された部分だけを砕き落としたシズマは「大丈夫ですか?」と抱えた少女を見下ろす。
「な、中々無茶苦茶するわね。でも……これで判ったでしょう。戦場で荷物なんか抱えて生き残れるほど、悪魔は甘い相手なんかじゃないって」
諌めるようなツバキの声に、シズマはあまり堪えた様子もなく「そうでしょうか?」とケロリと返した。
「あなたねぇ……少しは懲りなさいよ……」
「まあまあ、そこは、ね? でもほら何だかんだ言っても、これで──」
布石は打てたんじゃないでしょうか、と微笑むシズマに──、
「──それはまあ、そうね」
──と、ツバキは小さくだが、しっかりと頷く。
煙幕に紛れて突き出た岩の上に着地した二人の見遣る先──洞窟の地面に立ち、注意深く二人を見上げるアスタロトの頭上に、次の瞬間、轟音とともに雷が炸裂した。
縦横無尽に駆け抜ける雷撃と、四方から叩き付けるように吹き荒れるシズマの竜巻を、アスタロトは視た未来の下、的確にそれらを捌いていく。
「よっと、ほら、次は左。んでもって──影法師、お前も視えているって!」
渦巻く、横殴りの竜巻に身を隠し、背後から飛び掛かったツバキを冷たく見据えたアスタロトは爪の一閃で、その胸元を裂こうとしたが──それはシズマの撃ち込んだ竜巻によって間一髪で阻まれた。
「なあ、全部視えていると言ってるだろう?」
無駄だって、と頭を掻きながら、距離を取ったシズマとツバキのいる方へと足を進めるアスタロト。
「まあ仕方ねえか。それがお前達、人間の限界──」
──神速。
その一言に尽きる速度で抜刀し、アスタロトへと肉薄したシズマは刃の一閃でその右角を断ち斬った。
「っクソ……!」
毒爪を振り抜き、シズマを払いのけたアスタロトは忌々しげに眉間に皺を寄せる。
「想定はしていたけれど、身体が追い付かなかった。違いますか?」
腰を落とすように、再び剣を構えるシズマはそうアスタロトへと問いかけ──「ああ、それと」と続ける。
「先程から薄々気付いてはいましたが……やはり貴方は……」
「あーあー、みなまで言われずとも、その通りだ。俺様は元来戦闘向きじゃねえんだよ。だというのに能力ばかり秀逸揃いで。まあほれ、何て言うんだ?」
「……宝の持ち腐れ」
ぼそっと呟くツバキ。
「そうそう。まあそんな感じだ。腐るほどの宝を持ってる俺様が今気になるのは、ま、あれだ。唯一の宝である変化能力すらパクられたお前の相方。アイツ、一体どんな気持ちなんだろうなって結構気になるわけよ」
「ふん、盗られたのは魔物への変化能力だけだしぃ?」
動植物には化けられるから、と胸を張るツバキ。
「いやそれ、威張って言うことじゃねえから……って、ん? その生意気な口調……」
アスタロトは胸を張るツバキが何も握っていないことに気付く。
咄嗟に未来を視やったアスタロトは「そういうことか!」と背後を振り返り──己をニンマリと見つめながら矢をつがえる黒髪の少女と目が合った。
シズマが炎弾に突撃した直後、ツバキは煙幕の中で、カゲロウに己に化けるよう指示を出していた。
そして煙幕が晴れる前に、何食わぬ顔でカゲロウをシズマに抱えさせ、自身はアスタロトへと奇襲を掛けるべく、影の世界へと身を潜めていたのだ。
「やっぱり、気付いてないわね……」
満を持して悪魔の背後へと影の世界から浮上したツバキはそう小声で呟きながら、己の影から黒い、弓と矢を引きずり出す。
次いで彼女は服の袖を細く噛み千切り──、
「込め込め込め……っと」
──人差し指を犬歯で薄く裂き、じわりと滲む血で裂いた白布に籠目紋を描き上げると、それを矢にくくりつけた。
そして──。
お手製の矢をつがえ、アスタロトへと弓を引き絞り、矢を放つ。──その寸でのところで、先方も己の存在に気付いたようだった。
「うわっ!」
紙一重で飛来する矢から身を躱したアスタロトだが、眼前のツバキに気を取られ、背後が疎かになってしまっていたようで。
「今です、カゲロウ!」
考える間を与えない、とでもいうように猛攻を仕掛けてくるシズマとカゲロウに、アスタロトは歯噛みした。
「オイオイ、マジで勘弁してくれよ……俺様は戦闘苦手なん──ッッ!」
危険を察知し、その場を飛び退いたアスタロトは、先ほどまで己のいた場所に突き立った矢を睨んだ。
「ただの矢……に何か巻いてるな……」
巻き付けてある白い布のはためく矢に意識を向ける間はなかった。
己へと的確に狙いを定めて飛来する続けざまの三矢を寸でのところで回避し、着地した足元へと丁度四矢目が突き刺さる。
「うげっ! 危ねぇ!」
運が良かった、と言わんばかりに胸を撫で下ろすアスタロトの眼に、次の瞬間、不可解極まる光景が映った。
第五矢を番えるツバキは、その狙いを己から程遠いところに定めていたのだ。
「なにし──」
咄嗟に未来を『視た』アスタロトは驚愕に目を最大まで見開く──。
「そんなバカな!」
己の視た数ある未来。その全ての先に在るのはただ一色の──。
「こんなの、アリかよ──」
呆然と呟く悪魔の言葉を遮るように、ツバキの放つ矢は洞窟の一点へと深々と突き立った──。
それぞれ撃ち込んだ矢を頂点とする籠目が地に浮かび上がり、どぷりと周囲の地面が融解する。
規模こそ小さいものの、それはかつて彼女が己の故郷を滅ぼした”影葬り”と彼女が呼ぶ、影法師の奥義だった。
日食による御影鬼の力を利用することができないため、広範囲を影に沈めることは出来ないものの、それでも悪魔の立つ周囲一帯を影に沈めることくらいは彼女の法力だけでも可能のようで。
シズマが叩き付ける竜巻によって、宙に浮くことが叶わなかったアスタロトは影に膝まで呑み込まれながら、──己の敗北を悟った。
「視えていた、はずなんだがなぁ……」
やれやれ、と諦めたように呟くアスタロト。
「まあ、視た未来がどれも全て同じとあっちゃあ、従うしかねえよな」
既に腰まで影に沈んでいるものの、その顔に恐怖は見られない。
「理解が早くて何よりよ、アスタロト。いくら未来が視えようが、未来そのものが決められていないのなら、全ての未来の分岐先を影一色に飲み込んでしまえばいい。進む未来も抗う未来も、全ての路をこの帰結に変えてしまえばいい。そうでしょう?」
「……そうだ、な」
「私はあなたが影の世界で生きることを『許可』しない。だから、影法師でもない影の世界へ堕ちたあなたに待つのは死だけ」
淡々と告げるツバキは、肩口まで影に沈んだ悪魔の前にふわりと膝をつくように屈んだ。
「……ねえ、最期に教えて欲しいんだけど」
「……なんだ? 答えれば見逃してくれたり──」
「しないわ」
きっぱりと切り捨て、ツバキは「無償で」と釘を刺す。
「あなたの言葉を信じるかどうかは別として……あなたの視る未来、その中に一つでも、私が魔王を倒せる未来はあるかしら?」
「んー、そうだなぁ……可能性としては、ほぼ皆無。だけど、たった一つだけ。広大な砂漠が如き可能性の中に、たった一粒の砂粒程度には……あるかなぁ──」
そう最期までのらりくらりと答えながら、アスタロトは静かに影の世界へと沈んでいったのだった──。
「よくやった」
もう聞き慣れた、抑揚のない声音に、じっとアスタロトの消えた地面を見つめていたツバキは顔を上げた。
粗方魔物の掃討を終えたらしいヴァイスは小さく口許に笑みを浮かべ、ツバキとシズマ、そしてカゲロウを労う。
「……あら、特に心配はしていなかったけれど、あなたも無事そうで何よりだわ、団長さん」
ぽろりとツバキの口から零れた言葉に、隣に立っていたシズマとカゲロウはあんぐりと口を開けた。
「へ? な、何よその顔? 私何か変なコト言った?」
周囲の反応にツバキは己の言動を思い返し──、
「あああ!」
──彼女はすぐに、うっかりヴァイスを団長と呼んでしまったことに気付く。
「なし! 今のなし! 忘れて、忘れなさい! 今すぐに!」
がっとヴァイスの胸ぐらを掴み、頭から湯気を立てながら吠えるツバキ。
「そうか。お前がそうしたいのならば、今回の戦働きに対する褒美だ。忘れるとしよう」
胸ぐらを掴む腕を引き剥がしながら、ヴァイスが「ああそうだ」と意地悪く口端だけを吊り上げる。
「入団手続きの際に調べたところ、お前は今三千万マークほど借金があるようだが、二千万マーク、こちらで戦働きに対する報酬として無利子で立て替えてやろうとも思ってはいたのだが……お前が忘れる方を望むというのなら、仕方あるまい」
「な、なんですってぇ!?」