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7-1



七 帰還



 ガタゴトと揺れる馬車の中、ツバキはむすっと窓枠に頬杖を突いていた。

「本当に、はた迷惑な破戒僧だったわね」

「まさか同胞が堕天していたとはな……」

 ジオンはツバキとは反対側の窓枠に同じく頬杖を突きながらボヤく。

「それもこれも、あなた達が戒律をしっかり守らせてないからでしょうが」

「……ぶっちゃけそれ、破戒僧以上の破壊僧になっちゃったツバキだけは言えないよね」

 カゲロウの声に、ツバキは「ま、そーね」と呟き、窓の外に流れる景色に目を細めた。

 石畳の街並みは平穏そのもので、子供達が走り回り、井戸端では女性達が会話に花を咲かせている。

「まやかしの平和だとも知らずに、呑気なものよね」

 悪魔アスタロトの出現は当然ながら、民衆の不安を煽り立てかねない為、時の竜騎兵内のみの極秘事項とされた。

 アスタロトにまだ動きは見られないらしく、街は至って平和そのもので。

「……後少しで本部に着く。もう少しの辛抱だ」

 ふいに掛けられた、ジオンの言葉の意味を一瞬理解しかねたツバキは、しばらく考え「ああ、腕のこと?」と己の腕を見遣る。

「別にこれくらい、舐めていれば治るわ」

「猫かテメェは」

 爛れた腕は屋敷を出る前に処置を施したものの、やはり救護部隊であるレーベン隊には遠く及ばず、あくまでも応急処置に留まっていた。

「本当に必要ないのよ。その気になれば、影供に押し付けてすぐ治せるし」

「どの道、後から引き取らなきゃならねぇんだろ、その怪我。……でもまあ前々から思ってたけど、テメェほんと便利な身体してんだな」

「天使とは違うのよ、天使とは」

 嫌味たっぷりにそう放つツバキの爛れた腕を舐めながら、カゲロウはジト目でヒゲを震わせる。

「ツバキ。意地張らずに治せるものは治してもらおうよ。ただでさえ影供の返済が滞ってるんだから」

「返済って……借金みたいに言わないでよね!」

「なんだテメェ、借金してんのか?」

「してないわよ! 少ししか!」

 少しでも借金は借金なのだが、彼女にとってはそうではないようだ。──どころか、

「少しって……そろそろ三千万マークくらいになるよ?」

──それはどう見ても少額で済ませられる域ではなかった。

「ちょ、黙ってなさいカゲロウ!」

 とんでもない暴露をした黒猫の口を咄嗟に手で塞いだツバキは、顔を引き攣らせているジオンを、バツが悪そうに見遣る。

「テメ……三千万マークって……」

「か、返そうと思ったらギャンブルで儲けて一瞬なんだから、お願いだからローザには黙ってて!」

 まさかの借金まみれだったツバキは「この通り」と拝むように両手を合わせ、固くジオンの口止めをする。

「よく言うよ。そのギャンブルで膨れ上がった借金じゃん」

「今度は真っ当に返すから大丈夫よ! ……真っ当にギャンブルで稼いで」

 完全にギャンブル依存に陥っていそうな台詞をボソリと吐くツバキに、今度こそ真っ当に返すのだ、と信じて疑わない素直な猫は「お仕事しながら今度こそ、堅実に返そうね」と明るく、借金を減らす未来を語った。



時の竜騎兵本部まで、後少しの距離となった頃、ふいにジオンがツバキへと声を掛けた。

「なあ……テメェ、なんでアラベラが今回の犯人だと気付いたんだ?」

 ジオンは言葉こそ、何でもないように取り繕ってはいるが、窓に映るその表情は真剣そのものである。

「最初は全員疑うのが鉄則でしょ」

「そりゃそうだ。だけどどうにもテメェの推理が読めなくてな」

「……さすが猪男、脳筋ね」

 ツバキは馬鹿にしたようにジオンを見やるが、彼はその自覚でもあるのだろうか、何も言い返すことはなかった。

 そんな彼の様子に、調子が狂うのか、ツバキは少しだけ押し黙り、──すぐにぽつりぽつりと言葉を紡ぎ始める。

「最初はね、勿論だけど私も全く誰が怪しいのかも分からなかった。だから、疑惑の外堀から埋める必要性があったの。……私、屋敷に入ってすぐ、あなたに『合わせて』って言ったわよね?」

「ああ」

その時の記憶はあるものの、その言葉と彼女の推理がまだ全く合致しないジオンは「だから?」といったような表情だ。

「あの後、私は二人きりの時に絵画のミートパイを話に出した。あなたの好物だって偽って」

「そういやそんなこともあったな……でも、それがどうかしたか?」

「ミートパイって、そう晩餐会なんかで振る舞うものでもないでしょ? だから私は話題に出したの。それも、ミートパイとは名指しせずにね。そしたらどうでしょう、その日の晩餐会にはものの見事に?」

「──ミートパイが……出た」

 ジオンは驚きに目を見開く。

「そう。この時点で確定したのは、何者かが何かしらの手段を使って、私達を常に監視しているということ。だから、会話も筒抜けである可能性が非常に高いこともこの時点で確定したわ」

「テメェ……本当に遊んでるだけじゃなかったんだな」

「失礼ね!?」

 見直した、と言わんばかりのジオンにツバキは頬を膨らませる。

「その晩は賭けだったわ。私の部屋が監視されている可能性は高かったけれど、風呂場までは監視していないと想定して、風呂場から影の世界に潜ったの。本当は影の世界で、貯蔵庫に二人分、つまり犯人と被害者の人影が現れたら、確保するはずだった。けれど、計算が甘かったのよ。……影の世界に現れた影は”首”のみだった」

 苦々し気にその時のことを回想するツバキ。

「この失敗から得た最大の情報は、犯人は真っ当な人ではない、ということだったわ」

それも、とツバキは続ける。

「犯人は、貯蔵庫の扉を使わずに貯蔵庫に侵入し、尚且つ足が地面にはつかない者。どう炙り出したものか風呂場へと戻りながら考えていたのだけれど……その後、容疑者は簡単に浮上したわ。──あのアラベラという天使ね。アレは私に言ったの。私の部屋を訪れたけれど無人だった、と」

「来れるはずがないんだよ。だって、ボク達は影の世界から貯蔵庫へ行ったんだから、お部屋にはしっかり鍵が掛かったままだったんだもん」

 まあそんなこと、普通なら考えもしないだろうけどね、とカゲロウが小さく呟いた。

「あの堕天使は子蜘蛛を己の眼として脚として屋敷に撒いていた。蜘蛛であれば、手入れの行き届いていない屋敷であれば、どこに巣を張っていても怪しまれないし、扉の隙間から部屋に侵入することも、造作もない」

でもよ、とジオンは首を傾げる。

「何故蜘蛛で見張ってる、と気付いたんだよ? それこそ、他の方法かもしれねえじゃねえか」

「そこはほら、私、屋敷中の大掃除に奔走していたじゃない。最初は、何処から監視しているのか分からなかったから、置物とか調度品とかを怪しんでいたのだけど……。途中から蜘蛛が怪しいと気付いたのよね」

だって、と続けるツバキ。

「最初に確認した情報ではその時点での被害者は七人。まあざっと一週間、ってところよね。……一週間程度で、屋敷の至る所が蜘蛛の巣まみれって、おかしくないかしら。一週間で、落ち葉とか雑草が増えるのは何らおかしくはないわ。だけれど、蜘蛛の巣よ? 屋敷全体に、一部屋残らず、後は同じ種類の蜘蛛がご営巣中で。でも、それだけ巣を張り巡らせておきながら、どの個体も張った巣に掛かった虫を捕食した痕跡はなく。……全てが全て、怪しいことこの上ないでしょう?」

 そして、とツバキはぎゅっと頬杖を突いていた己の手を握りしめる。

「あの堕天使に抜かりがあるとすれば、風呂場にまで蜘蛛の巣を張っていなかったことかしらね。私の……最初の影への潜航は幸運だったわ。その時はまだ蜘蛛が堕天使の眼だなんて知らなかったから、ただ守りが薄くなる影への潜航をあまり大っぴらにはしたくなくて、私は風呂場から影へと潜航した。その後、まさか私がいなくなっているなどとは考えもせず、あの堕天使は私の部屋を訪れたのでしょうね。……次の犠牲者と定めていた私の許へと」

 ジオンは一度言葉を切った横目でツバキをちらりと見やるが、何も言うことはなく。

「──でも、いざ窓を伝って訪れてみれば、部屋はもぬけの殻で。子蜘蛛を使って屋敷の何処を探しても私がいないと知った時の、あの堕天使の焦りがどれほどのものだったかは知りたくもないけれど……、結局彼女は隣室の使用人を喰らったわ。静かに忍び寄り、催眠液さえ注入してしまえば、被害者は騒ぐことすらなく夢の世界へ直行するわ。……あの日、首だけになってしまったあのメイドは、部屋を抜け出した私の代わりに喰われてしまったのよ」

ツバキは苦々しげにその時のことを語る。

ジオンは下手な慰めなどなんの意味も持たないことを良く知っているからこそ、ただその言葉を傾聴するに留めた。

「きっとアラベラは思ってたに違いないよ。明日がある、って」

 カゲロウは事件の全貌を理解しているのだろう。淡々とツバキの言葉に合いの手を入れる。

「私もそう思った。だから翌日、彼女が盗聴していると知った上で、あなたに同意を求めたの。明日には帰る、と。……私に狙いを定めているならば、彼女は何としてでもその晩の内に私を襲いに来るはずだから──」

ま、来なくてもボク達の方からシバき上げに行ったんだけどね、とツバキの言葉を補完したところで、カゲロウは眠くなったのだろう。彼は主の膝で、くぁと大きな欠伸を一つし──躰を丸めた。

『ジオン様、どうかツバキさんの仰る通りにして頂けませんでしょうか……!』

 ジオンの脳裡に、必死に言葉を紡ぐかつてのアラベラの姿が浮かび──、彼は一度目を伏せた。

 彼女が何故あそこまで必死だったのか。

 理由を知ったとしても、彼にはもう彼女を諫めるつもりはなかった。

 彼女は民を守護する天使として、してはならないことをした。その罪はもう償ったのだから。

「──後は知っての通りよ。カゲロウを囮にあの堕天使を燻り出し、そして仕留めた。──かくして破戒僧は討たれました。めでたしめでたしってところね」

 肩を竦め、茶化して言うツバキだが、その胸中は決して晴れやかなものではない。


『此度の事件解決、誠に感謝する──』

 屋敷を出る際、頭を下げたアラベラの父、フェルディナントの震える拳にツバキは気付いていた。

 今回の事件はフェルディナント本人ではなく、彼の娘が引き起こしたことではあるが、下級とはいえ名家である以上、減俸と領地縮小という罰がこれからの彼には待っているだろう。

──だが、その拳の震えが、そんな罰によるものなどではないことくらい、さすがに鈍いツバキでも理解していた。

『愛娘、だったのだ。貴君の対応が如何に正しいものだったのかは理解している。だが……儂の心にはどうしても、貴君に対する憎悪が渦巻いてしまっておるのだ……』

 ジオンが隊を召集している間、中庭でフェルディナントの護衛にあたっていたツバキは苦悩する彼に、掛ける言葉を何一つ見つけられず。

 ただただ、機械的に彼の護衛を続け、屋敷の警備兵がそれを引き継いでくれるのを待っただけだった。

「知らない……」

 ──私は、その時に取るべき行動の正解を知らない。

「分からない……」

──堕天した彼女が結局何処へ行き着いたのか、その父親である彼の憎悪はこれから何を生み出すのか、グライナー家がこれから周囲からどんな扱いを受けるのか。

「分からない、けど……」

──きっと、あの領主なら、立ち直るのではないか。

ツバキはぼんやりとそんなことを考えていた。

彼は己の中に渦巻く憎悪を認めながらも、娘を奪った憎き仇に頭を下げた。

それも、第三者の目がそこにあるならまだしも、ただ二人しかいない時にである。

「止まってない……。あの人はきっとまた、すぐ歩き始める……」

 そう己に言い聞かせ、ツバキは頭を横に振り、静かに思考を断ち切る。

「──考え込む必要はねえよ」

 己の耳朶を叩く低い声に、ツバキはその声の方──、窓の外を眺める銀髪の青年の横顔を僅かに驚きを込めて見遣った。

「もしかして、あの会話、聞いていたの?」

「さあな。けど、これだけは覚えとけ。アイツがこれからどうなろうが、それは決してテメェの所為なんかじゃねえ。……民の命を秤にかけるのは俺達兵士の悪いところなんだが、テメェは一人の犠牲で今回の事件を解決に導いた。癪だが、俺ならもっと多くの犠牲を払っていただろう。──だから、気にせず胸を張れ」

 ジオンが、ツバキとフェルディナントの会話している場に居合わせたのは本当に偶然としか言い様がない。

 兵の召集が済んだジオンは、屋敷の警備兵に己が見つけていた警備の盲点などを指導し、その後、フェルディナントに後を引き継ぐために中庭に向かい、──たまたまそこで聞いてしまっただけなのだ。

 その時は、何が憎悪だ、ふざけんな、とフェルディナントを一発ぶん殴ってやろうかと一瞬本気で考えた彼ではあるが、──結局彼はその場に立ち入ることはしなかった。

 公の立場であるジオンがその発言を聞いていた、となればフェルディナントの罪状は更に重くなるからである。

 グライナー家の家長としての立場、アラベラという一人娘を持つ父親としての立場。

 彼の心境は推し量るに余りある。

「ねえ、帰ったらビール一杯、奢ってくれたってバチは当たらないと思うんだけど」

 ツバキの声に、ジオンは「そうだな。ジュースならな」と返す。

「え、本当に!? じゃあ酒樽お願いしまーす」

「アホか! 一杯って言っただろが! しかもジュースだって言ってるだろが!」

「ええ、麦ジュース一杯よ。誰もジョッキの一杯とは言ってない、大量という意味での一杯の麦ジュースよ」

「ちっ……しゃあねえ」

 それくらいの働きは充分に果たしているのだ。ジオンは諦めてため息を吐く。

「ジュースと、ミートパイな」

「へ? 何でまたミートパイ……」

「俺の好物に決まってるからだろ」

 真か嘘か、どちらとも取れるジオンの顔に「ま、いっか」とツバキは頭を掻き、窓にへばりつく。

「あ、見えた刑務所!」

「誰が刑務所だ! 本部と言え、本部と!」

 本部に帰ったツバキは腕の治療を終えるが早いか、無理矢理ローザを引き連れて、それはもうがっつりとジオンにタカった。

 決して安くはない七天使の給料だが、ものの見事にその八割を一晩で胃袋に押し込められたジオンは、見かねたヴァイスに特別報奨という形で、その後補填を貰ったとか何とか。

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