6-3
夕食が終わり、解散となった一同はそれぞれの割り当てられた部屋へと休みに向かう。
ツバキも己に割り当てられた部屋へ入ると、ベッドに顔面からダイブした。
「あー、疲れた」
寝具はきちんと手入れされているらしく、ツバキは珍しく和んだ表情で枕に頬擦りし、
「基本的にマットレスは嫌いなのだけれど……煎餅布団と違って、こうして顔面から飛び込んでも痛くないことが唯一の取り柄よね」
──と、ぽつりと呟く。
そのまま三十秒も突っ伏していれば、薄い霧がやがて濃霧へと変わるように、徐々に強い眠気が彼女を襲う。──が。
「ツバキ、ツバキ、まだ七時だよ! 寝ないでシャワー浴びないと。あ、あと寝る前には着替えと歯磨きも! ローザがいないからって、サボっちゃダメなんだよ!」
己の後頭部を肉球でてしてしと叩きながら、宛ら幼い子を前にした母親のように口を酸っぱくするカゲロウに、睡眠の邪魔をされたツバキは少しだけ不機嫌になった。
「はいはい、言われなくても分かってますって」
後頭部を肉球で連打していたカゲロウは「ほんとかなぁ」と金眸を細め──、
「じゃあほら、早く起きよう? ほら、あっちの台に歯ブラシがあったのと、それからお風呂場にタオルがあったのとー、それとー……ん?」
尻尾でその場所を指しながら、ツバキへと備品の位置を伝え始めたカゲロウ。──と、彼は急にピコンと、跳ねた己の耳に嫌な予感を覚え──。
恐る恐る振り返った先では、己の主が──今の一瞬の間に寝息を立て始めていた。
「うわーん! ほら、言わんこっちゃないー!」
カゲロウはてしてしペチペチと猫パンチを白い頬へお見舞いするが、彼女が夢の世界から帰ってくる気配は見られない。
「いっつもコレだよ! ボクの言うことなんてちっとも聞きやしないんだからー! 助けてローザぁぁ!」
全く返事のない主に肉球パンチを繰り返しているうちに、満腹のカゲロウにも睡魔が襲って来たのだろう。
「うぅ……ボクだけでも、しっかり……しな──」
睡魔と必死に格闘するカゲロウだったが、四六時中寝るのが仕事であるような猫の姿を借りている彼が勝てるはずもなく。
ツバキの頬を肉球で叩いていた猫手がマットレスの上に垂れ、次いで本体までもがずり落ちるように、マットレスの上にポテリと落ちた──。
──それからどのくらい時間が過ぎたのだろう。勢いよく流れる水音にカゲロウはマットレスの上でパチッと目を覚ました。
いつの間にか眠ってしまっていたことに気付いた彼は、眠気を覚ますように大きく四肢を伸ばす。
「うぅん、ツバキぃ……?」
──記憶の最後で見たはずのベッドの上に、主はおらず。
カゲロウは目を細めながら、水音の方へと顔を向ける。──と、部屋の片隅にあるシャワー室からぼんやりとした灯りがガラス越しに漏れている。
オレンジ色のぼやけた光の中に浮かぶ黒い人影にカゲロウは「くぁ」と欠伸しながらボヤく。
「なんだ、ちゃんとシャワー浴びてるじゃん……」
ローザがいなければ絶対シャワーなどサボるものだとばかり思っていただけに、カゲロウは少し驚きつつも、躰でシャワー室の入り口を器用に押し開け──、
「あら、カゲロウ起きてたの?」
──濡れ鴉の髪から水滴を滴らせる主と目が合ったカゲロウ。
「今起きたんだよ。……うん、まあ服を着ているだけで及第点だね」
湯上がりホカホカでシャワー室から出てきたツバキは寝間着には着替えず、シャワー室の脱衣場で日中と同じ白服を身に付けていた。
「だってこの制服、着てないとうっかり忘れて帰りそうじゃない? そしたらまた買い直しになるもの」
「忘れないよ。普通はね」
猫の言葉に、ツバキは一度相棒を睨むと鼻を鳴らす。
「まあいいわ。あなたから来てくれたのなら、起こしに行く手間が省けたってものよ。じゃ、行くわよカゲロウ」
「へ?」
「はい、行きましょう──」
ツバキはポカンとしているカゲロウの尻尾を掴むと、有無を言わさず彼を連れたまま、己の影へと飛び込んだ──。
──別に影の世界が苦手なわけでも、嫌いなわけでもない。
だけど、心の準備というものが猫にだってある、と思うカゲロウ。
「ツバキぃ、なんでいつもそう急なのさ」
いきなり影潜りツアーに参加させられた、ニーニーと文句を垂れる黒猫に、
「急じゃないわ。ずっと考えてたもの」
──と、しれっと返すツバキ。
「考えてても、口に出して言ってくれないと、ボクにとっては急なコトだからね……」
ボヤきながら、カゲロウはその金眸で辺りをぐるりと見回す。
そこは天地がひっくり返った影の世界にある、彼女が今までいたシャワー室。
一人と一匹はシャワー室から出ると、そのままの足で、部屋の鍵を解錠して扉を開け、廊下へと出た。
「……だぁれもいないね、ツバキ」
カツカツと廊下を歩くも、すれ違う影はない。
それは、表の世界でも誰も廊下を歩いていないということを意味していた。
「そうね。でもまあこんな深夜に連続殺人が起こっている屋敷の、廊下をノコノコ歩く物好きもそうはいないと思うけど……」
「そだねえ、天使ならまだしも、一般人なら尚更怖くて歩かないだろうねー」
──などと与太話をしながら一人と一匹が辿り着いたのは屋敷の貯蔵庫。
その入り口には黒い人影が二つ浮かんでいる。
「見張り番は情報通り二人組、と」
影の世界から認識できるのは人影のみであるため、誰が立っているのかまでは分からないが、扉の前で直立しているところを見ると、まず見張り番であると見当をつけるのが妥当であろう。
「ではでは、ちょこっと失礼しまーす」
見張り番らしき者にその声が聞こえていないことをツバキは知りつつも、彼女はとりあえず彼らへ挨拶をしながら貯蔵庫の扉を開け、中へするりと忍び込んだ。
影の世界は彼女の世界。卓越した影法師にのみ見ることを許された、現実を映す水鏡。
そこから表の世界へは直接的な干渉こそはできないものの、一旦潜航してしまえば、表の世界から影の世界は視認が不可能であるため、誰にも気付かれることなく、安全に情報収集ができるのだ。
だが、影の世界はあくまでも影。表の世界に隷属するそれは、水面の虚像と同じようなもので。
主たる世界が表の世界である以上、例えば表の世界で誰かが扉を開ければ、影の世界のその扉も開くこととなる。──のだが、逆に彼女が影の世界で鍵や扉を開けるなどの行動を取った場合は、主たる世界である表の扉には何の変化も起きないのだ。
主たる世界が表の世界である以上、彼女が影の世界で取ったその『表の世界との辻褄の合わぬ分岐』は影法師の法力でなんとか保たれているのもであり、彼女が分岐の保持に法力を割くことを止めた時には、その分岐は速やかに表の世界と同じ状態へと修復されてしまう。
まあ、そんな表の世界に従属する世界だからこそ、表の世界との『相違点』でありながらも、法力の助けなく其処に存在する『影蟲』と『翳形草』は特殊な存在であるのだが、ツバキにしてみれば「そんな変則種も存在するのでしょう」で片付けられるほどの差異でしかないらしい。
──貯蔵庫に潜入したツバキは、辺りを一度ぐるりと見渡し、何者の人影も貯蔵庫の中には浮かんでいないことを確認する。
「ねえねえ、ツバキぃ」
「何かしら」
黒い猫手で制服の裾をつつく相棒に、ツバキはそちらを見下ろしながら首を傾げた。
「こうやって待ってたら、犯人がいるなら絶対に影が歩いてくるわけじゃん?」
「ええ、そうよ」
「……じゃあお昼の聞き取りとかさ、聞き取りとかさ、いらないじゃん!」
待っていればいいだけなのに、とヒゲを靡かせるカゲロウ。
「カゲロウ。もし、これで犯人が現れなかったら、私達は第二、第三の手を講じなくてはならないの。だから念入りに調査するに越したことはない。……『あの人』の言葉、忘れたの?」
「わ、忘れてなんかないよ。忘れてなんかないよ! ──久々に聞いたな、とは思うけど」
少しだけ何かを懐かしむように金眸を細め──、すぐにカゲロウはそんな己の記憶を掻き消すようにピシリと尾で床を打ち据えた。
そうして僅かな灯りすらない貯蔵庫にて、犯人の人影が現れるのを、ただひたすら待つこと数時間。
いよいよ犯人が現れるのか不安になった頃、ツバキはこのまま張り込みを続行するべきかを判断すべく、木箱の上で毛繕いをしていたカゲロウに指示を出す。
「カゲロウ、ちょっとそこら辺の部屋で時計を見てきてくれるかしら?」
「時計?」
「ええ。体感的にもう結構待っている気はするのだけれど……、所詮は体感でしかないもの。実際の時間がやっぱり気になるじゃない?」
「それもそだねー。じゃあちょっと見てくるね、見てくるね!」
伸びをしながら木箱から立ち上がったカゲロウを扉の外まで見送るべく、貯蔵庫の出入口の扉を開け──ツバキは眼光を鋭くした。
扉の外には、いつ現れたのだろうか、先程まで二人しかいなかったはずの人影が一人増え、三人になっていたのだ。
「ツバキ人影が!」
カゲロウが咄嗟に声を上げる。
──が、ツバキは瞬時に思考を走らせ「ああ」と納得したようにその警戒を解いた。
「カゲロウ、この三人目の人影は猪男の可能性が高いわ。時計と、ついでに猪男の部屋も覗いてちょうだい。あいつに宛がわれた部屋に人影がなければまずこの人影は猪男確定でいいと思うわ」
ツバキの言葉に、黒猫は「なーんだ」と逆立てていた背中の毛を落ち着かせると、主の指示に従うべく走り去って行った。
「なんだかんだ言ってても、本当に真面目ねぇ……この猪男も」
手持ちぶさたなツバキは三体の人影の傍に屈み込むと、暫定ジオンの影にそうボヤく。
「仕事とはいえ、まだ何の手掛かりもないというのにまあ、こんな夜更けによく働くものだわ……。あーあ、真面目すぎて反吐が出そう」
真面目真面目、とボヤくその言葉は今まさにその現場に出くわしている彼女にも言えることなのだが、彼女にはその自覚はないようだ。
「ねえ猪男。犯人の動機はなんだと思う? そのお隣の見張り番達は無関係だと思う? 家長が本当に潔白かさえ、私にはまだ判らないけど。……その脳筋頭は何か掴めたのかしら?」
ジオンらしき影の傍ら──近くて遠い、声が届くはずもない彼の、すぐ隣に屈んだツバキは虚空を見上げながら問う。
「それだけじゃないわ。犠牲者は死んでから連れて来られたのだと思う? ここまで連行されてから殺されたのだと思う?」
半ば独白に近いその問いが段々と煩わしくなってきたのだろう、ツバキは「あーあ」と大きく息を吐き出すと、屈んだ膝に肘をのせるようにして頬杖をついた。
「せめてあなた達が何話しているのか分かれば、まだ暇も潰せるってものなのに……」
ツバキは恨めしげに三つの人影を眺める。
表の世界の物音が殆ど聞こえない影の世界は、ほぼ常に静寂が揺蕩っているのだ。
静寂を破るものがあるとすれば、それは彼女のように、影の世界で音を発する者がいる場合と、後は──、
「コツコツ煩いわよ……」
ツバキは見張り番が槍の柄を廊下の床板へと当てる音に苦情を申し立てる。
「物音が基本しないだけに、急な音は結構心臓に悪いんだから」
──そう、影の世界で唯一の例外として、表の世界から聞こえる音。それは影の世界との境ともなっている、地から上がる音。
それは今まさに見張り番の立てた、槍の柄を地へと打ち付ける音であったり、それこそ足音などであったり、野外ならば雨が地を叩く音であったり、であろうか。
しばらくして、タタタと小走りで戻ってきた黒猫は「ビンゴだったよ!」と人影の傍らに屈む主へと尻尾をピンと立てて見せる。
「ツバキの言った通り、あいつの部屋はマヌケの殻だったよ」
「それを言うならもぬけの殻、ね。……でもこれで確信が取れたわ。この増えた影はあの猪男。ならば、猪男が何かしらの行動を起こしていない時点で、残った二つの影は見張り番確定……といったところかしら」
で? とカゲロウをに続きを促すツバキ。
「あ、時間もだったね。 えっとねー、時間は午前三時前だったよ」
「そう。草木も眠る丑三つ時……ね。カゲロウ、ご苦労だったわね」
ツバキは労うように、白磁の指でカゲロウの喉を掻く。
主の指にゴロゴロと喉を鳴らすその姿は、悪魔だと知らない者から見れば本当にただの猫でしかないだろう。
「……後一時間は張り込むとして、このまま今晩、誰も現れなければ、犯人は猪男が泊まっているのを警戒している可能性が──」
次の作戦を考えながらツバキは貯蔵庫の中へと戻るべく、その出入り口の扉を再び開けた──瞬間、ボンと、何か湿ったような、何か適度に柔らかいものを地に叩きつけたような奇妙な音が周囲に響いた。
「──!!」
「ん? なにコレ?」
湿音とともに急に貯蔵庫の内部に現れた、掌よりもやや大きめな丸っこい影に、カゲロウは首を傾げ──、ツバキは今回の待ち伏せが失敗だったことを一瞬で理解する。
「カゲロウ! 急いで部屋に戻るわよ! 犠牲者が出たわ!」
「うえええっ!?」
影を往き来する瞬間は全くの無防備になってしまうツバキは、犯人が恐らく其処にいるであろう現状を鑑みると、今この場での表の世界への転移は危険すぎると判断したのだろう。彼女は急ぎ、自室へと帰還するべく走り始めた。
「ふざけないでよ……これ、殺人なんて生易しいものじゃないわよ……!」
「殺人じゃないの? 殺人じゃないの?」
苛立ち紛れに呟く彼女の声に、並走していた黒猫が疑問の声を上げる。
「立派な殺人よ! ただ、想定の斜め三十二度上だったってだけ!」
「なんか、軸合わせしづらそうな、ビミョーな角度だね……」
「呑気なこと言ってる場合じゃないわよ! ああもう!」
ツバキは長い廊下を駆けながら、己の予想が甘かったことに、ただ歯噛みするしかなかった──。
「猪男ッ!」
気迫迫った表情で廊下の奥から駆けてくるツバキの姿に、貯蔵庫の壁に背を持たせかけていたジオンは、
「なんだ、テメェまだ寝てなかったのか?」
──と、呆れた様子でそちらを見やる。
本部でもツバキと夜間に鉢合わせすることの多々あるジオンは「夜更かしも大概にしろ」と言わんばかりの表情である。が──、己の前で立ち止まったツバキが肩で息をしていることに気付き、首を傾げた。
「……なんだ、えらく息切らしてるな?」
「うっさいわよこの猪! あと猪!」
開口一番、喧嘩をふっ掛けるかのような謎の暴言を吐くツバキにも、ジオンは「ああ、そーかい」と生返事をするばかりだ。
「若くて元気なのは結構だけどな、とっとと部屋帰って寝やがれ。テメェのそのバカ騒ぎに付き合ってられるほどの元気は俺にはねえの」
くぁ、と大欠伸をするジオンにツバキは「こんのおじいちゃんが……!」と中途半端な唸り声を上げながら、握りしめた拳を震わせる。
「あのねえ、また犠牲者が出たのだけど……!?」
ツバキの言葉に、ジオンと見張り番は胡乱気な表情で顔を見合せた。
彼らのその反応も無理からぬことだろう。
何故ならずっと彼らはここで見張りをしていたのだから。
「テメェなぁ……冗談は時と場合を選べ。言ったろが──」
ジオンは「こちとら眠いんでぃ」と続け、半眼でツバキを睨む。が──、
「……見張り番。鍵を貸して。いや、貸しなさい」
──至って真剣な表情のツバキに、ジオンは何かを感じ取ったのだろう。
彼の表情から一切の眠気が一瞬にして消え去った。
「……悪りぃ、馬鹿馬鹿しい気持ちは分かるが、鍵を貸してやってくんねぇか?」
「ええっ!? そんな、ジオン様まで!?」
見張り番は互いに顔を見合せるも、時の竜騎兵の、それも七天使であるジオンの言葉を無下にするわけにもいかないのだろう。見張り番の内の一人が不承不承ながらに、それはもう渋々と鍵をツバキへ手渡す。
普段であればそんな見張り番の態度に対して、文句の一つくらいはくれてやらないと気が済まない彼女であるが、同時に、今最優先でしなければならないことをなおざりにしてまで、そこに固執する彼女でもない。
見張り番の男の手から貯蔵庫の鍵を引ったくるように取ったツバキは、貯蔵庫の扉の前へと足早に歩み寄り──カチリと扉の鍵を解錠した。
「……見張り番。あなた達は扉の正面から離れなさい」
何があるか分からないから、と見張りの男達を扉から遠ざけさせ、両開き扉のハンドルへと手を掛けたツバキだったが──、
「テメェもな」
「へ? ちょ、猪男、放しなさい!」
背後から親猫が仔猫の首を咥えるように、襟首をジオンに片手で掴まれたツバキは、ぽいっと扉の脇に放るように投げられる。
「な……なにするのよ!」
「何、じゃねえだろ」
──と、ジオンは己の掌に緋色の火球を一つ浮かべた。
「テメェは夜目が利くかもしれねえが、俺達は火がねえと中が見えねぇんだよ。なら最初から俺が火を焚いてりゃあ夜目とか関係なく全員中が見えるだろ。──ま、俺くらい火の扱いに長けていれば短時間なら油なんぞに引火はさせねえから安心しな」
それは他でもない、彼女を少しでも危険な目に合わせまいとする彼なりの優しさで。
見張り番の二人の男はそんなジオンの姿に、互いに顔を見合わせながら「うっわ、イケメン!」だの「分かりやすいなあ」だのとコソコソ言い合っているが──、残念ながらツバキにはその優しさは通じなかった。
「ちょっと、どきなさいよ! 私が開けるの!」
ジオンと扉の間になんとかその身を捩じ込もうとするツバキを、見張り番達は「鈍すぎでしょアンタ!」やら「一周周って天才的な鈍さですな!」やらと好き放題言いながら、無理矢理後方へと引っ張って行く。
ずるずると引き摺られていくツバキを尻目に、ジオンはゆっくりと扉を開き──、
「オイ、バカ女。これをどこでどう知った──」
貯蔵庫の床から己を虚ろな瞳で見上げている、首だけとなった犠牲者の女性の姿にジオンは低く、乾いた声をツバキへと向けた──。
「ジオン様!」
新たな犠牲者が出た、という話はすぐに屋敷中に広まり、にわかに屋敷は騒がしくなった。
悲痛な面持ちで己の許へと駆けてくるアラベラにジオンは「すまねえ」と苦々し気に告げる。
「いいえ、ジオン様は悪くありません! 全ては彼女をこんな目に遭わせた犯人が悪いのです!」
ジオンを勇気づけるように気丈に振る舞うアラベラは、
「ああ、ツバキさんもこちらにおられたのですね! 本当に良かった……!」
ジオンの横に立つツバキの姿に、心底安心した、というように胸を撫で下ろす。
「それにしてもツバキさん、どちらに行かれていたのですか? 女性だから仕方なく三階のお部屋を宛がったのですが、やはり不安だろうと思って。一度様子を見に行ったのですが、お部屋におられないものですから本当に心配したのですよ?」
恐らくツバキが影の世界で散策をしている間に、彼女は部屋まで様子を見に来たらしい。
──が、ツバキはそれには答えることなく、ただ目を見開き、一点を見つめていた。
その視線の先を追い、アラベラは鼻の頭に皺を寄せる。
「本当に惨い……!」
彼女の視線の先にあるもの──それは、白い布を掛けられ、中身こそは見えないが、今夜の犠牲者となった女性の使用人の首。
無言でそれを見つめるツバキの背を、ポンと軽く叩いたのはジオンだった。
「悪かったな。先に気付いてやれなくて……」
どうやら彼は使用人の女性の変わり果てた姿に、ツバキがショックを受けていると取ったらしい。
「今回の件については充分にテメェの手柄──」「──うるさいうるさいうるさいッッ!」
労いの言葉をかけようとしたジオンの声を、癇癪を起こしたかのように遮るツバキ。
「変な慰め言ってる暇があれば、とっとと泣き寝入りしていなさいよこの猪男! んで、そのまま起きて来なければいいわ! 犯人は明日──、明日絶ッッ対に、私がとっ捕まえてやるんだから!」
私ももう寝る! と言い切るが早いか、くるりと踵を返すツバキの背に、アラベラの声がかかる。
「ツバキさん、今晩はゆっくり休まれて下さいね。新たな犠牲となった彼女のためにも……明日は何としても犯人を捕まえましょう……!」
ギリ、と掌を握りしめるアラベラに、ツバキは一度振り返り──。
「二度の失敗はない。明日──、私が絶対に犯人を捕まえてみせる」
ツバキはそれだけをアラベラへと告げると、靴音を響かせながら去っていった。
そんな彼女の、揺れる濡れ鴉の背を見送るアラベラの表情はとても頼もしげなものだった──。