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六 初任務へ
「さすがは時の竜騎兵、といったところね」
チェス騒動から一週間。
白服姿のツバキは、ぽかぽかと暖かな陽光の下、時計塔の頂上で唇を噛んでいた。
その腕にはカラスが一羽、爪を食い込ませるようにして止まっている。
「疑っていたわけではないけど、そこまで抜けがないとも思ってなかったわ……」
「んー、ボクも驚き」
カラスはどうやらカゲロウが化けているようだ。
ツバキはここ一週間、毎日のように鳥に変化させたカゲロウをあちこちに派遣し、アスタロトの行方を探っているのだが、派遣した先々でカゲロウが入手してくる情報は、既に時の竜騎兵が握っている情報と似たり寄ったりで、いかに組織がきっちり機能しているかを見せつけられるにとどまっていた。
「カゲロウ、あなたはアスタロトのこと、どう見ているの?」
「んー、悪魔も個体差があるからね。特にアスタロトはあれでいて、慎重なところがあるからなぁ……」
どこかでひっそりと傷を癒したり、その大公爵の地位を利用して、悪魔の国から四十の軍団を呼び出したりしてるんじゃないかな? と嘴を鳴らすカゲロウ。
「んー、やっぱり壁の中で探すには限界があるわね」
「そうだねぇ。壁外にアスタロト探しに行っちゃう?」
「そうねぇ、待つのには飽いたわね。……そういえば、悪夢の王国だけど、壁の外の、どこにあるの?」
「んー、教えられない!」
ツバキの問いに、羽で器用にびしっとバツを作るカゲロウ。
「なによ、カゲロウ。今更、悪魔側につくの?」
「違うよ! 冗談でもやめてよ! ボクは王国出身だけど、王国の場所は知らないの! というかそんなの知ってたとしても教えないよ! 教えた日にはどこかの誰かさんは後先考えずに突貫するじゃん」
「失礼ね。先の事は考えているわ」
「じゃあ後のことは?」
「考えてない」
ばーかばーか、とうるさい嘴を引っ掴み、ツバキはカラスをぶらん、とぶら下げた。
「はっへ、ほんほーのほとひゃん!」
くぐもった声で何かを言いながら、激しく翼をばたつかせるカゲロウ。
だがツバキは全く気にした風もなく、それはもう無造作に、嘴を握った手を大きく振りかぶり──、
「うわああああん!」
カラスを地上へ向けてぶん投げた。
時計塔の頂上から投げ出されたそれは、切り揉みしながら落下し、地面寸での所で何とか態勢を立て直す。
「わーん! ツバキのばーかばーか、後ばーか!」
一気に飛翔し、遥か上空を旋回しながら喚くカラスに、ツバキが吠える。
「あなたが悪いんじゃない!」
「ボク悪くないもん!」
「そーですか。じゃあ私が悪かったのね!」
「えっと、ボクが悪かったよ、うん」
「……どっちなのよ」
カゲロウは、ばさりと時計塔屋上の転落防止用の欄干に止まり、漆黒の羽を畳んだ。
「悪魔の王国はルシファーの側近、ルキフュージェが護ってるんだ。ルキフュージェはボクの上司でもあったんだけど……なんというか、ツバキと同じくらい傍若無人だったよ」
「なるほど? 優しい上司でよかったじゃない。……というか、あなた、王のくせに上司がいるの?」
「まあ序列が人間とは違うからね。王なんてただの役職みたいなものだから、わんさかいるよ。実質トップはルシファーだしね」
「へえ……そんなものなのね」
どうやら悪魔は、階級も人間の感覚とは少し違うらしい。
「でね、そのルキフュージェが、ルシファーの命令で王国を隠しちゃったんだよねぇ。隠された先は裏切り者のボクは知る術がないから、悪魔の王国は存在すると分かってはいるけど、どこにあるのかはもう分からないってわけ」
カゲロウの言葉に、ツバキは深いため息を吐く。
「ってことは何。アスタロトが王国で傷を癒して軍団を集めて、万全の状態になって出てくるのを待つしかないの?」
カゲロウの言葉通り、アスタロトが慎重な性格だとするならば、恐らくそれは間違いないことだろう。
ツバキが苦虫を噛み潰したような顔をしていると、カゲロウが「意外とそうでもないかもよ?」と首を傾げた。
「ルキフュージェがルシファーに側近を任されたのは、他でもない、バカみたいに公平で、あらゆる欲望が薄いからなんだ」
「それ、悪魔なの……?」
欲望薄く、公平な悪魔とは。
理解に苦しむツバキに、カゲロウは「悪魔の中の悪魔だよ」と遠い目をする。
「例えば、乾坤一擲の博打で大勝ちした富める者と、日々慎ましく、蓄えを少しずつ切り崩しながら生き、病気を煩った貧者がいたとするよ?」
「ん?」
「この場合、ルキフュージェは、例え貧者が飢え死のうが、富の分配を一切行わないんだ」
カゲロウの譬え話に、ツバキはふと、藍色の艷髪を持つ青年を思い出す。
“ラファエル”の天号を持つ彼がもしこの話を聞いていたら、悲痛な顔をするか怒るか、果たしてどちらなのだろうか、となんとはなしに考えるツバキ。
「何故なら、公平だからね。博打だって負ければ素寒貧になる。そのリスクを背負った上で得た利益ならば、ルキフュージェは取り上げようとはしないんだ。……貧者にもチャンスはあったわけだからね」
「……それは、そう……」
確かにそういう見方もあるのかもしれない。と、ツバキはモヤつく思考を、かぶりを振って振り払う。
「そういう悪魔なんだよ、ルキフュージェは。だからここにも攻めて来ないんだ。こちらだけが相手の国を知らないのは公平じゃないからね」
カゲロウは一人、否、一羽頷きながら「だからね」と続ける。
「アスタロトは既にこちらに危害を加えたんだ。ならば、ルキフュージェはアスタロトだけが、こちらから手を出せない空間で力を蓄えることを良しとはしないはず。例え王国に逃げ帰っていたとしても、アスタロトはすぐに王国を蹴り出されているはずだよ」
「なるほど。……つまり今頃、壁外の何処か。此方からも手が届く場所で、バレないようにせっせと力を蓄えている、と?」
「うん。……まあ多分、だけどね」
やはり確証はないのだろう。少しだけ小声になるカゲロウ。
「……ま、どちらにせよ探しに行くしかない、か」
力を蓄えられてからでは余計な被害を生みかねないのだ。
彼の悪魔が回復する前に、早急に叩いた方が良いだろう。
ツバキはカゲロウを肩に止まらせると、時計塔の階段を駆け下りた。
「ん?」
時計塔から本部や修練場、宿舎を繋いでいる中庭がやたらと騒がしい。
走り回る兵士の一人がツバキに気付き、足早に近付いてきた。
「ここにいたのですか! ジオン様が探しておられましたよ」
「猪男が?」
ツバキの言葉に、その男性兵士は苦笑した。
「はは……あなたくらいのものですよ。我が隊の主をそのように呼ぶのは」
「そうなの? で、猪男は私に何の用があるのかしら?」
「えーとですね、まずは──」
「いえ、待って。あなた見るからに話長そうね。いいわ、直接猪男に聞くから」
「え、ええっ!」
ツバキは兵士の話を遮るとカゲロウを飛ばした。
カゲロウはツバキの要望をしっかり理解しているようで、
「んーとね、正面門扉の前にいるみたい」
何が、とも言わずに上空を旋回しつつツバキに情報を寄越す。
「そ、じゃあね」
完全に置いてきぼりを食らった兵士は目を点にしてその背を見送るしかなかった。
「猪男!」
ツバキの声に、ジオンが不機嫌そうに振り返る。
そこにはもう見慣れてきた白服の少女と、その肩口に止まっている猫への変化途中のカラスの姿。
「テメェは開口一番から喧嘩売ってんのか? ……まあいい、今回呼んだのは他でもない、任務だからだ。ほら行くぞ」
ジオンの声にツバキは「んー」と顎に手を当て何やら考え始めた。
「オイ、悪魔猫。翻訳してくれ」
「えーとね、大方「えー、これから壁外行く予定だったのになー、やだなー」ってとこかな」
ジオンは頭痛がするのか、額を押さえながらため息を吐いた。
「テメエなあ。壁外壁外って簡単に言うが、本来は時の竜騎兵の許可が無ければ壁外には出られないんだぞ……。ニクス、とりあえず団長に連絡しておいてくれ。仰せの通りにこの馬鹿も連れ出します、ってな」
傍らでふわふわと飛んでいたニクスはヴァイスの連れている仲間へと連絡を送り終えると、ジオンを見つめ、頷いた。
「よし、ご苦労。んじゃ行くぞ。ぼさっとしてんじゃねえ!」
「やだなあ……他でもないあなたとだけは行きたくないなー」
「るせえ! それはコッチだって同じ気持ちだ!」
ジオンは埒があかないと踏んだのだろう。動く気のないツバキを近くの馬車の中に突き飛ばした。
命に関わるワケでもない、と受け身を取る気もないツバキは後頭部から危険な音を立てながら馬車の中へと消える。
一瞬だけ顔を引き攣らせたジオンは馬車を覗き、ぼへっと天井を見上げているツバキの姿に苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
「テメェほんと、何なんだ……?」
答える気のない置物娘を踏まないようにジオンは馬車に乗り込み、隊を出発させた。




