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影法師 時の竜と黒き巫女リメイク中  作者: 壱戸 利希
神具女の里と籠目の少女
15/42

4-2

其処はドレストボルンより遥か東方。ドレストボルンからしてみれば、魔物の湧く壁の外。福音の壁から遠く離れた、神具女山(かごめさん)と呼ばれる山の奥。

そこにはかつて、住んでいる者以外は誰もその存在を知らない、密教集団の里があった。

 遥か昔より神具女山は魔物の類いが生まれる山であるとされていた為に、ドレストボルンに住まう者は皆、恐れをなして代々その山の名すら、口に出そうとしなかった為、やがて人々の記憶からも薄れ、風化し消えていった山である。

 だが、その忘れ去られた山にある小さな里では、僅かではあるが、確かに人々が暮らしていた。

人と魔物を隔てる壁もなく、魔物による危険と常に隣り合わせのその里には、犇めく魔物の脅威に耐え()るだけの力、──魔物退治に特化した生業の者達が存在し、そんな彼らの生業に付いた呼び名こそが──『影法師』である。

影を操るという人の身には過ぎた能力を扱わなくてはならないことから、その域に達せる者は非常に少なく、たとえ影法師となれたとしても、山奥で何年も修行を積んだ法師ですら、一歩間違えると命を落とすという危険極まりない職である故に、影法師となった者の生涯は大抵短く、またその最期は魔物の餌食になる者が大半を占めるという因果なものであった。

そんな理由から、成り手の少ない影法師ではあるが、神具女の里には飛び抜けて強力な影法師を代々輩出している家があり、そんな偉業を長きにわたり成し得ているのは、里を仕切る二つの名家。

 夜間に活動することの多い職であることと、その輩出する法師の能力の高さとが相まって、夜明けの番人との異名を持つこととなった、その二大名家の一つ、御鶴木(みつるぎ)家の当主であり、影法師でもある御鶴木宗達(みつるぎそうたつ)は、かつての『ある日』、文机を前に頭を抱えていた。

 代々、突出した影法師を輩出してきた御鶴木家だが、彼の代まで先祖代々ずっと守り続けてきた御鶴木家は彼の代で、存続の危機に陥っていたのだ。

 宗達が跡継ぎの男児に恵まれなかったわけではない。宗達は若くして病で他界した妻──御鶴木菘(みつるぎすずな)との間に、三人の男児と末に一人の女児をもうけている。のだが──。

 産まれた長男は、幼き頃より穏和で聡明でもあったが、常に布団から出ることが叶わないほどに病弱だった。

 山野を駆け回り、魔物を打ち祓うのが仕事の影法師になるなど、身体の弱い彼には夢のまた夢だろう。

 宗達は長男に家督を継がせるのを諦め、次男に影法師としての教育を叩き込むが、次男は星巡り悪く、影法師としての初任務に赴いた際に、熟練の影法師でも手を焼くほどの強靭な魔物に襲われ、あえなく命を落とした。

 三男は、己の力量を陶酔のごとく過信しており、鍛練を好まず、脆弱な精神で手に余る力を求めようとし、──結果として迎えることとなったその最期は、異形へと変貌した自身の影に肉体も自我も飲み込まれてしまうという無惨なものだった。

 宗達は血を分けた息子達の死を嘆くよりも、後継者をどうするか、家をどうやって存続させるか。その一点のみに気を割く毎日を過ごすばかりで──。



「やはりこうするしか……いやいや、やはりこれは罷り成らぬ……」

 その日も変わることなく、どうしたものかと唸りながら文机に向かう宗達の背に転がる毬が、てん、と当たった。

 寒い、雪の舞う真冬の日、暖を取ることすら忘れ、紙面を睨んでいた宗達は毬を当てた者を苛立ちを隠そうともせず振り返り、怒鳴る。

「また貴様か椿! 貴様という奴はどれだけ儂を苛立たせれば気が済むのだ!」

 怒鳴られた少女──椿は一瞬身を硬くするも、すぐに「叱られるのは分かっていた」とでも言うように、睫毛を伏せ、転がっていった毬を拾い上げると、磨き抜かれた板の間を後にした。

「別に……」

 ──そう、別に遊んで欲しかったわけではない。構って欲しかったわけでもない。ただ勝手に毬が転がっていっただけだ。

椿はそう自分に言い聞かせ、ただっ広い廊下を抜ける。

 宗達は末娘の消えた方角をぎらつく眼でしばらく睨んでいたが、やがて大きく嘆息しながら文机へと視線を戻す。

「何故だ、何故なのだ……」

 ──何故よりによって残ったのが娘なのか。

宗達は独り、文机に向かいながらそう嘆く。

 普通に物事を考えることさえ出来たのならば、戦闘に出ることのない椿がそこに残るのは当然だと分かるものなのだが、家の存続という重責に追い込まれていた宗達は、そこに行き当たる柔軟な思考を持っていなかった。

 今年で齢、十になるというのに、未だに毬をついている椿の存在は宗達にとって、目の上のたんこぶでしかなく。

 実際のところは、椿は常々遊んでいるわけではなく、彼女は里の巫女として、己のほとんどの時間を日頃から里の者のために裂き、全力で彼らに尽くしているのだが、宗達にとっては、御鶴木という存在は影法師でなくてはならないものだった。

 いくら椿が巫女として里に心を砕こうが、その努力は宗達には何の価値もないモノで。

「ぐ……うっ……」

 胡座を掻き、走る頭痛にこめかみを押さえる宗達。

 ──と、そこに現れたのは、精神をすり減らす彼を(おもんぱか)り温かな茶を運んできた家老、設楽(したら)だった。

「のう、設楽や……」

 宗達に名を呼ばれた設楽は「どうかされましたかな、宗達様」と冷えきった彼の肩に、労るように羽織をかけ、文机の横へと盆に載せた茶を置く。

「もしも、もしもの話だ……。禁術にて、我が息子、(しゅう)が蘇るならば──」

 極限まで追い詰められているのであろう宗達の声に、設楽は一瞬言葉に詰まるも、彼はすぐに嗄れた声で、ぽつぽつと次男──柊の記憶を語る。

「忘れもしませぬ。柊様は活達で、確かにあのような痛ましい事案さえなければ、今頃優秀な影法師となれていたでしょうなぁ。──ですが、宗達様、禁術を使えど、柊様が戻ってこられるとは限りませぬ上、禁術を行使するには相応の代償も──」

「──ああ、わかっておるとも、設楽よ。だがな、術の素材は……素材ならあるのだ。儂と妻である菘の血を引き継ぐ、生きた心臓。そして柊の記憶が残されている(はこ)も……」

 宗達の言葉に、設楽はすぐに彼の真意を読み取り、首を強く横に振った。

「なりませぬ! それはなりませぬ宗達様! もしそのようなことをすれば、菘様がどんなに悲しまれるか……!」

「わかっておる。わかってはおるのだ設楽よ。もしも、という話だ……」

疲れたように、そして己に言い聞かせるように呟く宗達。

設楽は盆に置いた湯呑みをコトリと文机へと上げ、滑らせるようにして彼に差し出した。

「宗達様、さぞお疲れなのでございましょう。一度、ゆっくりと身をお休め下され」

その差し出された湯呑みの茶を啜り、少しだけ落ち着いたのだろう宗達は、

「……ああ、そうかもしれんな。少しだけ、休むとしよう」

 家老の言葉に素直に頷きつつ、ゆっくりと立ち上がる。

「設楽よ。半刻ほどしたら儂を起こせ。まだまだやらねばならぬことが山積みなのだ──」

 そう家老へと言い残し、襖の奧へと去り行く彼の目には、決して消えることのない、亡執のような、ねばつく光が宿っていた。



 宗達が床に就くのとほぼ時を同じくして、椿はだだっ広い広間を幾つも抜け、長兄の部屋を訪ない、床に伏す兄を見舞っていた。

「一兄様、お加減のほどは如何でしょうか」

 作り物めいた微笑みをその顔に貼り付けながら、社交辞令のように淡々と語りかけてくる妹、椿の姿に、長兄──木蓮(もくれん)は病身に鞭打ち、布団からその身を起こす。

「うん、今日は少しだけ調子が良い、かな」

 妹へとそう返しながらも、木蓮のその心の裡は、やるせなさと虚しさで飽和していた。

理由は至って簡単。数少ない肉親であるはずの、妹のその微笑みが心底のものではないと気付いているから。

だが彼は同時に、仕方がない、と諦めてもいた。

 何故なら、そこには兄妹間の絆や情など、相通ずるものが一切が無いのだから。

 歪み軋む、不安定な家族しか持てなかった椿は影法師になれぬ兄のことを何とも思ってはおらず、というよりは、血の繋がりに全く重きを置いていない、というべきだろう。彼女にとって、兄はただの里の民と同じ『一個人』に過ぎなかった。

「本当にそれだけなら良かったのに……」

木蓮は椿に聞こえない程度にそう呟く。

 ──そうだ。ただの一個人、として離れていれば互いにどれだけ楽であったことか。

「なのに……」

木蓮は目を伏せながら俯いた。

残念ながら一個人、と割り切るには、兄には肉親という枷が、巫女たる妹は里人の模範たり得るよう、在ろうとしていたが故に”理想の妹”という模範の責務が生じてしまっていた。

互いに通じぬ心のまま、妹は毎日、機械仕掛けの人形のように“理想の妹”として彼の許へと通いつめる。

その日とて例外ではなく──。

 椿は淡々と、身を起こした兄に衣をかけ(入ってきた襖は全開)、蜜柑の皮を剥き(湯飲みは空っぽ)、その身を案じる(ふりをする)。

 全てが中途半端なのは、心が籠っていないだけに、細かな所に気が付かないからだ。

木蓮もそう理解した上で、何も指摘することはなく。

「椿、御影様への奉納の舞は──」

「滞りなく来月の頭、御影祭りにて披露致します」

「そうか。見に行けないのは残念だが──」

「必要ありません。愚行はお控え下さい。お体に障ります故」

 それは、およそ兄妹らしい会話ではなく。

 沈黙が降りたのを、質問がなくなったと取ったのだろう。椿は「では」と立ち上がり、襖の外へと振り返ることなく消えていった。

 部屋に独り残された兄は、ふいに顔を上げ、天井を眺める。

 華やかな絵が描かれた天井から、影の鬼が彼を見下ろしていた。

 それは実際に鬼がいるわけではなく──、

「御影様……」

 里の者にそう呼ばれる鬼の絵だった。

 村の伝承をそのまま絵におこした、魔物を喰らう鬼の描かれた天井は、華やかながらもおぞましいもので。

 木蓮はふらつきながら立ち上がると、文机に置いてあった、ぼろぼろの絵本を手に取る。

 それは既にこの世にいない次男、柊が幼い頃に「絶対に影法師になってやるんだ!」と目を輝かせながら、何度も何度も読み耽っていた、彼の形見だった。

 布団に戻った木蓮は独り、痩せた指でパラリ、とページをめくる。


 ──昔々、切り立った崖の上に、崖の民が住んでいました。

 心優しい崖の民は、ある日、里の外で倒れていた壁の民人を連れ帰り、快く手当てをしてあげました。

 崖の民に救われた壁の民人は、日に日に元気になっていきました。

 そうしてある日、元気になった壁の民人は、自分の街へと帰ることにしました。

 崖の民は、壁の民人が故郷へ帰る道中で困らないよう、食べ物を分け、灯りを分け、護衛をつかせ、土産を持たせました。

 そうして壁の民人が去り、護衛が戻り、何事もなかったかのように数日が経ったある日のことでした。大勢の壁の民が、武器を構えて崖の里にやってきたのです。

 故郷に無事帰り着いた壁の民人は、壁の外にありながら、魔物と共存している崖の民が恐ろしくなり、壁の民達が信仰する神様に、崖の民のことを話したのです。

 その民人の話しを聞いた神様は、壁の民に七人の天使を筆頭とした天使達を遣わせました。

 その天使達は、神様から、崖の民の皆殺しを命じられていたのです。

 壁の民は、天使に導かれ、崖の民が住まう里を襲いました。

 けれど、崖の民は戦いませんでした。

 わたし達は、一度もあなた達に危害を加えたことはない、と言いました。

 けれど、天使は聞く耳を持ちませんでした。

 逃げ惑う崖の民を、ひとり、またひとりと壁の民は殺していきました。

 抵抗しない者も、苫やで寝息を立てる赤子も、みんなみんな殺していったのです。

 最後に生き残った崖の民はたったの四人しかいませんでした。

 その四人が翼のある天使から逃げ切るには、彼ら天使達にとっても敵である、魔物の生まれるとされる、禁忌の山に入るしかありません。

 ほうほうの体で山に逃げ込んだ彼らを、真っ黒な鬼が影に潜んでじっと見ていました。

 心優しいその老いた鬼は、四人を憐れみました。

 鬼は、彼らを襲おうと次々と現れる魔物達を、こっそりと丸飲みにしたのです。

 鬼のおかげで、四人は魔物に襲われることなく、山奥で小さな集落を作ることができました。

 醜い自分のことは知らなくても良い、と鬼はいつも影から四人を見守っていました。

 けれど、四人の崖の民は皆、気付いていたのです。

 自分達を守ってくれている、影の存在があることに。

 崖の民は影に住まう鬼を”御影様”と敬いながら暮らしました。

 やがて集落にも子供が産まれ、少しずつ、活気が出てきました。

 けれど、老いた鬼──御影様は知っていました。

 自分の寿命がもう尽きるということを。

 御影様は最期の力で、集落で育った二人の青年に自らの力を分け与えました。

 一人は、魔を打ち祓うことに特化した能力を。

 もう一人には、集落を護ることに特化した能力を。

 青年の能力に気付いた集落の人々は御影様の死を知りました。

 人々は嘆きました。

 けれど、嘆きながらも人々は生き続けなければなりません。

 そうして嘆きながら、迷いながら、永く続く営みの中で、人々は御影様が死んでなどいないことに気付きました。

 なぜなら、人々には『影法師』がついているからです。

 『影法師』が在る限り御影様は今尚、わたし達を見守ってくれているのです──。

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