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影法師 時の竜と黒き巫女リメイク中  作者: 壱戸 利希
神具女の里と籠目の少女
14/42

4-1


四 神具女の里と籠目の少女



 淡い月光が、時の竜騎兵本部の広い庭園に降り注いでいた。

 夕暮れ時にその庭園の近場にある修練所で騒ぎがあったことなど、まるで嘘だったかのような静けさである。

 時刻は深夜一時を回った頃で、多くの者が静かに床に就いている時間帯なのだが、一人、芝生を踏みしめながら、足音を立てずに庭園を歩く者がいた。

 その者は、本部の広い庭園を抜けると、鉄の門扉へと真っ直ぐ向かい、そのまま迷うことなく外へ足を踏み出そうとし──。

「……おい、クソ女。ガキのくせに一丁前に深夜徘徊してんじゃねえ」

 ──急に己の背後から響いた男の声に、『クソ女』もしくは『ガキ』と呼ばれた者は驚きの表情で振り返った。

「……は?」

 正面門扉の横──。時の竜騎兵本部の敷地を囲う外塀に、背を持たせかけている男が一人──。

「とっとと部屋に帰れ、バカ」

塀に(もた)れた男──ジオンに諌められたのは、白い外套を纏ったツバキだった。

「あ、あなたいつからそこにいたのよ!?」

 間違いなくさっきまでいなかったはずだ、とジオンに詰め寄るツバキ。

「悪いが、最初っからいたぞ」

「……おかしいわね。職業柄、暗殺はするもされるも慣れているから、人の気配には結構敏感なのだけれど。……もしかしなくても、あなた、私より暗殺の才能があるんじゃない?」

「ふざけんな。誰がそんな姑息なマネするか」

 余計な才能を見出だされたジオンは、心底冗談ではない、といった表情である。

 まあ、彼でなくとも、暗殺の才能があると言われて喜ぶ者はそうはいないだろうが。

「そう、少し残念ね。今の気配の消し方といい、並みよりは高い戦闘能力といい、あなたなら絶対素晴らしい暗殺者になれるのに……」

 心底ツバキは残念そうに呟き、次いでゆっくりと氷の玉のような月を見上げる。

「まあいいわ。──で、何かご用だったのかしら? あいにく私はとても忙しいのだけれど」

 月光を浴び、濡れ鴉の髪はより艶やかに、白磁の肌は一際白く、儚げでたおやかなツバキのその姿は、人というモノを超越したかのような神秘的な美しさを湛えている──のだが、残念ながらあまりにも非現実すぎたその容姿は、一周まわり、この世ならざるモノであるかのような、不気味さすら他者に覚えさせるものだった。

そんな彼女から目を逸らすように、ジオンも冴え冴えとした光を降らせる蒼い月を見上げ──、

「……絶対テメェは忙しくねぇだろ。まあ俺はアレだ。御同業者様ってヤツだ」

──と、己の横を指すように、顎をしゃくってみせる。

 ジオンの示す先──門扉の横には、彼のものなのだろう袋にまとめた大量の荷物が積み上げられていた。

 どうやら彼は時の竜騎兵を去るつもりであったようだ。

「あの団長とやら、あなたの大切な人なんでしょう? そこに大切な人がいるのに、何故此処を去ろうとするの?」

 ツバキは心底分からない、といった表情で首を傾げながらジオンへと問う。

「経過がどうであれ、テメェに敗けたからに決まってるだろ……。非公式の場とはいえ、戦って敗れた以上、俺のいた座に相応しいのはテメェであり、俺じゃねえ。あの人は──団長は、俺を何度も救ってくれた。ならば今、俺にできるのは、役立たずを庇ったとあの人が後ろ指を指されないよう、より強い者にこの座を明け渡すことしかねえんだよ」

 自らの敗北を認め立ち去るというのは彼にとって相当辛いことなのだろう。ジオンは両の手を、震えるように強く握りしめた。

 勝者と敗者と──。

 向かい合う両者の合間を、春宵の花薫る風が吹き抜けてゆく。

 そうして向かい合うこと一分ほど──。

「……ふぅん。ま、よく分かったわ。……逃げるのだということが、ね」

 ふいに響いた、侮蔑の色すら含んだ、氷のように冷えたツバキの声に、ジオンはこめかみに青筋を浮かべた。

「おい、今絶賛テメェも逃げようとしていたトコだろーが! つーかテメェは俺の後釜だろ! 逃がすかコラ!」

 ツバキの腕を掴み、強制的に彼女を門扉の内側へ引きずり込もうとするジオンの指に、ツバキの外套の襟からひょっこりと顔を出した黒猫──カゲロウが噛みつく。

「ツバキを苛めるのやめてよぉ!」

 黒猫の発するその子供のような甲高い声に、先ほどまで見ていた青年姿のカゲロウが重なり、ジオンは全身に鳥肌を立てた。

「テメェ悪魔! テメェはあっちの姿が本体なんだろーが! 何気持ち悪りぃ声出してんだよ!」

「ふん! これだって立派なボクの本体だもん! 人型はツバキの肩に乗れないから一番嫌なの!」

 天使許すまじ、とジオンをガジガジと噛み続けるカゲロウだが、猫の姿である限り、その攻撃力は所詮、猫相応のものでしかなく。──はっきり言ってしまえば、殺傷能力など無いに等しい。

 街中にいる野良猫よりも、もしかすると弱いのではと疑ってしまうほどひ弱な黒猫に、ジオンは半眼で「なあ」とボヤく。

「テメェ……それでホントに悪魔なのか?」

「あっ、お前今ボクのこと弱いって思っただろ! ボクは変化専門なの! 何にだって化けられるんだからな!」

 すごいんだぞ、強いんだぞ、と、ジオンの指に噛みついたまま、器用に喋るカゲロウ。

 すごくて強い割には噛んだ人差し指に風穴一つ空けられず、噛まれている張本人であるジオンから憐れみの視線を向けられているカゲロウだが、必死な彼はそれにすら気付かないでいる。

「カゲロウ、嘘吐かないの。あなたが化けられるのは普通の動植物と、無機物だけじゃない」

「ツバキ、自分を強く見せるには、時には嘘も大事なんだよ! 大事なんだよ!」

「威張って言うことかしら、それ」

 すごくて強いどころか、暗に自分は弱いと言っているような相棒の姿に、ツバキは呆れ顔で、やれやれと肩を竦めた。

 ──と、そんな彼女の襟口では、ジオンは黒猫の口から己の人差し指を引き抜こうと、軽く指を左右へと動かすものの、カゲロウは意地と根性で、その小さな牙を離そうとはせず。

 ジオンは猫の口から指を引き抜くのを諦め、黒いふわふわの小さな額に、空いている手でぴしりと指弾を当てた。

「ぎゃす!? やられた! やられたよぅ、ツバキぃ!」

 痛いの、酷いのと(わめ)くカゲロウをガン無視し、ツバキはジオンの瞳を正面からじっと覗き込む。

「……もしかして敗けたのがそんなに悔しいの?」

 火に油を注ぎに注いで、挙げ句に水までぶち込んで、水蒸気爆発を起こさせたいとしか思えない彼女の言葉に、ジオンは何とか平常心を保ち続けてはいるものの「だったらどうした」と答えるその声は低く、抑えきれない怒気の片鱗が滲み出ている。

「どうもこうも、私にとってはそう、どうでもいいことだけれど、あなたが此処を去ったら、いざって時に尖兵はどうするのかしらね?」

「そりゃあテメェの役目になったじゃねえか」

「あら、私が此処の民間人(ドレストボルン)の為に本気で能力を使うと思う? ──まあ思っていたとするなら、あなた、相当におめでたい頭よね」

 嫌味をたっぷり含んだ嘲笑とともに「よしんば使ったとしても──」と、例え話をツバキは始めた。

「勿論あなたは知らないでしょうけど、影法師は影が無ければ基本的には、ほぼ無力なの。正午の影の短さなんて特に最低よ。影武者──ああ、あなたが交戦した影達ね。彼ら一人、影から引きずり出せやしないんだから。……わかるかしら? 私に四六時中尖兵になれっていうのは土台無理な話なのよ」

 強大な力はその分、制約も大きいのだ。

 影法師は影がよく伸びる黄昏時や、世界が夜陰に沈む夜などには絶大な力を遺憾なく発揮できるものの、雨が降ったり、建物の内部で光源が真上にあったりするなどして、影そのものが短くなったり、消えたりしてしまうと能力そのものを行使できなくなるという致命的な弱点を抱えていた。

「そうね、ついでに私の影武者達があの団長とやらに消されなかった理由も特別に教えてあげるわ。……彼の能力は”無”だそうね。理解し得る事象を無かったことに出来る、素晴らしい能力。──だけれど、そこが肝よ。あなた達の能力は周囲に満ちる魔力を取り込み発動させるモノ。彼はそれを理解しているから、あの時あなたの炎兵を消せた。でも私の影武者達はそうはいかない。だって、影法師は魔力でなく、己の法力を使うもの。法力は私の内にあるものだから、彼には理解できないし、消せなかった、そういうことよ」

「ホウリキ……」

 ドレストボルンでは耳にすることのない単語なのだろうが、そこはそれ、話の流れからその法力なるものが如何なるものなのか、大体のニュアンスを掴み取ったジオンは、ふいに三白眼になり、ツバキをジロリと睨む。

「……なあテメェ、さっきからベラベラと色々情報をくれるけどよ。一体、何を企んでやがる?」

 明らかに怪しいと言わんばかりのジオンに、ツバキはふいに黒曜石の瞳から感情を消し、ニンマリと口端だけを吊り上げた。

そんな主の顔を襟口から見上げ、カゲロウはこれから何が起こるかを察したように、ふいとその眸を主から逸らす。

「あら、やっぱり怪しかったかしら? ──まあ冥土の土産ってやつよ。言ったでしょう? 私はローザを護る為なら何でもするって。悪いけれど、あなたの命、頂くわ」

 人差し指と中指で、宙に籠目紋をくるりと一筆書きに書き上げたツバキは、その指をひた、とジオンの影につけた──次の瞬間だった。

 ずぶり、とジオンの足が、彼の足元の影に沈み込んだのは。

「なっ……!?」

 一瞬の内に危険を察知したジオンは、その足を影から引き抜こうともがくも、彼の意思に反して足は更に深く影へと沈んでゆく。

 もがく内にも沈みゆく影に、ついに膝を取られた彼は態勢を崩し、上半身と片頬まで影についてしまった。

 生温かく、ぬるりとした影のその感触に、ジオンの全身に鳥肌が立つ。

「影に馴染んだ頃にまた会いましょう。その時はありがたくその骸、使わせてもらうわ。──ああ、心配しなくても大丈夫よ」

 寒くも怖くもない。あなたはただ、眠るように死ぬだけだから。と、唄うように言葉を紡ぐツバキ。

「さあ、お眠りなさいな」

「テメ……ふざ……け──」

 ジオンは尚も必死に抵抗するも、身体にまとわりつく影に次第に体力を奪われ──。

 全身が完全に影に埋没し、一寸先も見えぬ闇の中、深く深く沈みながら、その意識も朦朧とし始めた──そんなジオンの目の前に、ぼんやりと浮かび上がったのは、真っ白な狐の面を付けた、ショートヘアの黒髪を持つ痩せ肉の仄かに光る青年の姿。

霞みが掛かったようにうまく働かない頭で、ジオンはその青年が、先ほど己をここへと沈めた少女──ツバキに(ゆかり)ある者だろうと判断する。

彼のその根拠は、ただ目の前の青年も黒髪だったから。それだけなのだが。

抗うことのできない異常なだるさに身体を完全に支配され、ジオンは青年から目を逸らして静かに目を閉じる。

周囲に満ちる闇は彼女の言葉通り、暑くも寒くもなく。

だるさと、波のように押し寄せる睡魔に、足掻くのを諦めたジオンだが、天使の、それも幹部格であった彼は最後の知性で、ただ意味もなく闇に身体を委ねるということを良しとは出来なかったようで。

彼はその闇を受け入れながらも、脳のどこかでつらつらと、その闇の本質を考える。

己が身を包むその漆黒は柔らかで、甘く、そして優しいが──。

「これは、寂しさ、か……?」

 優しさと柔らかさの(とばり)の中に、ふいに揺蕩うのは、郷愁が胸を去来するかのような、そこはかとない、漠然とした寂寥感。

「まあ、それでも……」

 考えたところで何ができるわけでもなく。

仕方ない、もうどうすることもできはしない。とジオンは深く息を吐き出し──次の瞬間、彼の頬に何かがさらりとかかった。

「……んあ?」

 心地よい微睡みを妨げられたジオンは訝しげに目を少し開き──、

「うぎゃああああぁあぁ!?」──絶叫した。


「テメ、あっちいけコラ!」

 ばくばくと暴走する心臓を宥めながら、両手を己の顔の前でばたつかせるジオン。

どうやら彼の頬にかかったさらりとした感触の正体は青年の黒髪だったようだ。

決して長くはない、ショートカットの髪がかかるだけあって、その狐面と彼の顔との距離はやたらと近く。

青年はジオンをじっと観察しているだけのようだが、とにもかくにも、距離が近すぎた。

ジオンに腕をバタバタと払われたことにより、実体のない青年は何かに気付いたように、ひょいっと彼から距離を取る。

「な……なんなんだよテメェ……!」

 己の胸に手を当て、早鐘を打つ心臓を必死に宥めながら、ジオンはその、控え目に言っても悪い目付きで青年をギロリと睨んだ。

 ジオンに睨まれた青年は一度首を傾げると──、その透けた手で、ゆっくりと己の顔から白狐の面を取り外す。

 どうやら青年は、己が面を付けていたがためにジオンが不機嫌になったのだと受け取ったらしい。

 青年の外した面の下──。さらりとした癖のないショートヘアーの黒髪にツバキと似た、黒い瞳。柔和な面差しを持つ彼のその容貌は、帯びた憂いも相まって、とても美しいもので。

 青年と目が合い、一瞬動きを止めたジオン。

そんな彼に、ふわりと再び寄ってきた青年は、動きを止めたままのジオンの額に、己の人差し指と中指を翳した──その刹那、ジオンの脳裏に走馬灯のように色々な風景や感情が一瞬にして駆け抜ける。

「ッ──!? 今のは……?」

 それはあまりにも一瞬で。

 だが、一瞬だと割り切るには、脳裏に残存する感覚はあまりにも生々しく。

「痛み……、苦しみ……、違う……、罪……か?」

 鈍い思考で感覚の正体を掴もうと、脳裏に刺さる棘のような、感情の残滓(ざんし)を辿るも、それをはっきりと手に掴むにはあまりにも得た情報量(きおく)が多すぎた。

 ジオンは記憶を分析するのをやめ、ふわふわと宙に漂っている青年へと声をかける。

「オイ、何か伝えてェってんなら、もう一度……それも、もっとゆっくり見せやがれ。今のじゃあ本当に走馬灯でしかねえからな」

 ジオンの言葉に、青年は一度目を瞬かせ──次いで、すまなさそうに笑むと、彼は再び指をジオンの額に翳し、色鮮やかな映像(きおく)を彼へと伝え始める。

 それを読み取ることに専念しようと目を閉じるジオンの、瞼の裏に鮮明に浮かぶ少女。──それは、まだ顔立ちにあどけなさの残る、ツバキの姿だった。

 赤い組紐で横髪を結い、暖色の(ひとえ)を幾重にも重ねたツバキは、手にしていた金糸で縁取られた毬を、てん、と突きながら視界の向こうへと遠ざかっていく。

 やがて、彼女は見えなくなり、代わりに彼の脳裏には、何処かの山が映し出された。

 俗世から隔離されたかのような、深き、深き山。

──其処はツバキの『はじまり』の故郷だった。

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