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3-4

「なるほど、人海戦術ね」

 後手に回ったツバキは余裕の表情で斜に構えながら、煌々と燃え盛る軍勢を観察している。

「どうしたァ? ああ、もし勝ち目が見当たらず、降伏してえってんなら、今なら一発殴っただけで済ませてやるが?」

 炎の軍勢を背後に展開したジオンの声に、ツバキは「まさか」と肩を竦める。

「冗談でしょう? 降伏なんて死んでもお断りよ。……でも、そうね。そんな綿飴みたいな兵士で喜んでいるあなたには過ぎた能力だけれど……その鼻っ柱をへし折る為に見せてあげるわ。影法師の力を」

 ツバキが地面に伸びる己の影に、ひた、と手を当てる。と、その手がずぶりと──まるで水面に手を突き立てたように地面に沈み込み、ゆっくりと引き抜いたその手には漆黒の扇が握られていた。

 バサリ、と開かれた扇には、艶や模様の一つなく。

「さて、と。──それでは皆々様方、これより私が舞いますは『夢幻泡影』、泡沫の舞いにございます。今宵ばかりは命奪うも奪われるも、無礼講──」

 少数の観客の見守る前でツバキは扇を片手に凛とした鈴のような声音で詠唱を始める。

「裂キ咲ケ徒華、狂乱ノ宴ニ。泡沫微睡ミシ彼方ノ生、雲霞遥カノ憧憬ハ傀儡ノ虚ニ沈ミテ戻ラズ──」

 それは聴く者の心をゆっくり蝕む(まがち)のような、深淵より視えぬ(わざわい)が這い出ずるような。それは最早、詠唱というよりは不気味な、呪唄に近いものだった。作り物めいた鈴の声が、よりその非現実じみた不気味さに拍車を掛ける。

扇から仄暗い燐光を放ちながら詠唱を続けるツバキの姿に、ローザはぶるりと身震いし、己の肩を温めるように両手で擦った。

「来るのだわ……あれが……」

 ローザは何かを思い出すかのように唇を震わせ──、

「そうか。屋敷に賊が押し入った時に、ローザは見たことがあったか」

 カゲロウは懐かしそうに目を細める。

「来るって……一体何がです?」

 シズマの問いに対する”(こたえ)”はすぐにその姿を現した。

 黄昏に伸びる建物の影から、音もなくぽつりぽつりと生じる、シミのような黒い塊は、膨れ上がるように人型を成すと、ツバキの周囲へと、すがるように手を伸ばしながら集まる。

「アァァ……ウァ……」

「オアアァ……」

 声にならない声を上げる人影にツバキは妖艶な笑みを浮かべながら、炎の軍勢へと、開いた扇をついと向けた。

「さあさ、愉しい宴の始まり──。痛みも苦痛も感じない、命在りし時を微睡む武士(もののふ)達の刃、その柔な兵士達で受けきれるかしら?」

 ぱちり、と閉じられた扇の音は進撃開始の合図。

影達は闇よりも深い、窪んだ眼窩を一斉に炎の軍勢へと向け──、ぬらりと襲い掛かった。

「上等だ、迎え討て!」

 まさかこんな展開になるとは想像すらしていなかったのだろう。ジオンは苛立たし気に舌打ちすると、腕を前方へと伸ばし、自軍の兵士達へと進軍指示を出す。

 炎の(あか)と影の黒が入り乱れ、毒々しい色に染まった結界は、あっという間に剣戟の音が埋め尽くす乱戦へと突入した。


「ちっ!」

 大斧で影を真っ二つに叩き割ったジオンは、裂けた影を視線で追う。

 彼の叩き割った影は、どろりと溶けるように地面に沈むものの、別の人影が再びあちらこちらからぬるりと現れる。影の中には首のないものや、四肢の欠損したものの姿が見られるものの、その猛攻ぶりは衰えることがない。

 首が飛ぼうが腕が千切れていようが襲い掛かってくる、正に不死の集団と呼ぶに相応しい影の兵団は、数こそ数百程度ではあるが、

「なんなんだよコイツら!」

 背後から、ひたり、と寄ってきた影を凪ぎ払う。

 影達はそれぞれ、戦闘能力や戦い方の癖に個体差があり、それが彼を一番手こずらせる要因となっていた。

 見るからに戦い向きではない農具を手に素人丸出しで正面から襲い掛かってくるものもあれば、短剣を構え、音もなく背後から忍び寄って来るものもある。

 また一体、無謀にも正面からジオンに躍り掛かる影を、

「テメェ……さっきぶった斬っただろーが! 大人しく死んでろ!」

 彼は斧を横に薙ぎ払い、その胴体を二つに叩き斬った。

「クソ、後味悪りぃな……」

 胴を斬り離され、地に沈んでゆく人影は彼に相対した時から既に脳天から胸にかけて裂かれた状態だった。素人目にも戦いに慣れていないと判るほど隙だらけの構えで襲ってきたその影は、先ほど間違いなく己が手に掛け、斬り捨てた影で──。

逃げ惑う一般人を斬り殺したような気持ちの悪さを振り払うように、一度大きく斧を閃かせると、ジオンは忌々しげに戦場の一角を睨んだ。

そこには、緋の炎兵を事も無げに扇子で打ち払い、炎の塊に還す女が一人──。

「あーあ……厄日だなこりゃ……」

 ジオンは影と交戦しながら、小さくボヤく。

──正直なところ、悪魔さえ黙っていれば、学生などに敗けるとは露ほども思ってはいなかった。

「あくまでも、テメェがあんまりにも傲慢だから──」

 ──少し懲らしめてやろう程度の感覚で挑んだ勝負だった。

「まさか、こんなことになるなんてな……」

 世の中、まだまだ広いものだ、と達観したかのように呟き、ジオンは己を嘲笑う。

「──確かにテメェは、強えェ」

 ──七天使の最前線を張ってきたという自負はある。

「そんな俺にここまで食い付いて来たんだ。腹立たしい限りだが──」

──その強さは間違いなく本物だろう。

「だからこそ……悪りぃが、もう手加減はしてやれねぇ。そこまでの力を持ってしまったことを誇り──そして恨め──!」


 ──空気が変わった。

 手にした扇で一体の炎兵の攻撃をいなし、その顎を蹴り上げながら、ツバキは直感で異変を察知した。

「やっぱり……手加減してきているとは思っていたけれど、これは想像以上ね。腐っても天使の筆頭ということかしら」

 あたり一帯の空気が緋く、熱を帯び始め、そこかしこの地から炎柱が噴き上がる。

 ジオンが何か大技を繰り出そうとしていることは誰の目にも明らかだった。

「んー……困ったわね」

 端からみれば、どこが困っているのかと言わんばかりの涼しい顔に見えるが、実際ツバキは困っているようだ。

「私はそもそも──、いえ、言ってる場合じゃないわね。仕方ない、一か八か賭けるとしましょうか──!」

 兵士の隙間を縫うように駆け出したツバキの目前を、次の瞬間、数多の火球が埋め尽くした。

「なんのっ──!」

 咄嗟にツバキは己の影を地面からひっ剥がし、それを盾にするようにその陰に隠れ込む。

その刹那──、

「そこまでだ」

 防御に徹したツバキと、火球を防がれると踏み、追撃すべく距離を詰めてきていたジオンとの間に、ヴァイスが単身割って入った。



ヴァイスは手早く自らの能力で、火球と双方の兵士を消し──、

「団長ッ!」

 ジオンの切迫した叫びに咄嗟に背後を振り向く。──と、己の能力で消したはずの影が刀を振り上げ、躍り掛かって来るのが視界一杯に映り込んだ。

「──!!」

 鈍い、肉を断つ音とともに鮮血が宙を舞う。

「ジオン……!」

 咄嗟にヴァイスを突き飛ばすように庇い、刃をその肩口に受けたジオンは影を蹴り飛ばし、血の迸る己の肩口を押さえた。

 現状を瞬時に理解したヴァイスは素早く抜刀すると、飛燕の剣劇で群がる影を片っ端から斬り捨てていくが、一体の影が彼の死角──ジオンの背後から湧き出づる。

「ッ──!」

その気配を察知し振り返るジオンより早く、影は手にした刃を振り翳し──その動きをぴたりと止めた。

「……なんだよ、殺さねえのか?」

 ジオンのその問いは、影の背後でつまらなさそうに、扇を使いパタパタと自分を扇ぐツバキに向けられたものだ。

 完全にジオンを生殺与奪、どうするかの権利を握った彼女は、戦いに水を差されたことが面白くなかったのだろう。ぶすっとしている。

「……まあ、そうしてもいいのだけれど」

 いつものテンションに戻ったツバキは、むくれたまま扇をパチリと閉じた。役目を終えた扇は煙に消えるようにその手の内から失せてしまう。

「やーめた、っと。──はいはい、みんな帰った帰った」

 ツバキに手であしらわれた影達は、ドロドロに溶けながら地面へと染み込んでいく。

 双方の兵が消え、戦闘が完全に終わったのを確認したアマラが結界を解くと、そこは先程まで皆が囲んでいた、円卓のある会議室へと戻っていた。


「さて、途中はどうあれ、結果は私の勝ちね。まさか卑怯だなんて言わないでしょう? 勝手に油断したのはそっちなんだから」

 ツバキの言葉に、反論が見付からないのだろう。ジオンは肩口を押さえたまま、仏頂面で唇を噛む。

 そんな彼を視界に収めたツバキは、ふん、と小さく鼻を鳴らすと、次いでヴァイスに視線を向けた。

「そこの白髪男。取引よ。私はこの猪みたいな男を殺さない。──代わりにあなたはカゲロウの正体を見なかった、知らなかった。……どうかしら?」

「それは時の竜騎兵の団長である私に不正な取引を認めろ、ということか」

 刹那、ヴァイスの帯びた険は並々ならぬもので。

そんなヴァイスへとツバキは「堅物ねえ」と疲れたように呟いた。

「今までだって、綺麗事だけでこの組織を纏めてきたワケでもないでしょうに。いいじゃない、不正の一つや二つ。例え一つが重なり重なり、千に届いたとしても私は平気よ?」

ドレストボルンの言わば、治安機関も兼ねている時の竜騎兵の、それもトップを前にとんでも発言を平然とするツバキは「ほら、乗っかった乗っかった」と、ヴァイスへと半ば強引に取引を押し進めていく。

だが、時の竜騎兵の団長という立場と、同胞を助けたいという一個人の立場と。

ヴァイスが選ばなくてはならない方は誰の目にも明らかで──。

ヴァイスの顔に貼り付いた苦渋の表情に耐えきれなかったのは、今まさに彼の中で天秤に掛けられているジオンその人だった。

「団長! 俺のことは──」

 放っておいてくれと叫ぼうとしたジオンの喉仏に、いつの間にか寄ってきていたツバキが、すっと人差し指を当てる。

 彼女の得体の知れない能力を目の当たりにしているだけに、その行動が無意味なものであるとは到底断じることなどできようはずもなく、己の喉へと当てられた指の感覚にジオンはゴクリと生唾を飲み込んだ。

「まあ私もそこまで外道ではないわ。そこな間延び男に、治療してもらった借りもあるし」

 ツバキはちらりと視線だけをレーベンに向ける。

「じゃあ譲歩して、こうしましょう。カゲロウが個人の私利私欲で人間を殺めた時には、この約束は反故で構わない。だけれど、そうでない限りは目を瞑る。……で、どうかしら?」

 カゲロウはローザの隣で、パペットをはめた手で頭を抱えながらオドオドと成り行きをただ見守るしかなく。

 たっぷり五秒は熟考したヴァイスが出した答えは──、

「もし、その悪魔が我らに害成すと判断した際には、即座に始末させてもらう」

 取引きの受け入れだった。

 その決定に、ローザが大きく安堵の吐息を漏らす。

 カゲロウも張り詰めていた緊張が一気に解けたのだろう、ぺたりとローザへともたれかかり、その見た目よりは遥かに重量のある彼はローザをいとも簡単に潰した。

「うきゃあっ!? か、カゲロウ、どくのだわ!」

 潰されたローザは恥ずかしさに真っ赤になりながら、目の前の水色の頭を必死に押し退ける。

「え、なんで? ……あ、ローザ俺のこと、やっぱり怖いか……?」

「怖いとかじゃなくて、ああもう! ツバキ、助けるのだわー!」

 必死にツバキに助けを求めるローザ。だが。

「……ローザ、何してるの?」

 頼みの綱であるツバキは、ワケがわからない、といった体で目前の光景を見つめている。

「何してるのじゃないのだわ! 重くて死ぬ、死んじゃう! それから、恥ず……いや、なんでもない、なんでもないのだわ!」

カゲロウを押し退けるのを諦め、顔面を手で覆うローザだが、残念ながら隠せなかったその耳は茹でダコ並の赤で──。

「あっ」

 その時ようやくカゲロウは自身の姿に思い当たる節を見つけたらしく「よっこらせ」とジジ臭い掛け声をかけながら、ローザの上から退いた。

 この小さな事件は、ローザの(せつな)い犠牲の上に、ではあるが、図らずも皆の緊張を解したようだった。

「うー……」と頭から湯気を立てながら起き上がるローザの姿に、あちこちから小さく苦笑の声が上がる。

 場の空気が和んだ所で──、

「ヨシ、和解も済んだのじゃ! 皆、夕飯にしようではないか! 今日は食堂ではなく、ワシが手作りするとしよう!」

 ──と、時の竜騎兵きってのムードメーカーらしいイェンロンがすかさず親睦ムードを助長した。

「わあ、いいですね! ローザ、ツバキ! イェンロンの料理の腕前は都の三大料理人に選ばれるくらいのものなのですよ!」

「飽きが来ないのも困りものだわ。ほら、お腹にお肉が付いちゃうじゃない?」

 ここぞとばかりに乗っかるシズマとアマラに、手櫛で髪を整えていた単純なローザの顔がぱっと輝く。

「えっ!? イェンロン様のお料理!? アタシ、美食ガイドよく読むのだけど、超一流と名高いイェンロン様のお料理が食べられるの!?」

 ローザは、もそもそと猫に戻ったカゲロウを左肩に乗せ、そろりと逃げようとしていたツバキの空いている右肩を、がっちりと捕まえる。

「二人とも、一緒に食べに行くのだわ! ツバキが昔教えてくれたじゃない、雨降って地固まるってやつなのだわ!」

「固まってないわ。断じて固まってないから! むしろ豪雨で地面抉れている状態だから!」

 犬歯を剥きながら、嫌悪も露にそう吠え立てるツバキ。──だが、ローザは全く気にもしていないようで。

「あ、ツバキ、お料理が出来る前に一旦屋敷に帰りましょう! ツバキはどのドレスにするの? 赤いドレスなんてアナタにぴったりだと思うのだけど!」

 肩を掴んでいない右の拳をぐっと握り締め、ドレスが似合うと力説するローザだったが、

「着ないわよ、あんなヒラヒラしたもの! とにかく私は出ないから、じゃあ!」

「ぼ、ボクもパス! じゃあね、ローザ」

 ぴっと肩を掴んでいたローザの手を振り払い、ツバキとカゲロウは猛然と逃げていった。

「ああっ! 待ちなさい! 待つのだわ!」

 ローザは慌てて追いかけて行くも、結局晩餐会までに友人を見つけることは叶わず。その後、会がお開きになった瞬間にひょっこり目の前に現れたサボり魔にローザは「アンタねぇ」とただ嘆息するしかなかった。

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